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西洋環境開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社西洋環境開発
The Seiyo Corporation
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 西環
本社所在地 日本の旗 日本
170-6090
東京都豊島区東池袋三丁目1-1
サンシャイン60
設立 1978年10月2日
業種 不動産業
事業内容 住宅事業、リゾートレジャー事業、都市開発事業
代表者 代表清算人 鈴木誠
資本金 348億5000万円
従業員数 307人(2000年時点)
決算期 3月末日
主要株主 西武百貨店(40%)
アクロス(13%)
西友(13%)
クレディセゾン(13%)
西洋フードシステムズ(6%)
主要子会社 #主な子会社を参照
関係する人物 堤清二(代表取締役相談役)
特記事項:2000年7月18日解散・特別清算。2005年10月20日特別清算終結決定。
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株式会社西洋環境開発(せいようかんきょうかいはつ)は、日本にかつて存在したセゾングループ不動産会社。本社はサンシャイン60ビルに所在した。

歴史

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堤康次郎は、農村生活の少年時代から化学肥料に興味を持ち、ときには利潤の大きい化学工業の経営を、生涯を通じてしばしば試みた[1]第二次世界大戦後は、尼崎の肥料工場(1949年)に始まり、1955年には肥料、飼料、鋼鉄の3部門からなる「朝日化学肥料(のち西武化学工業)」を発足させ、社長には女婿の森田重郎が就任した[1]。西武化学工業は、不動産も兼営するようになって、1960年代半ばに兵庫県川西市で、山林231万㎡の宅地開発に乗り出しており、西武系企業のなかでも異色の多角的な企業体であった[2]。ただし、多角化といっても利益本位の便宜的な経営で、どの部門も人材に乏しく競争力に欠ける弱点を免れなかった[2]

西武流通グループ入り

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国土計画系の西武化学工業が、西武流通グループ入りしたのは、1970年6月であった[3]。資本金6億円であった西武化学工業が、西武百貨店の全額引受で倍額増資するという方法で、流通グループ入りしたのである[3]。流通グループに参加した契機は、同月に、西武化学工業を所管していた鉄道グループからの要請に対し、堤清二が「製造業なら多少興味がある」と考えたことからで、直ちに決断したといわれる[2]。また堤義明と森田社長との間に対立があったことも要因の一つであった[3]。当時の流通グループは資力が不足し、まとまった投資には鉄道グループの保証が必要であったから、西武化学工業の編入によって担保価値が増大し、流通グループとしての自立が容易になる、との判断もはたらいていた[2]

1972年1月、旧西武化学工業は、不動産・開発部門と製造部門とに分離し、前者が「西武都市開発」、後者が新しい「西武化学工業」となった[2]。都市開発は、第二次大戦前から開発に着手していた八ヶ岳地区(288万㎡)を持つディベロッパー西武を合併、資本金は2億5000万円となった[2]。役員は清二を会長に、森田が社長、大蔵省銀行局長だった青山俊が相談役に就いた[2]

昭和40年代の高度成長は日本に「金余り現象」を引き起こし、余った金は投機の対象として土地に流れていた[4]。ときあたかも、田中角栄が「日本列島改造論」を唱えて、土地投機にいっそう拍車をかけた[4]。こうした時代の趨勢もあって、不動産に強い意欲を示す清二の旗振りで、森田社長のもと西武都市開発は、これまで抱えていた土地やマンションの分譲、開発を進める一方、仙台から九州までの土地取得に走った[4]。ところが、1973年オイルショックで土地ブームは沈静化する[4]。しかも、群馬県赤城地区の20万坪の土地は保安林に指定されて開発不能となり、仙台の60万坪なども市街化調整区域に指定され、せっかく取得した土地は「休眠」状態に置かれることになる[5]。力を入れたボウリング部門では、西武スポーツランド関西などを設立して13センター400レーンまでを1、2年の間に急展開したものの、ボウリングブームが下火となり、業績を上げるどころかかえってお荷物になってしまう。もちらん、これらの膨大な資金は銀行など金融機関からの借入金だった[5]

西武都市開発が繰り広げる行き過ぎた、土地買いやボウリング場の展開にようやく疑問を抱き始めた清二は、1973年2月、社長の森田を任期途中で解任し[6]、相談役の青山を森田の後任に据えた[7]1976年5月初旬、清二は東京・原宿の国土計画本社に義明を訪ね、西武都市開発の再建問題で支援を要請した[8]。結局、清二は弟・義明から不動産のプロである国土計画専務・石田正為を派遣してもらい、彼を西武都市開発の社長に据えて経営危機を乗り越えるのである[9]。この立て直しに際して、清二はかつてのように、国土計画や西武鉄道から債務保証をしてもらっていない[10]。だが、西武流通グループに融資している30行を超える取引銀行団にとって、流通グループの背後に膨大な含み資産を持つ義明の鉄道グループが控えていることが確認されれば、それで良かった。石田はいわばその象徴だった[10]

1970年代半ばになって、西武化学工業以来の西武都市開発には明確な理念が欠如しており、旧態のままの「消費者不在の不動産業」であったことが反省された[11]。そして、清二は「平和で人間的な生活を希望する需要家の要望に応える」不動産業に転換すれば、西武都市開発の未来が開けると指摘した[11]。こうした理念にもとずいて、約700万㎡に及ぶ八ヶ岳高原が開発プロジェクトの中核に据えられることになった[11]。八ヶ岳の山麓の広大な高原は、第二次大戦前に将来の別荘地たるべく康次郎が購入し、1960年代から開発に着手していた[11]。清二と母の操がこの地を愛し、さまざまな経過を経て、西武都市開発に帰属したものである[11]。70年代後半から「自然への回帰を」のビジョンのもとに、年間を通じた宿泊施設(ヒュッテ、ロッジ)が開館、音楽堂でのコンサートの開催をはじめ、別荘分譲が本格化し、80年代にはリゾート法の支援を得て、レジャーリゾートのモデルとも評されるにいたった[11]

西洋環境開発に改称

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1986年西武都市開発は、太洋不動産興業とシティクリエイトの2社を吸収合併して、「西洋環境開発(西環)」と社名変更した[12]。太洋不動産興業は、横浜を中心とする住宅分譲のほか国内外にわたるリゾート開発、ホテル、ゴルフ場経営、店舗賃貸など幅広い事業を営み、ノウハウを持っていた[12]。このほか、1983年には東京テアトルに資本参加して、銀座テアトルビルの建設計画が動き出し、これがホテル西洋銀座となった[12]。また1985年に、東海観光(現・アゴーラ・ホスピタリティー・グループ)に資本参加して同社はセゾングループ入りした[12]。これによって、今井浜を中心とする伊豆の拠点を獲得した[12]。ついで1986年京都ロイヤルホテル1987年には金沢国際ホテルを買収した[12]。さらに、1983年には東京・六本木シェル石油スタンド跡地の開発事業として、シェル興産との提携で六本木WAVEを建設し、音楽映像事業にも進出した[12]。また、もう一つの事業として、東京・自由が丘シェルガーデンを取得した[12]

1985年国鉄との共同事業として、東京・飯田町駅構内の再開発プロジェクト、飯田町会館(現・ホテルメトロポリタン エドモント)がオープンし、その運営にはセゾングループとして参画した[12]。またその前年の1984年に、世界最大のバカンスクラブ所有会社である地中海クラブ(現・クラブメッド)と提携して、同社と西環との折半出資でエス・シー・エム・レジャーを設立し、海岸、山岳、都市近郊型の3タイプのバカンス村を開発することになった[13]。その第1号が北海道Club Med サホロである[12][14]

住宅開発は、人と自然の共生、住む人の立場に立った快適な住環境を最大限追求しようとし、その点でセゾングループ理念の適用であるといえた[13]。それはすでに、1980年に販売された汐見台ニュータウンにおけるボンエルフの導入に示されていた[13]。総合的な街づくりの領域に踏み出した事業としては、桂坂ニュータウンの開発がある[13]。桂坂ニュータウンは西環の代表作ともなったもので、人間優先の住環境にもとずく、現代の新しいお屋敷町を目指した大規模宅地開発(130万㎡)であり[15]1986年に第4回「京都美観風致賞」を受賞している[15]。マンション販売においても、グループの商品科学研究所のアドバイスを受けて、永住を前提にした主婦からみて好ましい住環境の開発を追求した[15]1984年に販売した未来型マンションVILLE SAIZON(ヴィル・セゾン)小手指は、最先端の情報技術サービスを採り入れるなど、生活の質に焦点を当てた付加価値指向の、セゾンらしいコンセプトのものであった[15]。このタイプのマンションは、ヴィルヌーブ・シリーズとして引き続き好調に販売されていった[15]

リゾート・レジャー開発事業は、山岳・高原タイプと海洋タイプに重点が置かれた。Club Med サホロなどは山岳・高原タイプの代表であり、海洋タイプには従来からの葉山マリーナ、シーボニア、逗子マリーナなどのほか、フランスで伝統のあるタラソテラピーを利用したタラサ志摩などがある[16]。海洋タイプでは、海洋、気象、地形など専門家の知識が必要になるが、西洋環境開発にはそうした人材はもちろん不足していた[16]。その点で、1986年日本郵船に続いて、1988年に日本郵船、三菱商事三井物産、西武百貨店、地中海クラブなどと共同で、海洋開発を専門とする朝日海洋を設立したことは大きかった[16]。ただし、実際の施設建設などで過度の華美・豪華、大幅なコスト膨張に陥る傾向があり、完成段階で清二が視察して驚愕することもあった[16]

経営破綻

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西環は、セゾングループの将来を担う最重要部門の一つとして位置づけられたが、そこまでの実力は不足していた[17]。多角化したリゾート・レジャー部門については、とくに明らかな人材不足であって、素人集団というに近かった。そこに、セゾングループ全体の不動産開発案件が、数多く持ち込まれてきた[17]。経営陣の状況判断としても、強気あるいは攻撃的に傾きすぎて突進した[17]。1960年代という早い時期に、多田グリーンハイツの分譲という成功体験があって、西環の自信の源となっていった[17]。資金繰りさえつくなら、土地は値上がりするものであるから大丈夫、最後にはグループがバックにあるから大丈夫、という判断もあった[17]。だが、バブルが崩壊して、不動産価格が下落に転じてしばらくしたのち、事業収入の減少、手持ち資産の減価、過剰負債の顕在化というかたちで、問題がいっせいに表面に出た[18]。この結果、負債額は1994年末までに、西環本体で5039億円、関係会社が2488億円、合計で7527億円までに膨らみ、日本興業銀行は清二に西環が重大な事態にあると通告した[19]。それを受けて、セゾングループは第一次西環支援(1995年)を行った[19]。この第一次支援では、西環はリゾート・レジャー部門を切り捨てるリストラを行ったうえで、本業である住宅・ビル・八ヶ岳事業だけに集中して存続する方針を固め[20]、グループで1623億円という大規模な支援を行った[20]

西環を最終的に処理するプロセスは難航した[21]。西環問題に対しては、銀行団の態度は格段に硬く、セゾングループ全体から最大限に可能な資金回収を引き出そうとする強硬姿勢をとった[21]。銀行団側も不良債権の処理に迫られ、しかも大手銀行も含めて破綻の危険がある体力しか残っていなかったからである[21]。これにメインバンクである第一勧業銀行の混乱という事情も加わった[21]。すなわち同行では総会屋事件の発覚を受けて経営陣が総退陣し、宮崎邦次元頭取は自殺、新経営陣との交渉では、それまでの経過や合意事項の引き継ぎがほぼすべて反故になって、合意への到達が難しくなった[21]。セゾングループの内部でも足並みの乱れが表面化した[21]和田繁明が率いる西武百貨店の首脳は、顧問役の弁護士事務所と公認会計士事務所の示唆・指示を受けつつ、セゾングループ中枢と激しく対立する事態にいたった[21][22]2002年1月時点での処理方法は、西環とその関連会社の約半分、およびピザとその関連会社が特別清算、西環関連会社4社が民事再生法適用、3社が任意清算であった[23]

沿革

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  • 1949年12月26日 : 国土計画興業株式会社(後のコクド、現在はプリンスホテルに合併)が肥料部門を分離し、尼ヶ崎化学肥料株式会社として設立する。
  • 1950年8月29日 : 尼崎肥料株式会社へ商号変更する。
  • 1955年3月 : 朝日化学肥料株式会社へ商号変更する。
  • 1960年9月 : 日本ニッケル株式会社の鉄鋼部門を吸収し、西武化学工業株式会社へ商号変更する。
  • 1966年3月 : 初の大規模住宅開発となる、多田グリーンハイツの分譲を開始する。
  • 1970年6月 : 西武流通グループ(後のセゾングループ)へ移管する。
  • 1972年
    • 1月1日 : 不動産開発事業を行う西武都市開発株式会社を存続会社とし、肥料・飼料・鉄鋼事業を行う西武化学工業株式会社(後の朝日工業)を分離設立する。
    • 5月1日 : 西武都市開発株式会社が、株式会社ディベロッパー西武を吸収合併する。
  • 1983年3月:西武都市開発株式会社が東京テアトルの第三者割当増資を引き受ける。
  • 1985年11月 : 西武都市開発株式会社が株式会社東海観光(現・アゴーラ・ホスピタリティー・グループ)の第三者割当増資を引き受ける。
  • 1986年1月 : 西武都市開発株式会社が、太洋不動産興業株式会社および株式会社シティ・クリエイトと合併し、株式会社西洋環境開発へ商号変更する。
  • 1987年9月 : 住流通事業部を、株式会社ハウスポート西洋として分離する。
  • 2000年7月18日 : 臨時株主総会で解散決議し[24]東京地方裁判所特別清算開始を申立て、即日特別清算開始。負債は約5,538億円。
  • 2001年7月6日 : 特別清算協定認可される。
  • 2002年2月25日 : 臨時株主総会で資本金を1,000万円とする[25]。ただし登記簿には記載されていない。
  • 2005年10月20日 : 特別清算終結が確定。法人格消滅。

主な開発物件

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住宅

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宅地・戸建て分譲
集合住宅
  • グリーンハイツ向陽(総戸数100戸) - 最初のマンション分譲として多田グリーンハイツに建設[28]
  • ハイツ中村橋(32戸)1974年[28]
  • ハイツ昭島(83戸) 1974年[28]
  • ハイツ西宇治(総戸数210戸)1976年~77年[29]
  • 柏ガーデンハイツ(39戸)1976年[29]
  • ハイツ久米川(57戸)1976年[30]
  • ハイツ元代々木50番(18戸)1979年[30]
  • シティハイツ森小路(総戸数238戸)1980年[30]
  • ハイツ保土ヶ谷(34戸)1980年[30]
  • シティハイツ大淀(総戸数221戸)1980年[30]
  • ハイツ東久留米(69戸)1980年[30]
  • ヴィル・セゾン小手指(総戸数294戸)1984年[31]
  • ヴィルヌーブ横浜山手 (114戸)1986年[32]
  • ヴィルヌーブ南越谷 (総戸数480戸)1987年[32]
  • ヴィルヌーブ旭ヶ丘 (58戸)1987年[32]
  • シティハイツねやがわ(総戸数296戸)1990年[27]
  • シテヌーブ北千住30(総戸数408戸)1990年。- 30階建ての超高層棟、14階建ての高層棟2棟で構成。地価高騰東京23区内のマンション需要が低迷する中での久々の大規模開発であった[33]
別荘地分譲

都市再開発

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  • 飯田町再開発計画 - 東京都千代田区[34]
  • 小手指複合開発計画 - 埼玉県所沢市[34]
  • 新百合ヶ丘駅前再開発事業 - 川崎市麻生区[34]
  • 弁天町駅前開発土地信託事業(大阪リゾートシティ) - 大阪市が実施した公有地信託事業の第1号で、大和銀行住友信託銀行三菱信託銀行三井信託銀行の4行が共同で受託した[35]。計画地内にはORC 200(現・大阪ベイタワー)など4棟が建てられ、このうち、西洋環境開発は住友信託から誘われアミューズメント棟の運営を担当。屋内レジャープールと空中・宇宙遊泳の疑似体験を売り物にした[35]

商業施設

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  • 六本木WAVE - 音と映像の専門館。六本木地区再開発に伴い、1999年12月25日閉店。
  • つかしん - 西武百貨店を核店舗とした「街づくり」によって生まれた商業施設。2004年をもって西武は撤退。
  • 渋谷プライム - 閉店した緑屋渋谷店を複合施設に改装。
  • BAYはこだて - 日本郵船所有の赤レンガ倉庫を再開発した飲食・物販施設。1997年に運営から全面撤退。
  • トピア - 経営不振で閉店した苫小牧市の再開発ビル「トピア」を買収、1989年12月リニューアルオープンを図るが、赤字が続き、1999年北海道リーシングシステムに売却。

ホテル

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シティホテル
  • 京都ロイヤルホテル - 1986年8月経営権を取得。経営破綻後、維新ホスピタリティ・グループが取得し改装に入り、「京都ロイヤルホテル&スパ」にリニューアル。2018年1月末閉館。
  • 金沢国際ホテル - 1981年3月に開業。しかし、立地の悪さもあり経営が思うに任せず、1984年に佐川急便グループの清和商事が子会社化[36]。1987年11月西洋環境開発が買収[36]。経営破綻後、金沢市の浅田屋傘下を経て、2014年5月に浜松市呉竹荘グループが買収[37]
  • ホテル高輪 - 東海観光が開業。1996年閉館。
  • ホテル西洋銀座 - 2013年5月末閉館。
  • ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル - 当初の運営は、ホテルニューグランドとセゾングループが中心となり、国内企業32社が出資した「ホテルニューグランド・セゾン ヨコハマ」が担った[38]
  • 広島エアポートホテル - 広島空港の開港に合わせて隣接地に建設されたホテル。広島県と西洋環境開発などが出資した第三セクター「広島エアポートビレッジ開発」がホテルを建設し、運営は西洋環境開発100%出資子会社「広島エアポートホテル」があたった[39]。「ビジネス&リゾート」の拠点としての特徴を打ち出し、ゴルフ場も1996年秋にオープンさせる予定であった。だが、西洋環境開発は経営再建のため、短期的収益を優先させる方針を決定したため、1994年度末で運営から撤退している[40]
リゾートホテル
メンバーズホテル
  • 西武メンバーズホテル新大阪 - 西武新大阪ビルの一部を利用して1976年6月開業。残りはオフィススペースとして利用し、グループの関西戦略展開の拠点となった[30]
  • 飯田町会館(現・ホテルメトロポリタンエドモント) - 国鉄と共同出資で設立。
  • ホテルKSP(現・ホテル ARU KSP) - かながわサイエンスパーク西棟に1988年7月開業[45]。客室は71室。宿泊価格の割引などの特典を受けられる会員権システムも導入[46]

水上レジャー

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マリーナ
  • 逗子マリーナ・シーボリーナマリーナ - 経営破綻後、リビエラ・グループが買収。
  • 葉山マリーナ - 経営破綻後、京浜急行電鉄が買収。
  • 広島観音マリーナ - 広島県、西洋環境開発、西環関連の朝日海洋が「広島湾海洋開発」を設立して、広島市西区観音で1999年完成に向けて埋め立てを進め、マリーナ、商業施設を整備する計画であった[40]。しかし、バブル後の地価下落で売却予定額が減少したことや広島西飛行場(旧広島空港)が存続し建設物が高さ制限を受けることなどから、収益見通しに狂いが生じた[40]。このためマリーナ関連は県が主体になって整備を進めることになり、西洋環境開発は事業から撤退した。これによって、上物建設計画は一旦白紙に戻っている[40]
  • 西福岡マリーナマリノア - 福岡市などが出資する第三セクター博多港開発とセゾングループが、ユニバーシアード福岡大会選手村が建設される西福岡マリナタウンに隣接する名柄川河口の水面と陸地合わせて24.3haの敷地にマリーナ地区、ホテル・コンドミニアム地区、スポーツ・アミューズメント地区、住宅地区を設ける「MARINOA(マリノア)」の開発を計画し[47][48]、マリーナはその中核施設として1993年4月10日にオープンした[47]。マリーナの運営は西洋環境開発が35%出資した西福岡マリーナが行い、388隻のボートを収容できる施設や交流研修施設なども整備し、西洋環境開発は1995年に100室のホテル開業を予定していた[47]。しかし、経営再建を進める西洋環境開発は、ホテル計画を1994年8月に約9億円の解約金を払い建設途上で断念。所有していた西福岡マリーナの株式も売却。セゾングループの九州地区での不動産開発事業の窓口であった九州西武は、同年11月に開いた臨時株主総会で会社清算を決めた[49]。その後、ホテル建設予定地は1997年福岡地所が取得している[50]。また累積赤字が約10億5千万円に膨らんでいた西福岡マリーナは、1999年3月31日付で清算し、親会社の博多港開発が業務を引き継いだ[51]
ジェット船
  • 霞ヶ浦ジェットライン - 1985年3月から9月まで現在のつくば市で行われたつくば万博における土浦 - 潮来間の船による観客輸送に寄与するため、霞ヶ浦沿岸市町村、地元銀行などが参加して第3セクターとして設立[52]。FRP船「スーパージェットかすみ」を就航させた。期間中はウォータージェット船として人気を呼び、土浦 - 潮来航路48198人、土浦港より霞ヶ浦周遊は11783人を輸送した[52]。しかし、2年目からは低迷。その後も赤字解消のめどが立たないことから、経営権の譲渡が模索され、1988年4月に西洋環境開発が取得した[53][54]。西洋環境開発は、美浦村でゴルフ場、ヨットハーバー、乗馬クラブからなる総合リゾートを展開しており、美浦地区は霞ヶ浦に面し、土浦 - 潮来航路の途中に位置することから、同航路を美浦地区と連携させる考えであった[53]。だが、取得後も営業不振が続き、累積赤字が約3億円に上ったため、1994年3月末で運行を休止。同年9月30日開催の臨時取締役会で会社解散が承認された[55]

ゴルフ場

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以下の5つゴルフ場は、のちにグループ再建策の一環で、西友グループのゴルフ西洋の運営となった[56]

  • 美浦ゴルフ倶楽部(茨城・美浦)
  • 桂ゴルフ倶楽部(北海道・苫小牧)
  • たけべの森ゴルフ倶楽部(岡山・たけべの森)
  • 若木ゴルフ倶楽部(佐賀・武生)
  • 嵐山ゴルフ倶楽部(沖縄・今帰仁)- 後年、オリオンビールが買収。オリオン嵐山ゴルフ倶楽部に改称。2021年6月閉鎖[57]。跡地にジャングリア沖縄が2025年7月オープン。

その他

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主な子会社

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  • 朝日海洋 - ウォーターフロント・海洋産業の総合開発会社。シーボリナマリーナの運営受託[58]
  • 尼崎自動車教習所(現・尼崎ドライブスクール) - 西武化学工業の事業部門「尼崎自動車練習所」として発足[59]。1999年12月ソフト99グループが買収。
  • エイム西洋建設 - 新築工事、住宅リフォーム等[60]
  • エス・アンド・エス - レストラン経営[61]
  • エスエルピー - 逗子マリーナの運営[62]
  • エス・シー・エム - クラブメッドバカンス村の開発調査およびそれに基づく運営施設計画の立案等[62]
  • エヌ アンド エス - BAYはこだての運営[44]
  • オールド コース リミティド - セントアンドリュースオールドコースホテルの運営[44]
  • 霞ヶ浦ジェットライン - スーパージェットかすみの運行[52]
  • 金沢西洋 - 金沢国際ホテルの運営[54]
  • 吉備高原建部観光 - 家族旅行村たけべの森の運営[63]
  • 九州西武 - 九州地区での総合ディベロッパー業務[64]。1994年11月に会社清算を決議[49]
  • 西福岡マリーナ - 西福岡マリーナマリノアの運営会社。
  • 京都ロイヤルホテル - 同ホテルの運営[65]
  • サホロリゾート - 同リゾート内での各施設の運営[66]。特別清算後、加森観光子会社のサホロマネージメントが買収。
  • シーボニア - シーボニアマリーナの運営[67]。1988年11月以降、資産管理会社[67]
  • 志摩東京カウンティ - 志摩芸術村におけるトータルディベロッパー[67]
  • 西興ハウジング - 汐見台ニュータウン、国見ヶ丘ニュータウンにおける建売住宅の工事、両地域における個人の注文住宅の請負工事の受注等[68]
  • 西新サービス - 建設不動産・総合メンテナンス等[69]
  • 西武ピサ - 1964年8月設立。西洋環境開発が56%、西武百貨店が44%出資。1990年3月に西武ピサ、リボーン・スポーツ・システムズ、ウェィヴが合併して「ピサ」が発足[70]。絵画取引でイトマン事件への関与が取り沙汰される。
  • 西洋コミュニティ(現・ライフポート西洋) - マンション管理会社。経営破綻後、ユニホー子会社となり社名変更。
  • 西洋ハウジング - 分譲地・マンションの販売代理業。経営破綻後、ユニホー子会社となり、2020年同社に吸収合併。
  • 太洋観光 - 横浜駅西口五番街地区での飲食店・遊技場の運営[71]
  • タラサ・ジャパン - タラサ志摩の運営[72]
  • 地域企画 - 地域総合開発プランニング会社[72]
  • 苫小牧環境計画(のち北海道西洋)- 再開発ビル「トピア」とゴルフ場の運営[73]
  • 日本乗馬倶楽部 - 会員制クラブとしての会員権販売、馬具販売、会員所有馬の預託、乗馬用品の販売、レッスンカリキュラムに基づく乗馬指導および会員乗馬術レベルの定例認定競技会の開催等[74]。1996年にパルコが子会社化し[75]、2002年2月にMBOで株式を売却[76]
  • ハウスポート西洋 - 不動産の売買仲介、賃貸仲介および自社開発販売等[77]。経営破綻後、安信住宅販売(現・みずほ不動産販売)に吸収合併。
  • 葉山マリーナ - 同マリーナの運営[78]
  • ブルーゼスト - 西武都市開発による沖縄・西表島リゾート開発計画に伴う将来展望の一環として、地元資本だったブルーゼストを買収。1983年6月、月ヶ浜ビーチに西表島マリンスポーツの核となるべく、マリンクラブの建物と施設を新装オープン[79]グラスボート、マリンクラブ、レストラン、ラウンジ、ミニゴルフ場を展開した[80]
  • ホテルエドモント - 同ホテルの運営[80]
  • ホテル西武オリオン - 同ホテルの運営[81]
  • ホテル西洋 - ホテル西洋銀座の運営[82]
  • ホテルニューグランド・セゾン ヨコハマ - ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルの運営[38]
  • 八ヶ岳高原ロッジ - ロッジの運営、別荘地の販売等[83]
  • 横浜西洋 - 神奈川県下における新規プロジェクトの事業化、地域情報の収集等[84]
  • ライフポート - 高齢者向け居住施設の企画、開発等を目的に西洋環境開発、NTT伊藤忠商事第一生命味の素、西武百貨店の出資で設立。第1段階として、東京・中野区上高田5丁目(元NTT無線中継所)の敷地約10000㎡に約100戸規模のシルバーマンションの建設を計画した[84]
  • 六甲環境計画 - 六甲アイランドAOIAの運営。
  • ホテルKSP倶楽部 - ホテルKSPの運営。西洋環境開発と飛島建設が出資[85]
  • 広島湾海洋開発 - 広島観音マリーナの整備等。
  • 広島エアポートビレッジ開発 - 広島エアポートホテルとゴルフ場の整備等。
  • 広島エアポートホテル - 同ホテルの運営会社。

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b 由井, 田付 & 伊藤 2010, p. 24.
  2. ^ a b c d e f g h i j k 由井, 田付 & 伊藤 2010, p. 25.
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参考文献

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  • セゾングループ史編纂委員会 編『セゾンの活動 年表・資料集』リブロポート〈Serie SAISON 3〉、1991年11月。ISBN 978-4845706266 
  • 立石泰則『堤清二とセゾン・グループ』講談社講談社文庫〉、1995年2月。ISBN 978-4061858862 
  • 佐藤敬『セゾンからそごうへ 和田繁明の闘い』 東洋経済新報社、2001年1月。ISBN 4492554149
  • 由井常彦、田付茉莉子、伊藤修『セゾンの挫折と再生』山愛書院、2010年3月。ISBN 978-4434143137 

外部リンク

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