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九鬼周造

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九鬼 周造
生誕 (1888-02-15) 1888年2月15日
日本の旗 日本東京府東京市
死没 (1941-05-06) 1941年5月6日(53歳没)
日本の旗 日本京都府京都市
時代 20世紀の哲学
地域 日本哲学
出身校 東京帝国大学文科大学
学派 大陸哲学実存主義京都学派
研究分野 形而上学存在論時間論偶然性美学いき倫理学
主な概念 原始偶然(絶対的形而上的必然、形而上的絶対者)、偶然性、いきの構造、実存
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九鬼 周造(くき しゅうぞう、1888年2月15日 - 1941年5月6日)は、日本の哲学者京都帝国大学教授。

出身は東京府東京市[1]東京帝国大学文科大学(文学部)哲学科卒業、京都帝国大学文学博士実存哲学の新展開を試み、日本固有の精神構造あるいは美意識を分析した。日本文化を分析した著書『「いき」の構造』(1930年)で知られる。ほかに、『偶然性の問題』(1935年)など。

人物・経歴

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父は明治を代表する文部官僚男爵九鬼隆一。祖先は九鬼水軍を率いた戦国武将九鬼嘉隆。母の九鬼波津子は周造を妊娠中に岡倉覚三(天心)と恋におち(隆一は岡倉の上司であった)、隆一と別居(のち離縁)するという事態となった[2]。生みの父・隆一、精神上の父・岡倉、そして喪われた母という、この3人のはざまで幼少期・青年期の周造は成長していくこととなり、それは後の精神形成にも大きな影響を与えることとなったと考えられる。九鬼は子供の頃、訪ねてくる岡倉を父親と考えたこともあったと記している。

1904年東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。第一高等学校独法科に進むも文科に転じる。東京帝国大学文科大学哲学科ではラファエル・フォン・ケーベルに師事した。

大学院中退後、妻とともに1921年よりヨーロッパ諸国へ足かけ8年間留学する[3]。初めドイツに渡り、新カント派ハインリヒ・リッケルトに師事するが、それでは満たされず、のちフランスに渡り、アンリ・ベルクソンと面識を得るなどし、その哲学から強い影響を受ける。と同時に遊興にも走った。パリ時代には、フランス語の個人教師として、まだ学生だったジャン・ポール・サルトルを雇っていた[4]。その後再びドイツに留学すると、今度はマルティン・ハイデッガーなどから、現象学を学んだ。九鬼は三木清和辻哲郎などとともに日本でハイデッガーの哲学を受容した最初の世代に当たり、「実存」といった哲学用語の訳語の定着をはじめとして、日本におけるハイデッガー受容において果たした役割は少なからぬものがあるといえる。また、ハイデッガーの方も九鬼を高く評価している[5]

1929年に帰国してから1941年に没するまで、京都帝国大学文学部哲学科で、デカルト、ベルクソンをはじめとするフランス哲学や近世哲学史、現象学を中心とした当時の現代哲学などを教えた。1929年に京都帝国大学講師に就任、1932年に博士論文「偶然性」を提出し京都帝国大学文学博士の学位を取得[6]、そして1933年助教授となり、1935年から西洋近世哲学史講座の教授となった[7]

ヨーロッパの長期滞在の中でかえって日本の美と文化に惹かれていく自分に気づいていった九鬼は、パリでのちに『「いき」の構造』として発行される草稿を完成(1926年)。帰国後、その草稿を手直しし、ハイデッガーから受け、育んだ洞察を活かして「いきとは、垢抜けして、張のある、色っぽさ」の言葉のある『「いき」の構造』(1930年)を発表した。これは、日本の江戸時代遊廓における美意識である「いき」(粋)を、現象学という西洋の哲学の手法で把握しようと試みた論文で、これを考察の対象にしたということだけで当時は驚きをもって迎えられた。

九鬼は1941年腹膜炎で死去し、京都の法然院で、谷崎潤一郎内藤湖南らとともに眠っている。墓石の揮毫は同僚の西田幾多郎によるもので、側面には西田が翻訳も行ったゲーテの「さすらい人の夜の歌」 (Wandrers Nachtlied) の一節が刻まれている。

九鬼の遺稿と蔵書は親友の天野貞祐旧制甲南高等学校校長)に託され、現在は甲南大学図書館に九鬼周造文庫として保存されている。

家族

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  • 父・九鬼隆一(1852年 - 1931年) - 男爵
  • 母・九鬼波津子(1860年 - 1931年) - 元芸妓。岡倉天心との不倫で騒がれた。
  • 妻・九鬼縫子(1895年生) - 周造の亡兄・一造の元妻。中橋徳五郎の娘、中橋武一の妹。一造との間に2児あり。1918年に周造と再婚して1921年に周造とともに渡欧、1926年に単身帰国。1931年に長男に反対されたことを理由に周造に離婚を申し出る。兵庫県三田市の九鬼家の菩提寺心月院の墓所には一造の妻として葬られている。[3][8]

哲学

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日本哲学研究者宮野真生子(1977年 - 2019年)執筆の「思想家紹介」(2003年)において、九鬼の哲学は「二元性」という言葉によって説明されている。

……九鬼の哲学は「二元性」という特徴を持つ。まず、西洋と日本との伝統のあいだでの二元性。この問題は『「いき」の構造』へと結実していく。さらに、「偶然性」と「必然性」あるいは「自己」と「他者」の二元性。この問題から結実するのが、主著『偶然性の問題』である。そこには、この世に偶然生まれ落ちた「この私」の個体性と実存への眼差しと、論理では語り尽くせない「この私」のあり方を如何に語り出すのか、という問いがある。それゆえ、西洋哲学の根幹に存するイデア中心主義に対して、論理からこぼれおちる「偶然性」を取り上げた九鬼の哲学は徹底して個体にこだわる実存哲学であった。さらに、自己と他者の「独立の二元の邂逅」から偶然性と個体性を語る九鬼哲学は、現代哲学における「差異」という観点とも響き合い、現在注目を集めている。

— 宮野真生子「思想家紹介」、「九鬼周造」

主な著作は、『偶然性の問題』、『「いき」の構造』、『人間と実存』など。宮野の思想家紹介においては、『人間と実存』収録の「哲学私見」が九鬼哲学の入門書として推薦されている[9]

逸話

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  • 九鬼は留学中、フランスで若きサルトルから個人的にフランス語の練習を兼ねてフランス哲学について歓談したという逸話がある。一方でサルトルの方も、この時九鬼から現象学などの哲学についての影響を受けたのではないか、という説がある。
  • 九鬼は嫂(亡くなった次兄・九鬼一造の妻)の縫子(中橋徳五郎の長女)と30歳の時に結婚するも、この結婚は破綻した。2度目に結婚した相手は祇園の芸妓であった。これには彼の生い立ちや独特の美意識が影響していたのではないかと思われるが、周囲では「九鬼先生が講義にたびたび遅刻してくるのは、毎朝祇園から人力車で帝大に乗り付けてこられるからだ」という噂がまことしやかに話されていたとのことである。
  • 主な弟子に、日本で最初に医学を主題に哲学講座「医学概論」を開いた澤瀉久敬(大阪大学名誉教授などを歴任)がおり、澤瀉は九鬼全集編集委員(他の編集委員には天野貞祐ら)でもあった。

著作

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単著・講義・随筆集

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  • 『時間論』、フランス語原文は1928年フランスパリで刊行。
    • 『時間論 他二篇』(岩波文庫2016年、小浜善信編・注解)で新版刊。『時間論』は処女作、1921年から1928年のヨーロッパ遊学(留学)の集大成であり、九鬼がフランス語で執筆、パリの出版社で単行本を刊行[10]。文庫版は『時間論』の日本語全訳、他二篇は、帰国後の論文「時間の問題」(1929年)と、「文学の形而上学」(1940年[11]
  • 『「いき」の構造』岩波書店〈初版〉、1930年。 
  • 『偶然性の問題』岩波書店〈初版〉、1935年。 
  • 『人間と実存』岩波書店〈初版〉、1939年。 
    • 『人間と実存』 岩波文庫、2016年。藤田正勝注解・解説
  • 『文藝論』岩波書店〈初版〉、1941年。 生前最後に執筆していた著作で、病没4か月後に刊行された。
  • 『遠里丹婦麗天』岩波書店〈初版〉、1941年。 遺稿集の随筆集。
  • 『巴里心景』甲鳥書林〈初版〉、1942年。 
  • 『西洋近世哲学史稿』岩波書店 上・下〈初版〉、1944年。 
  • 『現代フランス哲学講義』岩波書店〈初版〉、1957年。 

選集など

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全集

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  • 『九鬼周造全集』(全11巻+別巻 資料・年譜)、岩波書店、1981-1982年
    • 著作・講義録などを収録。新版復刊1990-1991年、2011-2012年。
  • 2021年には、全集に未収録の、九鬼の自筆書簡草稿や九鬼宛の書簡が発見されたと報じられた[12][13]

関連文献

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脚注

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  1. ^ 宮野真生子「思想家紹介」
  2. ^ 古川雄嗣「九鬼周造の人生と哲学」
  3. ^ a b 根岸の女 : 九鬼周造と荷風小浜善信 研究年報 巻48 2012-03-23
  4. ^ 九鬼周造―巴里から江戸へ近代日本とフランス、国立国会図書館
  5. ^ ハイデッガー全集第12巻『言葉への途上』、「言葉についての対話より」、創文社、1996年、など。
  6. ^ 岩波書店「九鬼周造略年譜」
  7. ^ http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/denshi/g_works/gw23_kuki.pdf
  8. ^ 九鬼周造年表荒木優太, ブクログ, 2013年07月15日
  9. ^ 思想家紹介「九鬼周造」
  10. ^ シモン・エベルソルト、「総特集・九鬼周造 主要著作ガイド『時間論』」、『現代思想』2017年1月臨時増刊号・第四四巻第二三号、青土社、2016年、230頁。
  11. ^ シモン・エベルソルト、「総特集・九鬼周造 主要著作ガイド『時間論』」、『現代思想』2017年1月臨時増刊号第四四巻第二三号、青土社、2016年、230頁-231頁。
  12. ^ 朝日新聞デジタル「九鬼周造の書簡草稿見つかる 西田幾多郎、林芙美子からの書簡も」
  13. ^ 林芙美子からの書簡

関連項目

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外部リンク

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