2000年アメリカ合衆国大統領選挙

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2000年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 2000
アメリカ合衆国
1996年 ←
2000年11月7日
→ 2004年

投票率 51.2%[1] 増加 2.2%
  George-W-Bush.jpeg 45 Al Gore 3x4.jpg
候補者 ジョージ・W・ブッシュ アル・ゴア
政党 共和党 民主党
州籍 テキサス州 テネシー州
副大統領候補者 Dick Cheney.jpg
ディック・チェイニー
Joe Lieberman official portrait.jpg
ジョー・リーバーマン
獲得選挙人 271 266
勝利州数 30 20 + DC
得票数 50,456,002 50,999,897
得票率 47.9% 48.4%

ElectoralCollege2000.svg

州別獲得選挙人分布図
     ブッシュ      ゴア

選挙前大統領

ビル・クリントン
民主党

選出大統領

ジョージ・W・ブッシュ
共和党

2000年アメリカ合衆国大統領選挙(にせんねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 2000)は、2000年11月7日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙民主党ビル・クリントン大統領の2期の任期満了後のアメリカ合衆国大統領を選ぶ選挙となり、共和党ジョージ・W・ブッシュが、民主党の現職副大統領アル・ゴアを破って当選した。

概要[編集]

アメリカ合衆国史上で最も接戦となった選挙のうちの1つである。一般投票で敗北し、選挙人投票で勝利した候補が大統領となるのは、ベンジャミン・ハリソンが当選した1888年の大統領選挙以来112年ぶりのことであった。

開票においては、票の読み取りに問題があったフロリダ州の結果が判明するのに非常に長期間を要し、最終的には選挙結果をめぐり法廷闘争(ブッシュ対ゴア事件)が展開されるなど、混乱も生じた。最終的には、一般投票で過半数を獲得できなかったブッシュが接戦だったフロリダ州を制したことで大統領選挙人投票で271対266の僅差で勝利、次期大統領となることが決定された。

背景[編集]

中道寄りの第三の道を掲げたクリントン政権は、就任後の中間選挙で両院とも共和党支配となった議会の激しい要求もあり、ベトナム戦争以後の「双子の赤字」を解消した。しかし共和党支配の議会は従来のアメリカでは久しくなかったほど党派的姿勢が強く、財政問題の対立で政府機関が一部閉鎖となったり、大統領夫人ヒラリー・クリントンの肝煎りである国民皆保険導入法案が議会で否決された他、大統領とモニカ・ルインスキーとの不倫問題における偽証について弾劾裁判が行われるなど、保守とリベラルの対立はむしろ高まりを見せていた。このクリントン大統領のセックススキャンダルは、民主党候補のゴアにとって、かなりの逆風となる。

予備選[編集]

共和党では、回心経験のあるクリスチャンであり減税実績のある小さな政府論者でありつつ、「思いやりのある保守」を掲げて弱者への支援もアピールしたテキサス州知事ジョージ・W・ブッシュが当初より本命視されていた。共和党主流から距離を置いていたジョン・マケイン上院議員が序盤に互角な戦いを展開したものの、ブッシュが振り切り指名を獲得した。

民主党では1992年大統領選から本命視されつつも、当時は息子の看護のため辞退したアル・ゴア副大統領が、クリントン政権時代の成果も掲げて独走した。対立候補のビル・ブラッドレー英語版元上院議員が、均衡財政から福祉増額に切り替えるなどの路線刷新を訴えたが、全州でゴアが勝利した。

本選挙[編集]

ブッシュは父ジョージ・H・W・ブッシュの政権時代の国防長官であったディック・チェイニーに副大統領候補の推薦を依頼したが、チェイニーは自らを推薦し、副大統領候補となった。ブッシュは実務能力が弱いと見られていたため、実務補佐役としての位置づけであった。万一の場合に大統領に昇格する副大統領の候補に、心臓に持病があるチェイニーのような者がなることは稀であり、このことへの批判もあった。なお選挙人が自分と同じ州籍の正副大統領候補のみに投票することは憲法上禁止されているため、チェイニーはブッシュと同じテキサス州籍を故郷のワイオミング州籍に戻した。第二次世界大戦後のアメリカ政界では副大統領経験者が大統領選挙に出馬することが多いにも関わらず、チェイニーは副大統領候補となった当初より一貫して将来の大統領選挙出馬を強く否定している。このように、多くの点で異色の副大統領候補であった。

ゴアは、リベラル寄りなゴアとのバランスとして、民主党内保守派のジョー・リーバーマン上院議員を副大統領候補に据えた。リーバーマンは二大政党指名候補として初のユダヤ教信徒である。

この他、緑の党から消費者運動家のラルフ・ネーダーが、改革党からパット・ブキャナンが立候補したが、両者とも当選の見込みは薄く、それぞれゴアとブッシュの票を食うものと思われた。特にネーダーの得票は無視できないものと思われ、選挙終盤には世論調査で大差がついている州のゴア支持者と、接戦州のネーダー支持者がそれぞれお互いの支持候補に投票する運動が起こったが、ネーダーはこれに否定的であった。

ブッシュがマスコミのレポーターに外国首脳の名前を聞かれて答えられないことがあるなどしており、ブッシュの資質が争点の一つとされたが、一方でゴアとブッシュのテレビ討論の際、ブッシュの発言時にゴアが小馬鹿にするような表情を浮かべたことがゴアの印象を損なったとされる。

この他、ブッシュはモガディシュの戦闘で犠牲を出し失敗に終わったとされるソマリア内戦へのクリントン政権による介入を批判し、「国家建設のようなことはするべきでない」と述べている。

両者は接戦のまま一般投票日を迎える。

結果[編集]

 •   アメリカ合衆国の旗 2000年アメリカ合衆国大統領選挙 2000年11月7日施行)
候補者 選挙人投票 一般投票
大統領候補
出身州
副大統領候補
出身州
所属政党 獲得選挙人 獲得率 得票数 得票率
ジョージ・W・ブッシュ
テキサス州
ディック・チェイニー
ワイオミング州
共和党 271 50.37 50,456,002 47.87
アル・ゴア
テネシー州
ジョー・リーバーマン
コネチカット州
民主党 266 49.44 50,999,897 48.38
ラルフ・ネーダー
コネチカット州
ウィノナ・ラデューク
ミネソタ州
アメリカ緑の党 0 0.00 2,882,955 2.74
パット・ブキャナン
バージニア州
エゾラ・フォスター
カリフォルニア州
アメリカ改革党 0 0.00 449,895 0.42%
ハリー・ブラウン
テネシー州
アート・オリビエ
カリフォルニア州
リバタリアン党 0 0.00 384,431 0.36
ハワード・フィリップス
バージニア州
カーティス・フラッツイアー
ミズーリ州
立憲党 0 0.00 98,020 0.09
ジョン・ハグリン
アイオワ州
ナット・ゴールドヘーバー
カリフォルニア州
自然法党
アメリカ改革党
0 0.00 83,714 0.08
その他諸派・無所属候補総計 0 0.00 51,186 0.05
有効票 537 99.81 105,406,100 不明
無効票・白票 1 0.19 不明 不明
投票総数 538 100.00 不明 100.00
有権者(投票率) 538 100.00 205,815,000 51.21[2]
出典:2000 Presidential Electoral and Popular Vote - Federal Election Commission

投票結果をめぐる紛争[編集]

一般投票直後[編集]

一般投票の開票では、25人の選挙人団枠をもつフロリダ州においてもつれ込んだ。その他の州では、ゴアが255人、ブッシュが246人の選挙人団枠を獲得し、フロリダ州での勝者が過半数の270人以上を得て次期大統領となる形勢となった。

マスメディア各社は、アメリカ東部時間の20時ごろにゴアのフロリダでの当確を報じたが、まもなく当確を取り消し、翌日未明にはブッシュの当確を報じた。この時には他の州の形勢も判明していたため、敗北と判断したゴアはアメリカでの慣行に則ってブッシュに当選祝いの電話を入れた。

ところが、フロリダでの得票差は同州の州法によると再集計が求められる0.5%未満であることが分かったため、ゴアはブッシュに対して取り消しの電話を入れる。メディア各社も「too close to call」(僅差のため未確定)と報じた。

なお、選挙人枠5人のニューメキシコ州と、7人のオレゴン州も同様に僅差により勝敗不明であったが、これらの州の計12人枠をいずれの候補が獲得しても最終の勝敗には影響を与え得ない形勢であった。後に両州ともゴアの勝利が確定し、ゴアの獲得枠は267人となった。

フロリダ州州務省が8日に発表した同州の開票結果は、ブッシュが290万9135票、ゴアが290万7351票、差は1784票であった。

フロリダ州における再集計[編集]

パームビーチ郡で用いられたバタフライ方式
斜めから俯瞰すると、穴の位置がずれて見える。これによりゴアへ投票したつもりが泡沫候補のパット・ブキャナンへの投票となったケースが多発し、同候補の得票が不自然に多くなったとの主張がある。

州法規定による、機械による再集計が行われると、差が1000票程度に縮小したが、ブッシュの優勢は変わらなかった。

当時パームビーチ郡などで用いられたバタフライ方式と言われるパンチカード式の投票方式では、穿孔くずが切り落とされず穴にくっついてぶら下がり、それが読み取り機によって穿孔と判断されないことがあるという欠陥があった。

ゴア陣営は、州法の定める抗議申立手続きに則って、パームビーチ郡ヴォルシア郡ブロワード郡マイアミ=デイド郡での手作業再集計を求める。各郡はこれを受けて再集計を開始した。民主党員の多いこれらの郡での有効票が増えれば、差し引きのゴアの得票が増えるという算段である。

現状維持であれば勝利となるブッシュ側は、手作業再集計の中止を求める訴訟を連邦地区裁判所に対して起こした。

選挙は一義的には州の管轄であるが、フロリダ州最高裁判所は前代までの知事に任命されたリベラル派の判事で占められていた。一方で連邦最高裁判所は、わずかながら保守派の判事が上回っているため、州裁判所より連邦裁判所への提訴の方がブッシュ陣営にとっては有利となる。

キャサリン・ハリス州務長官

なお、州法では投票後7日以内に州務長官が公式結果を発表するという規定があったため、これに則り共和党員のキャサリン・ハリス英語版州務長官は集計期限を14日に定め、当日の集計の結果としてブッシュの獲得票が多いことを声明した。また、ゴア陣営の抗議申立に基づいた手作業再集計結果の算入を拒否し、投票結果の公式認定を18日に行うと声明したが、これに対してゴア陣営は州裁判所に提訴し、州最高裁は21日に、手作業集計の算入と、集計結果提出期限を26日に延長することを命じる判決を下した。

パームビーチ郡の投票スタンド
パームビーチ郡の投票用紙

しかし、マイアミ=デイド郡は、疑問票について責任者が都度協議しつつの手作業では1時間に60票程度しか数えられず26日まで到底間に合わないとして、再集計を中止してしまう。ゴア陣営は実施命令を求める訴訟を起こしたが、州最高裁に却下された。26日にハリス州務長官がブッシュ291万2790票、ゴア291万2253票として、537票差でのブッシュ勝利を公式認定する。

ゴア陣営は州裁判所に提訴し、州最高裁は12月7日に再集計の再開と、提出期限に間に合わなかった一部票の有効票算入を認める。これによると算入票分だけでもわずか150票差となった。ブッシュ陣営は翌8日に連邦最高裁に差し止め請求を行う。翌9日に連邦最高裁は差し止めを承認した上、差し止め請求を上告とみなして審理に入った。

連邦法の定める選挙人確定期日である12月12日、連邦最高裁は再集計を禁じる判決を下し、ブッシュ勝利とする州務長官による公式認定を確定させた。翌13日、ゴアは最高裁判決に同意できないが従うと宣言し、これによって争訟は決着をみた。

その他の動向[編集]

州議会[編集]

当時のフロリダ州議会は共和党支配であったが、もし選挙人確定期日の12月12日までに選挙人が確定できなかった場合、独自に選挙人を認定する動きを示していた。アメリカ合衆国発足当初は大統領選挙人を州議会が選出することが多く、2000年においても州議会の授権によって一般投票で選挙人が選ばれるという建前であるため、法的根拠のない動きではない。もちろん一般投票を覆してあらためて州議会が選挙人を選出した前例はなく、もし実行されればさらなる法的・政治的紛争を招いたと思われる。結局12月12日に連邦最高裁が選挙人を確定させたため、実行されることはなかった。

不在者投票[編集]

郵送による不在者投票は軍人による票も多く、共和党支持のものが多い。フロリダ州の各郡では消印のない郵便による不在者投票を無効としていたが、これを違法とする共和党員による訴訟が各郡で起こされる。これについては民主党のリーバーマン副大統領候補が提訴に同調し、民主党員の州司法長官も原告側を支持したため、消印のない不在者投票は有効票とされた。これはブッシュのリードを広げることとなったとされる。

一方でセミノール郡マーティン郡での不在者投票申請時に共和党員による不正があったとして、両郡での不在者投票を無効とすることを求める訴訟があったが、連邦最高裁の最終判決と同日の12月12日に州最高裁は却下した。

「重犯罪者」[編集]

フロリダ州では重犯罪者の投票権が停止されるが、グレッグ・パラストによると、フロリダでの犯罪者リストの95%は、実際の重犯罪者のものではなく、その多くは黒人アフリカ系アメリカ人)であり、投票権が不正に奪われたとされる[3]。 犯行日付の中には2007年1月30日とされるものもあった[3]。一般に、アフリカ系アメリカ人の大多数は民主党支持層である。

その後の経過[編集]

12月13日のゴアによる最高裁判決受諾表明の一時間後に、ブッシュはフロリダ州議会下院本会議場で、改めての勝利宣言を行った。

12月18日、フロリダ州を含む各州で選挙人投票が行われ、フロリダ州の選挙人団は誓約どおりブッシュに投票した。他の選挙人団においても、ワシントンD.C.にて別件を理由とする棄権が1件おきた他は、特に造反は起きなかった。この棄権はゴアの誓約選挙人一名によるものであり、ワシントンD.C.による連邦選挙への参加権が大幅に制限されていることへの抗議であった。

翌2001年1月6日の合衆国議会合同会議にて副大統領のゴアの宰領のもとで選挙人票集計が行われた。ここで数名の下院議員から結果認定への異議が上ったが、ゴアは議事手続規定に則ってこれを却下し、ブッシュの大統領当選を宣言した。

政治対立の激化[編集]

11月18日、パームビーチ郡役所前でのブッシュ支持派のアピール

集計紛争のさなかには両派が街頭でアピールを行ったが、ブッシュ支持派は、ゴアの選挙プラカード「Gore Lieberman」をもじって「Sore Loserman」(見苦しい負け犬)というプラカードを街頭で掲げた。

一方、ゴア支持派は、大統領の到着する際に奏でられる栄誉曲の題名「ヘイル・トゥ・ザ・チーフ」(Hail to the Chief、「指導者(大統領)万歳」)をもじった「ヘイル・トゥ・ザ・シーフ」(Hail to the Thief、「泥棒万歳」)をスローガンにブッシュの行く先々で抗議活動を行った。さらに大統領宣誓式は大規模な抗議のデモ行進に見舞われ、「ヘイル・トゥ・ザ・シーフ」のシュプレヒコールが新大統領に浴びせつけられるという、通常なら党派を超えて新政権の船出を祝福するはずのこの日をさんざんなものにされてしまった。デモ行進参加者は主催者発表で2万人。警備の警察官は、通常の3倍の1万人が動員され、さながら戒厳令下の様相だった。ただし、ゴアや民主党指導部は、このような過激な抗議活動には否定的であった。

影響[編集]

開票に関する係争期間中、両候補の獲得州を示す地図が繰り返しマスメディアによって流布されたことから、この選挙においてメディア各社が用いていた色分けを用いて赤い州・青い州という概念が形成された。それに対して、フロリダ州のような両派の拮抗する州はスイング・ステートと呼ばれるようになった。

2002年には連邦法のアメリカ投票支援法英語版(HAVA)が制定された。これにより、投票機械の設置運用をはじめ、有権者登録などを含む州による選挙運営全般について全国基準を制定し、基準を満たさない投票機械は連邦の助成金によって置き換えられることとなった。これを管轄する機関として選挙支援委員会(EAC)が設置された。

脚注[編集]

  1. ^ Voter Turnout in Presidential Elections
  2. ^ 有効投票に基づく投票率(有効投票数÷有権者数)。
  3. ^ a b グレッグ・パラストGreg Palast (2004年) (NTSC). Bush Family Fortunes (DVD). New York: The Disinformation Company Ltd... 該当時間: 14:52 - 24:37. http://www.disinformation.com 

参考文献[編集]

  • 阿川尚之 "憲法で読むアメリカ史(上)" PHP研究所 2004年(初出 "外交フォーラム" 2001年4月号 - 2002年9月号 都市出版)

関連項目[編集]