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安川寿之輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安川 寿之輔
(やすかわ じゅのすけ)
誕生 (1935-02-21) 1935年2月21日(89歳)
兵庫県
職業 市民運動家教育学者
教育 教育学博士(名古屋大学
最終学歴 名古屋大学大学院教育学研究科博士課程
活動期間 1964年 -
主題 福澤諭吉批判、ジェンダー論、フェミニズム女性差別部落問題社会思想史教育思想史
代表作福沢諭吉のアジア認識』(2000年)
福沢諭吉と丸山眞男』(2003年)
福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(2006年)
デビュー作日本近代教育の思想構造』(1970年)
配偶者 安川悦子
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安川 寿之輔(やすかわ じゅのすけ、1935年昭和10年)2月21日[1] - )は、日本市民運動家社会思想史研究者。専門は近代日本社会(教育)思想史。名古屋大学名誉教授、不戦兵士・市民の会副代表理事、日本戦没学生記念会元事務局長、イラク派兵違憲訴訟の原告(東京地方裁判所[2]。韓日平和100年市民ネット共同代表[3]。<声明>「韓国は「敵」なのか」賛同者[4]

経歴

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安川・平山論争

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2001年(平成13年)4月21日朝日新聞に掲載された安川の論説「福沢諭吉 アジア蔑視広めた思想家」[7]に、静岡県立大学国際関係学部平山洋が反論「福沢諭吉 アジアを蔑視していたか」(5月12日付同紙)[8]を掲載したことで、「安川・平山論争」が始まった[9]

同年5月21日に安川は慶應義塾大学で講演を行い、講演資料で「福沢論争 批判は事実に基づいて」という再反論を掲載した[注釈 2]。この資料に対して、5月30日に平山は再々反論を行った。さらに、5月30日から6月26日の間に、安川と平山との間で往復で3回の意見交換が書簡で行われた[11]

「福澤諭吉協会」との関係

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2001年(平成13年)10月、安川は『福澤諭吉書簡集』月報5で、『福沢諭吉年鑑』『福沢手帖』の既刊全冊の一括販売の案内を知り、両誌とも全集そろいで入手した[12]。さらに、その後に発行された両誌の続刊の入手を希望して、2002年(平成14年)8月に、両誌の続刊の入手方法を福澤諭吉協会に問い合わせたところ、福澤諭吉協会への「入会案内」がもらえたので、さっそく入会を希望して指示された会費を送った[12]。そして、両誌の続刊と同封された同年8月13日付けの理事会の公印の押された「普通会員」承認の文書を受け取った。しかし、同年8月23日付けの理事長の手紙において、「入会申し込みについては理事会の承認が必要となっているので、秋の理事会を経て返事すべきであった」という謝罪と説明があり、「入会申し込みは保留扱いにするとして、会費も返金されてきた」[12]。その後、同年10月31日付けの手紙において、「去る十月二三日開催の理事会において、入会の審査を行いましたが、残念ながら貴殿の入会を承認するには至りませんでした」という入会不承認の返事が送られてきた[12]のみで、福澤諭吉協会への入会は理由を明確にしないまま拒否された[注釈 3]

「丸山諭吉」神話説

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法政大学法学部教授の飯田泰三は、丸山眞男福澤諭吉の思想を研究する際に、福澤を市民的自由主義者と認識し、福澤の文章に中に自分自身の思想を投影するように一体化して福澤の文章を読み込んでいった研究方法を「丸山諭吉」と呼んでいる[13][14]。平山は「飯田は、丸山が市民的自由主義者としての福沢と自身とを重ねている、という意味で「丸山諭吉」という言葉を造語したのである。福沢を市民的自由主義者として捉えること自体は当然の前提としてあり、その上で丸山は福沢の文章の内に自分自身を投影させている、という意味である」と説明している[15]

一方、安川は福澤を侵略的絶対主義者と認識し、丸山は福澤が侵略的絶対主義者であることを示す史料を無視し、自身の思想に都合のよい史料のみを選んで読み込んでいったと主張し、そのような丸山の研究方法により形成された虚像を「丸山諭吉」神話と呼んでいる。そして、安川は2003年(平成15年)に『福沢諭吉と丸山眞男』(高文研)を出版し、「「丸山諭吉」神話を解体する」という副題を付けている。高文研の『福沢諭吉と丸山眞男』のサイトでは、「「典型的な市民的自由主義」の思想家・福沢諭吉。これが丸山眞男が造形し、確立した福沢像だった。(中略)丸山の福沢像は、こうした事実を完全に無視し、福沢の著作の都合のいい部分だけを取り上げ、勝手な読み込みによって造りあげた虚像だった」と解説されている[16]

平山は、福澤を市民的自由主義者とする認識が丸山の研究以前に田中王堂高橋誠一郎高橋義雄の著作に既に存在していたと指摘し、「丸山は、福沢を市民的自由主義者と理解する研究史本流の半ばに位置してはいても、決してその源泉にいたわけではない」と説明している[17]

『東日流外三郡誌』起源説

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福澤諭吉著『学問のすすめ』の冒頭にある、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という文章は、アメリカ独立宣言からの翻案であるとするのが最も有力な説である[18]

一方、安川は『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の366-371頁において、この文章は『東日流外三郡誌』が起源であり、福澤はそれを盗用したものであると主張した。その理由は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という思想が、福澤のアジア蔑視思想とそぐわないというものであった。この『東日流外三郡誌』起源説は、もともと元昭和薬科大学教授の古田武彦が『真実の東北王朝』(駸々堂出版)で唱えている説であるが、安川は369頁において、この「古田説を基本的に支持する意向を表明」している[19]。さらに、2006年(平成18年)8月30日に安川は京都アバンティホールで古田と対談をおこない、改めて古田説を支持する見解を表明した[20]。また、2006年(平成18年)12月に発行された古田武彦直接編集の雑誌『なかった 真実の歴史学』第2号においても、安川 (2006b, pp. 366–371)の再録である「論考・エッセイ 「天は人の上に人を造らず」をめぐって」が掲載された[注釈 4]

静岡県立大学国際関係学部助教の平山洋によると2007年(平成19年)2月19日の平山宛ての私信において、安川は古田説への支持を撤回した[25]。さらに高文研刊行書籍の正誤一覧に掲載した正誤表において公式に古田説への支持を撤回した[26]

出前講演

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安川は、日本国内で交通費を受領できるのであれば、福澤諭吉を批判する講演を「出前講演」として実行している[2]中国の大学には、自腹で交通費を払って福澤諭吉を批判する講演を2003年(平成15年)から毎年続けている[27]

『福沢諭吉のアジア認識』の中国語訳の出版もあって、〇三年以来、毎年中国の大学の集中講義に出かけている。交通費は自弁のため、こちらは出血サービスである。しかしお蔭で、たとえば昨年四月、「反日デモ」の最中、それも前日一万人のデモ報道の杭州市浙江大学では「日本の近代化と福沢諭吉」「日本の学生の歴史意識」の講義という得がたい体験ができた。 — 安川寿之輔、安川 2006b, p. 385

講演ビデオ

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2010年(平成22年)8月28日に山梨県北杜市小淵沢町で行われた「こぶちさわ9条の会」主催の「出前講演」はYouTubeで視聴できる。

『週刊金曜日』誌上での論争

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2010年(平成22年)8月27日、『週刊金曜日』は「韓国「強制併合」から100年」と題する特集を組んだ。安川は「虚構の「福沢諭吉」論と「明るい明治」論を撃つ」という記事を掲載し、「戦後のアカデミズムに君臨した丸山眞男と、国民作家の司馬遼太郎。この二人による作為的な歴史偽造が厳しく問われねばならない」と主張した[28]。この記事に対して、慶應法学部卒の佐高信は同年9月10日発行の同誌上に「風速計 敵から見たら」を寄稿し、「安川は丸山と司馬遼太郎を一緒にして批判している」と指摘し「私は安川に “天上天下唯我独尊居士” というニックネームを進呈したいくらいだ」と述べた。さらに、「悪名高き「脱亜論」にしても、福沢はそれを唱えながら、朝鮮独立運動のリーダーである金玉均を、自らの身に危険が及ぶのを覚悟で助けた」と福沢を擁護した[29]。佐高の反論に対して、漫画原作者の雁屋哲は同年10月1日発行の同誌上に「論争 議論は理性的に」と題する反論記事を寄稿した[30]

著作

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単著

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  • 『日本近代教育の思想構造 福沢諭吉の教育思想研究』新評論、1970年。 
    • 『日本近代教育の思想構造 福沢諭吉の教育思想研究』(増補版)新評論、1979年5月。ISBN 4-7948-9412-0 
    • 『日本近代教育の思想構造』(増補版)新評論〈Shinhyoron selection 10〉、2002年12月。ISBN 4-7948-9990-4  - オンデマンド印刷
  • 『十五年戦争と教育』新日本出版社、1986年2月。ISBN 4-406-01372-5 
  • 『民主主義と差別 女性問題を中心として 社会思想史講義教材』安川寿之輔、1993年。 
  • 『女性差別はなぜ存続するのか 差別論入門』明石書店、1996年4月1日。ISBN 4-7503-0799-8 
  • 『日本の近代化と戦争責任 わだつみ学徒兵と大学の戦争責任を問う』明石書店、1997年5月1日。ISBN 4-7503-0921-4 
  • 『大学教育の革新と実践 変革の主体形成』新評論、1998年3月。ISBN 4-7948-0394-X 
  • 『福沢諭吉のアジア認識 日本近代史像をとらえ返す』高文研、2000年12月。ISBN 4-87498-250-6 
  • 『福沢諭吉と丸山眞男 「丸山諭吉」神話を解体する』高文研、2003年7月。ISBN 4-87498-304-9 
    • 『福沢諭吉と丸山眞男 「丸山諭吉」神話を解体する』(増補改訂版)高文研、2016年10月。ISBN 978-4-87498-605-9 
  • 『日本のアジア侵略と憲法九条 田中正造、勝海舟、福沢諭吉、徳富蘇峰を見直す』下町人間総合研究所、2006年5月。ISBN 4-902556-08-1 
  • 『福沢諭吉の戦争論と天皇制論 新たな福沢美化論を批判する』高文研、2006年7月10日。ISBN 4-87498-366-9 
  • 『福沢諭吉の教育論と女性論 「誤読」による〈福沢神話〉の虚妄を砕く』高文研、2013年8月5日。ISBN 978-4-87498-524-3 
  • 『日本人はなぜ「お上」に弱いのか 福澤諭吉と丸山眞男が紡いだ近代日本』高文研、2019年8月。ISBN 978-4-87498-694-3 
  • 『混迷する日韓関係打開の道 日本の戦争責任・植民地支配責任と「日本軍性奴隷」問題』ほっとブックス新栄、2020年9月。ISBN 978-4-903036-36-6 

共著

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  • 安川悦子 (共著)『民主主義と差別のダイナミズム 女性差別の社会思想史』明石書店、1987年4月1日。ISBN 978-4-7503-0155-6 
  • 安川悦子 (共著)『女性差別の社会思想史』明石書店、1993年4月1日。ISBN 4-7503-0503-0 
  • 中塚明醍醐聰 (共著)『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う 日清戦争の虚構と真実』高文研、2010年6月6日。ISBN 978-4-87498-443-7 
  • 雁屋哲杉田聡 (共著)『さようなら! 福沢諭吉 日本の「近代」と「戦後民主主義」の問い直し』花伝社、2016年3月25日。ISBN 978-4-7634-0769-6 
  • 雁屋哲、杉田聡 (共著)『さようなら!福沢諭吉 Part2 なぜ、いま福沢が問題なのか?』花伝社、2017年3月15日。ISBN 978-4-7634-0803-7 
  • 朴貞花 (共著)『無窮花(ムグンファ)の園 在日歌人・朴貞花が告発・糾弾する日本近現代史 朴貞花第二歌集』花伝社、2022年7月25日。ISBN 978-4-7634-2017-6 

編著

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  • 安川寿之輔 編著 編『日本近代教育と差別 部落問題の教育史的研究』明石書店、1998年2月1日。ISBN 4-7503-1014-X 

論文

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記事

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  • 安川寿之輔 (2001年4月21日). “私の視点ウイークエンド 福沢諭吉 アジア蔑視広めた思想家”. 朝日新聞: p. 14 
  • 安川寿之輔「虚構の「福沢諭吉」論と「明るい明治」論を撃つ――歴史を歪めた丸山眞男と司馬遼太郎の「罪」――安川寿之輔 名古屋大学名誉教授に聞く」(PDF)『金曜日』第18巻31号(通号 826)、金曜日、2010年8月27日、18-19頁。 
  • 安川寿之輔 (2010-11). “講演 「韓国併合・大逆事件」一〇〇年と『坂の上の雲』――福沢諭吉の全面的な見直しを通して”. 歴史地理教育 (歴史教育者協議会) (767): 21-31. 
  • 安川寿之輔 (2013). “戦後日本社会における福沢諭吉研究の批判的総括 「丸山諭吉」神話の解体と戦争責任問題”. 社会思想史研究 (藤原書店) 37: 54-74. 
  • 安川寿之輔 (2016). “図書紹介 帰還兵はなぜ自殺するのか[デイヴィッド・フィンケル著 古屋美登里訳]”. 不戦 (不戦兵士・市民の会) 176: 47-52. 
  • 安川寿之輔 (2016). “オバマ大統領の広島訪問と演説を賞賛した日本のマスコミ 奈落の底への道案内”. 不戦 (不戦兵士・市民の会) 178: 32-41. 
  • 安川寿之輔 (2017). “三者合同講演会 「問い直そう!日本の『近代』と『戦後民主主義』」の報告 「福沢諭吉神話」徹底検証”. 不戦 (不戦兵士・市民の会) 179: 23-29. 
  • 安川寿之輔; 村瀬幸浩 (2020-04). “対談・インタビュー 日本の近代化と性・ジェンダー 性教育をめぐる国際的潮流に日本はなぜとりのこされているのか”. Sexuality (エイデル研究所) 96: 6-19. 

中国語訳

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韓国語訳

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  • 야스카와 주노스케 (지은이) (2011-04-08), 후쿠자와 유키치의 아시아 침략사상을 묻는다, 이향철 (옮긴이), 역사비평사, ISBN 978-8976967282 
    『福沢諭吉のアジア侵略思想を問う』イ・ヒャンチョル訳、歴史批評社、2011年4月8日。ISBN 978-8976967282  - 『福沢諭吉のアジア認識』の翻訳。

脚注

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注釈

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  1. ^ 「私は、一九九八年三月、名古屋大学を定年退職し、三つの大学での非常勤講師をはじめながら、基本的な生活の場は市民運動にうつした。」[6]
  2. ^ 安川を慶應義塾大学の講演に招いたのは当時、慶應義塾大学の経済学部教授であった松村高夫である[10]
  3. ^ 安川は即日、以下のような返答を送信した。
    「……昨年五月、『福沢諭吉のアジア認識』の著者として慶應義塾大学の講義に招かれました際は、『朝日新聞』の記事のとおり「慶応リベラリズム」の存在を実感しましたが、貴協会にはその精神は無縁のようで、残念です。/昨年、お送りいただいた『福沢諭吉年鑑』『福沢手帖』各号は研究上の貴重な資料となり、目下、執筆中の福沢諭吉にかかわる次著には何度か引用させていただきました。今後の号へのアクセスの道を閉ざされるということは、自由な学問研究を抑制・妨害する措置と考えます(会員外の購読会員の制度は、即刻用意するべきです)。自由な学問研究と両立しない「福沢精神」の普及など、福沢諭吉の望むところでしょうか?」 — 安川寿之輔、(安川 2003, pp. 63–65)[12]
  4. ^ 2000年代以降では『東日流外三郡誌』は和田喜八郎による偽作という見解が確実視されているが、安川の主張は『東日流外三郡誌』が偽書であることが明らかになった2000年代以降になって突然なされたものであった。古田武彦が、「福沢が『東日流外三郡誌』を読んで『天は人の上に人を造らず』の文章を引用した」と主張したのは1990年である[21]。古田は、その証拠として福澤が『東日流外三郡誌』所有者に宛てて「なにとぞ引用をお許しください」と要請した手紙の写本を慶應大学の福澤研究センターに持ち込んだ。福澤研究センター所長の西川俊作は手紙の内容に問題が多く本物とは認められないとした[22][23][19]。また手紙の原本も結局提出されず、写本のコピーや写真撮影も古田より拒否されたと語っている[22][23]。西川の見解は、NHKのテレビ番組「ナイトジャーナル」(1993年6月1日)で紹介された[24]ほか、同年、雑誌『サンデー毎日』4月18日号[24]、6月20日号[24]、7月11日号[24]でも古代史研究家の安本美典が指摘した。古代史専門誌『季刊邪馬台国』でも度々取り上げられている[24]

出典

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  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.349
  2. ^ a b 安川 2006b, p. 384
  3. ^ 韓日平和100年市民ネット自己紹介韓日平和100年市民ネット創立大会(2009/4/25)を参照。
  4. ^ 「声明 韓国は「敵」なのか」声明への賛同者一覧” (2019年7月31日). 2019年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月3日閲覧。
  5. ^ a b 安川 寿之輔 - 株式会社 明石書店
  6. ^ 福沢諭吉のアジア認識 立ち読み
  7. ^ 安川 2001
  8. ^ 平山 2001
  9. ^ 平山 2004, p. 240
  10. ^ 安川 2006b, p. 366
  11. ^ 平山 2004, p. 241
  12. ^ a b c d e 安川 2003, pp. 63–65
  13. ^ 飯田 1996
  14. ^ 飯田 1997
  15. ^ 平山 2012, p. 222
  16. ^ 福沢諭吉と丸山眞男
  17. ^ 平山 2012, p. 224
  18. ^ 慶應義塾豆百科』のNo.22「考証・天は人の上に人を造らず……」を参照。
  19. ^ a b 原田 2007
  20. ^ 大下隆司「古田・安川対談について――『東日流外三郡誌』と「福沢諭吉」」『古田史学会報』第77号、古田史学の会、2006年12月。 
  21. ^ 古田 1990
  22. ^ a b 斉藤 2006, pp. 38–45
  23. ^ a b 斉藤 2009, pp. 46–55
  24. ^ a b c d e 『季刊邪馬台国』掲載「和田家文書」関連論文・記事”. 倭人伝への旅. 2016年1月13日閲覧。
  25. ^ 平山洋氏の仕事』の「2007年02月19日到着 安川寿之輔氏からの手紙」を参照。
  26. ^ 安川寿之輔 (2007年2月). “『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』「天は人の上に人を造らず・・・」の出典について” (PDF). 高文研. 2011年4月10日閲覧。
  27. ^ 安川 2006b, p. 385
  28. ^ 安川 2010
  29. ^ 佐高 2010
  30. ^ 雁屋 2010

参考文献

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関連項目

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関連人物

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外部リンク

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