粕川村 (群馬県)

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かすかわむら
粕川村
膳城
Flag of Kasukawa, Gunma (1968–2004).svg Emblem of Kasukawa, Gunma (1968–2004).svg
粕川村旗 粕川村章
廃止日 2004年12月5日
廃止理由 編入合併
粕川村大胡町宮城村前橋市
現在の自治体 前橋市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 群馬県
勢多郡
市町村コード 10306-3
面積 25.97 km2
総人口 11,756
(2004年12月4日)
隣接自治体 大胡町宮城村富士見村新里村赤堀町前橋市
村の木 クロマツ
村の花
粕川村役場
所在地 371-0217
群馬県勢多郡粕川村西田面216-1
Maebashi city Kasukawa branch office.jpg
座標 北緯36度24分51秒 東経139度12分38秒 / 北緯36.41414度 東経139.2105度 / 36.41414; 139.2105座標: 北緯36度24分51秒 東経139度12分38秒 / 北緯36.41414度 東経139.2105度 / 36.41414; 139.2105
群馬県勢多郡粕川村.png
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粕川村[1](かすかわむら)は、群馬県勢多郡に存在した。2004年12月5日をもって大胡町宮城村とともに前橋市へ編入合併され、独立した行政としての粕川村はなくなった。現在、粕川村であったところの住所は前橋市粕川町「かすかわまち」となった。また、伊勢崎市太田市にも「粕川町」がありいずれも「かすかわちょう」である。

地理[編集]

群馬県のほぼ中央に位置し、目の前には赤城山があり、南北に粕川が流れ、上毛電気鉄道が西東に横断している。南北に長く広がっておる。冬には北西からからっ風が吹く。

隣接していた自治体[編集]

歴史[編集]

  • 1889年(明治22年)に14村が合併し粕川村となる。村名は村内で行われる400年以上も続く神事、ささら祭りの儀式の中で、川に酒粕を流したことに由来している。
  • 1939年(昭和14年)、粕川村で強盗殺人事件が発生[2]
  • 1966年(昭和41年の出生数の減少)の「ひのえうま」に際し、金子裕(粕川村長)が主導して「迷信追放の村」を宣言、村役場は丙午の迷信には根拠がないことを広報するなど取り組んだことで全国的な注目を集めた[3]
粕川村閉村之碑
  • 合併後の住所
    • 合併に際しての住民アンケートで住所に関して下記のような候補が挙げられた(○○は粕川村の時の大字名が入る)。
      • 前橋市粕川町○○
      • 前橋市粕川町
      • 前橋市○○町
    • このアンケートの結果、多くの人に支持を得た、前橋市粕川町○○が決まった(例:粕川村大字西田面 → 前橋市粕川町西田面)。
    • 合併後も粕川の名が残る形となった。同じく合併する大胡町、宮城村は、前橋市○○町と旧大字名が市の町名になった。大胡町の場合は大字名に大胡という地名があるため名前が残ったが、宮城村は大字名に宮城という名がないため住所から宮城という名は消滅した形となった。

行政[編集]

経済[編集]

産業[編集]

  • 主な産業
  • 産業人口(1999年)
第一次産業人口 828人
第二次産業人口 2339人
第三次産業人口 3030人
農業

『大日本篤農家名鑑』によれば、粕川村の篤農家は「猪熊文三郎、猪熊幸蔵、岩田和十郎、岩田房吉、岩田熊太郎、岩田辯吉、渡邊協次郎、金井善太郎、田島久一郎、中島角太郎、中島市郎治、長澤宇兵衛、上田義夫、牛房廣吉、倉本勝平、山上豊二郎、松島助蔵、深澤正男、深澤理三郎、深澤和三郎、後閑千代吉、北爪喜久治、北爪勘一郎、望月嘉市、森喜助、茂木平十郎、角田仲之助、角田桂次郎」などがいた[4]

人口[編集]

1912年刊行の『帝国地名辞典 上巻』によると、人口は6139[1]

地域[編集]

大字[編集]

粕川村で使われていた大字は、下記の通り前橋市に合併された際、前橋市粕川町○○のようになった。

健康[編集]

  • 平均年齢

教育[編集]

交通[編集]

鉄道路線[編集]

粕川駅

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

膳城跡公園
粕川歴史民俗資料館
  • 膳城(県指定史跡)
  • 粕川歴史民俗資料館

出身有名人[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 『帝国地名辞典 上巻』カスカ420頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月4日閲覧。
  2. ^ 群馬県警察の年表と事件・事故年表、群馬県警察略年表、群馬県警察公式サイト
  3. ^ 昭和史再訪セレクション Vol.78 ひのえうま 迷信追放に挑んだ村”. 朝日新聞. 2012年2月13日閲覧。
  4. ^ 『大日本篤農家名鑑』386頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月10日閲覧。

参考文献[編集]

  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 太田為三郎編『帝国地名辞典 上巻』三省堂、1912年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]