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大正橋 (千曲市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大正橋
左岸上流側から撮影した大正橋地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 長野県千曲市若宮 - 戸倉
交差物件 千曲川
用途 道路橋
路線名 長野県道55号大町麻績インター千曲線
管理者 長野県千曲建設事務所
着工 1996年平成8年)
竣工 2002年平成14年)10月
開通 2002年(平成14年)10月
座標 北緯36度29分15.7秒 東経138度8分41.6秒 / 北緯36.487694度 東経138.144889度 / 36.487694; 138.144889 (大正橋)
構造諸元
形式 6径間連続箱桁橋
材料 プレストレスト・コンクリート
全長 345.000 m
14.0 m
最大支間長 61.000 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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長野県道55号標識

大正橋(たいしょうばし)は、長野県千曲市千曲川に架かる長野県道55号大町麻績インター千曲線の橋長345メートル (m) の桁橋

概要

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ガス灯を模した親柱

左岸は千曲市若宮、右岸は千曲市戸倉に位置する。戸倉上山田温泉と密接に関係した歴史を持つ[1]

現橋の諸元

  • 形式 - PC6径間連続箱桁橋
  • 橋長 -345.000 m
    • 支間割 - 49.250 m + 4×61.000 m + 49.250 m
  • 幅員 - 14.0 m
    • 車道 - 7.250 m
    • 歩道 - 2.000 m
  • 架設工法 - 片持ち張出し架設工法(カンチレバー工法

[1][2]

1931年架設の旧橋の諸元

[1][3][4][5]

歴史

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左岸に突出した八王寺山が千曲川まで至っているため、千曲川左岸の交通が一度この地で遮断される。そのため古くは上山田から萬治峠を超えて若宮に至っていた。北国街道戸倉宿と千曲川を結ぶためこの地には若宮の渡しが古くからあったと考えれている[6]

初代橋は1891年明治24年)2月14日木橋として開通し、二郡橋と称した。しかし、1898年(明治31年)9月7日の洪水のために流失して渡船に復した[7]

その後、戸倉駅と戸倉温泉・上山田温泉への連絡を目的に橋長347 m、幅員3 mの木橋の大正橋が大正橋株式会社により1914年大正3年)6月18日に架設された[8]。当初は有料橋であったが、1922年(大正11年)には千曲川の築堤工事が竣工し、大正橋は県管理となり無料化された。

1927年(昭和2年)に下流の千曲橋と共に永久橋への架け替え運動が起こり、更級郡埴科郡の11町村[注釈 1]からなる千曲橋・大正橋架替期成同盟会が結成され、長野県へ16回の歎願を行った。[9]。その結果1930年昭和5年)9月に臨時県議会において千曲橋と同時に永久橋化が決まり、1931年(昭和6年)1月に着工、同年12月20日に竣工した[3]。この橋は桁下が緩やかな弧となる日本最初のカンチレバー橋であった。 交通量の増加したことから、歩行者の安全を期して1968年(昭和43年)に下流側に歩道橋が架設された。

大正橋の赤い小石

平成に架橋された現橋はふるさと創生事業資金を活用し、幅員・支間長ともに旧橋より広がり、景観に配慮し大正ロマンをテーマにした設計が施された。緩やかな弧を描く旧橋の意匠を継承した。欄干には中山晋平作曲の千曲小唄の歌詞とともに1929年(昭和4年)に竹久夢二が温泉に滞在した際の美人画がレリーフとしてはめ込まれている。また、恋しの湯伝説由縁して赤い小石が歩道には99個埋設されている。親柱にはガス灯を模した橋灯がある。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c 千曲川・橋梁の今昔 その4 大正橋” (PDF). 千曲川・橋梁の今昔. 長野県千曲建設事務所総務課. 2020年9月24日閲覧。
  2. ^ 信濃の橋刊行会『信濃の橋百選』(初版)信濃毎日新聞社、2011年7月24日、52頁。ISBN 978-4-7840-7166-1 
  3. ^ a b 大正橋1931-12-20”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月24日閲覧。
  4. ^ 建設省北陸地方建設局『信濃川百年史』社団法人北陸建設弘済会、1979年3月30日、1158頁。 
  5. ^ 小西純一、水口正敬、瀬川俊典「長野県の歴史的橋梁の現況について」『土木史研究』第20号、土木学会、2000年、349-358頁、doi:10.2208/journalhs1990.20.349ISSN 0916-7293NAID 1300040385812020年9月24日閲覧 
  6. ^ 長野県教育委員会『歴史の道路調査書XXXI 千曲川』(初版)長野県文化財保護協会、1992年6月20日、73, 74頁。 
  7. ^ 二郡橋1891-2-14”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月24日閲覧。
  8. ^ 大正橋1914-6-18”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月24日閲覧。
  9. ^ 千曲川・橋梁の今昔 その3 千曲橋” (PDF). 千曲川・橋梁の今昔. 長野県千曲建設事務所総務課. 2020年9月24日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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