1828年アメリカ合衆国大統領選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
1828年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1828
アメリカ合衆国
1824年 ←
1828年10月31日
→ 1832年

投票率 57.6%[1]
  Andrew Jackson.jpg JohnQAdams.png
候補者 アンドリュー・ジャクソン ジョン・クィンシー・アダムズ
政党 民主党 国民共和党
州籍 テネシー州 マサチューセッツ州
副大統領候補者 John C. Calhoun.jpeg
ジョン・カルフーン
Portrait of Richard Rush.jpg
リチャード・ラッシュ
獲得選挙人 178 83
勝利州数 15 9
得票数 642,553 500,897
得票率 56.0% 43.6%

ElectoralCollege1828.svg

州別獲得選挙人分布図
     ジャクソン      アダムズ

選挙前大統領

ジョン・クィンシー・アダムズ
国民共和党

選出大統領

アンドリュー・ジャクソン
民主党

1828年アメリカ合衆国大統領選挙(1828ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1828)は、1828年10月31日から12月3日にかけて施行されたアメリカ合衆国大統領および副大統領を選出する選挙である。

主な日程[編集]

1828年[編集]

1829年[編集]

概要[編集]

現職の大統領ジョン・クィンシー・アダムズ民主党の旗の下に候補者となった宿命のライバル、アンドリュー・ジャクソンの前回に続く再戦となった。

前回1824年の選挙とは異なり、2人以外には主要な候補者が参加せず、ジャクソンが支持母体を結集して選挙人選挙では容易にアダムズを破った。

アンドリュー・ジャクソンは1824年の大統領選挙の一般選挙[2]と選挙人選挙で多数を獲得したが、それでも最終投票がアメリカ合衆国下院に持ち込まれたときにジョン・クィンシー・アダムズに敗れた。ヘンリー・クレイ(当時の下院議長)はキングメーカーの役割を果たす機会があった。クレイはアダムズと懇意な関係があるわけではなかったが、選挙中の西部での戦い方もあってジャクソンを軽蔑していた。クレイはアダムズに会ってその支持を確認し、そのすぐ後でアダムズが大統領を勝ち取った。選挙の数日後、アダムズは当時の考え方では次の大統領に繋がる役職である国務長官にクレイを指名した。ジャクソンとその支持者達は直ぐにクレイとアダムズを「裏取引」をやったと烙印を捺し、次の1828年の選挙まで大統領を非難し続けた。

候補者[編集]

選挙人の選出[編集]

選挙人の選出
選挙人の選定方法   州  
州議会で選挙人を指名 デラウェア州
サウスカロライナ州
州内を選挙人選挙区に分割、1選挙区あたり1人を選出 メリーランド州
テネシー州
全州の選挙で2名の選挙人を選出、残りを州内の合衆国下院議員選挙区で各1名選出 メイン州
州内の合衆国下院議員選挙区で各1名選出。残る2名を選挙人が選出 ニューヨーク州
全州の選挙で選挙人を選出 その他の州すべて

選挙運動[編集]

ジャクソンの支持者は選挙運動の歌としてこのニューオーリンズの戦いの賛歌を使った。

この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。

選挙運動は圧倒的な量の中傷合戦によって特徴付けられた。ジャクソンの結婚が攻撃材料になった。ジャクソンがその妻レイチェルと結婚した時、2人はレイチェルの前夫との離婚が成立したと信じていたが、実際には成立しておらず、正式な書類が完成してから再度結婚しなければならなかった。アダムズの選挙運動でこれがスキャンダルになった。あるパンフレットでは、「姦婦だと宣告された者とその不倫の愛人を、この自由でキリスト教徒の国の最高位に就けるべきだろうか?」とされていた。

悪名高い「棺のチラシ」はジャクソンが行った軍法会議と脱走者の処刑、インディアン集落での虐殺、および何度も決闘したことを攻撃した。

アダムズも攻撃を免れなかった。アダムズが駐ロシア大使をしていた時に、アメリカ人の小間使いの少女を皇帝の欲求に任せたと告発された。アダムズはまた、公的資金を使って大統領官邸にギャンブルの装置を買ったとも非難された。その後、これはチェスのセットとビリヤードの台であることがわかった。

選挙結果[編集]

選挙人の選出は10月31日オハイオ州ペンシルベニア州で始まり、11月13日ノースカロライナ州で終わった。選挙人団は12月3日に会した。

アダムズは、1800年アメリカ合衆国大統領選挙でその父ジョン・アダムズが勝利したのと全く同じ州で勝利した。すなわちニューイングランド各州とニュージャージー州およびデラウェア州であった。ジャクソンがその他の州全てを制した。アダムズにとって不運なことにこの選挙では1800年のときにあった州以外の州が多かった。結果はジャクソンの地滑り的な勝利であった。

 •   アメリカ合衆国の旗 1828年アメリカ合衆国大統領選挙 (一般投票:1828年10月31日 - 11月13日施行、選挙人投票:1828年12月3日施行)
大統領候補 選挙人投票 一般投票 副大統領候補 選挙人投票
氏名
出身州
所属政党 得票数 得票率 得票数 得票率 氏名
出身州
得票数 得票率
アンドリュー・ジャクソン
テネシー州
民主党 178 68.20 642,553 56.0 ジョン・カルフーン
サウスカロライナ州
171 65.52
ウィリアム・スミス
サウスカロライナ州
7 2.68
ジョン・クィンシー・アダムズ
マサチューセッツ州
国民共和党 83 31.80 500,897 43.6 リチャード・ラッシュ
ペンシルベニア州
83 31.80
その他諸派・無所属候補総計 0 0.00 4,568 0.4 - -
有効票 261 100.00 261 100.00
無効票・白票 0 0.00 不明 不明 0 0.00
投票総数 261 100.00 1,148,018 100.00 261 100.00
有権者(投票率) 261 100.00 57.6[3]
出典:Electoral College Box Scores 1789-1996, U.S. President National Vote. Our Campaigns[4]

その後[編集]

レイチェル・ジャクソンは選挙運動中ずっと胸部に痛みを抱えており、結婚に関する個人攻撃のストレスで症状が悪化していた。レイチェルは1828年12月22日に屈辱のうちに死亡した。妻の死についてジャクソンはアダムズの選挙運動を非難し、ヘンリー・クレイについてはさらに強く攻撃した。ジャクソンは「私の敵は全て許すことができる。しかし妻を中傷した下劣な悪党達は神に慈悲を願わねばならない」と述べたという。

脚注[編集]

  1. ^ Voter Turnout in Presidential Elections
  2. ^ 4分の1の州は一般選挙を行わなかった。1828年の選挙は今日まで最高の投票率であった。
  3. ^ 有効投票に基づく投票率(有効投票数÷有権者数)。
  4. ^ 選挙人を一般投票で選んだ州は、その州によって有権者の財産に関する幅広い制限を設けていた。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

Books
  • Bemis, Samuel Flagg (1956). John Quincy Adams and the Union. vol. 2. 
  • Butterfield, Roger (1947). The American Past: A History of the United States from Concord to Hiroshima, 1775 ? 1945. New York: Simon and Schuster. 
  • Holt, Michael F. (1992). Political Parties and American Political Development: From the Age of Jackson to the Age of Lincoln. 
  • McCormick, Richard P. (1966). The Second American Party System: Party Formation in the Jacksonian Era. 
  • Remini, Robert V. (1959). Martin Van Buren and the Making of the Democratic Party. 
  • Remini, Robert V. (1981). Andrew Jackson and the Course of American Freedom, 1822 ? 1832. 
  • Swint, Kerwin C. (2006). Mudslingers: The Top 25 Negative Political Campaigns of All Time. Praeger Publishers. 
  • Watson, Harry L. (1990). Liberty and Power: The Politics of Jacksonian America. ISBN 0-374-52196-4. 
  • Wilentz, Sean (2005). The Rise of American Democracy: Jefferson to Lincoln. 
Web sites

外部リンク[編集]