紀元前381年

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紀元前381年(きげんぜん381ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「カミルス、アルビヌス、メドゥリヌス、フラウウス、アンブストゥスが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元373年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前381年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

ペルシア帝国[編集]

  • アケメネス朝ペルシア帝国の将軍ティリバゾス (Tiribazus) とオロンテス (Orontes) が、キュプロスエウアゴラスが動員できる兵力を遥かに越える数の軍勢で、キュプロスを侵略した。これに対して、エウアゴラスはペルシア軍の補給路を何とか断ち、食料不足に陥ったペルシア軍は反乱を起こした。しかし、エウアゴラスの艦隊がキティオンの海戦 (the Battle of Citium)(キティオンは現在のラルナカ)で壊滅すると、戦況はペルシア有利に傾いた。エウアゴラスはサラミス (Salamis) に逃れ、名目上はサラミス王位を保つものの、実質的にはペルシア王の臣下となるという条件で講和を結んだ。

ギリシア[編集]

共和政ローマ[編集]

  • ローマに反乱を起こしたトゥスクルム (Tusculum) が鎮圧、平定された。ローマへの完全な服従を表したトゥスクルム人たちは、最初の「自治都市 (municipium cum suffragio)」と認められ、行政体 (municipium) としての地位を保つこととなった。

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

関連項目[編集]