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|選手名=ジョー・ブラントン |
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|英語表記=Joe Blanton |
|英語表記=Joe Blanton |
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|所属球団=ロサンゼルス・ドジャース |
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|写真のコメント=フィラデルフィア・フィリーズ時代 |
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* [[フィラデルフィア・フィリーズ]] (2008 - 2012) |
* [[フィラデルフィア・フィリーズ]] (2008 - 2012) |
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* [[ロサンゼルス・ドジャース]] (2012) |
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'''ジョー・ブラントン'''(Joe Blanton, [[1980年]][[12月11日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[テネシー州]][[ナッシュビル]]出身の[[プロ野球選手]]。フルネームは'''ジョゼフ・マシュー・ブラントン'''(Joseph Matthew Blanton)。[[投手]]、右投右打。[[メジャーリーグベースボール|MLB]][[ロサンゼルス・ |
'''ジョー・ブラントン'''(Joe Blanton, [[1980年]][[12月11日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[テネシー州]][[ナッシュビル]]出身の[[プロ野球選手]]。フルネームは'''ジョゼフ・マシュー・ブラントン'''(Joseph Matthew Blanton)。[[投手]]、右投右打。<!--[[メジャーリーグベースボール|MLB]][[ロサンゼルス・ドジャース]]に所属している。--> |
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== 経歴 == |
== 経歴 == |
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[[ケンタッキー州]]の[[フランクリン・シンプソン高校]]を卒業するまでは[[捕手]]をしていた。[[ケンタッキー大学]]進学後に投手となる。大学でのチームメイトには[[ブランドン・ウェブ]]がいる。 |
[[ケンタッキー州]]の[[フランクリン・シンプソン高校]]を卒業するまでは[[捕手]]をしていた。[[ケンタッキー大学]]進学後に投手となる。大学でのチームメイトには[[ブランドン・ウェブ]]がいる。{{by|2002年}}の[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト]]1巡目(全体24位)で[[オークランド・アスレチックス]]から指名されプロ入り。[[マイナーリーグ]]で実績を残して、{{by|2004年}}のシーズン終盤にメジャーデビュー、3試合に登板した。 |
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⚫ | このシーズン終了後、緊縮財政下にあるアスレチックスは年俸総額削減のため、[[先発ローテーション]] "ビッグ3" のうち[[ティム・ハドソン]]と[[マーク・マルダー]]を他球団へ放出した。{{by|2005年}}、ブラントンは実質1年目ながら先発ローテーションに定着。[[先発投手|先発登板]]33試合は[[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]]移転後の球団新人記録を更新、12勝は同最多タイだった<ref>"[http://oakland.athletics.mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=430599&y=2005 2005 Career Highlights]," ''The Official Site of The Oakland Athletics''. 2008年1月24日閲覧。</ref>。また、[[防御率]]3.53・[[WHIP]]1.217はともにリーグ10位。同じくこの年にローテーションに定着した同い年の[[ダン・ヘイレン]]やブラントンの活躍で、アスレチックスは前年より勝ち星を3つ減らしただけで済んだ(88勝74敗)。 |
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{{by|2002年}}の[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト]]1巡目(全体24位)で[[オークランド・アスレチックス]]から指名されプロ入り。 |
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[[マイナーリーグ]]で実績を残して、{{by|2004年}}のシーズン終盤にメジャーデビュー、3試合に登板した。 |
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このシーズン終了後、緊縮財政下にあるアスレチックスは年俸総額削減のため、[[先発ローテーション]] "ビッグ3" のうち[[ティム・ハドソン]]と[[マーク・マルダー]]を他球団へ放出した。 |
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⚫ | {{by|2005年}}、ブラントンは実質1年目ながら先発ローテーションに定着。[[先発投手|先発登板]]33試合は[[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]]移転後の球団新人記録を更新、12勝は同最多タイだった<ref>"[http://oakland.athletics.mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=430599&y=2005 2005 Career Highlights]," ''The Official Site of The Oakland Athletics''. 2008年1月24日閲覧。</ref>。また、[[防御率]]3.53・[[WHIP]]1.217はともにリーグ10位。同じくこの年にローテーションに定着した同い年の[[ダン・ヘイレン]]やブラントンの活躍で、アスレチックスは前年より勝ち星を3つ減らしただけで済んだ(88勝74敗)。 |
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{{by|2007年}}は230.0[[イニング]](リーグ2位)を投げ14勝10敗・防御率3.95を記録した。 |
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シーズン途中で[[ポストシーズン]]進出が絶望的となったアスレチックスは、数年後を見据えた動きを始める。それは、主力選手を[[トレード]]で放出して見返りに相手球団の将来有望な若手選手を集めることだった。チームのエースだったヘイレンも[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス|ダイヤモンドバックス]]へ移籍。これにより、{{by|2008年}}はブラントンがヘイレンに代わってエースとなった。こうして3月25日に[[日本]]の[[東京ドーム]]で開催された開幕戦に登板したが、6回途中3失点で降板している。 |
シーズン途中で[[ポストシーズン]]進出が絶望的となったアスレチックスは、数年後を見据えた動きを始める。それは、主力選手を[[トレード]]で放出して見返りに相手球団の将来有望な若手選手を集めることだった。チームのエースだったヘイレンも[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス|ダイヤモンドバックス]]へ移籍。これにより、{{by|2008年}}はブラントンがヘイレンに代わってエースとなった。こうして3月25日に[[日本]]の[[東京ドーム]]で開催された開幕戦に登板したが、6回途中3失点で降板している。 |
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フィリーズ移籍後は4勝留まり(無敗)で計9勝12敗と初の負け越しで4年連続二桁勝利にはならなかったが、自身初出場となった[[ワールドシリーズ]]では第4戦に登板して勝利投手となり、打者としても[[本塁打]]を放った。この年フィリーズはワールドシリーズを制した。 |
フィリーズ移籍後は4勝留まり(無敗)で計9勝12敗と初の負け越しで4年連続二桁勝利にはならなかったが、自身初出場となった[[ワールドシリーズ]]では第4戦に登板して勝利投手となり、打者としても[[本塁打]]を放った。この年フィリーズはワールドシリーズを制した。 |
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{{by|2012年}}8月に[[ロサンゼルス・ドジャース]]へ移籍。 |
{{by|2012年}}8月に[[ロサンゼルス・ドジャース]]へ移籍した。オフにFAとなった。 |
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12月5日、[[ロサンゼルス・エンジェルス]]と2年契約総額1500万ドル(約12億4000万円)で合意<ref>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121206-00000216-ism-base エンゼルスが2投手と契約合意</ref>。 |
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== 投球スタイル == |
== 投球スタイル == |
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|20||20||0||0||0||5||12||0||0||.294||550||127.0||145||12||35||3||1||62||1||0||74||70||4.96||1.42 |
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|13||13||0||0||0||4||0||0||0||1.000||305||70.2||66||10||31||0||3||49||1||0||36||33||4.20||1.37 |
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|-style="background-color:#f2f2f2" |
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!style="text-align: center;"|'12計 |
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|31||30||2||1||'''2'''||10||13||0||0||.435||806||191.0||207||29||34||5||3||166||5||0||106||100||4.71||1.26 |
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|- |
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⚫ | |||
|237||228||8||3||3||83||75||0||0||.525||6114||1434.2||1539||170||378||29||33||978||26||3||740||697||4.37||1.34 |
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* 2012年度シーズン終了時 |
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* 各年度の'''太字'''はリーグ最高 |
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高 |
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2012年12月9日 (日) 03:17時点における版
ロサンゼルス・ドジャース #56 | |
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フィラデルフィア・フィリーズ時代 | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | テネシー州ナッシュビル |
生年月日 | 1980年12月11日(43歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 255 lb =約115.7 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2002年 MLBドラフト1巡目(全体24位)でオークランド・アスレチックスから指名 |
初出場 | 2004年9月21日 レンジャーズ戦 |
年俸 | $10,500,000(2011年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ジョー・ブラントン(Joe Blanton, 1980年12月11日 - )は、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル出身のプロ野球選手。フルネームはジョゼフ・マシュー・ブラントン(Joseph Matthew Blanton)。投手、右投右打。
経歴
ケンタッキー州のフランクリン・シンプソン高校を卒業するまでは捕手をしていた。ケンタッキー大学進学後に投手となる。大学でのチームメイトにはブランドン・ウェブがいる。2002年のドラフト1巡目(全体24位)でオークランド・アスレチックスから指名されプロ入り。マイナーリーグで実績を残して、2004年のシーズン終盤にメジャーデビュー、3試合に登板した。
このシーズン終了後、緊縮財政下にあるアスレチックスは年俸総額削減のため、先発ローテーション "ビッグ3" のうちティム・ハドソンとマーク・マルダーを他球団へ放出した。2005年、ブラントンは実質1年目ながら先発ローテーションに定着。先発登板33試合はオークランド移転後の球団新人記録を更新、12勝は同最多タイだった[2]。また、防御率3.53・WHIP1.217はともにリーグ10位。同じくこの年にローテーションに定着した同い年のダン・ヘイレンやブラントンの活躍で、アスレチックスは前年より勝ち星を3つ減らしただけで済んだ(88勝74敗)。
2006年は16勝を挙げたが、被安打が大きく増加し防御率4.82も前年より1.29悪化、リーグの先発投手平均より悪かった。2007年は230.0イニング(リーグ2位)を投げ14勝10敗・防御率3.95を記録した。
シーズン途中でポストシーズン進出が絶望的となったアスレチックスは、数年後を見据えた動きを始める。それは、主力選手をトレードで放出して見返りに相手球団の将来有望な若手選手を集めることだった。チームのエースだったヘイレンもダイヤモンドバックスへ移籍。これにより、2008年はブラントンがヘイレンに代わってエースとなった。こうして3月25日に日本の東京ドームで開催された開幕戦に登板したが、6回途中3失点で降板している。
ブラントンはこの年不調で、前半戦終了時点で5勝12敗・防御率4.96と低迷。一方のアスレチックスはシーズン開幕後も主力放出・若手獲得を進める。7月8日には、3月の日本開幕シリーズでブラントンに続いて第2戦に先発したリッチ・ハーデンがカブスへ移籍。そしてブラントンも7月17日、フィラデルフィア・フィリーズへ若手3選手とのトレードで移籍することになった。
フィリーズ移籍後は4勝留まり(無敗)で計9勝12敗と初の負け越しで4年連続二桁勝利にはならなかったが、自身初出場となったワールドシリーズでは第4戦に登板して勝利投手となり、打者としても本塁打を放った。この年フィリーズはワールドシリーズを制した。
2012年8月にロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。オフにFAとなった。
投球スタイル
球を低目に集めて相手打者を打たせて取るタイプの投手で、2007年の与四球率1.57がリーグ4位になるなど四球が少ない。球種は88 - 93mph(約141.6 - 149.7km/h)のツーシームとフォーシームの2種類の速球と、スライダーのようなカット・ファスト・ボール、大きく曲がるカーブ、そしてチェンジアップ[3]。投球フォームは、かつて捕手をしていたことが影響しているのか、腕を後ろに引く動作が小さくなっていて、まるで捕手が送球するような投げ方になっている。本人はこのフォームについて「僕にはこれが自然な投げ方。きっと、打者はタイミングを取りにくいんだろう」とコメントしている[4]。
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | OAK | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 30 | 8.0 | 6 | 1 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 5 | 5 | 5.63 | 1.00 |
2005 | 33 | 33 | 2 | 0 | 0 | 12 | 12 | 0 | 0 | .500 | 835 | 201.1 | 178 | 23 | 67 | 3 | 5 | 116 | 4 | 2 | 86 | 79 | 3.53 | 1.22 | |
2006 | 32 | 31 | 1 | 1 | 0 | 16 | 12 | 0 | 0 | .571 | 856 | 194.1 | 241 | 17 | 58 | 4 | 5 | 107 | 3 | 0 | 111 | 104 | 4.82 | 1.54 | |
2007 | 34 | 34 | 3 | 1 | 1 | 14 | 10 | 0 | 0 | .583 | 950 | 230.0 | 240 | 16 | 40 | 4 | 4 | 140 | 3 | 1 | 106 | 101 | 3.95 | 1.22 | |
2008 | 20 | 20 | 0 | 0 | 0 | 5 | 12 | 0 | 0 | .294 | 550 | 127.0 | 145 | 12 | 35 | 3 | 1 | 62 | 1 | 0 | 74 | 70 | 4.96 | 1.42 | |
PHI | 13 | 13 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 305 | 70.2 | 66 | 10 | 31 | 0 | 3 | 49 | 1 | 0 | 36 | 33 | 4.20 | 1.37 | |
'08計 | 33 | 33 | 0 | 0 | 0 | 9 | 12 | 0 | 0 | .429 | 855 | 197.2 | 211 | 22 | 66 | 3 | 4 | 111 | 2 | 0 | 110 | 103 | 4.69 | 1.40 | |
2009 | 31 | 31 | 0 | 0 | 0 | 12 | 8 | 0 | 0 | .600 | 837 | 195.1 | 198 | 30 | 59 | 4 | 8 | 163 | 7 | 0 | 89 | 88 | 4.05 | 1.32 | |
2010 | 29 | 28 | 0 | 0 | 0 | 9 | 6 | 0 | 0 | .600 | 765 | 175.2 | 206 | 27 | 43 | 6 | 3 | 134 | 2 | 0 | 104 | 94 | 4.82 | 1.42 | |
2011 | 11 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 180 | 41.1 | 52 | 5 | 9 | 0 | 1 | 35 | 0 | 0 | 23 | 23 | 5.01 | 1.48 | |
2012 | 21 | 20 | 2 | 1 | 2 | 8 | 9 | 0 | 0 | .471 | 560 | 133.1 | 141 | 22 | 18 | 2 | 3 | 115 | 4 | 0 | 74 | 68 | 4.59 | 1.18 | |
LAD | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | .333 | 246 | 57.2 | 66 | 7 | 16 | 3 | 0 | 51 | 1 | 0 | 32 | 32 | 4.99 | 1.42 | |
'12計 | 31 | 30 | 2 | 1 | 2 | 10 | 13 | 0 | 0 | .435 | 806 | 191.0 | 207 | 29 | 34 | 5 | 3 | 166 | 5 | 0 | 106 | 100 | 4.71 | 1.26 | |
通算:9年 | 237 | 228 | 8 | 3 | 3 | 83 | 75 | 0 | 0 | .525 | 6114 | 1434.2 | 1539 | 170 | 378 | 29 | 33 | 978 | 26 | 3 | 740 | 697 | 4.37 | 1.34 |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
脚注
- ^ “Joe Blanton Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 2012年1月8日閲覧。
- ^ "2005 Career Highlights," The Official Site of The Oakland Athletics. 2008年1月24日閲覧。
- ^ Lindy's, "2008 Preview: Oakland Athletics," FOX Sports on MSN, March 16, 2008. 2008年4月13日閲覧。
- ^ 「■アスレチックス――若さ武器 接戦必勝」 『読売新聞 MLB開幕戦特集』2008年3月21日付朝刊別刷り、2面。
外部リンク
- Big Joe's Bluegrass Blog …2008年3月の日本公式戦開催時期に設置された本人公式ブログ
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)