松曳き

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松曳き(まつひき)は、古典落語の演目の一つ。粗忽大名(そこつだいみょう)[1]主従の粗忽(しゅじゅうのそこつ)[1]とも。

粗忽者の大名と、その側用人による騒動を描いた噺。得意ネタとした噺家に、東京の2代目三遊亭小圓朝[1]7代目(自称5代目)立川談志[2](後述)、桃月庵白酒らが知られる。

あらすじ[編集]

粗忽者ぞろいの武家屋敷があった。ある日、屋敷の主(以下、殿様)は用人の三太夫を呼ぶが、三太夫がいざ殿様の元にまいると、殿様は自分が呼んだことを忘れて「何用じゃ?」と聞いてしまう。殿様はようやく用件を思い出し、「先代が植えた赤松が立派に成長したはいいが、そのせいで月を隠すので、泉水縁(せんすいべり=池のそば)へ植え替えられないか。しかし、松は先代が命の次に大事にして、自ら手入れを行っていたものであり、下手なことをして枯らすわけにはいかない」と三太夫に相談する。三太夫は「下々の言葉で、『餅は餅屋』と申します。いかがでございましょう、餅屋……いや、植木屋を呼んで見通しを立ててもらっては」と答える。

植木屋の八五郎が屋敷に呼ばれる。八五郎は三太夫から、殿様の前では言葉を丁寧にするよう言われていたため、全ての名詞・動詞に「御~たてまつる」をつけるなどし、かえって言葉が通じなくなってしまったので、改めていつも通りにくだけて話す。そうして八五郎は「松を枯らさずに植え替えられる」と答えた。殿様は喜び、八五郎の仲間の職人連中を加えて呼び入れ、庭で酒宴を催す。

そんな中、三太夫のもとに使いの者が来て、「国表より早馬にて書面が届いた」と知らされる。三太夫は自室(あるいは藩屋敷から離れたところにある自邸)に戻り、手紙を読む。

「『国表において御殿様姉上様、御死去』!? 一大事、殿のお耳に入れねば……」

三太夫は急いで殿様の元へ戻り、このことを報告する。殿様は驚き、「日は、刻(とき)はいつのことであるか?」と質問した。三太夫は「大事のこととて他を読まず、ご書状を忘れてまいりました。すぐに戻ってまいります」と言って駆け出し、元の場所に戻って使いの者に「ご書状を出せ」とたずねる。使いの者は「忘れておいでですか。ご貴殿のふところに入っております」と答える。三太夫はふところから手紙を取り出し、もう一度落ち着いて読んだ。手紙には「国表において御貴殿姉上様、御死去」、つまり三太夫の姉が死んだという内容が書かれていた。三太夫は「それがしは幼少より粗忽にて、父や兄より『お前はその粗忽がために一命を損じるであろう』と言いつけられてまいりましたが、今日のこの一事においてより、そう感じたことはございません」と、手紙の内容を間違えた旨を改めて殿様に報告し、謝罪する。殿様は腹を立て、三太夫に責任をとって切腹をするよう命じる。

三太夫は親愛なる姉の死による悲しみや、死なねばならなくなった無念さから落涙に及びつつ、覚悟を決め、九寸五分の刀を腹に押し込んだが、斬れない。刀と思い込んで、間違って扇子を持っていたからだ。そこへ殿様が「三太夫! 三太夫!」と叫びながら急いで駆け込んできた。

「殿、いかがなされましたか?」

「許せ、三太夫。切腹には及ばん。よう考えてみれば、余に姉はなかった」

エピソード[編集]

7代目(自称5代目)立川談志は、「イリュージョン落語」と称する自らの表現の追求のため、殿さまが(存在しない)自分の姉の死をことさらに悲しむ、という描写を加えた[2]

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ a b c 東大落語会(編)『増補 落語事典』青蛙房、1975年 p.412
  2. ^ a b 立川談志『人生成り行き -談志一代記-』

関連項目[編集]

  • 妾馬 - 町人が武士相手に丁寧な言葉づかいをし、失敗するシーンが共通している。