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益田由美

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ますだ ゆみ
益田 由美
プロフィール
愛称 ひょうきん由美
出身地 日本の旗 日本 東京都
生年月日 (1955-02-11) 1955年2月11日(69歳)
血液型 B型
最終学歴 早稲田大学第一文学部
所属事務所 生島企画室(ナレーターとして)
職歴 フジテレビジョン(1977年 - 2015年)
配偶者 既婚
出演番組・活動
出演経歴なるほど!ザ・ワールド
晴れたらイイねッ!Let'sコミミ隊』(プロデューサー兼任)
ほか
備考
入社から1981年3月までは報道局解説放送室付リポーターで、契約社員扱い。

益田 由美(ますだ ゆみ、1955年昭和30年〉2月11日 - )は日本の女性フリーアナウンサーナレーター[1]。血液型はB型

ナレーターとしては生島企画室所属。

来歴

東京都出身。東洋英和女学院高等部早稲田大学第一文学部卒業後、1977年フジテレビジョン報道局解説放送室付リポーター契約社員扱い)として入社。同期アナウンサーは城ヶ崎祐子1997年退社)、桜井郁子2014年5月定年退職)。1981年4月、編成局アナウンス部に異動し、正社員に昇格(詳しくは鹿内信隆の項目も参照)。

下記の『なるほど!ザ・ワールド』のリポーターとして世界各地を飛び回る活動の後、自らの企画で『ニュースJAPAN』の金曜コーナー「リバーウォッチング」を立ち上げたり、『晴れたらイイねッ!Let'sコミミ隊』ではプロデューサーを務めるなど多岐多様な活動を行った[2]

1994年に海外取材ディレクターだった5歳下の男性と結婚[2]2009年6月26日付で編成制作局アナウンス室ゼネラルアナウンサーに就任。2015年2月27日付でフジテレビを定年退職[3]。フジテレビ女性アナウンサーとして定年退職を迎えたのは益田が初である[2]

なるほど!ザ・ワールド

1981年10月から始まった当番組で世界各国を巡るリポーターとして出演。被り物、NGを連発しながらも体を張ったリポートが大ウケし、「ひょうきん由美」の愛称で一躍お茶の間の人気者に。しかし、通算で訪れた国は69か国、連日の海外ロケに加え、同番組の全ロケにおける標高最高地点(ペルー鉄道駅4,781m)と最低地点(イスラエル死海沿岸海抜マイナス394m)や、最高気温地点(クウェートにおける摂氏52度)などを訪れ、トルコではイスタンブールからアンカラまで3,000kmを1か月がかりでバス移動ロケをするなどスケジュールの過酷さが響いたのか、椎間板ヘルニアと頸椎ヘルニアを発症してしまう。これ以降リポートができなくなり、1988年に療養のため休職、番組も降板となり[2]1996年3月愛川欽也楠田枝里子司会による番組最終回スペシャルの際に約8年ぶりにロケに参加、益田が13年前のロケで展示物を壊した旧東ドイツザクセン州ザイフェンのおもちゃ博物館と、トルコロケで1か月間行動を共にした通訳、運転手がいるイスタンブールを再訪した。

その後、爆笑問題がMCを務めた復活の祭典スペシャルではナレーションを担当することで番組に復帰した。また、2007年4月1日放送の「世界地図の祭典スペシャル」において、リポーターとして復帰した。

出演番組

フジテレビ時代

フジテレビ退社後

テレビ

CM

脚注

  1. ^ 峯田淳 (2024年11月11日). “フリーアナ益田由美さんは放送業界一の多趣味人間「思い立ったが吉日。何ごとも始めるのに年齢はない」”. https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/362985 2024年11月11日閲覧。 
  2. ^ a b c d 「ひょうきん由美」フジ女子アナ初の定年 日刊スポーツ 2015年2月25日閲覧
  3. ^ ご卒業。 フジテレビアナウンスブログ『佐々木恭子の行き当たりばったり』2015年2月28日付参照
  4. ^ サントリー「黒酢にんにく」テレビCMの料理監修をしました”. e-food.jp (2018年2月28日). 2018年10月1日閲覧。

関連項目

『なるほど!ザ・ワールド』関連

外部リンク