「江別市」の版間の差分
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[[1878年]]8月に江別太(現在の王子地区周辺)に[[屯田兵]]村が置かれ、同年11月に江別村が誕生した。[[1881年]]にも養蚕を営む屯田兵が入植したが、これらの試みは成功しなかった。しかし[[1882年]]、[[官営幌内鉄道]]が開業し江別駅が設けられると、石狩川水運と鉄道輸送の結節点として市街地が形成された。その後あらためて江別兵村、野幌兵村が設けられ、[[1884年]]以降3年間にわたり屯田兵432戸が入植し、開拓事業にあたった。また屯田兵以外の人々による開拓も多かった。中でも大きな成果を挙げたのは新潟県人による北越殖民社で、1886年に江別太へ17戸、1890年には野幌南部へ204戸の入植を果たし、稲作を成功させた。 |
[[1878年]]8月に江別太(現在の王子地区周辺)に[[屯田兵]]村が置かれ、同年11月に江別村が誕生した。[[1881年]]にも養蚕を営む屯田兵が入植したが、これらの試みは成功しなかった。しかし[[1882年]]、[[官営幌内鉄道]]が開業し江別駅が設けられると、石狩川水運と鉄道輸送の結節点として市街地が形成された。その後あらためて江別兵村、野幌兵村が設けられ、[[1884年]]以降3年間にわたり屯田兵432戸が入植し、開拓事業にあたった。また屯田兵以外の人々による開拓も多かった。中でも大きな成果を挙げたのは新潟県人による北越殖民社で、1886年に江別太へ17戸、1890年には野幌南部へ204戸の入植を果たし、稲作を成功させた。 |
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明治の中ごろになると工業が芽生え始めた。1891年に江別太で煉瓦工場が操業した。ほどなくして[[北海道炭砿鉄道]]により野幌煉瓦工場が作られ、また鉄道資材の生産も行われた。[[1897年]]に市街地の大半を失う火災にも見舞われたが復興をとげ、1908年には富士製紙会社北海道工場(現:[[王子製紙]]江別工場)が操業を開始。労働者も多く住むようになり、[[1916年]]には町制を施行した。 |
明治の中ごろになると工業が芽生え始めた。1891年に江別太で煉瓦工場が操業した。ほどなくして[[北海道炭砿鉄道]]により野幌煉瓦工場が作られ、また鉄道資材の生産も行われた。[[1897年]]に市街地の大半を失う火災にも見舞われたが復興をとげ、1908年には富士製紙会社北海道工場(現:[[王子製紙|王子特殊紙]]江別工場)が操業を開始。労働者も多く住むようになり、[[1916年]]には町制を施行した。 |
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第二次世界大戦後には引揚者を積極的に受け入れ、また戦後復興にも力を注ぎ人口は伸びていった。[[1953年]][[5月23日]]に市街地の半分を焼く大火を出しながらも、翌年には市制を施行した。1963年に東野幌に炭鉱離職者団地、翌年道営大麻団地が建設されると宅地化が進行、札幌の衛星都市としての性格が強まった。 |
第二次世界大戦後には引揚者を積極的に受け入れ、また戦後復興にも力を注ぎ人口は伸びていった。[[1953年]][[5月23日]]に市街地の半分を焼く大火を出しながらも、翌年には市制を施行した。1963年に東野幌に炭鉱離職者団地、翌年道営大麻団地が建設されると宅地化が進行、札幌の衛星都市としての性格が強まった。 |
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=== 産業 === |
=== 産業 === |
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*農業は乳用牛の生産額が特に大きい。米、野菜の生産もさかん。 |
*農業は乳用牛の生産額が特に大きい。米、野菜の生産もさかん。 |
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*1908年に北海道最初の製紙工場「富士製紙株式会社北海道工場(現:王子 |
*1908年に北海道最初の製紙工場「富士製紙株式会社北海道工場(現:王子特殊紙江別工場)」が操業を開始、現在に至る |
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*野幌地区を中心に古くから窯業製品(特に煉瓦)の製造が盛んで国内屈指の生産量を誇る |
*野幌地区を中心に古くから窯業製品(特に煉瓦)の製造が盛んで国内屈指の生産量を誇る |
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2006年2月11日 (土) 00:25時点における版
えべつし 江別市 | |
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国 | 日本 |
地方 | 北海道地方 |
都道府県 | 北海道(石狩支庁) |
市町村コード | 01217-3 |
法人番号 | 9000020012173 |
面積 |
187.38km2 |
総人口 |
118,237人 [編集] (住民基本台帳人口、2024年3月31日) |
人口密度 | 631人/km2 |
隣接自治体 |
札幌市(厚別区、白石区、東区)、 北広島市、当別町、新篠津村、 北村、岩見沢市、 栗沢町、南幌町 |
市の木 | ナナカマド |
市の花 | キク |
他のシンボル | - |
江別市役所 | |
市長 | 後藤好人 |
所在地 |
〒067-8674 北海道江別市高砂町6番地 |
外部リンク | 江別市 |
特記事項 | 人口は住民基本台帳による |
ウィキプロジェクト |
江別市(えべつし)は、北海道石狩支庁管内にある市。札幌市の東に隣接し、同市のベッドタウンとして急速に人口を伸ばしており、1995年には室蘭市を抜いて全道8位の人口となった。
地理
市域は石狩川の両岸にまたがるが、おもな市街地は鉄道や国道の通る川の南側にある。南東の南幌町との境には石狩川の支流・千歳川が流れる。札幌市・北広島市との境にある野幌丘陵には2,000haにも及ぶ野幌森林公園があり、道立自然公園に指定されている。森林公園は現地では『原始林』とよばれていて、その一部は原始の時代から手つかずの状態で保存されている。最高地点である南端部の丘陵でも標高93mで、その他は低地が広がっている。
気候は北海道では温暖な部類に入るが、石狩湾から太平洋へ(あるいはその逆へ)吹き抜ける風の通り道にあたり、一年を通じて風が強い。夕張川、千歳川、石狩川の合流地点に位置するために、しばしば水害に見舞われた。特に7月から8月にかけて豪雨があることが多く、1981年の大水害の際には1日に204mmという降水量も記録している。
隣接している自治体
歴史
現在の江別市に和人が定住したのは、1867年に通行屋(旅行者のために宿泊、休憩の場を提供した)の立花由松が住んだのが最初とされる。1871年、宮城県人21戸76名が対雁(ついしかり)に来たのが集団入植の始まりであるが、彼らのほとんどは別の地に再入植し、跡地は榎本武揚の農場となった。1876年には、樺太・千島交換にともなって、樺太アイヌが対雁に移住させられた。
1878年8月に江別太(現在の王子地区周辺)に屯田兵村が置かれ、同年11月に江別村が誕生した。1881年にも養蚕を営む屯田兵が入植したが、これらの試みは成功しなかった。しかし1882年、官営幌内鉄道が開業し江別駅が設けられると、石狩川水運と鉄道輸送の結節点として市街地が形成された。その後あらためて江別兵村、野幌兵村が設けられ、1884年以降3年間にわたり屯田兵432戸が入植し、開拓事業にあたった。また屯田兵以外の人々による開拓も多かった。中でも大きな成果を挙げたのは新潟県人による北越殖民社で、1886年に江別太へ17戸、1890年には野幌南部へ204戸の入植を果たし、稲作を成功させた。
明治の中ごろになると工業が芽生え始めた。1891年に江別太で煉瓦工場が操業した。ほどなくして北海道炭砿鉄道により野幌煉瓦工場が作られ、また鉄道資材の生産も行われた。1897年に市街地の大半を失う火災にも見舞われたが復興をとげ、1908年には富士製紙会社北海道工場(現:王子特殊紙江別工場)が操業を開始。労働者も多く住むようになり、1916年には町制を施行した。
第二次世界大戦後には引揚者を積極的に受け入れ、また戦後復興にも力を注ぎ人口は伸びていった。1953年5月23日に市街地の半分を焼く大火を出しながらも、翌年には市制を施行した。1963年に東野幌に炭鉱離職者団地、翌年道営大麻団地が建設されると宅地化が進行、札幌の衛星都市としての性格が強まった。
沿革
- 1878年 江別村(札幌郡)を設置
- 1880年 江別、対雁両村戸長役場を設置
- 1881年 篠津村(石狩郡)設置
- 1896年 篠津村から新篠津村が分村
- 1901年 幌向村(現南幌町)南6線以北を江別村に編入
- 1906年 江別村・対雁村・篠津村の3村を合わせて二級町村制施行、江別村に
- 1909年 一級町村制を施行
- 1913年 白石村との間で一部境界変更(小野幌)
- 1916年 町制施行、江別町に
- 1918年 白石村との間で一部境界変更(大曲)
- 1954年 市制施行、江別市に
- 1955年 札幌市との間で一部境界変更(角山豊石)
経済
- 古くからの市の中心である江別地区、商業施設の多い野幌地区、学校の集中する大麻地区と3つの地区が平均に発展しているが、反面「マチの顔がない」との指摘もある。このため市では地理的にも中心にあたる野幌地区を新都心として開発する「江別の顔づくり事業」に取り組んでいる。
産業
- 農業は乳用牛の生産額が特に大きい。米、野菜の生産もさかん。
- 1908年に北海道最初の製紙工場「富士製紙株式会社北海道工場(現:王子特殊紙江別工場)」が操業を開始、現在に至る
- 野幌地区を中心に古くから窯業製品(特に煉瓦)の製造が盛んで国内屈指の生産量を誇る
行政
- 市長 : 小川公人(おがわ・きみと、任期満了日 : 2007年4月30日)
- 当初予算規模(2004年度)
- 一般会計 : 404.4億円
- 特別会計 : 261.6億円
- 企業会計 : 169.6億円
姉妹都市・提携都市
国内
海外
地域
教育
- 短期大学
- 高等学校
- 道立高等学校
- 私立高等学校
- 中学校
- 市立10校(江別第一、江別第二、江別第三、野幌、角山、江北、大麻、大麻東、江陽、中央)
- 私立1校(立命館慶祥中学校)
- 小学校
- 市立19校(江別、江別第二、江別第三、豊幌、江別太、上江別、中央、対雁、いずみ野、北光、野幌、野幌若葉、東野幌、大麻、大麻東、大麻西、大麻泉、文京台、角山)
- 幼稚園は13園ある。
- 特殊教育諸学校
- 北海道札幌盲学校
- 教育関連施設
- 北海道立図書館
- 北海道立教育研究所
- 付属情報処理教育センター
- 訓練施設
- 北海道自治政策研修センター
- 北海道消防学校
- JAカレッジ(財団法人北海道農業協同組合学校)
スポーツ
- スポーツ施設
- 北海道立野幌総合運動公園
交通
鉄道
廃止された鉄道
バス
道路
江別市の道路の総延長は850.8km、舗装率71%(2003年)。うち市道は754.5km。
- 高速道路 : 16.9km
- 一般国道 : 36.3km
- 都道府県道 : 43.1km
- 北海道道46号江別恵庭線
- 北海道道110号江別インター線
- 北海道道128号札幌北広島環状線
- 北海道道139号江別奈井江線
- 北海道道626号東雁来江別線
- 北海道道864号大麻東雁来線
- 北海道道1005号野幌総合運動公園線
- 北海道道1056号江別長沼線
- 広域農道
- きらら街道(旧夕張鉄道跡地を利用)
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所、旧跡
- 石狩川
- 錦山天満宮
- 大麻3遺跡
- 屯田兵開拓時代の遺構、街の中に数多く点在
- 四季の道
観光スポット
- 町村農場
- 野幌森林公園
- 江別市セラミックアートセンター
祭事・催事
- やきもの市(7月)