久邇邦昭
邦昭王 | |
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久邇宮家 | |
続柄 | 朝融王第一男子 |
身位 | 王→皇籍離脱 |
敬称 |
殿下→皇籍離脱 His Imperial Highness |
出生 |
1929年3月25日(95歳) 日本、東京府東京市 |
配偶者 | 弘世正子 |
子女 |
朝尊 邦晴 晃子 |
父親 | 久邇宮朝融王 |
母親 | 朝融王妃知子女王 |
久邇 邦昭(くに くにあき、1929年(昭和4年)3月25日 - )は、日本の旧皇族。久邇家当主。皇籍離脱前は邦昭王(くにあきおう)と名乗った。弟に久邇朝建・久邇朝宏。
人物・来歴
1929年(昭和4年)3月25日、東京府東京市生まれ。1935年(昭和10年)4月、学習院初等科に入学、戦時中は海軍兵学校(77期)へ進むが、途中で終戦となる。戦後は、GHQの臣籍降下令により皇籍を離れる。1951年(昭和26年)3月、学習院大学政治経済学部卒業後、川崎汽船に勤務し、取締役を務めた。同社退職後は伊勢神宮の大宮司となり(1990年 - 2001年)、その後 神社本庁統理を務めた(2001年 - 2011年)。前霞会館理事長(1991年 - 2007年)。伊勢神宮の大宮司に就任するにあたり、雅楽を研究するため武蔵野音楽大学に入学、卒業した。
栄典
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[1]
血縁
祖父は久邇宮邦彦王と伏見宮博恭王であり、曽祖父には徳川慶喜、伏見宮貞愛親王、久邇宮朝彦親王、島津忠義がいる。香淳皇后は叔母、上皇は従弟、今上天皇は従甥にあたる。娘の久邇晃子は、かつて今上天皇の妃候補の一人に挙げられたこともある。今上天皇と晃子は再従兄弟にあたる。
脚注
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
著書
- 『少年皇族の見た戦争―宮家に生まれ一市民として生きた我が生涯』 PHP研究所、2015年。
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