本田和子
表示
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1931年1月15日 日本 新潟県 |
死没 | 2023年2月12日(92歳没) |
出身校 | お茶の水女子大学 |
学問 | |
研究分野 | 教育学 |
研究機関 |
お茶の水女子大学 十文字学園女子短期大学 聖学院大学 |
学位 | 修士 |
主要な作品 | 『異文化としての子ども』(1982年) |
学会 | 日本児童文学学会 |
主な受賞歴 | 受賞・叙勲歴を参照。 |
本田 和子(ほんだ ますこ、1931年1月15日[1] - 2023年2月12日)は、日本の児童学者。お茶の水女子大学名誉教授。元お茶の水女子大学学長。専門は児童文化論、児童社会史。
人物
[編集]新潟県生まれ。 放送倫理・番組向上機構(放送と青少年に関する委員会(青少年委員会))委員長も務めた。
2023年2月12日、死去[2]。
略歴
[編集]学歴
[編集]職歴
[編集]- 1957年 尚絅女学院短期大学講師
- 1962年 十文字学園女子短期大学助教授
- 1970年 お茶の水女子大学家政学部助教授
- 1983年 お茶の水女子大学家政学部教授
- 1992年 お茶の水女子大学生活科学部教授
- 1995年 聖学院大学人文学部教授
- 2001年 お茶の水女子大学学長(同大学初となる、女性の学長)
- 2005年 学長退任
受賞・叙勲歴
[編集]- 日本保育学会倉橋賞(日本保育学会 1957年)
- 高山賞佳作(児童文学者協会 1962年)
- 保育学文献賞(日本保育学会 1983年)
- 日本児童文学学会研究奨励賞(日本児童文学学会 1985年)
- 日本児童文学学会賞(日本児童文学学会 1990年)
- 2007年秋、瑞宝重光章受勲
著書
[編集]単著
[編集]- 『子どもたちのいる宇宙』三省堂 1980年
- 『異文化としての子ども』紀伊国屋書店、1982 のちちくま学芸文庫 1992年
- 『子どもの領野から』人文書院 1983年
- 『少女浮遊』青土社 1986年
- 『子どもという主題』大和書房 1987年
- 『子別れのフォークロア』勁草書房 1988年
- 『オフィーリアの系譜 あるいは、死と乙女の戯れ』弘文堂 1989
- 『フィクションとしての子ども』(ノマド叢書) 新曜社 1989年
- 『女学生の系譜――彩色される明治』青土社 1990年
- 『江戸の娘がたり』朝日新聞社 1992年
- 『少女へのまなざし』日本放送出版協会 1993年
- 『映像の子どもたち――ビデオという覗き窓』人文書院 1995年
- 『交換日記 少女たちの秘密のプレイランド』(今ここに生きる子ども) 岩波書店 1996年
- 『変貌する子ども世界 子どもパワーの光と影』中公新書 1999年
- 『子ども100年のエポック』フレーベル館 2000年
- 『子どもが忌避される時代 なぜ子どもは生まれにくくなったのか』新曜社 2007年
- 『それでも子どもは減っていく』ちくま新書 2009年
- 『ところで軍国少女はどこへ行った』ななみ書房 2019年
共編著
[編集]- 『幼稚園の歴史』津守真,久保いと 恒星社厚生閣 1959
- 『人間現象としての保育研究』津守真,松井とし 光生館 1974
- 『保育現象の文化論的展開(人間現象としての保育研究)』津守真共編 光生館 1977年
- 『保育実践講座 第5巻 保育における経験や活動』岡田正章共編著 第一法規出版 1978
- 『わたしたちの「江戸」 <女・子ども>の誕生』森下みさ子、皆川美恵子 新曜社 1985
- 『子どもの発見』小島美子、岩田慶治、竹内敏晴、秋山さと子、山折哲雄 光村図書出版 1985
- 『少女論』青弓社 1988
- 『若者と子供の文化』編著 放送大学(日本放送出版協会)1993年
- 『子どもと若者の文化』編著 放送大学、1997
- 『ものと子どもの文化史』編著 勁草書房 1998年
- 『国立大学改革とお茶の水女子大学のゆくえ』土屋賢二共著 お茶の水学術事業会 2003年
テレビ出演
[編集]- NHK人間大学(1993年7月~9月放送)「少女のまなざし」講師
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 大阪国際児童文学館編『日本児童文学大事典』(大日本図書、1993年10月)第2巻「本田和子」の項、139~140頁
脚注
[編集]- ^ 『現代日本人名録』
- ^ “本田和子氏死去(元お茶の水女子大学長・児童学)”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2023年3月14日) 2023年3月14日閲覧。
外部リンク
[編集]- 本田和子インタビュー 月刊Webマガジンen