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'''孝行糖(こうこうとう)'''は[[落語]]の演目の。[[与太郎]]が親孝行の褒賞をもとに飴売りをする噺
'''孝行糖'''(こうこうとう)は[[落語]]の演目のひとつ。

== 概要 ==
主人公が褒賞金をもとに飴売りをする噺。元は[[上方落語]]で、明治期に[[三遊亭圓馬#3代目|3代目三遊亭圓馬]]によって東京に移植されたとされる。東京落語においては、主人公に[[与太郎]]のキャラクターが付与され、いわゆる「与太郎噺」の一種として定着している。

主な演者に、上方では[[桂文枝 (5代目)|5代目桂文枝]]らが、東京では[[三遊亭金馬 (3代目)|3代目三遊亭金馬]][[春風亭柳朝 (5代目)|5代目春風亭柳朝]]、[[三遊亭金馬 (4代目)|4代目三遊亭金馬]]知られる。


== あらすじ ==
== あらすじ ==
演者はまずマクラに、江戸期の[[行商]]の売り声について触れる(東京では、魚屋、[[篩|ふるい]]屋、荒金屋=金属回収業者が登場する小咄が語られることが多い)。
与太郎が非常に親を大事に(親孝行)すると[[奉行|御奉行様]]から褒められ、褒美に青挿し五貫文を頂いてきた。大家を始めとした同じ[[長屋|長屋]]に住む人達は長屋内から褒美を貰うものが出て鼻高々だが、与太郎のことだからそのまま五貫文を渡せばすぐに全部使ってしまうと考え、その金を元手に商売を始めさせることにした。


主人公の若者(上方では大工の吉兵衛、東京では与太郎)は、「とても[[孝|親を大事にしている]]」として[[奉行所]]から表彰され、褒賞金として「青挿し五[[貫|貫文]](あおざしごかんもん=青く染めた麻ひもに通した1[[文 (通貨単位)|文]]銭の束5本。1本あたり、1000枚から手数料を除いた枚数)」を与えられる。
何の商売をさせるかという相談の中で一人が、昔役者の[[嵐璃寛|嵐璃寛]]と[[中村芝翫|中村芝翫]]の顔合わせが評判を呼んだ時に璃寛糖と芝翫糖という飴を売り出して儲かった人がいるから、それに習い与太郎に飴を売らせたらどうかと提案した。皆はそれに賛成し、売るのならただの飴ではなく孝行で褒美を頂いたのだから飴の名前を孝行糖にしようと提案。それも受け入れられる。


[[長屋]]の住人や大家は、若者に対し、褒賞金を元手に商売を始めさせることを思いつく(東西で動機が少し異なる。上方では、若者の大工としてのつたない仕事ぶりを案じ、口がうまいため、別の職業が向いているのではないかと考えて。東京では、愚かな若者が褒賞金をすぐに全部遊びに使ってしまうとよくないと考えて)。ある住人が、「昔、東西の[[歌舞伎]]役者の[[嵐璃寛]]と[[中村芝翫]]の顔合わせが評判を呼んだ時に、『璃寛糖』と『芝翫糖』という飴を売り出して儲かった人がいるから、それに倣い、彼に飴を売らせたらどうか」と提案したので、皆はそれに賛成し、飴の名を「孝行糖」とし、[[鉦鼓|鉦]](かね)、太鼓、派手な衣装など、飴売りに必要な道具を買い与え、売り声の口上を考えて若者に覚えさせる。
その後飴売りの口上(物を売る時に言う言葉)も考え、[[鉦鼓|鉦]]や太鼓の鳴り物。派手な衣装など飴売りに必要な道具を全て買ってやり与太郎に飴売りを始めさせた。馬鹿の一つ覚えというが、与太郎は口上を覚えると毎日毎日欠かさず飴売りに出るようになった。与太郎の売る飴は『食べさせれば子供が親孝行になる』と評判となり、毎日飛ぶように売れた。


孝行糖孝行糖。孝行糖の本来は、[[|うる]]の小米(こごめ)に寒晒し(かんざらし)。[[カヤ]]に[[イチョウ#食用|銀杏]](ぎんなん)、[[シナモン|肉桂]](にっき)に[[クローブ|丁字]](ちょうじ)。チャンチキチスケテンテン。昔々[[中国|もろこし]]の、[[二十四孝]]のその中で、[[二十四孝#老莱子|老莱子]](ろうらいし)といえる人。親を大事にしようとて、こしらえあげたる孝行糖。食べてみな、おいしいよまた売れたったらうれしいね。テンテレツク、スッテンテン」
そんなある日。いつものように飴売りに出た与太郎は[[小石川後楽園|水戸様の屋敷前]]を通りかかる。水戸様の屋敷は静かな場所にあり、[[江戸|江戸]]で一番[[町人|町人]]に厳しいところと評判だった。そんな所で飴が売れるわけ無いのに与太郎はいつもの調子で「孝行糖、孝行糖」と口上を言いながら鉦や太鼓を打ち鳴らし始める。門番が向こうへ行けといっても与太郎はまったく聞かない。それどころか、


若者は毎日欠かさず飴売りに出る。彼の売る飴は「食べさせれば子供が親孝行になる」と評判となり、毎日飛ぶように売れる。
「御門前によって鳴物はあいならん(門の前だから鳴り物は駄目と言う意味)」<br>「チャンチキチン」<br>「ならんというのだ」<br>「スケテンテン」<br>「こら!」<br>「ドンドコドン」


ある日、飴売りは静かな屋敷町の、門番の立つとある1軒(上方では[[中之島 (大阪府)|中之島]]の葬式が行われている[[蔵屋敷]]。東京では[[小石川後楽園|小石川]]の「[[水戸徳川家|水戸様]]の屋敷」)を通りかかり、いつもの調子で「孝行糖、孝行糖」と口上を言いながら鉦や太鼓を打ち鳴らし始める。
と、門番の叱声を鳴物の掛け声に使ったからたまらない。怒った門番に六[[尺|尺]]棒(戸締りや警備の武器として持っていた棒)でめった打ちにされてしまった。偶然通りかかった人が門番に事情を説明して与太郎を助け出し、道の端へ与太郎を連れて行きこう言った。「[[斬首刑|打ち首]]にされてもおかしく無いが親孝行の徳でお前は助かったんだ。どれ、何処を殴られたか言ってみろ」すると与太郎。泣きながら体を指差して、


門番が「御門前によって、鳴り物は相ならん(=武士の家の前だから、楽器を鳴らすのはだめだ)」と注意しても、飴売りは聞かず、「チャンチキチン」と鉦を鳴らす。「むこうへ行け、おい」「スケテンテン」「ならんというのだ」「ドンドコドン」「こら!」「テン」「こらこら!」「テンテン」と、門番の叱声が飴売りの鳴り物の掛け声になっていく。
「こぉこぉとぉこぉこぉとぉ(こことここと)


怒った門番は、飴売りを[[棒術|六尺棒]]で打ちすえる。そこを飴売りの顔を知る人が偶然通りかかり、事情を説明して門番を押しとどめる。通行人は飴売りをいさめる。「お前は[[斬首刑|打ち首]]にされてもおかしくなかったが、親孝行の[[徳#儒教の徳|徳]]で助かったんだ。どれ、どこを殴られたか言ってみろ」飴売りは、泣きながら体を指差して、
== 孝行糖売りの口上 ==
孝行糖孝行糖。孝行糖の本来は、[[|粳(うる]]の小米(こごめ)に寒晒し[[カヤ|榧(かや)]]に[[銀杏|銀杏(ぎんなん)]]、[[シナモン|肉桂(にっき)]]に[[クローブ|丁字(ちょうじ)]]<br>チャンチキチスケテンテン。<br>昔々[[中国|唐土(もろこし]]の、[[二十四孝|二十四孝(にじゅうしこう)]]のその中で、老莱子(ろうらいし)といえる人。<br>親を大事にしようとて、えあげたる孝行糖。食べてみな。美味しいよ。<br>また売れたったらしいね。


「こぉこぉとぉ(=ここと)、こぉこぉとぉ……
== 青挿し五貫文 ==
青く染めた麻縄に通した一[[貫|貫]]の束を五本で青挿し五貫文と言う。<br>貫は江戸自体の通貨単位で、一[[文 (通貨単位)|文]]銭千枚(正確には960枚。40枚は銭を数える手数料を先に引いておいた)を縄に通した物を一貫と言う。


== 主な演者 ==
== 関連項目 ==
* [[二十四孝 (落語)]]
主な演者に[[三遊亭金馬 (3代目)|代目三遊亭金馬]][[春風亭柳朝 (5代目)|代目春風亭柳朝]]、[[三遊亭金馬 (4代目)|代目三遊亭金馬]]がいる。マクラに小商人([[行商]])の売り声の小咄を入れることが多い
* [[かぼちゃ屋]]、[[唐茄子屋政談]]、[[豆屋]] - 主人公が不慣れな行商を営むうち、騒動を起こす内容の落語。


{{Template:落語の演目 (主人公別)}}
{{Template:落語の演目 (主人公別)}}

2015年1月2日 (金) 15:30時点における版

孝行糖(こうこうとう)は、落語の演目のひとつ。

概要

主人公が褒賞金をもとに飴売りをする噺。元は上方落語で、明治期に3代目三遊亭圓馬によって東京に移植されたとされる。東京落語においては、主人公に与太郎のキャラクターが付与され、いわゆる「与太郎噺」の一種として定着している。

主な演者に、上方では5代目桂文枝らが、東京では3代目三遊亭金馬5代目春風亭柳朝4代目三遊亭金馬らが知られる。

あらすじ

演者はまずマクラに、江戸期の行商の売り声について触れる(東京では、魚屋、ふるい屋、荒金屋=金属回収業者が登場する小咄が語られることが多い)。

主人公の若者(上方では大工の吉兵衛、東京では与太郎)は、「とても親を大事にしている」として奉行所から表彰され、褒賞金として「青挿し五貫文(あおざしごかんもん=青く染めた麻ひもに通した1銭の束5本。1本あたり、1000枚から手数料を除いた枚数)」を与えられる。

長屋の住人や大家は、若者に対し、褒賞金を元手に商売を始めさせることを思いつく(東西で動機が少し異なる。上方では、若者の大工としてのつたない仕事ぶりを案じ、口がうまいため、別の職業が向いているのではないかと考えて。東京では、愚かな若者が褒賞金をすぐに全部遊びに使ってしまうとよくないと考えて)。ある住人が、「昔、東西の歌舞伎役者の嵐璃寛中村芝翫の顔合わせが評判を呼んだ時に、『璃寛糖』と『芝翫糖』という飴を売り出して儲かった人がいるから、それに倣い、彼に飴を売らせたらどうか」と提案したので、皆はそれに賛成し、飴の名を「孝行糖」とし、(かね)、太鼓、派手な衣装など、飴売りに必要な道具を買い与え、売り声の口上を考えて若者に覚えさせる。

「孝行糖、孝行糖。孝行糖の本来は、うるの小米(こごめ)に寒晒し(かんざらし)。カヤ銀杏(ぎんなん)、肉桂(にっき)に丁字(ちょうじ)。チャンチキチ、スケテンテン。昔々もろこしの、二十四孝のその中で、老莱子(ろうらいし)といえる人。親を大事にしようとて、こしらえあげたる孝行糖。食べてみな、おいしいよ、また売れたったらうれしいね。テンテレツク、スッテンテン」

若者は毎日欠かさず飴売りに出る。彼の売る飴は「食べさせれば子供が親孝行になる」と評判となり、毎日飛ぶように売れる。

ある日、飴売りは静かな屋敷町の、門番の立つとある1軒(上方では中之島の葬式が行われている蔵屋敷。東京では小石川の「水戸様の屋敷」)を通りかかり、いつもの調子で「孝行糖、孝行糖」と口上を言いながら鉦や太鼓を打ち鳴らし始める。

門番が「御門前によって、鳴り物は相ならん(=武士の家の前だから、楽器を鳴らすのはだめだ)」と注意しても、飴売りは聞かず、「チャンチキチン」と鉦を鳴らす。「むこうへ行け、おい」「スケテンテン」「ならんというのだ」「ドンドコドン」「こら!」「テン」「こらこら!」「テンテン」と、門番の叱声が飴売りの鳴り物の掛け声になっていく。

怒った門番は、飴売りを六尺棒で打ちすえる。そこを飴売りの顔を知る人が偶然通りかかり、事情を説明して門番を押しとどめる。通行人は飴売りをいさめる。「お前は打ち首にされてもおかしくなかったが、親孝行ので助かったんだ。どれ、どこを殴られたか言ってみろ」飴売りは、泣きながら体を指差して、

「こぉこぉとぉ(=ここと)、こぉこぉとぉ……」

関連項目