アル・ゴア

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アル・ゴア
Al Gore ノーベル賞受賞者
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アル・ゴア
生年月日 1948年3月31日(67歳)
出生地 ワシントンD.C.
出身校 ヴァンダービルト大学ロー・スクール中退
ハーバード大学卒業
前職 上院議員
現職 環境活動家
所属政党 民主党
称号 ノーベル平和賞
配偶者 ティッパー・ゴア(1970 - 2010、別居
子女 カレナ・ゴア英語版
クリスティン・ゴア英語版
サラ・ゴア
アル・ゴア3世
親族 アル・ゴア・シニア(父; 合衆国上院議員)
サイン Al Gore Signature 3.svg

アメリカ合衆国の旗 第45代副大統領
当選回数 2回
在任期間 1993年1月20日 - 2001年1月20日
大統領 ビル・クリントン
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ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:2007年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:人為的気候変動(地球温暖化)についての問題点を広く知らしめ、気候変動防止に必要な措置への基盤を築くために努力したことに対して

アルバート・アーノルド・"アル"・ゴア・ジュニアAlbert Arnold "Al" Gore, Jr.1948年3月31日 - )は、アメリカ合衆国政治家環境問題の論客として知られる。下院議員上院議員副大統領を歴任。彼は2000年に大統領に立候補した。全国一斉投票では共和党候補ジョージ・W・ブッシュより得票数で上回ったが、フロリダ州での開票手続きについての問題の後、落選が決定した。

彼の企画した情報スーパーハイウェイ構想に刺激されて、インターネットが爆発的に普及したことは有名である。また、クリントン政権の末期にナノテクノロジーに興味を示し、この研究に対して資金援助した。これが、ナノテクノロジーが世界的に注目されるきっかけになった。

現在では、1970年代からのライフワークとなっている地球温暖化問題について世界的な啓発活動を行っており、この講演の模様をドキュメンタリー化した『不都合な真実』は衝撃をもって受け止められた。イギリスでは、後述のように同作の学校での上映差し止めを求める裁判が起こされた。

生い立ちと家族・人物評[編集]

ゴアはアルバート・ゴア・シニアポーリーン・ラフォンの長男としてワシントンD.C.で生まれた。父はテネシーのベテラン民主党上院議員で、ゴアは、ワシントンD.C.テネシー州カーセッジで幼少期を過ごした。学生時代ゴア一家はワシントンのホテルに住み、セント・アルバンズ・スクールに通学した。夏季休暇中はカーセッジで暮らし、家族の農場で働いた。

1965年ハーバード大学に入学し、政治学を専攻した。当時の彼のルームメートは後に俳優になるトミー・リー・ジョーンズであった。彼は1969年の6月にハーバード・カレッジをBA(Bachelor of Arts)を取得して卒業した。 1974年ヴァンダービルト大学ロー・スクールに入学したが、1976年に中退。

1970年にメアリー・エリザベス・エイチェソン (ティッパー・ゴア)と結婚した。彼らは高校時代にテネシーのダンスパーティで出会い、結婚後は四人の子供をもうけた。カレナ (1973年8月6日 - , ドルー・シフの妻)、 クリスティン (1977年6月5日 - )、サラ (1979年1月7日 - ) およびアルバート3世 (1982年10月19日 - )。ゴアにはさらにワイアットおよびアンナ・シフという2人の孫がいる。2010年2月に長年連れ立ったメアリーと離婚することを公表し、別居を始めた。2012年現在は、大口政治資金提供者だったエリザベス(リズ)・キードルと交際中である。

ゴアはナッシュビルの郊外に住み、カーセッジの近くに小さな農場を所有している。一家はカーセッジのニュー・セイレム・ミッショナリーバプティスト教会に通っている。2005年、一家はサンフランシスコのセント・リージスにマンションを購入した。

政歴[編集]

1976年の春、ロースクールを退学したゴアはテネシー州の選挙区から下院議会選挙に出馬し、当選した。3回当選を重ねた後の1984年には下院に出馬せず、上院議会選挙に立候補して当選し、1992年アメリカ合衆国副大統領に選出されるまで務めた。

1988年に大統領選に出馬するも予備選の段階で敗退、その後マイケル・デュカキス支持にまわっている。

1989年4月3日、当時6歳の息子であるアルバートがボルティモア・オリオールズ開幕戦から帰る途中交通事故に遭い、瀕死の重傷を負った。これを受けてゴアは、大統領予備選に向けてクリントンに対抗する基盤作りよりも息子の回復を見守ることを選んだ。そして、その間は環境保護を訴える本(『Earth in the Balance』邦題:『地球の掟』)の執筆を行い、それがニューヨークタイムズによるベストセラー本のリストに入った。

1991年にはアルバートが提出した高性能コンピュータ法(HPC法)がジョージ・H・W・ブッシュ政権の下で可決され、後のクリントン政権での情報スーパーハイウェイ構想の端緒となった。

副大統領[編集]

アル・ゴア(1994年)
クリントン大統領と(ホワイトハウス、1993年8月)

ビル・クリントンは、1992年の大統領選にむけて1992年7月9日にゴアを副大統領候補に選んだ。大統領選に勝利した後、ゴアは1993年1月20日に第45代副大統領に就任した。そして、クリントンと共に1996年に再選され、二期8年間副大統領職を務めた。

在任中、ゴアは表舞台には現れなかったが、多くの専門家は、彼をアメリカ合衆国の歴史上、最も活動的で多大な影響力を持った副大統領の一人だと考えている。彼の副大統領としての主な業績としてはまず、国家運営の検査と評価が挙げられる。彼は、連邦政府の浪費、不正行為などの問題点を指摘し、官僚機構の規模の縮小や規制の撤廃の必要性を強調した。後に、これに関するゴアの改革案[1]が連邦政府の規模縮小に繋がった。

1993年には、ラリー・キングがホストを務めるCNNの番組で自由貿易問題についてロス・ペローと討論を行った。この討論の後に行われた世論調査では、大部分のアメリカ人が彼の視点に賛成し、NAFTAを支持していた。この討論会でのゴアの主張の浸透によって、NAFTAへの加盟案が下院議会を234対200の僅差で通過したとする者もいた。

副大統領として、ゴアは全米の学校と図書館をインターネットに接続させる連邦政府プログラムを立てた。これは、彼がその数年前から練っていた案の集大成であった。実際、上院議員の在職期間中に、ゴアは情報スーパーハイウェイ構想を推進するべく、連邦政府によるコンピューター教育研究センターの設立を要求する法案を提出していた。ゴアの政策のおかげでインターネットの発展は大いに促進された[2]。しかし、2000年の大統領選において、これを自画自賛して「私がインターネットを創った」と発言した[3][4]ことが、自己を過大評価しているとしてブッシュ陣営によるネガティブキャンペーンの材料にされ、敗退の原因の一つになったとみられている。

在職期間の前後を問わず環境保護も強く訴え、世界中を何度も事実調査団として回った。

2000年の大統領選[編集]

2000年の大統領選では、共和党候補のジョージ・ウォーカー・ブッシュとの接戦と紆余曲折の末に、敗北している(ブッシュ対ゴア事件も参照)。

政治以外の活動[編集]

2001年2月、コロンビア大学ジャーナリズム大学院の客員教授および児童家族政策研究所 (Institute for Child and Family Policy) の客員スカラー就任。 2003年3月19日、アップルコンピュータ取締役に就任。2005年4月4日、ケーブル・テレビ局「カレントTV」を立ち上げると発表した。テレビから離れた若者を対象とし、インターネットとGoogleとビデオ・ブログを駆使した構成になっている。放送開始は2005年8月1日。アメリカ合衆国では、主要ケーブルテレビ局およびディレクTVのデジタル放送チャンネルで配信されている。2013年1月、「カレントTV」は、アルジャジーラに買収され、アルジャジーラ・アメリカとなる。買収額500億ドルのうち、ゴアへの譲渡額は100億円であった。これによって、ゴアは産油国カタールから巨額の利益を得たという批判があることを認めている。

またGoogleのシニアアドバイザーやカリフォルニア大学ロサンゼルス校フィスク大学ミドルテネシー州立大学の客員教授を務めている。

環境問題[編集]

ノーベル平和賞授賞式で講演を行うゴア(2007年12月)

アル・ゴアは大学生のころ、1970年代からロジャー・レヴェル博士の影響で「地球温暖化問題」について関心を持つようになった。またレイチェル・カーソンを尊敬しておりここ数年は、世界中で地球温暖化防止についての関心を高める運動に精力的に参加している。

アル・ゴアはカーボンニュートラルの推進者で、航空機を使用する度にカーボンオフセットを実行している。ゴア自身と家族はハイブリッド車を所有している。

2004年終わりごろ、ゴアは伝統的な利潤の追求に加え、社会や環境に対する責任を負うコーポレートガバナンスを要求する新しい投資のスタイルに対する需要に応えるべく、気候変動など深刻な地球環境問題に対し責任ある立場をとる企業を対象にした投資会社 Generation Investment Management を設立し、同社の会長に就任した。

2006年、アル・ゴアは、デイビス・グッゲンハイム監督の地球温暖化に関するドキュメンタリー映画不都合な真実 (An Inconvenient Truth)』(ローレンス・ベンダー制作、パラマウント・ピクチャーズ配給)に出演した。この映画は2006年5月24日にロサンゼルスニューヨークバークリー、キャンベル、サンノゼ近郊の限られた映画館で公開された数日後に、全国で公開された。映画には、ゴアの最近の講演が含まれている他、ゴアの談話と研究が紹介されている。すでに米国国内では600以上の映画館で公開されており2006年7月現在、ドキュメンタリー映画としてはアメリカ合衆国映画史上3番目の興行成績を収めている。同作は2007年2月、第79回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。同名の本 (ISBN 1-59486-567-1) も出版している。気象学の専門家は映画に関し、科学的には概ね正確であると評価した[5]

2007年10月12日、講演や「不都合な真実」での環境啓蒙活動が評価され、IPCCと共にノーベル平和賞を受賞することが発表された。

2007年、「不都合な真実」の学校での上映に反対するグループが、上映差し止めを求める提訴をイギリスの高等法院に起こした。バートン判事は上映差し止めの請求を退け、「内容の大筋は正しい」としたうえで、誇張がみられる9つの問題点を指摘し「注釈をつけて」上映するようにとの判決を下した[6]。映画では海面上昇が「近い将来」20フィートに及ぶとしているが、科学者の合意では千年以上かかるとされているなどである。(詳細は「不都合な真実」を参照)

2009年11月3日、『不都合な真実』の続編『われわれの選択』(Our Choice: A Plan to Solve the Climate Crisis)を発表。また、英紙デイリーテレグラフによると自身のベンチャーキャピタルの二酸化炭素取引市場や太陽光発電、電気自動車、スマートグリッドなどの環境市場の出資により資産が以前の120万ポンドから6000万ポンドとなり世界初の環境長者になったと報道した[7][8]

2004年アメリカ合衆国大統領選挙[編集]

2004年の大統領選では、一部にゴアを推す動きがあったものの、結局は出馬せずディーン候補支持にまわった。

2008年アメリカ合衆国大統領選挙[編集]

2008年アメリカ合衆国大統領選挙では出馬も噂されたが早々に否定、バラク・オバマを支持した。

出典[編集]

  1. ^ Reinventing Government
  2. ^ インターネットの商用利用前夜において教育機関のネットワークを強化することは、研究者の活動を支援する意図もあったが、一般の人々にネットの恩恵を認知させる上で、きわめて重要な政策であった。
  3. ^ WIRED.jp 『ゴア副大統領がインターネットの父だって?』 Declan McCullagh 1999年3月12日
  4. ^ 実際の発言は「私は、連邦議会議員任期中に、インターネットを作るために率先して発言したり行動した」(During my service in the United States Congress, I took the initiative in creating the Internet.)
  5. ^ Borenstein, Seth (June 27, 2006). "Scientists OK Gore's Movie for Accuracy". Washington Post. http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/27/AR2006062700780.html
  6. ^ [1]
  7. ^ 『「世界初の環境長者」アル・ゴア氏』
  8. ^ Al Gore could become world's first carbon billionaire. 『アル・ゴアは、世界初のカーボン億万長者になることができました』イギリス紙デイリーテレグラフ 2009年11月3日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

Articles
先代:
ダン・クエール
アメリカ合衆国の旗 副大統領
第45代: 1993 - 2001
次代:
ディック・チェイニー