與田純次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
よだじゅんじ
與田 純次
與田純次.jpg
生誕 (1925-11-19) 1925年11月19日(92歳)
日本の旗 日本 兵庫県城崎郡竹野村 (現:兵庫県豊岡市)
別名 與田治郎右衛門 (襲名)  Mon Ogyu Iwamura
職業 大使館職員 → 実業家
子供 与田仁志
親戚 村山実保田茂
受賞 内閣総理大臣よりシベリア抑留に対する慰藉の念として銀杯を授与 (1991)

與田 純次(よだ じゅんじ、1925年11月19日 - )は、日本の実業家戦争体験語り部。元大使館職員。兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市)出身。長男は東邦大学医学部医学科教授(医学博士)の与田仁志[1]。元阪神タイガース監督兼選手の村山実神戸大学名誉教授(農学博士)の保田茂は妻の従兄弟にあたる。2017年、父の代まで十数代に渡り襲名されていた、與田治郎右衛門(よだじろうえもん)を襲名[2]

人物[編集]

大正14年(1925年)、兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市)に生まれる。先祖江戸時代初期から、寛政8年(1796年)まで庄屋(江戸時代の村役人である地方三役の一つ)を務めており、寛政8年以降は「元庄屋」という屋号で様々な商売を営んできた[3]

大日本帝国上海大使館事務所勤務の後、1945年、大日本帝国陸軍満洲独立工兵隊1893部隊に幹部候補生として現役入隊(甲種合格)[4]。終戦直前、満州にソ連軍侵攻戦闘になり、所属部隊は、ソ連軍の戦車攻撃に対し、命をかけた肉薄攻撃作戦(黄色爆薬を抱えて蛸壺と言われる縦穴式の一人だけが入れる塹壕に潜り、ソ連軍戦車の下に飛び込む特攻)に出る。「自身の蛸壺の方へ戦車は向かって来なかったが、近くの戦友たちが蛸壺から飛び出し自爆する光景、またその爆撃を受けながらも土煙の中から何事も無かったかのよう出てきた戦車の様子は、今尚、脳裏に鮮明に焼きついている。」と、語っている[5]。終戦後、朝鮮半島を南下敗走。20日間に及ぶサバイバル生活を、カタツムリを食べて生き延びる。途中、部隊は、ソ連軍に囲まれ銃弾を浴び、隊員の半数が銃弾に倒れる。その後、ソ連軍に日本軍捕虜として連行され、約3年間の強制労働を強いられる(シベリア抑留)。零下40度の極寒の中、森林伐採、燃料()調達、船の先導、死者の埋葬馬鈴薯開墾牧草(馬の餌)調達、凍りついた川から水を汲む、収穫、病院の炊事、等の労働をした。抑留1年目に凍傷で右手中指の第一関節の先端を切断。その後、擬似赤痢感染したため、栄養失調になり、一時意識を失う。監視の厳しい抑留生活の中、シラカンバの木の皮でトランプ自作し、戦友たちと無事に帰国できるかを占った。このトランプは帰国時にソ連の検閲に引っかからなかったため、日本へ持ち帰ることができ、現存している[6]

1947年に解放され帰国。翌年、父・與田治郎右衛門(先代)と共に保険代理業を開業。その後、天然凍豆腐製造業、乾麺製造業、豆腐油揚製造業を開業し、1949年に凍豆腐製造業九鹿冷凍工場を設立開業。しかし工場は数年で倒産し、多額の借金を抱えてしまう。借金取りに追われる身となったが、「私は逃げも隠れもしません、このシベリア帰りの丈夫な体を預けますから使ってください。」と、自ら債権者の方へ近づき、与えられたあらゆる仕事をこなした結果、借金を放棄してもらった[7]。その後、再起を図るため、1955年4月に、豆腐油揚製造用機器及び各種燃焼機器卸小売及び工事施工業者、元庄屋商店(現:株式会社元庄屋)を開業し、社長に就任。これまでに、但馬地方で、約3万台の家庭用・工業用灯油ボイラーの販売・設置を行ってきた[8]

1991年2月、海部俊樹(第76-77代)内閣総理大臣より、シベリア抑留に対する慰藉の念として銀杯が授与される[9]

2017年4月、父の代まで十数代に渡り襲名されていた「與田治郎右衛門」を襲名し、與田純次改め與田治郎右衛門となる。

近年、自らの戦争体験を、インターネットを通じて若い世代に伝える活動を行っている[10]。過去にはシベリア抑留に関しての執筆をしており、また各種メディアから戦争体験に関する取材を受けている。

90歳を超えた現在も、自身が経営する会社の代表取締役を務め、生涯現役モットーに毎日働いている。

略歴[編集]

関連書籍[編集]

  • 『戦争の大問題』(体験談掲載) (2017年、丹羽宇一郎 著 / 東洋経済新報社)
  • 『シベリア慰霊訪問記』(寄稿) (1997年、全国強制抑留者協会 編)
  • 『この記録わすれまじ』(所属隊員欄に名前掲載) (1979年、独工十八柳生会 編)
  • 致知』(インタビュー掲載) (2017年2月号、致知出版社)

メディア[編集]

外部リンク[編集]

脚注・出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 医療系情報誌『Fetal & Neonatal Medicine』(2014年4月号) "私のモチベーション"(与田仁志著)
  2. ^ 神戸家庭裁判所豊岡支部 審判
  3. ^ 神戸新聞・2012年9月27日「元庄屋の松」
  4. ^ 『この記録わすれまじ』(1979年、独工十八柳生会編) 隊員名一覧
  5. ^ みんなの戦争証言アーカイブス(2016年)「與田純次インタビュー」
  6. ^ 産經新聞 ・1976年1月19日「シベリアの思い出いっぱい、シラカバのトランプ見つかる」
  7. ^ 致知』(2017年2月号、致知出版社)「生涯現役」
  8. ^ 関西電力・でんかライフ.com 企業インタビュー
  9. ^ http://imgur.com/a/Axrwr
  10. ^ 神戸新聞・2016年8月16日「シベリアの収容所、シラカバの皮で手作り。トランプに苦難の記憶。」
  11. ^ 『シベリア慰霊訪問記』(1997年、全国強制抑留者協会編) "シベリア慰霊訪問団に参加して"

関連項目[編集]