かぼちゃ屋
『かぼちゃ屋』(かぼちゃや)は古典落語の演目。『南瓜屋』とも表記される[1]。別題は『唐茄子屋』(とうなすや)[2][注釈 1]。
与太郎が慣れない商売をして客と滑稽なやり取りをする内容で、『道具屋』と同趣向の演目である。
もとは『みかん屋』(『蜜柑屋』または『蜜柑売り[4]』)という上方落語の演目で、柳家小さんによって東京に移入された[注釈 2]。移入に際して小さんは改作をおこなっている[1][2]。前田勇や宇井無愁は東京でも季節によっては『蜜柑屋』とする場合があるとする[4][6]。
売値以外のものに掛け値をするという要素の古い事例は、安楽庵策伝が寛永5年(1628年)に出版した『醒睡笑』第五巻の「人はそだち」に、息子の年齢を聞かれた商人が「あれは、そらね(空値)十三というて、定のね(値)十二じゃ」と答えるエピソードがある[1]。さらに貞享4年の『はなし大全』下巻には「丁稚が懸値」というタイトルの話が収録され、以後も安永5年(1776年)の『軽口駒さらゑ』第3巻の「かけねの間違ひ」で掛け値を言わないことを叱られた丁稚が売値以外のもの(この場合は火災現場までの距離)に掛け値をして答えるなどの形で、話が膨らまされた[1]。宇井無愁は、万治2年(1659年)刊『百物語』下巻13に収録された話(うつけ者の息子が「いつわりなく」という言葉を守って元値でものを売って親から商いは「そら値」(掛け値)をしなければいけないと叱られたのち、店頭で行先までの距離を尋ねた飛脚に掛け値をした数値を答えるという内容)を、『醒睡笑』とともに挙げている[6]。
あらすじ
[編集]※以下、東大落語会編『落語事典 増補』掲載の内容に準拠する[2]。
仕事をしない与太郎に伯父がカボチャ売りを世話する。伯父はサイズによる元値を教え、「上を見て(掛け値を付けて)売れ」と与太郎に話す。天秤棒にカボチャを載せて売り歩き、客から値段を聞かれて与太郎は元値をそのまま教えた上に、空を向いている間にカボチャはすべてはけてしまう。戻ってきた与太郎から話を聞いた伯父は、掛け値を乗せて売ると言うことを改めて教え、「そんなことでは女房子どもが養えない」といって再び送り出す。さきほど売った場所に戻って買ってくれと頼んでも、先刻買ったばかりだからと渋られる。客は与太郎が冗談を言っているのではないと気づき、年齢を尋ねると「60歳」と答える。「どう見ても二十歳くらいだが」と問われた与太郎は「40歳は掛け値だ」と言い、歳に掛け値をするなと言われて「だって掛け値をしないと女房子どもを養えない」。
バリエーション
[編集]5代目柳家小さんの口演では、マクラに物売りの売り声を扱った小噺(『豆屋』でもマクラに用いられるもの)を入れている[7]。また、伯父に叱られた与太郎が再び元の場所に戻る演出は、4代目小さんの口演では自分から戻る形になっていたものを、5代目が「またさっきン所へ来ちゃった」とする形に変え、4代目からも「その方がいいね」と言われたという[3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 5代目柳家小さんは、本当は『唐茄子屋』だが、『唐茄子屋政談』も『唐茄子屋』と略されるため、区別のために『かぼちゃ屋』になったと思うと述べている[3]。
- ↑ 移入した代数について、東大落語会編『落語事典 増補』は4代目[2]、武藤禎夫『定本 落語三百題』は3代目とする[1]。4代目の弟子である5代目は、「うちの師匠(=4代目)が改作したもので」と述べている[3]。6代目三遊亭圓生は、4代目小さんが落語研究会に『唐茄子屋』と演題を出して、人情噺の『唐茄子屋』(=『唐茄子屋政談』)とは芸風が合わなかったたために皆が訝ったところ、『みかん屋』の改作だったので一同大笑いし、以後4代目小さんは『南瓜屋』の演題で演じたと述べている[5]。