王東順
おう とうじゅん 王 東順 | |
---|---|
生年月日 | 1946年11月30日(77歳) |
出生地 | 東京都 |
血液型 | B型 |
職業 | テレビプロデューサー、実業家 |
事務所 | フジテレビ、イーピー放送、ドリームワン、ジャック・インベストメントドリームワン、東京テレビランド |
王 東順(おう とうじゅん、中国語拼音: 、1946年(昭和21年)11月30日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。
フジテレビにてプロデューサーを務めた後、イーピー放送(現・SCサテライト放送)編成局長、ドリームワン代表取締役社長、東京テレビランド非常勤取締役を歴任した。
通称ワンちゃん。東京都出身。
来歴・人物
[編集]1964年、高校卒業後、フジテレビに入社[1]。働きながら中央大学商学部(夜学)に通い卒業。1969年に当初の人事部から制作部に異動し[1]、『ゴールデン歌謡速報』や『リブ・ヤング!』のADをやり、1975年には29歳で『クイズ・ドレミファドン!』のプロデューサーとなった[1]。この番組は日曜昼の放送であったが、常に視聴率20%を突破してフジの不毛地帯を開拓し、20代の若手プロデューサーとして脚光を浴びた[1]。
1981年10月からスタートする『なるほど!ザ・ワールド』のプロデューサーに、日枝久編成局長のめがねにかなって起用される[1]。王はスポンサーの旭化成に挨拶に行くと、担当の弓倉礼一常務(のち社長)から「外野はゴチャゴチャ意見を言いません。すべて君にお任せします」と言われ、初対面の弓倉の人物の大きさに触れて感動し、この一言で俄然やる気になったという[1]。期待された番組視聴率は、10月6日の第1回「アメリカ大陸横断」が9.9%、第2回の「アメリカの大金持ち」が14.8%、第3回「沖縄編」が10.6%という結果だった[2]。こののち、12月15日の第9回「ネパール」(益田由美アナ初登場)では、待望の20%の大台にのった[3]。その後着実に20%台を確保し、翌年春には25%を超えた[3]。最高は1983年末の36.4%[3]。
横澤彪や石田弘らと共にフジテレビの看板プロデューサーとして名を馳せ、フジテレビのモバイルサイトの立ち上げにも携わる。
2001年に退社し、イーピー放送(現・SCサテライト放送)編成局長を務めた。2003年にはドリームワンを設立したが、2017年1月20日、同社はジャック・インベストメントへ吸収合併された[4]。その後、王はジャック・インベストメントドリームワン企画制作事業本部の責任者を務めた。
手がけた番組
[編集]- スター千一夜(ディレクター)
- ゴールデン歌謡速報(演出)
- クイズ!家族ドレミファ大賞(演出)
- クイズ・ドレミファドン!(プロデューサー・ディレクター)
- なるほど!ザ・ワールド(プロデューサー、『スター千一夜』に続いて旭化成がグループ単位で単独提供)
- クイズウルトラドボン(前身。プロ野球中継の雨傘番組として放送。司会:みのもんた・酒井ゆきえ)
- スーパージャンボクイズ'80(プロデューサー、1980年に『火曜ワイドスペシャル』で放送)
- FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル(プロデューサー)
- クイズ地球どんぶり!(プロデューサー)
- 七人のHOTめだま(プロデューサー)
- クイズ!年の差なんて(プロデューサー)
- クイズ&ゲーム太郎と花子(プロデューサー)
- 3時ヨこい!(チーフプロデューサー)
- ゴールデンタイム(プロデューサー)
- まけたらアカン!(ゼネラルプロデューサー)
- オールスター紅白大運動会(2回目から)
- オールスター雪の祭典(プロデューサー)
- 平成教育テレビ(総合プロデューサー)
- FNS1億2700万人の27時間テレビ夢列島(1998年・1999年スーパーバイザー → 2000年統括ゼネラルプロデューサー)
- SMAP×SMAP'10 新春スペシャル(ドミノプロデューサー)
- 新春かくし芸大会(ディレクター → プロデューサー → ゼネラルプロデューサー)
- 出たMONO勝負(プロデューサー)
- 火・曜・特・番!! 今夜開幕!プロ野球12球団激突!歌って踊る日本シリーズ(ゼネラルプロデューサー)
- FNSオールスターズ27時間笑いの夢列島(スーパーバイザー)
- 鶴瓶漂流記(監修)
- 千原・ジャリバカTV(監修)
- アナドレナリン
ほか多数
イベント
[編集]- コミュニケーションカーニバル 夢工場'87(1987年、フジテレビ)
- お台場BANG×PARK(1999年、フジテレビ)
王班のスタッフ
[編集]フジテレビに限らず、テレビ局の制作スタッフは、いくつかの班に分かれて番組を制作する。
かつての上司だった横澤彪率いる「横澤班」(「笑っていいとも!」「オレたちひょうきん族」など)と、かつての先輩だった石田弘率いる「石田班」(とんねるず関連番組など)と、後輩だった疋田拓率いる「疋田班」(「夜のヒットスタジオ」など)とは、一線を画していた。
王は横澤や石田が多用する下ネタ、楽屋落ち、低俗などの手法はあまり用いず、家族で安心して見られる番組作りをモットーとしていた。ワイドショー番組「3時ヨこい!」ではゲーム形式のコーナーも打ち出した。
横澤班や王班が担当していた番組の収録中には、石田がおニャン子クラブやその派生ユニットおよびメンバーのソロ活動の楽曲のランキングの扱いから敬遠していた『ザ・ベストテン』(TBSテレビ)に対して追っかけ中継の立ち入りを許可する等、同番組に友好的な対応を取っていた。
- ※右記は近況の肩書
- 井上信悟
- ポニーキャニオン取締役副社長。夜のヒットスタジオを中心とする「疋田班」に属していた。
- 加茂裕治
- 東京フィルム・メート代表取締役社長。後に三宅恵介率いる「三宅班」に移り、ごきげんようのプロデューサーの他、三宅が演出を手掛けている明石家さんまの全ての番組のプロデューサーを務めた。
- 坪田譲治
- 番組審議室担当局長。
- 水口昌彦
- WOWOW取締役。
- 神原孝
- FCC制作室企画開発部長。王退職後は港浩一の下で経験を積む。「クイズ!ヘキサゴン」の演出・プロデューサー、爆笑レッドカーペットの制作等を担当した。
著書
[編集]- 王東順、品川裕香『視聴率の怪物王東順の企画の王道』カンゼン、2002年12月。ISBN 978-4901782081。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 村上七郎『ロングラン マスコミ漂流50年の軌跡』扶桑社、2005年6月。ISBN 978-4594049478。