杭瀬下村
表示
くいせけむら 杭瀬下村 | |
---|---|
姨捨から望む千曲市杭瀬下(右) | |
廃止日 | 1954年10月1日 |
廃止理由 |
新設合併 埴生町、杭瀬下村 → 埴生町 |
現在の自治体 | 千曲市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 埴科郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,575人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 埴科郡埴生町、屋代町、森村、更級郡稲荷山町 |
杭瀬下村役場 | |
所在地 | 長野県埴科郡杭瀬下村 |
座標 | 北緯36度31分51秒 東経138度06分53秒 / 北緯36.53072度 東経138.11486度座標: 北緯36度31分51秒 東経138度06分53秒 / 北緯36.53072度 東経138.11486度 |
ウィキプロジェクト |
杭瀬下村(くいせけむら)は長野県埴科郡にあった村。概ね現在の千曲市大字杭瀬下・新田および杭瀬下一 - 六丁目にあたる。
地理
[編集]- 河川:千曲川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、杭瀬下村・新田村の区域をもって発足。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 埴生町に編入。同日杭瀬下村廃止。
- 1959年(昭和34年)6月1日 - 埴生町が屋代町・更級郡稲荷山町・八幡村と合併して更埴市が発足。
- 2003年(平成15年)9月1日 - 更埴市が戸倉町・更級郡上山田町と合併して千曲市が発足。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によると、杭瀬下村の篤農家は「森今朝治、安達元右衛門、田中寛三郎、色部義太夫、藤倉榮太郎、碓田藤三郎、北原喜太郎、太田庄三郎」などがいた[1]。
交通
[編集]道路
[編集]出身著名人
[編集]- 色部義太夫(地主、貴族院多額納税者議員)
脚注
[編集]- ^ 『大日本篤農家名鑑』380頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『角川日本地名大辞典 20 長野県』。