王東順

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王 東順(おう とうじゅん、中国語拼音: Wáng Dōngshùn1946年(昭和21年)11月30日 - )は、日本テレビプロデューサー

フジテレビにてプロデューサーを務めた後、イーピー放送(現・SCサテライト放送)編成局長、ドリームワン代表取締役社長東京テレビランド非常勤取締役を歴任した。

通称ワンちゃん東京都出身、中央大学商学部卒。血液型B。

来歴[編集]

1964年、高校卒業後、フジテレビに入社し総務部に配属される。当時はフジテレビ社員と中央大学商学部(夜間大学生)の2足のわらじを履いていた。放送部(主調整室運営担当、現在はコンピューター運営により廃止)を経て、1970年に制作部に転属。

クイズ・ドレミファドン!』や『なるほど!ザ・ワールド』を始め、数多くの番組を手がけ、横澤彪石田弘らと共にフジテレビの看板プロデューサーとして名を馳せ、フジテレビのモバイルサイトの立ち上げにも携わる。

2001年に退社し、イーピー放送(現・SCサテライト放送)編成局長を務めた。2003年に株式会社ドリームワンを設立したが、ドリームワン自体は2017年1月20日に株式会社ジャック・インベストメントへ吸収合併された[1]。その後はジャック・インベストメントドリームワン企画制作事業本部の責任者を務めた。

手がけた番組[編集]

ほか多数

イベント[編集]

王班のスタッフ[編集]

フジテレビに限らず、テレビ局の制作スタッフは、いくつかの班に分かれて番組を制作する。

かつての上司だった横澤彪率いる「横澤班」(「笑っていいとも!」「オレたちひょうきん族」など)と、かつての先輩だった石田弘率いる「石田班」(とんねるず関連番組など)と、後輩だった疋田拓率いる「疋田班」(「夜のヒットスタジオ」など)とは、一線を画していた。

王は横澤や石田が多用する下ネタ、楽屋落ち、低俗などの手法はあまり用いず、家族で安心して見られる番組作りをモットーとしていた。ワイドショー番組「3時ヨこい!」ではゲーム形式のコーナーも打ち出した。

横澤班や王班が担当していた番組の収録中には、石田がおニャン子クラブやその派生ユニットおよびメンバーのソロ活動の楽曲のランキングの扱いから敬遠していた『ザ・ベストテン』(TBSテレビ)に対して追っかけ中継の立ち入りを許可する等、同番組に友好的な対応を取っていた。

※右記は近況の肩書
加藤友和
後に日本テレワーク取締役、ディノス・セシール常務取締役。王班の大番頭役、チーフディレクターだった。
井上信悟
ポニーキャニオン取締役副社長。夜のヒットスタジオを中心とする「疋田班」に属していた。
加茂裕治
東京フィルム・メート代表取締役社長。後に三宅恵介率いる「三宅班」に移り、ごきげんようのプロデューサーの他、三宅が演出を手掛けている明石家さんまの全ての番組のプロデューサーを務めた。
坪田譲治
番組審議室担当局長。
水口昌彦
WOWOW取締役。
神原孝
FCC制作室企画開発部長。王退職後は港浩一の下で経験を積む。「クイズ!ヘキサゴン」の演出・プロデューサー、爆笑レッドカーペットの制作等を担当した。

関連書籍[編集]

  • 王東順、品川裕香「視聴率の怪物王東順の企画の王道」(カンゼン) - ISBN 4901782088

脚注[編集]

  1. ^ ドリームワン国税庁法人番号公表サイト