ジョー・マレンコ
ジョー・マレンコ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ジョー・マレンコ ジョー・ソルコフ |
本名 | ジョー・サイモン |
ニックネーム |
フロリダの仕事師 スープレックス・マシーン 南部のシューター |
身長 | 180cm |
体重 | 102kg - 104kg |
誕生日 | 1955年6月4日(69歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 フロリダ州 ヒルズボロ郡タンパ |
スポーツ歴 | レスリング |
トレーナー |
ボリス・マレンコ カール・ゴッチ トニー・チャールズ[1] |
デビュー | 1977年[1] |
ジョー・マレンコ(Joe Malenko、1955年6月4日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はジョー・サイモン(Joe Simon)。フロリダ州タンパ出身。
父はプロレスリング・スクール "Malenko School of Wrestling" (マレンコ道場)を設立し、「チェーン・デスマッチの鬼」の異名を持つボリス・マレンコ。実弟はWWEでロード・エージェントを担当しているディーン・マレンコ。
来歴
[編集]父のボリス・マレンコや英国人プロレスラーのトニー・チャールズのトレーニングを受け、フロリダ大学卒業後の1977年にデビュー(1978年、メキシコでキラー・カーンを相手にデビューしたともされる[2])。
インディー団体GWAにて活動後、1985年5月にジョー・ソルコフ(Joe Solkoff)のリングネームで旧UWFに初来日。1988年からはジョー・マレンコとして全日本プロレスの常連外国人選手となり、1989年1月に渕正信、7月に百田光雄を破り、世界ジュニアヘビー級王座を2回獲得している[3]。弟のディーン・マレンコとのタッグチームでも活躍し、ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスのブリティッシュ・ブルドッグスとも好試合を展開した。1992年8月からはプロフェッショナルレスリング藤原組に度々来日し、1995年2月には新日本プロレスに初登場。同年12月には藤波辰爾の自主興行『無我』の第2弾興行にも参加した。
本国アメリカでは1992年にWCWに登場、6月16日開催のPPV "Clash of the Champions XIX" で行われた復活版NWA世界タッグ王座の争奪トーナメントにディーンとのコンビで出場したが、1回戦でリッキー・スティムボート&ニキタ・コロフに敗退した[4]。1994年からはECWに参戦し、11月18日にフィラデルフィアのECWアリーナにて、ディーンと組んでサブゥー&タズマニアックと対戦している[1]。以降もECWのフロリダでのハウス・ショーに時折出場し、スティービー・リチャーズらと対戦した。
セミリタイア後の1998年5月11日にはWCWの『マンデー・ナイトロ』に登場、当時ディーン・マレンコと抗争していたクリス・ジェリコと対峙した。引退後は地元のフロリダにて薬剤師に転じている[1]。
2010年11月、全日本プロレスの『世界最強タッグ決定リーグ戦』に西村修とのチームで出場。両者は1990年代からの旧知の間柄であり、ECWでも対戦したことがある[5]。
得意技
[編集]- テキサス・クローバー・リーフ
- タイガー・ドライバー
- ジャーマン・スープレックス
- ノーザンライト・スープレックス
- ストマック・ブロック
タイトル歴
[編集]- 世界ジュニアヘビー級王座:2回(第9代、第11代) [3]
脚注
[編集]- ^ a b c d “Wrestler Profiles: Joe Malenko”. Online World of Wrestling. 2010年10月26日閲覧。
- ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P164(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b “AJPW World Junior Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月26日閲覧。
- ^ “WCW Clash of the Champions XIX”. Pro Wrestling History.com. 2010年10月27日閲覧。
- ^ “ECW January - March 1995"”. Pro Wrestling History.com. 2010年10月27日閲覧。