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[[1980年代]]初頭の「[[NWOBHM]]」ムーブメントから台頭したグループの一つ。アルバム『[[炎のターゲット]]』と『[[ヒステリア (デフ・レパードのアルバム)|ヒステリア]]』が、どちらも全米で1000万枚を超える空前の大ヒットを飛ばし、世界的な成功を収めた<ref>[https://www.barks.jp/artist/?id=1006971 Def Leppard:プロフィール・バイオグラフィ] - BARKS</ref>。[[VH1]]「最も偉大なハードロックバンド」第31位。 |
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== ヒストリー == |
== ヒストリー == |
2018年10月30日 (火) 15:51時点における版
デフ・レパード Def Leppard | |
---|---|
基本情報 | |
出身地 |
イングランド サウス・ヨークシャー州シェフィールド |
ジャンル |
ハードロック[1] ヘヴィメタル[1] グラム・メタル[1] |
活動期間 | 1977年 - 現在 |
レーベル |
ヴァーティゴ マーキュリー・レコード ポリグラム Bludgeon Riffola アイランド・レコード earMUSIC Records Mailboat Records |
公式サイト | defleppard.com |
メンバー |
ジョー・エリオット (Vo) フィル・コリン (G) ヴィヴィアン・キャンベル (G) リック・サヴェージ (B) リック・アレン (Ds) |
旧メンバー |
スティーヴ・クラーク (G) ピート・ウィリス (G) トニー・ケニング (Ds) |
デフ・レパード(Def Leppard)は、イングランド出身のロック・バンド。
1980年代初頭の「NWOBHM」ムーブメントから台頭したグループの一つ。アルバム『炎のターゲット』と『ヒステリア』が、どちらも全米で1000万枚を超える空前の大ヒットを飛ばし、世界的な成功を収めた[2]。VH1「最も偉大なハードロックバンド」第31位。
ヒストリー
1977年~1979年
1977年、タプトン・スクールの生徒であったリック・サヴェージ(ベース)、ピート・ウィリス(ギター)、トニー・ケニング(ドラム)により、バンドの母体となるアトミック・マスが結成される。偶然、バスに乗り遅れたピートがジョー・エリオットと出会い、ギタリストとして勧誘するが、最終的にはジョー・エリオットはヴォーカリストとして参加。
バンド名は、元々"Deaf Leopard"(耳の聞こえない豹)であったが、ケニングの提案で現在の綴りに変更される。1978年1月には、スティーヴ・クラークがバンドに加入する。
同年11月には3曲のコンパクト盤であるDef Leppard EPのレコーディング作業に入る。この時トニーはバンドを去り、後任としてフランク・ヌーンが加入するが、彼も脱退し、その月末には当時15歳のリック・アレンが正式なドラマーとして加入する。その後フォノグラム社と契約。
1980年~1983年
1980年3月14日発売の『オン・スルー・ザ・ナイト』 (On Through the Night) でレコードデビュー。同作は全英チャートで15位となった。
1981年7月11日には2ndアルバムの『ハイ・アンド・ドライ』 (High 'n' Dry) をリリースする。プロデューサーはAC/DCなどを手がけたロバート・ジョン・マット・ランジ(Robert John "Mutt" Lange)。ヨーロッパ・ツアーではオジー・オズボーン、ブラックフットのオープニングアクトを務めた。
翌年1982年7月、飲酒問題でバンドを解雇されたウィリスの後任として、元ガール(Girl)のフィル・コリンが加入する。
1983年1月20日は3rdアルバム、『炎のターゲット』 (Pyromania) を発表。同アルバムの先行シングル、「フォトグラフ」はMTVのリクエスト放送でマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」を超える支持を集めた。全米シングルチャートでは12位に入るヒットとなった。続くシングル、「ロック・オブ・エイジ」、「フーリン」により、アルバムは年末までに600万枚を売り上げ、全米チャートではマイケル・ジャクソンの『スリラー』に次ぐ最高2位を獲得した。アメリカではRIAAによりダイアモンドディスクに認定されている。
3月にはビリー・スクワイアをオープニングアクトに迎えて、ツアーを開始し、9月にはカリフォルニア州サンディエゴのジャック・マーフィー・スタジアムに5万5千人を集めた。
1984年~1989年
1984年2月、バンドは本拠地をアイルランドのダブリンへ移した。バンドは新しいアルバムの制作に取りかかるが、同年12月31日にドラマーのリック・アレンがシェフィールド郊外で交通事故を起こし、左腕を全て切断することになった。他のメンバーはアレン以外のドラマーは考えられないとメンバーチェンジを考えることなく、一時期はバンド自体を解散することも考えたが、事故報道を経て、そのような経緯を知ったシモンズ社がアレンの両足・右腕だけでも演奏が可能なカスタマイズのエレクトリック・ドラムを製作し、他のメンバーが、アレンがそれに対応しての復帰を待つかたちで、1986年にドニントンで開催されたモンスターズ・オブ・ロックでバンドは久々にライブを行った。
1987年8月3日には、4thアルバム『ヒステリア』 (Hysteria) を発表。セカンド・シングルの「アニマル」は全英シングルチャートで6位を記録し、母国イギリスでもスターの仲間入りを果たす。アルバム自体もその週には全英1位となった。4thシングル「シュガー・オン・ミー」は全米シングルチャートで2位を記録。アメリカでの売り上げは前作『炎のターゲット』と比べ、スローペースであったが、ほぼ1年後の1988年7月に遂に全米でも1位を獲得する。10月には「ラヴ・バイツ」が全米1位、1989年1月には「アーマゲドン」が3位に入る。
『ヒステリア』は7つものシングルが全米でチャートインし、アルバム自体も3年間チャートインした。これまでに全米だけで1200万枚、全世界で2000万枚以上を売り上げている。
センター・ステージを採用したツアーは、15ヶ月間にわたって行われた。
1990年~1999年
1991年1月8日、ギタリストのスティーヴ・クラークが、アルコールと精神安定剤、鎮痛薬の過剰摂取で死亡。当時5作目のレコーディング中であったが、バンドは後任ギタリストは迎えず、残りのギターパートは全てフィル・コリンが担当。1992年3月30日に5thアルバム『アドレナライズ』 (Adrenalize) を発表した。このアルバムは15カ国で1位を記録、全世界で700万枚以上を売り上げた。
アルバム発表後、クラークの後任として元ディオ 、ホワイトスネイク のヴィヴィアン・キャンベルが加入。翌年の1993年にはB面曲、未発表曲等を集めたアルバム『レトロ・アクティヴ』 (Retro Active) をリリースした。スウィートのカヴァー「アクション」や、映画『ラスト・アクション・ヒーロー』のサントラに使われヒットした「トゥー・ステップス・ビハインド」 (Two Steps Behind) はこのアルバムに収められている。
1995年には彼ら初のベスト・アルバム『デフ・レパード・グレイテスト・ヒッツ』 (Vault: Def Leppard's Greatest Hits (1980-1995) ) をリリース。新曲として「ラヴ・アンド・ヘイト」(When Love & Hate Collide)がシングル・ヒットし、チャートインした。
1996年に4年ぶりの6thアルバム『スラング』 (Slang) をリリースしたが、作風が過去の作品群とは異なっていたため、売り上げはふるわなかった。
1999年4月には7thアルバム『ユーフォリア』 (Euphoria) を発表。先行シングル「プロミセス」 (Promises) がヒットし、メインストリーム・ロックのチャートで3週間1位をキープした。
2000年~2009年
2001年、彼らのドキュメンタリーDVD『Hysteria - The Def Leppard Story』をリリースした。
2002年7月、8thアルバム『X』 (X) をリリースした。このアルバムは全米初登場で11位となったが、売り上げは思うように伸びずに終わった。このアルバムのツアーは、所属レコード会社との関係が悪かったため、レコード会社から資金を提供されず、バンドの費用負担で行われた。アルバムの売れ行きとは裏腹に、10000人程度収容できる会場をメインに行われた北米ツアーはほぼ満席で、大成功に終わった。
2004年、イギリスで『Best Of』、2005年にはアメリカで『Rock of Ages: The Definitive Collection』のベストアルバムをリリース、それぞれ最高位6位、10位を記録した。また2005年7月にフィラデルフィアで行われたLIVE 8(ライブ・エイト)に参加した。
2006年5月23日(日本発売6月28日)にカバー・アルバム『Yeah!〜イエーイ』 (Yeah!)(スタジオ9作目)をリリース。
2008年4月、9thアルバム『ソングス・フロム・ザ・スパークル・ラウンジ』 (Songs from the Sparkle Lounge)(スタジオ10作目)をリリースし、全米5位、全英10位を記録した。同アルバムからの先行シングル「ナイン・ライヴス」はアメリカのカントリー歌手、ティム・マッグロウがボーカルと作曲で参加している。本作品のツアーより、ホワイトスネイクとのダブルヘッドライナーでのツアーを敢行、同年、来日を果たし、武道館公演が行われた。
2010年~
2011年6月7日(日本発売7月20日)に、ライブ・アルバム『ミラー・ボール』(Mirror Ball)をリリース。11月に3年ぶりの来日コンサートが大阪、東京で行われた。
2015年10月30日(世界同時発売)に、7年ぶりのスタジオ盤となるセルフタイトルの10thアルバム『デフ・レパード』(Def Leppard)をリリース[3]。11月に4年ぶりの来日コンサートが東京、大阪、名古屋、仙台で行われた[4]。
2017年、メガヒットした4thアルバム『ヒステリア』再現ライブのツアー計画を公表し[5]、翌2018年には同企画での来日公演が実現した[6]。
メンバー
現ラインナップ
- ジョー・エリオット (Joe Elliott) - ボーカル/アコースティックギター (1977– )
- フィル・コリン (Phil Collen) - ギター (1982– )
- ヴィヴィアン・キャンベル (Vivian Campbell) - ギター (1992– )
- リック・サヴェージ (Rick Savage) - ベース (1977– )
- リック・アレン (Rick Allen) - ドラムス (1978– )
-
ジョー・エリオット(Vo) 2011年
-
フィル・コリン(G) 2011年
-
ヴィヴィアン・キャンベル(G) 2011年
-
リック・サヴェージ(B) 2011年
-
リック・アレン(Ds) 2008年
旧メンバー
- トニー・ケニング (Tony Kenning) - ドラムス (1977–1978)
- ピート・ウィリス (Pete Willis) - ギター (1977–1982)
- スティーヴ・クラーク (Steve Clark) - ギター (1978–1991) RIP.1991
タイムライン
ディスコグラフィー
スタジオアルバム
年 | タイトル | アルバム詳細 | チャート最高位 | 認定 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
UK [7] |
AUS [8][9] |
CAN [10] |
FIN [11] |
GER [12] |
NOR [13] |
NZ [14] |
SWE [15] |
SWI [16] |
US [17] | ||||
1980 | オン・スルー・ザ・ナイト - On Through the Night | 15 | 98 | — | — | — | — | — | — | — | 51 |
| |
1981 | ハイ・アンド・ドライ - High 'n' Dry |
|
26 | — | — | — | — | — | — | 31 | — | 38 | |
1983 | 炎のターゲット - Pyromania |
|
18 | 70 | 4 | — | — | — | 26 | 23 | — | 2 | |
1987 | ヒステリア - Hysteria | 1 | 1 | 1 | — | 10 | 1 | 1 | 2 | 2 | 1 | ||
1992 | アドレナライズ - Adrenalize |
|
1 | 1 | 1 | 17 | 8 | 2 | 1 | 5 | 1 | 1 | |
1996 | スラング - Slang |
|
5 | 11 | 12 | 13 | 34 | 25 | 14 | 5 | 19 | 14 | |
1999 | ユーフォリア - Euphoria |
|
11 | 54 | 32 | 16 | 14 | 30 | — | 7 | 14 | 11 | |
2002 | X - X |
|
14 | 49 | 12 | 33 | 19 | 19 | — | 15 | 9 | 11 | |
2006 | Yeah!〜イエーイ! - Yeah! |
|
52 | 95 | 13 | — | 73 | — | — | 25 | 57 | 16 | |
2008 | ソングス・フロム・ザ・スパークル・ラウンジ - Songs from the Sparkle Lounge |
|
10 | 82 | 7 | 27 | 43 | 15 | 26 | 26 | 29 | 5 | |
2015 | デフ・レパード - Def Leppard |
|
11 | 4 | 11 | 32 | 10 | 15 | 17 | 11 | 2 | 10 | |
"—"は未発売またはチャート圏外を意味する。 |
コンピレーションアルバム
発売年 | タイトル(邦題) | タイトル(原題) | UK | US | 全米売上 |
---|---|---|---|---|---|
1993年 | レトロ・アクティヴ | Retro Active | 6 | 9 | 1,000,000 |
1995年 | デフ・レパード・グレイテスト・ヒッツ | Vault:Def Leppard's Greatest Hits (1980-1995) | 3 | 15 | 4,000,000 |
2004年 | ベスト | Best of Def Leppard | 6 | - | - |
2005年 | ロック・オブ・エイジズ | Rock of Ages:The Definitive Collection | - | 10 | 1,000,000 |
ライブアルバム
発売年 | タイトル(邦題) | タイトル(原題) | UK | US | 全米売上 |
---|---|---|---|---|---|
2011年 | ミラー・ボール | Mirror Ball | 44 | 16 | - |
2013年 | ビバ! ヒステリア | Viva! Hysteria | 73 | 24 | - |
全米通算売上枚数 3500万枚
- 売上はRIAA(全米レコード協会)による認定枚数。
日本公演
- 5月17日 国立代々木競技場第一体育館、19日 横浜文化体育館、21日・22日 大阪フェスティバルホール、24日 名古屋市公会堂
- 6月11日 名古屋国際会議場センチュリーホール、13日 広島厚生年金会館、14日 福岡サンパレスホール、17日 大阪城ホール、18日・19日 日本武道館、21日 横浜文化体育館、22日 仙台サンプラザ
- 9月24日 名古屋市民会館、26日 大阪フェスティバルホール、27日 大阪厚生年金会館、28日 Zepp Fukuoka、30日・10月1日・2日 東京国際フォーラム ホールA、4日 パシフィコ横浜国立大ホール
- 11月17日 Zepp Sendai、18日 金沢市観光会館、20日 愛知厚生年金会館、21日 大阪厚生年金会館、22日 神奈川県民ホール、25日 - 27日 渋谷公会堂
- ホワイトスネイクとのジョイント・ツアー
- 10月23日・24日 日本武道館、27日 大阪城ホール、28日 名古屋 日本ガイシホール
- 11月5日 グランキューブ大阪、7日・8日 東京国際フォーラム ホールA
- 11月9日 日本武道館、10日 オリックス劇場、12日 Zepp Nagoya、13日 仙台サンプラザ
- 10月24日 日本武道館、26日 Zepp Namba、29日 Zepp Nagoya
出典
- ^ a b c Def Leppard - デフ・レパード - キューブミュージック・2014年12月30日閲覧。
- ^ Def Leppard:プロフィール・バイオグラフィ - BARKS
- ^ デフ・レパード、わずか3日でオリコン1位 - BARKS
- ^ デフ・レパード、大盛況の武道館公演 - BARKS
- ^ デフ・レパード、2018年に『ヒステリア』全曲プレイ・ツアーを計画 - BARKS
- ^ “デフ・レパードが代表作『ヒステリア』を武道館で完全再現! あらためて証明したマスターピースの真価を観た!”. rockin'on (2018年10月25日). 2018年10月27日閲覧。
- ^ “British Album/Single Chart”. Chart Stats. 2008年6月24日閲覧。
- ^ “Australian Album Chart”. australian-charts.com. 2008年6月24日閲覧。
- ^ “ARIA Chart Report Archive”. ARIA via Pandora Archive. 2010年2月11日閲覧。
- ^ “Canadian Album Chart”. RPM. 2008年8月25日閲覧。
- ^ “Finnish Album Chart”. finnishcharts.com. 2008年6月24日閲覧。
- ^ “Chartverfolgung / Def Leppard / Longplay”. musicline.de. 2008年6月24日閲覧。
- ^ “Norwegian Album Chart”. norwegiancharts. 2008年6月24日閲覧。
- ^ “New Zealand Chart”. charts.org.nz. 2008年6月24日閲覧。
- ^ “Swedish Album Chart”. swedishcharts.com. 2008年6月24日閲覧。
- ^ “Swiss Album Chart”. Die Offizielle Schweizer Hitparade. 2008年6月24日閲覧。
- ^ “Artist Chart History - Def Leppard”. Billboard. 2008年2月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “RIAA Certifications”. Recording Industry Association of America. 2008年6月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g “CRIA Certifications”. Canadian Recording Industry Association. 2008年6月24日閲覧。
- ^ a b c d “BPI > Certified Awards Search”. British Phonographic Industry. 2008年3月7日閲覧。
- ^ “Allmusic (Def Leppard charts and awards) Billboard albums”. 2012年5月28日閲覧。
- ^ “Def Leppard chart stats”. 2012年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月28日閲覧。
- ^ “ARIA Report Issue #850”. ARIA (2006年6月19日). 2010年2月11日閲覧。
- ^ Katie Hasty, "Madonna Leads Busy Billboard 200," Billboard.com, 7 May 2008.