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京極高本

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京極 高本 (きょうごく たかもと、元禄7年(1694年) - 宝暦8年3月28日1758年5月5日))は、江戸時代中期の高家旗本京極高甫の長男。初名は高包。通称は寅助、四郎左衛門。官位は従四位下侍従・近江守。

正徳3年(1713年)3月15日、将軍徳川家継御目見する。享保14年(1729年)8月3日、家督を相続する。寛保2年(1742年)10月15日、高家職に就任し、従五位下侍従・近江守に叙任する。後に従四位下に昇進する。寛延元年(1748年)12月10日、辞職する。宝暦8年(1758年)3月28日、死去、65歳。

正室はいない。3女がいた。婿養子の高常牧野忠列の五男)は病気を理由に嫡子の地位を辞退し、孫の高厚が家督を相続した。