鬼鹿駅
表示
鬼鹿駅 | |
---|---|
おにしか Onishika | |
◄富岡仮乗降場 (4.5 km) (3.2 km) 千松仮乗降場► | |
所在地 | 北海道留萌郡小平町字鬼鹿港町 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 羽幌線 |
キロ程 | 26.1 km(留萠起点) |
電報略号 | オカ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1928年(昭和3年)10月1日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)3月30日[1] |
備考 | 羽幌線廃線に伴い廃駅 |
鬼鹿駅(おにしかえき)は、かつて北海道(留萌管内)留萌郡小平町字鬼鹿港町1区に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)羽幌線の駅(廃駅)である。電報略号はオカ。事務管理コードは▲121607[2]。
1986年(昭和61年)10月まで運行されていた、急行「はぼろ」の停車駅であった。
歴史
- 1928年(昭和3年)10月1日 - 鉄道省留萠線の大椴駅 - 当駅間の延伸開通に伴い、開業[1]。一般駅[1]。
- 1931年(昭和6年)
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1975年(昭和50年)7月1日 - 貨物取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止[1]。
- 1987年(昭和62年)3月30日 - 羽幌線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅構造
廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[3]。互いのホームは、駅舎側ホーム中央と島式ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[3]。駅舎側単式ホーム(西側)が下り線、島式ホーム(東側)が上り線となっていた(番線表示なし)[3]。島式ホームの外側1線は、側線として残っており、そのほか島式ホームの外側の側線から分岐した側線を1線、また下り線の幌延方から分岐し駅舎北側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[3]。
職員配置駅となっており、駅舎は構内の西側に位置し、単式ホーム中央部に接していた。
駅名の由来
当駅が所在する地名より。地名は、アイヌ語の「オ・ニウシ・カ・ペツ」(川下の森を流れる川)に由来する。
利用状況
- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は160人[3]。
駅周辺
- 北海道道643号鬼鹿停車場線
- 国道232号
- 留萌警察署鬼鹿駐在所
- 鬼鹿郵便局
- 留萌信用金庫鬼鹿支店
- 小平町立鬼鹿中学校
- 小平町立鬼鹿小学校
- 鬼鹿温泉(鬼鹿観光ホテル) - 駅から南に約0.5km[3]。
- 鬼鹿海水浴場 - 駅から南に約3km[3]。
- 天応寺 - 樹齢130年を越す「一本藤」と藤棚がある[3]。
- 興聖寺 - 「座禅藤」がある。
- 道の駅おびら鰊番屋 - 廃線後の開業。駅跡から南に約0.8km。
- 温寧川
- 小種子川
- 沿岸バス「鬼鹿3区」停留所
駅跡
1999年(平成11年)時点で、町営住宅の敷地になっている[4]。
また、2011年(平成23年)時点で駅附近の小種子川にはコンクリート造りの橋台及び翼壁が残存している[5]。
隣の駅
脚注
- ^ a b c d e f g 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、871頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、230頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、199頁。ISBN 978-4093951012。
- ^ 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVI』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1999年3月、26頁。ISBN 978-4533031502。
- ^ 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、213頁。ISBN 978-4894536128。