蒼穹の昴
蒼穹の昴 | ||
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著者 | 浅田次郎 | |
発行日 | 1996年4月18日 | |
発行元 | 講談社 | |
ジャンル | 歴史小説 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
形態 | 上製本 | |
ページ数 | (上) 352 / (下) 414 | |
次作 | 珍妃の井戸 | |
コード |
(上) ISBN 978-4-06-207497-1 (下) ISBN 978-4-06-208039-2 | |
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文学 |
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ポータル |
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作家 |
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『蒼穹の昴』(そうきゅうのすばる)は、浅田次郎の長編小説。1996年講談社刊。
清代の中国を舞台とした歴史小説。第115回(平成8年7月)直木賞候補作。著者自身「私はこの作品を書くために作家になった」と、帯でコメントした。続編となる『珍妃の井戸』、『中原の虹』を書いている。(各講談社)
日中共同制作でテレビドラマ化され、2009年4月に脚本楊海薇・監督汪俊のもと撮影が開始された[1]。2010年1月からNHK衛星ハイビジョンにて全25回が放送される[2]。DVDは、既に中国語版が販売されている。日本語版は時期未定。
あらすじ
舞台は光緒12年(1887年・明治20年)から光緒24年(1899年・明治32年)の清朝末期。貧家の子、李春雲(春児)は糞拾いによって生計を立てていたが、貧しい家族のために自ら浄身し、宦官となって西太后の元に出仕する。一方、春児の兄の義兄弟で同郷の梁文秀(史了)は、光緒十二年の科挙を首席(状元)で合格し、翰林院で九品官人法の官僚制度を上り始める。
清朝内部では、西太后を戴く后党と、西太后を除いて皇帝の親政を実現しようとする帝党とに分かれて激しく対立していた。春児は西太后の寵を得てその側近として仕え、文秀は皇帝を支える変法派若手官僚の中心となる。
敵味方に分かれてしまった2人は、滅びゆく清朝の中で懸命に生きていく。
登場人物
注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。
振り仮名は、日本語読みをひらがなで、中国語風の読みをカタカナで表記。小説内のルビは小書きではないが、ここでは拗音に読める箇所を「チユ」⇒「チュ」などと記した。テレビドラマ版の公式サイトも参考にした。
- 李春雲(り しゅんうん、リイ チュンユン) / 春児(チュンル)
- 演 - 余少群(ユィ・シャオチュン)
- 静海県出身。貧民の子。糞拾いで生計を立てていたが、自ら浄身して老公胡同(ラオコンフートン)で宦官に必要な全てを教え込まれ、紫禁城へ入り西太后に仕える。史実には存在しない架空の人物。小徳張の逸話を取り入れている。
- 梁文秀(りょう ぶんしゅう、リァン ウェンシュウ) / 史了(シーリャオ) / 少爺(シャオイエ)
- 演 - 周一囲(周一圍:ジョウ・イーウェイ)
- 静海県出身。郷紳の子。春児の兄の義兄弟。科挙に第一等「状元(じょうげん)」で合格し進士となって、光緒帝に仕える。史実には存在しない架空の人物。梁啓超の強学会の逸話を取り入れている。光緒帝の先生をしていた梁鼎芳の逸話も取り入れている。
- 李玲玲(リイ リンリン)
- 静海県出身。春児の妹。史実には存在しない架空の人物。
- 西太后(せいたいごう、シータイホウ)慈禧(じき、ツーシー) / 葉赫那拉·杏貞 / 老仏爺(ラオフオイエ)
- 演 - 田中裕子・闞清子
- 清朝第9代皇帝咸豊帝の妃(1835年11月29日 - 1908年11月15日)。実子である第10代皇帝同治帝と甥の清朝第11代皇帝光緒帝を据えて垂簾政治を行う。光緒24年(1898年)、光緒帝の親政の為に一度は頤和園へ隠退するが、戊戌の変法の100日後戊戌の政変で復帰。光緒帝が崩御した11月14日、溥儀<1906年2月7日 - 1967年10月17日>を後継者に指名するとともに、溥儀の父(光緒帝の弟、醇親王奕譞の五男)、醇親王載灃(ツァイフェン)<1883年2月12日 - 1951年2月3日>を監国摂政王に任命して政治の実権を委ね、翌日に74歳で崩御。1897年6月に京津鉄道は起点駅馬家堡(マージアバオ)まで延伸された。
- 光緒帝(こうしょてい) / 愛新覚羅·載湉(ツァイテン) / 万歳爺(ワンソイイエ)
- 演 - 張博
- 若き清朝第11代皇帝(1871年8月14日 - 1908年11月14日)。西太后の甥。父は醇親王奕譞(1840年 - 1891年)。母は西太后の妹醇親王妃、葉赫那拉·婉貞。妻も西太后の姪孝定景皇后、葉赫那拉·靜芬。史実では寿安公主は叔母にあたる。
- 李鴻章(り こうしょう、リ ホンチャン) / 少荃(しょうせん、シャオチュエン)
- 天津の直隷総督府に居る清の外交・軍事の最高実力者、直隷総督兼北洋通商大臣。漢民族の将軍。進士。<1823年2月15日 - 1901年11月7日> 物語の始まる光緒12年(明治20年、1887年)には、清仏戦争の責任を非難していた政敵・塞防派の左宗棠が2年前に死去しており、一手に軍事面を掌握していた。翌光緒13年(1888年)、膨れ上がった淮軍は洋式海軍を組織し、丁汝昌率いる北洋艦隊(後の北洋軍)が登場する。
- 曽国藩(そう こくはん、ツォン グォファン)
- 穆彰阿に抜擢されて太平天国の乱鎮圧に功績を挙げた同治中興の忠臣。漢民族の将軍(湘軍)。進士。洋務運動を主導し、李鴻章(淮軍)と左宗棠(楚軍)を育てた。
- 楊喜楨(ようきてい、ヤン シーチェン)
- 光緒帝の教育係。文秀の岳父。進士。帝党の筆頭。史実には存在しない架空の人物。翁同龢の逸話を取り入れている。
- 王逸(おういつ、ワンイー)
- 文秀と同年の進士。科挙に第三等「探花(たんか)」で合格。翰林院から李鴻章配下の軍人となる。史実には存在しない架空の人物。
- 順桂(じゅんけい、シュンコイ)
- 文秀と同年の進士。科挙に第二等「榜眼(ぼうがん)」で合格。満州旗人出身。史実には存在しない架空の人物。
- 栄禄(えいろく、ロン ルー)
- 西太后の側近。后党の筆頭。<1836年4月6日 - 1903年4月11日> 満洲正白旗人瓜爾佳(グワルギヤ)氏で、西太后の姉妹の子。西太后とは年齢も近く、幼馴染である。1895年、袁世凱を抜擢して新建陸軍を創設する。宣統帝溥儀の母は、栄禄の娘、瓜爾佳幼蘭。戊戌の政変で董福祥(甘粛軍)・袁世凱(新建陸軍)・聶士成(武毅軍)を指揮した。
- 安徳海(アンドゥハイ)
- 李蓮英の前任大総管。 <不明 - 1869年> 史実では既に死去している。
- 李蓮英(り れんえい、リィ リェンイン) / 李老爺(リィラオイエ) / 小李子(シャオリィヅ)
- 宮中の宦官を束ねる大総管。
- 恭親王(きょうしんのう) / 愛新覚羅・奕訢(えききん、イーシン) / 六老爺(ロウラオイエ)
- 光緒帝の伯父。道光帝の第6子。<1833年1月11日 - 1898年5月29日> 軍機処の大臣として李鴻章・曽国藩などの漢族官僚を起用して洋務運動を支えていたが、1884年、清仏戦争敗戦の責任を被され、西太后によって罷免された。
- 醇親王(じゅんしんのう) / 愛新覚羅・奕譞(えきけん、イーシュアン)
- 光緒帝の実父。道光帝の第7子。<1840年10月16日 - 1891年1月1日> 清仏戦争の事後処理を任されていた。
- 鎮国公(ちんこくこう) / 愛新覚羅・載沢(ツァイゾォ)
- 英国留学経験のある皇族。改革派。
- 袁世凱(えん せいがい、ユアン シイカイ) / 慰亭(いてい、ウェイティン)
- 李鴻章の副官。漢族の軍人。<1859年9月16日 - 1916年6月6日> 滅満興漢の視点から李鴻章の洋務運動を支え、帝党には表面上は協力の姿勢を見せる。新建陸軍の洋式化で新軍(後の北洋軍/北洋政府)を作り上げる。新軍には、馮国璋(直隷派)・段祺瑞(安徽派)・張作霖(奉天派)らが所属する。徐世昌は幼なじみ。
- 康有為(こう ゆうい、カン ヨウウェイ)
- 公羊学者。<1858年3月19日 - 1927年3月31日> 劉逢禄・龔自珍の弟子で公羊学者。洋務運動を唱えていたが、香港・上海でイギリス人宣教師ジョン・フライヤーら外国人との交流から、変法による内政改革で立憲君主制を目指すようになり、洋務運動を推進していた李鴻章とは一線を画す急進的政策となっていったが、容閎ら幅広い層から支援を受け続けていた。(容閎は後に孫文を支持、辛亥革命によって康有為の帰国が叶う。)進士となり、光緒帝を擁して戊戌の変法を主導するも失敗。イギリス人のティモシー・リチャード牧師の助けで一旦上海のイギリス領事館に保護され、その後宮崎滔天や宇佐穏来彦らの手引きで香港を経由して日本に亡命した。
- 譚嗣同(たん しどう、タン ストン)
- 康有為の弟子。<1865年3月10日- 1898年9月28日> 中国全土の20省以上(新彊省を含む)を訪れて国民の貧困を間近に観察し、洋務運動を志す。その頃、譚嗣同の政策は改革のための学、経世致用であった。当時100冊以上の中国語翻訳書を書いていたイギリス人宣教師ジョン・フライヤー(傅蘭雅)を上海まで尋ね、西洋の科学技術にも精通していた。1897年、唐才常・熊希齢・蒋徳鈞・陳三立らとともに時務学堂を創設。梁啓超、康有為らとともに清朝改革をはかるも失敗し、戊戌六君子と共に菜市口処刑場で刑死となった。
- 岡圭之介(おか けいのすけ)
- 演 - 小澤征悦
- 日本人。万朝報の新聞記者。会津出身。天津フランス租界で活動中。史実には存在しない架空の人物。余談だが名前は本作の担当編集者から採られた[3]。
- トーマス・E・バートン
- アメリカ人。ニューヨーク・タイムズの新聞記者。天津フランス租界で活動中。史実には存在しない架空の人物。
- ミセス・張 (ミセス・チャン)
- 演 - 殷桃
- トーマスの現地秘書を勤める謎めいた美女。実は清朝第10代皇帝同治帝の隠し子、寿安公主(固伦寿安公主〈1826年 - 1860年〉。史実では父が清朝第8代皇帝道光帝。母が孝全成皇后。德穆楚克扎布に降嫁している)。西太后に西洋の情報を伝えたエピソードは徳齢の逸話を取り入れている。
- 柴五郎(しば ごろう)
- イギリスの退役軍人。北京駐在公使(1895年 - 1900年)。香港の植民地拡大交渉「展拓香港界址專條<1898年5月28日>」を委任され、香港総督サー・ヘンリー・ブレイクからの依頼を受けている。
- 白太太(パイタイタイ)
- 韃靼の星占いの秘術をおさめた老女。史実には存在しない架空の人物。
- 乾隆帝(けんりゅうてい) / 愛新覚羅・弘暦 / カオルン皇帝
- 清朝第6代皇帝。大清帝国の全盛期を現出。老公胡同(ラオコンフートン)を設立。
- ジュゼッペ・カスティリオーネ / 郎世寧(ろう せいねい)
- 康熙帝、雍正帝、乾隆帝に使えたイエズス会士で画家。イエズス会宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが始めた適応政策を、マテオ・リッチ[4]やアダム・シャールと同様に継承し、中国の儒者の服を着て中国式の生活をして中国文化の研究に励んだ。ドミニコ会とフランシスコ会がイエズス会の適応政策を攻撃したのを契機に反イエズス会の機運が高まり、典礼論争に発展した。1773年、イエズス会自体が解散に追い込まれ、中国は外交政策として鎖国政策へ移行した。同時代のイタリア人芸術家にジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ、アントニオ・ヴィヴァルディがいた。円明園を設計した。
- 兆恵(チャオホイ)
- 呉雅氏。字は和甫。清朝の正黄旗満州副都統にして鑲紅旗護軍頭領、定辺将軍を兼職。<1709年 - 1764年>。ウイグル族に圧政を強い、部族の宝であるコーラン抄本を奪う。カシュガルやイリを支配していた白山党の敵将、ホージャ・ジハーン[5]の妻、香妃(シャンフェイ)を捕虜にする。ジュンガルのアムルサナ(阿睦爾撤納)の乱、大小ホージャ(和卓)の乱を平定。中国の金庸が執筆した武侠小説『書劍恩仇録』でも兆恵のエピソードが出てくる。
- 李自成(りじせい、リイ ヅチョン)
- 明を滅ぼした大順の皇帝。<1606年 - 1645年>。明を滅ぼした後、清が北京を占領するまでは僅か41日間であった。関中平原(現在の陝西省渭水盆地一帯)を中心とした勢力で、四方を険しい山で囲まれていて守備に適し、しかも関中平原の生産力は李自成軍を養うのに十分だったという地の利を活かした。後の中国史でも革命の拠点となった。
- ファビエ司教 / 樊国梁
- 東交民巷天主堂のラザリスト会司教。
- 伊藤博文
- 日本の明治維新の志士の一人。元内閣総理大臣(第二次伊藤内閣:1892年8月8日‐ 1896年8月31日)。
- 孫文(そんぶん、スン ヂョンシャン)
- 西洋医学を学んだ医師。<1866年11月12日 - 1925年3月12日>
- 毛沢東(もう たくとう、マオ・ツォートン)
- 湖南省湘潭県の小作農家の三男。<1893年12月26日 - 1976年9月9日>
以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。
書籍情報
- 講談社(1996年4月発行)
テレビドラマ
2010年1月2日より全25回が、NHK衛星ハイビジョンで放送される。
撮影に当たり、浙江省東陽市横店撮影所に原寸大の紫禁城や当時の香港の街並みの壮大なセットが造られた。
キャスト
主なキャストについては#登場人物参照
スタッフ
脚注
- ^ "NHK INFORMATION「NHKトップトーク(放送総局長 2009/4/22)」" NHK
- ^ "ドラマトピックスブログ:NHKブログ | 特集ドラマシリーズ | 清朝末期を描く「蒼穹の昴」が登場!" NHK、2009年4年23日
- ^ 浅田次郎「上梓について」『勇気凛々ルリの色2 四十肩と恋愛』 講談社、第5刷(初刷1997年)、175頁。
- ^ ヌルハチや豊臣秀吉と戦ったことで知られる明の万暦帝に遣えていた。
- ^ 「ホージャ・ジャハーン」と表記することが多い。