蘇
蘇(そ)は、古代の日本(飛鳥時代~平安時代[1])で作られていた乳製品の一種で、乳汁をかなり乾燥させ長期保管に耐える加熱濃縮系列の乳加工食品[2]と考えられている[3][4]。文献には見えるが製法が失われた「幻の食品」となっている[1][5]。
不明な部分の多い食品ではあるが、諸説に共通しているのは「蘇は乳を煮詰めた乳製品で美味しいもの」である。『延喜式』には、生乳一斗を煮詰めると一升の蘇が得られる旨の記述がある。こうしたことから推測した製法で、現代日本でもつくられている[1][5]。
概要
西暦700年、文武天皇により蘇を税として全国で作るように使いが派遣された[6]。典薬寮の乳牛院という機関が生産を担っており、薬や神饌としても使われていた。仏教祭事には蜜と混ぜられて原料として使用された様子である[6]。平安時代、貴族階級の間で乳製品が広まったが、武士が台頭して来るにしたがって、江戸時代中期まで日本の酪農は廃れた[6][7]。
現代では、文献を元に様々な人が蘇を復元しようとしているが[3][8]、原料乳の生産牛種が不明であることなどから、それが本当に当時の蘇と同じものであるかは、現存しないため確認は困難である[3]。
2020年、新型コロナウイルス(COVID-19)の世界的流行に伴い、感染拡大防止のために日本全国の小中高校において休校措置がとられ、学校給食も休止された。余剰となった大量の牛乳を消費しようとする動きがSNSを中心に話題になっており、その中で「牛乳さえあれば作れる手軽さ」と「古代のお菓子」という珍しさを持つ蘇が注目されるようになった[1][5]。
牛乳を沸騰するまで煮詰め、混ぜて作る[9]。また、弾力ある「生蘇」と乾かした「精蘇」に分けられる[10]。
歴史
蘇は、古代中国で生まれた、牛乳の発酵食品「酥」(そ)を元祖とする説が有力である[10]。
昔は殿上人しか食べられなかったとされ、食用のほか、滋養強壮用の薬や仏教行事の供物として、親しまれてきた[10]。蘇は朝廷への貢ぎ物だったとされ[10]、かつて正月に開かれていた天皇の家臣たちによる酒宴「二宮大饗(にぐうのだいきょう)」「大臣大饗(だいじんのだいきょう)」で甘栗などとともに、蘇が振る舞われていた[10]。これらの食品は、朝廷の使者が、「牧(まき)」と呼ばれる全国の生産場から運び出した[10]。
朝廷は奈良時代から平安時代、諸国に対し蘇の納付を義務化し、3~6年に一度のペースで順番に徴集した[10]。各地の牧では、正月に間に合い、かつ完成品が腐らないよう、例年11月頃には作業を終えていたとみられている[10]。 一方で、質が粗悪だったり、納付期日を守れなかったりした場合は杖罪(杖で打ち据える刑)に処された[10]。
製造方法
現在に残る当時の文献が少ないが、製造方法は『延喜式』[3]や『政事要略』に記され、「蘇を作る方法は、乳を一斗煎じて、一升の蘇が得られる」程度の記載である。そのまま濃縮牛乳を作っただけでは、日本の気候風土から腐敗してしまうので、何らかの処理がなされていたとも言われている[6]。
チーズとしての蘇
上記のように、蘇が乳を煮詰めただけの物だと腐敗してしまうので、何らかの処理がなされたと考えるのが妥当である[6]。ただし、中東からアジアにかけては近代まで酵素を使ったチーズが作られたという記録は確認されていないため、現代広く食されているチーズとも異なると考えられている。また上記のように製法が煮詰めただけならばクロテッドクリーム、更に発酵させるならカイマクやマライもしくはサワークリームのような乳製品が得られる。
大般涅槃経の乳製品
『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)の中に、五味として順に乳→酪→生酥→熟酥→醍醐へとある[6]。酥は醍醐の原料という説があるのはここからであるが、蘇と酥は別のものとする説がある[6][7]。
産地
主な生産地として、摂津国・味原(あじふ)の乳牛牧(ちちうしまき、ちちゅうしまき。現在の大阪市東淀川区の一部にあたる)などが知られている。古代には東国においても多くの牛が飼育されており、『延喜式』によれば東国全ての国で蘇を貢納している。
現代の生産地としては、宮崎県都城市で生産された「甘乳蘇」が、宮崎市の青島神社などで観光の際の土産物として売られている、などの例がある[11]。
蘇と酥が別のものとする説
大般涅槃経の酥は現在のインドのサータヴァーハナ朝時代のサンスクリット語を今の中国で六朝時代に漢訳したものである。この事を考慮すると大般涅槃経の酥は延喜式の蘇とは別物である可能性が高い。六世紀半ばに中国で編纂された農書『斉民要術』によると酪はヨーグルト、酥は現在の生バターで、その後それを加熱して作るバターオイルを含めた総称である。仮に大般涅槃経の熟酥をバターオイルだと仮定すると、その後の醍醐に変化させる余地が無く、醍醐をバターオイルと仮定すると生酥と熟酥の二種類の説明がつかない。また、漢語同様サンスクリット語においても酪はヨーグルトを意味する。ヨーグルトから変化できる乳性食品は限られる。故に少なくとも熟酥までは加熱して生成する食品である可能性は低い。文脈と経典成立時の地域性を考えると酪はヨーグルト、生酥から熟酥はサワークリームから発酵バターへの変化を指し、醍醐は発酵バターからとれるバターミルクの事を指すとも考えられる。
出典
- ^ a b c d 「幻の乳製品 蘇 牛乳消費盛り上げ レシピ検索 人気急上昇」『日本農業新聞』2020年3月17日(1面)2020年3月18日閲覧
- ^ 平田昌弘「インド西部における乳製品とその加工技術(前編)」『食の科学』2003年 310巻 p.24-32, 光琳
- ^ a b c d 斎藤瑠美子, 勝田啓子「「延喜式」に基づく古代乳製品蘇の再現実験とその保存性」『日本家政学会誌』40巻3号 1989年 p.201-206, doi:10.11428/jhej1987.40.201
- ^ 平田昌弘「ユーラシア大陸の乳加工技術と乳製品 : 第6回 南アジア-インドの都市部・農村部の事例1 : 乳のみの乳製品」『New Food Industry』食品資材研究会, 53巻 6号 2011年 p.73-81
- ^ a b c 杉岡幸徳『世界奇食大全 増補版』ちくま文庫、2021年、280-284頁。ISBN 978-4-4804-3738-9。
- ^ a b c d e f g 斎藤瑠美子, 勝田啓子「日本古代における乳製品「蘇」に関する文献的考察」『日本家政学会誌』39巻4号 1988年 p.349-356, doi:10.11428/jhej1987.39.349
- ^ a b 細野明義「我国における牛乳と乳製品普及の系譜」中央酪農会議 2017年4月12日閲覧
- ^ 有賀秀子, 高橋セツ子, 倉持泰子ほか「日本における古代乳製品の"酥"および"醍醐"の本草網目(李著)にもとづく再現試験」『日本畜産学会報』59巻3号 1988年 p.253-260, doi:10.2508/chikusan.59.253
- ^ “【レシピ】牛乳消費に!ひたすら混ぜる「蘇(そ)」作ってみた -- 時間はどれだけかかる?ほんとに美味しいの?合う調味料は? [えん食べ]”. えん食べ [グルメニュース]. 2020年5月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 郁人, 神戸. “新型コロナでブームの「蘇」、数奇な歴史 「一度消えた権力の象徴」”. withnews.jp. 2020年5月30日閲覧。
- ^ 幻の古代和製チーズ甘乳蘇_MO-7001(ふるさとチョイス) 添加物を一切使用せず、牛乳の水分だけ蒸発させ、10分の1まで煮詰めた自然食品