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金子勝美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金子 勝美
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区吉敷町
生年月日 (1949-05-31) 1949年5月31日(75歳)
身長
体重
175 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1971年 ドラフト4位
初出場 1972年4月25日
最終出場 1977年4月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

金子 勝美(かねこ かつみ、1949年5月31日 - )は、埼玉県大宮市(現在のさいたま市大宮区)出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 娘は女子プロゴルファー金子絢香

来歴・人物

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埼玉県立大宮高等学校では1966年、2年生の時に三塁手として春の選抜に出場。1回戦で宮崎商を降すが、続く2回戦で平安高門野利治に抑えられ惜敗[1]。同年の秋季関東大会県予選からエースとなり、1回戦で深谷商ノーヒットノーランに抑える。秋季関東大会では決勝に進むが、桐生高に大敗した。翌1967年には夏の甲子園に出場。1回戦で報徳学園と対戦、9回裏2死までリードするが、ここから反撃を許し、大会史上初の本盗による逆転サヨナラ負けを喫した[2]。しかし秋の埼玉国体では、決勝で大分商河原明に投げ勝ち優勝。チームメートに吉田誠新井良雄(2年生)、鈴木治彦島村雄二(いずれも1年生)がいた。1967年ドラフト会議東京オリオンズから8位指名を受けるも拒否。

卒業後は早稲田大学に進学し内野手に転向。東京六大学野球リーグでは1968年秋季リーグで優勝を経験するが、谷沢健一荒川堯らの卒業によって戦力が低下し、その後は優勝に届かなかった。1970年春季リーグでは打率.434で首位打者を獲得し、ベストナイン(三塁手)に選出されている。リーグ通算75試合出場、275打数77安打、打率.280、3本塁打、32打点。大学同期に内野手望月博中村勝広田中伸樹がいる。

1971年ドラフト会議中日ドラゴンズから4位指名を受け入団[3]。強肩俊足の内野手として期待され、1972年ジュニアオールスターにも出場した。翌1973年には二塁手として5試合に先発出場を果たすが、その後は故障もあり一軍には定着できず、1977年限りで引退した[3]

引退後はナカヤ商事、豪州屋で勤めた後にニュースキンの経営者として成功している[3]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1972 中日 17 10 10 2 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 0 0 0 3 2 .100 .100 .400 .500
1973 29 26 25 4 5 0 0 0 5 1 1 1 0 1 0 0 0 5 0 .200 .192 .200 .392
1975 2 3 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .333 .000 .333
1977 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:4年 51 41 39 6 6 0 0 1 9 2 2 1 0 1 1 0 0 9 2 .154 .171 .231 .402

記録

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背番号

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  • 31 (1972年 - 1977年)

脚注

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  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、156ページ

関連項目

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外部リンク

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