逗子マリーナ

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逗子マリーナ
Zushi Marina
Zushi Marina 02.jpg
情報
用途 住居、マリーナ、商用
敷地面積 163,202(内水面9,900) m2
着工 1967年昭和42年)
竣工 1971年(昭和46年)
所在地 249-0008
日本の旗 日本神奈川県逗子市小坪5丁目一帯
座標 北緯35度17分49秒 東経139度33分16秒 / 北緯35.29694度 東経139.55444度 / 35.29694; 139.55444 (逗子マリーナ
Zushi Marina
)
座標: 北緯35度17分49秒 東経139度33分16秒 / 北緯35.29694度 東経139.55444度 / 35.29694; 139.55444 (逗子マリーナ
Zushi Marina
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リビエラ逗子マリーナ(リビエラずしマリーナ)は、神奈川県逗子市小坪相模湾沿いにあるマリーナリゾートであり、敷地内にはマリーナヨットハーバー)を中心に、ホテル、レストラン、マンション、イベントプロデュース、ウエディングなどの展開がある。初めは西洋環境開発によって開発・運営され、現在はリビエラ・グループ(東京・南青山3丁目)[1]の所有・運営となっている。

概要[編集]

逗子マリーナから望む江の島と富士山

9棟の分譲マンション、5箇所の共有会員制宿泊施設のほか、リビエラグループが運営するマリーナホテル、レストランイベント会場などによって構成される。

多くのマンションからは相模湾内の葉山町江の島、遠く富士山が見渡せる。マンションは分譲された住戸のほか、会員制の「逗子マリーナオーナーズ」(4クラブ総口数2796口)が運営されている。マンションの販売仲介、お部屋のお掃除、お庭のメンテナンス、部屋のリフォームも受け付けている。

ハーバーには、海上係留と陸上艇置併せて約280艇のクルーザー及びボート、ヨットを置く事が出来る他、ビジター用バースもある。新艇、中古艇の販売の他、メンテナンスも受け付けている。

リストランテAO逗子マリーナ[2]、日本初上陸レストランのマリブファーム逗子マリーナ、ロンハーマンカフェと、ジャンルの異なる3つのレストランがあり、会員制テニスコートも完備している。毎月第一日曜日にマルシェを開催、毎月ジャズライブを開催。

会員制シェアクラブ「リビエラリゾートクラブ[3]は会員制のクラブで、クルーザーヨットのシェアリング行いながら、マリンライフスタイルを提案している。分譲マンション住人やハーバー利用者用駐車場のほかに、有料駐車場は150台分用意されている。

歴史[編集]

ヤシが植栽された並木道
港の陸上艇置部と屋内プール

開業[編集]

リビエラ逗子マリーナの開発は、地中海のリゾート地をイメージしたマリーナとして西武流通グループ(後のセゾングループ)によって行われた。敷地は逗子市小坪の岩礁を、鎌倉霊園造成工事の残土を用いて埋め立てることで造成され、1971年昭和46年)6月に開業した。

人気[編集]

開業後、1970年代中盤から1980年代終盤にかけて、計9棟、1,226戸のマンションが建設・分譲された[4]。また、敷地内にはマリーナやプール、レストラン、ボウリング場など各種施設も建設された。

所在地は東京都心から約1時間[5]の距離であるにも関わらず湘南に囲まれヤシの木がふんだんに植えられ、その地中海的雰囲気は人気を得た。

道路標識などを隠すと、日本とは思えない海外風景となることから、1980年代後半のバブル景気期にかけては、しばしばトレンディードラマ映画CMなどの撮影も行われ、比較的最近でも日産自動車シルビアのCMなどの撮影に使用されていた。

陰りと再建[編集]

事業主であった西洋環境開発2001年平成13年)に倒産。2001年リビエラグループが施設全体を買収し事業継承。セコムによる管理は継続されたものの、実質的な事業主が不在のままに3年近くが経過した。

2004年(平成16年)以降には、会場となるシースケイプ、クリスタルヴィラの建設、プールの大幅改修、大型マリーナクレーンの導入、ボウリング場「マリーナボール」の廃止など、施設老朽化の補修やリニューアル、新築などによる事業再建が試みられ、2010年代に入り高層ホテルとマンションの建設も公表されたが、これは住人の反対にあい撤回された。

現在[編集]

2020年にスモールラグジュアリーホテル「マリブホテル」と、日本初上陸レストラン「マリブファーム」が開業。

2022年に国際環境認証「ブルーフラッグ」を取得した。

建物[編集]

逗子マリーナのマンション群
  • 本館 - 地上12階、地下1階建て、1971年(昭和46年)5月竣工
  • 1号棟 - 地上9階、地下1階建て、1976年(昭和51年)5月竣工
  • 2号棟 - 地上12階、地下1階建て、1973年(昭和48年)4月竣工
  • 3号棟 - 地上7階建て、1977年(昭和52年)3月竣工
  • 4号棟 - 地上9階建て、1975年(昭和50年)3月竣工
  • 5号棟 - 地上9階建て、1975年(昭和50年)3月竣工
  • 6号棟 - 地上6階建て、1977年(昭和52年)12月竣工
  • 7号棟 - 地上5階、地下1階建て、1982年(昭和57年)6月竣工
  • 8号棟 - 地上5階、地下1階建て、1989年(平成元年)3月竣工

エピソード[編集]

  • 1972年(昭和47年)4月16日作家川端康成が仕事場として用いていた部屋で死亡した。これはガス自殺と見られている。
  • かつて松任谷由実がプールでライブを行っていたことも知られている。これは親会社の西洋環境開発がセゾングループの中枢企業であったことも大きく、当時、西武百貨店プリンスホテルでも松任谷の関連イベントが盛んに開催されていが、先述のチャペル増築に伴い、2004年(平成16年)に終了した。
  • プールでWARJWPプロレス興行が開かれたこともあり、これらの興行では「テキサス・プールサイド・デスマッチ」が名物となっていた。なお、JWPでは逗子撤退後も道場マッチにおいて「真夏のプチ逗子マリーナ」(後にJWP道場の所在地から「六木マリーナ」)と題した前出のルールによる試合を行っている。
  • 旧来、湘南ローカルながら月例大会が開催され、藤沢市から通うファンもいた、ボウリング場「マリーナボール」も2004年(平成16年)に廃業した。だが建て替えずにそのまま大幅に改装され、ウェディングサロン、インフォメーションセンター、フローリスト、カフェ等に利用されている。
  • シーサイドレストランは当初「レストラン・セゾン」。「Il Pirata」(イル・ピラータ)で20有余年。2004年に「GRAND BLUE」(グランブルー)となり、2005年に「GRAND BLUE OCHIAI」になった。
  • 本館1階のダイニングレストラン「Captains' Cafe」はハーバーを借景にランチやクルージング後のティータイムなど、カジュアルに利用できて人気があり最盛期にはウェイティングも発生したが、所有権が問題で本館住民とリビエラリゾートの間で訴訟がおこなわれ、現在は新しい結婚式の会場「マリーナテラス」としてリニューアルされた。

脚注[編集]

  1. ^ リビエラグループ
  2. ^ リビエラグループ
  3. ^ リビエラグループ
  4. ^ 本館のみ定期借地権
  5. ^ 自動車にて首都高速湾岸線釜利谷ジャンクション横浜横須賀道路逗子インターチェンジ朝比奈インターチェンジ経由

外部リンク[編集]