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『'''舞姫'''』(まいひめ)は、[[川端康成]]の[[長編小説]]。元[[バレリーナ|プリマドンナ]]とその家族の孤独な人間関係を描いた作品で<ref name="mishima">[[三島由紀夫]]「解説」(文庫版『舞姫』)([[新潮文庫]]、1954年。改版2011年)</ref>、川端が作中で初めて、「[[魔界]]」という言葉を用いた作品でもある<ref name="kurosaki">[[黒崎峰孝]]『川端康成における「[[魔界]]」思想「仏界易入 魔界難入」を手掛かりとして』([[明治大学]]日本文学、1979年9月)</ref><ref name="imamura"> [[今村潤子]]『川端康成研究』([[審美社]]、1988年)</ref>。

[[1950年]](昭和25年)12月12日から[[1951年]](昭和26年)3月31日まで『[[朝日新聞]]』に109回にわたって連載された[[新聞小説]]で、単行本は連載終了同年の7月に[[朝日新聞社]]より刊行された。現行版は[[新潮文庫]]で刊行されている。

1951年(昭和26年)8月17日には、[[成瀬巳喜男]]監督により映画化された。

== 概要 ==
舞台の夢を諦めた過去の[[踊り子|舞姫]]の母と、その娘でまだ[[バレリーナ|プリマドンナ]]にならない未来の舞姫、妻の実家の財産にたかって生きて来た夫、親や国に対して冷めている息子、母の元恋人、といった面々を中心に、愛情によってではなく嫌悪によって結ばれた家庭を描き、[[日本の降伏|敗戦]]後、徐々に崩壊過程をたどる日本の「家」を背景に、無気力な現代人の悲劇を表現した作品である<ref name="mishima"/><ref>「解説」(文庫版『舞姫』)([[新潮文庫]]、1954年。改版2011年)</ref>。

川端作品には、踊子や舞姫の生活を扱ったものが多いが、本作の『舞姫』という題名には、ヒロインが[[バレリーナ]]ということよりも、「むしろ、美しいもの、充たされたものを求めて乱舞する人間[[永劫回帰]]の姿の象徴」として描かれ<ref name="bungei">三島由紀夫編『文芸読本 川端康成』([[河出書房新社]]、1962年)</ref>、人物がそれぞれ孤独な舞を見せるところに軸がある<ref name="bungei"/><ref name="imamura"> [[今村潤子]]『川端康成研究』([[審美社]]、1988年)</ref>。

[[文体]]は川端特有の、平易で観念的でなく、一見[[婦女子]]向きの文章の流れと見えながらも、息切れの早い、ほっと息をつきながら何度も足をとめ、底に固い岩盤を隠しているような文体となっている<ref name="mishima"/>。また、作中には[[ペトルーシュカ]]、[[ヴァーツラフ・ニジンスキー]]、[[アンナ・パヴロワ]]、[[タマーラ・トゥマーノワ]]、[[崔承喜]]、[[吾妻徳穂]]、[[江口隆哉]]などの挿話が随所に盛り込まれている。

なお、作中ヒロインの夫が、「こんど戦争になったら」と言っているのは、作品の書かれた1950年(昭和25年)から隣国で[[朝鮮戦争]]が起こっているためである。

== 川端康成と「魔界」 ==
『舞姫』には、のちに川端文学の重要な[[モチーフ]]となる「[[魔界]]」の元となった、[[一休宗純|一休]]の言葉、「仏界易入 魔界難入」が用いられ、「仏界と魔界」という独立した章も設けられている。川端は『舞姫』の執筆前に、この、「仏界、入り易く、魔界、入り難し」という言葉に初めて出会い強く惹かれ、それを作品の主題にしたものと推測されている<ref name="kurosaki"/>。

川端は作中でこの言葉について、[[日本仏教]]の感傷や[[抒情]]などのセンチメンタリズムをしりぞけた「きびしい戦ひの言葉かもしれない」と登場人物に語らせ、自身の内心の自問自答を表現しているが<ref name="kurosaki"/>、『舞姫』ではそれが自問自答の域を出ずに、登場人物に強い[[キャラクター]]が与えられないまま終わっている<ref name="kurosaki"/><ref name="imamura"/>。そして、この「魔界」のテーマをもう一歩深化、肉化させるのが、のちの『[[みづうみ]]』(1954年)、『[[眠れる美女]]』(1960年)、『[[片腕 (小説)|片腕]]』(1963年)となり、「場合によっては作家としての存在そのものを脅かすかもしれない危険にみちた世界」<ref>[[森本穫]]『川端康成「[[みづうみ]]」私論』(函 1973年9月号に掲載)</ref>を描くことになる<ref name="kurosaki"/>。また、「魔界」とは、救済を求めつつ果たされぬ、その不可能性を内実としているものともされている<ref>[[原善]]『川端康成の魔界』([[有精堂]]、1984年)</ref>。

川端は、「仏界易入 魔界難入」について次のように語っている。
{{Quotation|意味はいろいろに読まれ、またむづかしく考へれば限りないでせうが、「仏界入り易し」につづけて「魔界入り難し」と言ひ加へた、その[[禅]]の一休が私の胸に来ます。究極は真・善・美を目ざす芸術家にも「魔界入り難し」の願ひ、恐れの、祈りに通ふ思ひが、表にあらはれ、あるひは裏にひそむのは、運命の必然でありませう。「魔界」なくして「仏界」はありません。そして「魔界」に入る方がむづかしいのです。心弱くてできることではありません。|「[[美しい日本の私―その序説]]」<ref>[[川端康成]]『[[美しい日本の私―その序説]]』([[ノーベル文学賞]]受賞記念講演 1968年。[[講談社現代新書]]、1969年)</ref>}}


== あらすじ ==
== あらすじ ==
1950年(昭和25年)11月 - 1951年(昭和26年)春まで
舞台の夢を諦めた過去の舞姫波子と、プリマドンナの品子、元妻の家庭教師であった夫矢木といった面々を中心に敗戦後における日本の「家」と崩壊と無気力な現代人の悲劇を描く。

波子は、夫・矢木元男に内緒で、しばしば結婚前(20年前)の恋人で今も友人関係にある竹原と会っていた。竹原とはプラトニックな関係であったが、波子は竹原を愛し、焼跡となった実家の土地を売る相談の口実などで密会していた。かつて舞台の[[バレリーナ|プリマドンナ]]であった波子には、21歳の娘と大学生の息子がいた。娘・品子も母と同じような[[踊り子|舞姫]]を目指し、波子は娘に夢を託していた。息子・高男は冷めた性格だが、どちらかというと父親寄りで、美しい母親にかしずかれている父を尊敬していた。矢木は[[国文学者]]で、今は古美術や[[仏像]]の「美女仏」研究も始めているが、昔は[[中宮寺]]の[[観音]]像さえ知らず、女学生の波子より教養のなかった貧乏[[書生]]上りで、波子の[[家庭教師]]であった。波子の家は上流階級で、二人の結婚には矢木の母親の打算もあった。戦争中[[空襲]]で[[四谷見附]]の邸宅が焼け、戦後は[[北鎌倉]]にある波子の実家の別荘が矢木一家四人の住居となっていた。

矢木は波子の財産にたかり、それを管理し、戦後はこまかい金にもいちいちうるさくなっていた。波子は、大学に籍を置いている夫の[[月給]]袋を渡されたこともなかった。矢木は波子が竹原と会っていることを薄々知っていたが、嫉妬は顔には出さずに妻を観察していた。波子はそんな夫の気配におびえ、今は愛してはいなかったが、求めを拒むことができず、抱かれれば金の輪がくるめき、赤い色が燃えた。しかし今はもう幸福の輪ではなく、悔恨と屈辱であり、まだ見たことのない竹原の妻への嫉妬も感じるのだった。

ある日、竹原と舞踊劇を観た帰りに息子の高男と行き会った波子だったが、高男からその報告を受けた矢木は、子供たちの前で妻の長年の精神的浮気を難詰した。矢木は、子供たちが傷つくような例えまで言い出して陰険に波子を攻めた。もう一家は実質的にバラバラだった。その夜、波子ははじめて夫を拒んだ。戦時中は[[愛国]]的であったが、戦後は逃避的な非戦論者となった矢木は、家計が苦しい中、妻に内緒で自分の貯金をし、次の戦争に怯え、政治的になりそうな息子を[[ハワイ大学]]へやり、妻や娘は日本に置いて自分もアメリカへ逃げようと計画していた。それを知った品子は母にそのことを教えた。高男も、母に浮気されている父を尊敬しなくなったが、「世界の人になるという、希望のような、絶望」の麻酔を父にかけられることを知った上で、ハワイ大学へ行こうとしていた。

品子は同じバレエ団の男性ダンサーの野津にさりげなく結婚を申し込まれたが、品子の心には元バレエの先生だった香山への想いが断ち切れなかった。戦時中16歳だった品子は香山と一緒に慰問に回り、[[タマーラ・トゥマーノワ]]の話を聞かされた思い出をなつかしんでいた。香山はバレエをやめて[[伊豆市|伊豆]]にいるという噂だった。一方、波子も竹原に身をまかせてもいいと思い、宿屋で気持ちがゆれていた。四谷見附の焼跡の土地に品子の研究所を建ててやろうとしていた波子は、竹原にその計画を任せていたが、その土地はすでに矢木が自分名義に書き換えているのではないかと考えた竹原は、波子の愛人としてではなく、友人として矢木と対決するために、宿屋で一線は越えなかった。

あくる日の日曜日、竹原が矢木家を訪ねてきたが、矢木は女中に命じ、竹原を追い払った。品子は東京の稽古場に行く支度が出来ていたので、急いで竹原を追って[[北鎌倉駅]]に行った。矢木が案の定、名義を書き換えていたこと調べた竹原は、それを波子に伝えるように品子に頼んだ。品子は母に代って竹原に何かを伝えたいものがあったが、言葉にならずに不意に立ち上がり、次の[[大船駅]]で降りた。入れ違いに入って来た[[伊東市|伊東]]行きの[[湘南電車]]にとっさに乗った品子は、自分が香山に会いに行くのだと思うと素直に落ち着けた。品子は[[伊東駅]]からバスに乗った。[[下田市|下田]]まであと3時間あまりだから、途中で日が暮れると思った。

== 登場人物 ==
;波子
:41歳くらい。元[[バレリーナ]]。戦争が激化して踊らなくなったのを機に舞台を退いている。[[北鎌倉]]に家族四人で居住。家は元実家の別荘。元[[家庭教師]]だった夫に財布を握られ、結婚してから一度も未開封の夫の[[月給]]袋を渡されたことがない。自宅と、[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]の稽古場でバレエ教室を開いている。娘を[[バレリーナ|プリマ・バレリーナ]]にするのが夢。実家のあった[[四谷見附]]の焼跡地に娘の舞踏研究所を建てる計画をしている。[[皇居]]の広いお堀の角の隅でじっとしている白い[[鯉]]に、孤独な淋しそうな姿を見出してじっと眺めるような性格。
;矢木元男
:波子の夫。[[国文学]]科出の[[日本文学研究者|日本文学史家]]。大学に籍を置き、地方の学校へも講義に行く。古美術にも興味を持ち始め、「美女仏」の研究もしている。髪が長い。外見は温厚な美男子で、円満で柔和な顔。幼少に父親が早世し、[[女子高等師範学校|女子高等師範]]出の女教師の母の手一つで育てられた。妹がいる。貧乏[[書生]]上り。波子の元[[家庭教師]]。母の意図で波子と結婚。戦後は、細かい金にいちいち苦情を言い出し、妻のやり方を監視。家族に内緒で自分用の[[貯金]]をしている。日本が敗けて心の美が滅んだ、自分は古い日本の亡霊だと妻に言い、戦争恐怖症となっている。嫉妬を顔に出さない男。次の戦争を危惧し、妻と娘を置いて日本から脱出し、アメリカの大学の教師になろうとしている。波子以外の女を知らない。
;品子
:21歳。波子と矢木の娘。[[処女]]。色白。きれいな手をしている。一昨年から[[新橋駅]]近くの[[芝公園]]奥の大泉バレエ団の研究所に通っている。バレエ団のマスター・クラスの踊り手。[[ピアノ]]も弾ける。戦争がなければ、[[イギリス]]か[[フランス]]のバレエ学校へ留学する予定だった。ときどき眉をひそめて悲しい目つきをする顔が、[[興福寺]]の[[八大竜王|沙掲羅]]に似ていると、弟に思われている。終戦時は16歳。戦時中は師・香山に連れられて、[[軍隊]]や工場、傷病兵の慰問で踊りに歩いた。[[特攻隊]]員の前で一心に踊りながら、ここで死んでもいいと思った思い出をなつかしがる。
;高男
:20歳。波子と矢木の息子。品子の弟。[[東京大学]]の学生。髪が長い。色白で痩せている。父親よりやや背が低い。父親の仕事を尊敬し父思いだったが、父がひそかに自分の貯金をしていることを知り、憤慨し金を引き出す。母にかしずかれていた父は尊敬していたが、母に裏切られた父に幻滅。両親や家、国というものに対して冷めている。ノートに、「一人の兄と一人の妹、この世に、これほど親しいものはない」という[[フリードリヒ・ニーチェ|ニーチェ]]の言葉を書いている。次の戦争を危惧して息子が[[共産主義]]になるのを怖れた父親の援助に従い、[[ハワイ大学]]へ行こうとしている。母親のマネージャーで、母親に気がある沼田のことを子供の頃から毛嫌いしている。
;竹原
:40代。20年前の波子の元恋人([[肉体関係 (隠語)|肉体関係]]はない)。波子が矢木と結婚してしまってからも、波子を愛している。実業家。会社の[[カメラ]]や[[双眼鏡]]が売れ、現在景気がいい。妻子持ち。戦後まもない数年前に矢木家の離れを一時借りていたことがある。
;日立友子
:24歳。バレリーナ。波子の教室を手伝っている助手。品子の[[幼馴染]]で友人。品子より背が低いが、その踊りは品子よりしなやかな美しさがある。一重まぶたで、時々疲れたような二重まぶたになる。伏目になると上睫毛の影が、下のまぶたに映る。品子より肌が小麦色。品子の手を[[観音]]さまのように美しいと思っている。終戦時は19歳。父親を早くに亡くし、母親と二人暮らし。妻子ある40代の男と[[不倫]]している。男の妻と子供二人(上の女の子は12、3歳)が[[結核]]を患い、その療養費を稼ぐために[[浅草]]の[[ストリップティーズ|ストリップ]]小屋で働くことを決意する。
;沼田
:波子のマネージャー。波子に気があり、矢木一家の離間策をしている。太っていて肉が厚い。高男に嫌われている。波子を舞台に復活させようとしている。波子の前で矢木の悪口を言い、恋愛をするように勧め、竹原と波子の仲を進展させようとしている。波子が固くて落ちそうもないので、他の男で崩れたところを捕まる二番目を狙っている。波子は沼田を気安く思っているが、気がゆるせないとも思っている。
;松阪
:高男の友だち。[[美少年]]。[[妖精]]のような美しさ。[[地上]]の人でないようだけれど、[[天上]]の人でもない。日本人離れしていて、[[西洋]]くさくもない。女の子みたいで、男らしくもある。不吉の[[天使]]のような印象。波子がいたましい恋していることを見抜き、その姿に恋を感じる。高男は、松阪について、「なまめかしくぬれた花のような虚無」と思っている。
;香山
:元[[バレエダンサー]]。品子の元先生で想い人。戦時中は品子を連れて軍隊や工場、傷病兵の慰問で回った。品子に[[タマーラ・トゥマーノワ]]の話を聞かせていた。現在は[[伊豆市|伊豆]]の田舎町で遊覧バスの運転手をしているという噂がある。こっそり東京に来て、[[帝劇]]の「[[プロメーテウス|プロメテ]]の火」を観劇しにきていた様子。昔は品子の母・波子の踊りのパートナーでもあった。
;野津
:大泉バレエ団の男性バレエダンサー。第一の踊り手。[[王子]]役にふさわしい[[ノーブル]]な姿。日本人では珍しく白い衣装が似合う。ときどき女じみた物言いをする。おしゃれ。よく好んで[[パ・ド・ドゥ]]の相手に品子を選ぶ。品子を愛し、結婚したいと思っている。
;北見
:[[教科書]]出版社の編集部の社員。教科書に載せる文章と写真の件で矢木と面談する。
:その他の人々
:波子のバレエ教室に習いにきている少女たち。事務員。波子の家にやって来る古くからの馴染みの東京の[[呉服]]屋と、京都の呉服屋。

== 作品評価・解説 ==
『舞姫』は川端文学の中ではあまり注目度は高くはないが、のちの川端の重要[[モチーフ]]となる「[[魔界]]」というものを意識し始めた作品として、言及されることが多い。しかしその主題は、本作では結実することはなく終わり、登場人物が真に川端的な「魔界」の住人として動き出すところまでは描かれてはいない<ref name="kurosaki"/><ref name="imamura"/>。

『舞姫』の主題である「仏界、入り易く、魔界、入り難し」を、怖ろしい言葉だとする[[三島由紀夫]]は、矢木に「センチメンタル」だと憫笑される波子と品子母子は、踊りを媒体として「魔界」に入れる[[天才]]ではなく、矢木もまた、「強い意志で、生きる世界」という意味での「魔界」の住人ではなく「無力」であるとし<ref name="mishima"/>、登場人物すべての無力は、この矢木の無力から流出し、矢木の呪縛下にあるが、大団円における品子の香山への脱出によって、その呪縛の一角が崩れることが暗示されていると解説している<ref name="mishima"/>。そして三島は、矢木という人物は、「あらゆる人間行為に対する超越性によつて無力」([[小説家]]の象徴)ではないのかと考察しつつ<ref name="mishima"/>、そのことによって、バレエという芸術行為に勤しむ女が、あらゆる行為を軽蔑する男の支配を逃れえぬ物語が『舞姫』であると解説し<ref name="mishima"/>、作者・川端康成は、波子と矢木(“芸術家と芸術家の生活”、もっと端的に言えば“芸術と生活”)に、分裂しつつ影をひそめているとように思えるとし<ref name="mishima"/>、そのお互いは「永遠の敵」だと述べている<ref name="mishima"/>。

[[今村潤子]]は、矢木が物欲にとりつかれ、[[科学者]]の冷厳な眼で第三者的な立場から一家の現実を眺めているだけで、自らの生きる姿勢に煩悶していない点に触れ、それが三島由紀夫のいうところの「観察の[[悪魔]]」<ref name="mishima"/>であるとし、作者・川端は矢木を「魔界」に捉えようとはしたが、その属性は川端の「魔界」からは切り落とされていく面([[悪魔|デモン]]的な面)の要素が大きいとし、川端の「魔界」は悪や醜ではないことを指摘している<ref name="imamura"/>。そして波子の行為は世俗的にみれば、「[[不倫]]」であるが、「魔界」においては「愛の純粋性」ということで肯定され<ref name="imamura"/>、しかしながら、世の中の[[道徳]]の束縛を破って「魔界」を生きるのは容易なことではなく<ref name="imamura"/>、それが「魔界難入」という意味であり、作中における「センチメンタリズムを排した世界」、「強い意志」という言葉の繰り返しは、人間が[[煩悩]]、本然の生を生き抜くことのいかに難しいものであるかを示しているとしている<ref name="imamura"/>。

三島は、ヒロイン・波子について、「[[能]]の[[鬘物]]の[[能#シテ方|シテ]]のやうに、優婉に、哀れふかく」描かれているとし、波子が人生に対して描く夢は片っ端から崩れてゆくが、彼女は[[ボヴァリー夫人|エマ・ボヴァリイ]]のような、不満に燃えつづける魂ではなく、「ある意味ではもつと不逞であり、罪を罪のままに、悲哀を悲哀のままに、絶望を絶望のままに享楽するすべを知つてゐる」<ref name="mishima"/>と解説している。そして、そういった小説を書く川端の態度には「独特の[[リアリズム]]」があり、「作者が自分の目で人生を眺め、人生がどうしてもかういふ風にしか見えないといふ場所に立つて書く」のが、「小説のリアリズム」と呼ばれるべきであると三島は述べ<ref name="mishima"/>、[[ロマン主義|ロマン派]]の[[ジェラール・ド・ネルヴァル|ネルヴェル]]や、[[心理主義]]の[[マルセル・プルースト|プルースト]]も川端と同様に、[[自然主義]]リアリズムの二流作家よりも、ある意味では「透徹した[[リアリスト]]」であったとしている<ref name="mishima"/>。また、「女というものを、これほどただ感情的に女らしく、女に何の夢も抱かずに書いた小説はない」<ref name="mishima"/>と三島は述べ、通念に反して川端は女に何の夢も抱いていない作家であり、[[ギュスターヴ・フローベール|フロオベル]]は愚かな[[ボヴァリー夫人]]に己れの報いられぬ夢を託したが、川端は何ものをも託さないことを指摘し、川端を「リアリスト」と呼ぶのはこのへんからも来ていると説明している<ref name="mishima"/>。

また、川端特有の、「何度も足をとめるやうな文体」には、底に固い岩盤が隠され、「『俺にはかういふ風にしか見えないのだぞ』といふ作者の注釈」が至るところについてまわり、それに無縁の読者はたえず「隔靴掻痒の感」を抱かせられると三島は解説し<ref name="mishima"/>、それも、川端が「おのれに忠実なリアリスト」であるからだとしている<ref name="mishima"/>。そして、川端の「隔靴掻痒のリアリズム」が最も成功している登場人物が、ゾッとするような男・矢木であるとし、矢木が子供たちの前で妻を難詰めする、それぞれの会話の場面は、古典劇の大詰を思わせる「明晰な悲劇の頂点」であると述べ<ref name="mishima"/>、これは、「敗戦後のこの一家にあらわれた日本の“家”の徐々たる崩壊過程」が最大の大詰に来たことで可能となり、[[戦後民主主義|民主化]]に伴ったこの一般的現象は『舞姫』全体に精細に描かれているとしつつ<ref name="mishima"/>、特殊な矢木一家はことさらに崩壊を急ぎ、むしろ時代と無秩序に崩壊の種を宿していたとし、この悲劇の頂点において、各個人がはじめて正面からぶつかり合い、「愛情によつてではなく憎悪によつて結ばれた見事な家庭の典型」を成立させたと解説している<ref name="mishima"/>。

== 映画化 ==
{{Infobox Film
|作品名= 舞姫
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|監督= [[成瀬巳喜男]]
|脚本= [[新藤兼人]]
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|原作= [[川端康成]]『舞姫』
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『舞姫』([[東宝]])85分
:1951年(昭和26年)8月17日封切。

=== スタッフ ===
*演出:[[成瀬巳喜男]]
*脚本:[[新藤兼人]]
*製作:[[児井英生]]
*撮影:[[中井朝一]]
*美術:[[中古智]]
*音楽:[[斎藤一郎]]

=== キャスト ===
*矢木元男:[[山村聡]]
*妻・波子:[[高峰三枝子]]
*長男・高男:[[片山明彦]]
*長女・品子:[[岡田茉莉子]]
*竹原:[[二本柳寛]]
*沼田:[[見明凡太朗]]
*野津:[[木村功]]
*友子:[[大谷伶子]]
*香山:[[大川平八郎]]
*満枝:[[沢村貞子]]
*その他:[[谷桃子 (バレエダンサー)|谷桃子]]、谷桃子バレエ団

== おもな刊行本 ==
*『舞姫』([[朝日新聞社]]、1951年7月)
*:装幀:[[岡鹿之助]]。
*文庫版『舞姫』([[新潮文庫]]、1954年11月15日。改版2011年)
*:カバー装画:[[平山郁夫]]。付録・解説:[[三島由紀夫]]。

== 脚注 ==
<references />

== 参考文献 ==
*『新潮日本文学アルバム16 川端康成』([[新潮社]]、1984年)
*文庫版『舞姫』(付録・解説 [[三島由紀夫]])([[新潮文庫]])、1954年。改版2011年)
*[[今村潤子]]『川端康成研究』([[審美社]]、1988年)
*[[原善]]『川端康成の魔界』([[有精堂]]、1984年)
*『決定版 三島由紀夫全集第28巻・評論3』(新潮社、2003年)
*川端康成『[[美しい日本の私―その序説]]』([[講談社現代新書]]、1969年)
*[[黒崎峰孝]]『川端康成における「[[魔界]]」思想「仏界易入 魔界難入」を手掛かりとして』([[明治大学]]日本文学、1979年9月) [https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/5365/1/nihonbungaku_9_29.pdf]

== 外部リンク ==
*{{Movielink|kinejun|27357|舞姫(1951)}}

== 関連項目 ==
*[[ペトルーシュカ]]
*[[ヴァーツラフ・ニジンスキー]]
*[[アンナ・パヴロワ]]
*[[タマーラ・トゥマーノワ]]
*[[プロメーテウス]]
*[[崔承喜]]
*[[吾妻徳穂]]
*[[江口隆哉]]


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[[Category:川端康成原作の映画作品]]
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[[Category:成瀬巳喜男の監督映画]]
[[Category:1951年の映画]]
[[Category:東宝配給の映画]]

2013年10月3日 (木) 01:45時点における版

舞姫
著者 川端康成
イラスト 装幀:岡鹿之助
発行日 1951年7月
発行元 朝日新聞社
ジャンル 長編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
ウィキポータル 文学
ウィキポータル 映画
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舞姫』(まいひめ)は、川端康成長編小説。元プリマドンナとその家族の孤独な人間関係を描いた作品で[1]、川端が作中で初めて、「魔界」という言葉を用いた作品でもある[2][3]

1950年(昭和25年)12月12日から1951年(昭和26年)3月31日まで『朝日新聞』に109回にわたって連載された新聞小説で、単行本は連載終了同年の7月に朝日新聞社より刊行された。現行版は新潮文庫で刊行されている。

1951年(昭和26年)8月17日には、成瀬巳喜男監督により映画化された。

概要

舞台の夢を諦めた過去の舞姫の母と、その娘でまだプリマドンナにならない未来の舞姫、妻の実家の財産にたかって生きて来た夫、親や国に対して冷めている息子、母の元恋人、といった面々を中心に、愛情によってではなく嫌悪によって結ばれた家庭を描き、敗戦後、徐々に崩壊過程をたどる日本の「家」を背景に、無気力な現代人の悲劇を表現した作品である[1][4]

川端作品には、踊子や舞姫の生活を扱ったものが多いが、本作の『舞姫』という題名には、ヒロインがバレリーナということよりも、「むしろ、美しいもの、充たされたものを求めて乱舞する人間永劫回帰の姿の象徴」として描かれ[5]、人物がそれぞれ孤独な舞を見せるところに軸がある[5][3]

文体は川端特有の、平易で観念的でなく、一見婦女子向きの文章の流れと見えながらも、息切れの早い、ほっと息をつきながら何度も足をとめ、底に固い岩盤を隠しているような文体となっている[1]。また、作中にはペトルーシュカヴァーツラフ・ニジンスキーアンナ・パヴロワタマーラ・トゥマーノワ崔承喜吾妻徳穂江口隆哉などの挿話が随所に盛り込まれている。

なお、作中ヒロインの夫が、「こんど戦争になったら」と言っているのは、作品の書かれた1950年(昭和25年)から隣国で朝鮮戦争が起こっているためである。

川端康成と「魔界」

『舞姫』には、のちに川端文学の重要なモチーフとなる「魔界」の元となった、一休の言葉、「仏界易入 魔界難入」が用いられ、「仏界と魔界」という独立した章も設けられている。川端は『舞姫』の執筆前に、この、「仏界、入り易く、魔界、入り難し」という言葉に初めて出会い強く惹かれ、それを作品の主題にしたものと推測されている[2]

川端は作中でこの言葉について、日本仏教の感傷や抒情などのセンチメンタリズムをしりぞけた「きびしい戦ひの言葉かもしれない」と登場人物に語らせ、自身の内心の自問自答を表現しているが[2]、『舞姫』ではそれが自問自答の域を出ずに、登場人物に強いキャラクターが与えられないまま終わっている[2][3]。そして、この「魔界」のテーマをもう一歩深化、肉化させるのが、のちの『みづうみ』(1954年)、『眠れる美女』(1960年)、『片腕』(1963年)となり、「場合によっては作家としての存在そのものを脅かすかもしれない危険にみちた世界」[6]を描くことになる[2]。また、「魔界」とは、救済を求めつつ果たされぬ、その不可能性を内実としているものともされている[7]

川端は、「仏界易入 魔界難入」について次のように語っている。

意味はいろいろに読まれ、またむづかしく考へれば限りないでせうが、「仏界入り易し」につづけて「魔界入り難し」と言ひ加へた、そのの一休が私の胸に来ます。究極は真・善・美を目ざす芸術家にも「魔界入り難し」の願ひ、恐れの、祈りに通ふ思ひが、表にあらはれ、あるひは裏にひそむのは、運命の必然でありませう。「魔界」なくして「仏界」はありません。そして「魔界」に入る方がむづかしいのです。心弱くてできることではありません。 — 「美しい日本の私―その序説[8]

あらすじ

1950年(昭和25年)11月 - 1951年(昭和26年)春まで

波子は、夫・矢木元男に内緒で、しばしば結婚前(20年前)の恋人で今も友人関係にある竹原と会っていた。竹原とはプラトニックな関係であったが、波子は竹原を愛し、焼跡となった実家の土地を売る相談の口実などで密会していた。かつて舞台のプリマドンナであった波子には、21歳の娘と大学生の息子がいた。娘・品子も母と同じような舞姫を目指し、波子は娘に夢を託していた。息子・高男は冷めた性格だが、どちらかというと父親寄りで、美しい母親にかしずかれている父を尊敬していた。矢木は国文学者で、今は古美術や仏像の「美女仏」研究も始めているが、昔は中宮寺観音像さえ知らず、女学生の波子より教養のなかった貧乏書生上りで、波子の家庭教師であった。波子の家は上流階級で、二人の結婚には矢木の母親の打算もあった。戦争中空襲四谷見附の邸宅が焼け、戦後は北鎌倉にある波子の実家の別荘が矢木一家四人の住居となっていた。

矢木は波子の財産にたかり、それを管理し、戦後はこまかい金にもいちいちうるさくなっていた。波子は、大学に籍を置いている夫の月給袋を渡されたこともなかった。矢木は波子が竹原と会っていることを薄々知っていたが、嫉妬は顔には出さずに妻を観察していた。波子はそんな夫の気配におびえ、今は愛してはいなかったが、求めを拒むことができず、抱かれれば金の輪がくるめき、赤い色が燃えた。しかし今はもう幸福の輪ではなく、悔恨と屈辱であり、まだ見たことのない竹原の妻への嫉妬も感じるのだった。

ある日、竹原と舞踊劇を観た帰りに息子の高男と行き会った波子だったが、高男からその報告を受けた矢木は、子供たちの前で妻の長年の精神的浮気を難詰した。矢木は、子供たちが傷つくような例えまで言い出して陰険に波子を攻めた。もう一家は実質的にバラバラだった。その夜、波子ははじめて夫を拒んだ。戦時中は愛国的であったが、戦後は逃避的な非戦論者となった矢木は、家計が苦しい中、妻に内緒で自分の貯金をし、次の戦争に怯え、政治的になりそうな息子をハワイ大学へやり、妻や娘は日本に置いて自分もアメリカへ逃げようと計画していた。それを知った品子は母にそのことを教えた。高男も、母に浮気されている父を尊敬しなくなったが、「世界の人になるという、希望のような、絶望」の麻酔を父にかけられることを知った上で、ハワイ大学へ行こうとしていた。

品子は同じバレエ団の男性ダンサーの野津にさりげなく結婚を申し込まれたが、品子の心には元バレエの先生だった香山への想いが断ち切れなかった。戦時中16歳だった品子は香山と一緒に慰問に回り、タマーラ・トゥマーノワの話を聞かされた思い出をなつかしんでいた。香山はバレエをやめて伊豆にいるという噂だった。一方、波子も竹原に身をまかせてもいいと思い、宿屋で気持ちがゆれていた。四谷見附の焼跡の土地に品子の研究所を建ててやろうとしていた波子は、竹原にその計画を任せていたが、その土地はすでに矢木が自分名義に書き換えているのではないかと考えた竹原は、波子の愛人としてではなく、友人として矢木と対決するために、宿屋で一線は越えなかった。

あくる日の日曜日、竹原が矢木家を訪ねてきたが、矢木は女中に命じ、竹原を追い払った。品子は東京の稽古場に行く支度が出来ていたので、急いで竹原を追って北鎌倉駅に行った。矢木が案の定、名義を書き換えていたこと調べた竹原は、それを波子に伝えるように品子に頼んだ。品子は母に代って竹原に何かを伝えたいものがあったが、言葉にならずに不意に立ち上がり、次の大船駅で降りた。入れ違いに入って来た伊東行きの湘南電車にとっさに乗った品子は、自分が香山に会いに行くのだと思うと素直に落ち着けた。品子は伊東駅からバスに乗った。下田まであと3時間あまりだから、途中で日が暮れると思った。

登場人物

波子
41歳くらい。元バレリーナ。戦争が激化して踊らなくなったのを機に舞台を退いている。北鎌倉に家族四人で居住。家は元実家の別荘。元家庭教師だった夫に財布を握られ、結婚してから一度も未開封の夫の月給袋を渡されたことがない。自宅と、日本橋の稽古場でバレエ教室を開いている。娘をプリマ・バレリーナにするのが夢。実家のあった四谷見附の焼跡地に娘の舞踏研究所を建てる計画をしている。皇居の広いお堀の角の隅でじっとしている白いに、孤独な淋しそうな姿を見出してじっと眺めるような性格。
矢木元男
波子の夫。国文学科出の日本文学史家。大学に籍を置き、地方の学校へも講義に行く。古美術にも興味を持ち始め、「美女仏」の研究もしている。髪が長い。外見は温厚な美男子で、円満で柔和な顔。幼少に父親が早世し、女子高等師範出の女教師の母の手一つで育てられた。妹がいる。貧乏書生上り。波子の元家庭教師。母の意図で波子と結婚。戦後は、細かい金にいちいち苦情を言い出し、妻のやり方を監視。家族に内緒で自分用の貯金をしている。日本が敗けて心の美が滅んだ、自分は古い日本の亡霊だと妻に言い、戦争恐怖症となっている。嫉妬を顔に出さない男。次の戦争を危惧し、妻と娘を置いて日本から脱出し、アメリカの大学の教師になろうとしている。波子以外の女を知らない。
品子
21歳。波子と矢木の娘。処女。色白。きれいな手をしている。一昨年から新橋駅近くの芝公園奥の大泉バレエ団の研究所に通っている。バレエ団のマスター・クラスの踊り手。ピアノも弾ける。戦争がなければ、イギリスフランスのバレエ学校へ留学する予定だった。ときどき眉をひそめて悲しい目つきをする顔が、興福寺沙掲羅に似ていると、弟に思われている。終戦時は16歳。戦時中は師・香山に連れられて、軍隊や工場、傷病兵の慰問で踊りに歩いた。特攻隊員の前で一心に踊りながら、ここで死んでもいいと思った思い出をなつかしがる。
高男
20歳。波子と矢木の息子。品子の弟。東京大学の学生。髪が長い。色白で痩せている。父親よりやや背が低い。父親の仕事を尊敬し父思いだったが、父がひそかに自分の貯金をしていることを知り、憤慨し金を引き出す。母にかしずかれていた父は尊敬していたが、母に裏切られた父に幻滅。両親や家、国というものに対して冷めている。ノートに、「一人の兄と一人の妹、この世に、これほど親しいものはない」というニーチェの言葉を書いている。次の戦争を危惧して息子が共産主義になるのを怖れた父親の援助に従い、ハワイ大学へ行こうとしている。母親のマネージャーで、母親に気がある沼田のことを子供の頃から毛嫌いしている。
竹原
40代。20年前の波子の元恋人(肉体関係はない)。波子が矢木と結婚してしまってからも、波子を愛している。実業家。会社のカメラ双眼鏡が売れ、現在景気がいい。妻子持ち。戦後まもない数年前に矢木家の離れを一時借りていたことがある。
日立友子
24歳。バレリーナ。波子の教室を手伝っている助手。品子の幼馴染で友人。品子より背が低いが、その踊りは品子よりしなやかな美しさがある。一重まぶたで、時々疲れたような二重まぶたになる。伏目になると上睫毛の影が、下のまぶたに映る。品子より肌が小麦色。品子の手を観音さまのように美しいと思っている。終戦時は19歳。父親を早くに亡くし、母親と二人暮らし。妻子ある40代の男と不倫している。男の妻と子供二人(上の女の子は12、3歳)が結核を患い、その療養費を稼ぐために浅草ストリップ小屋で働くことを決意する。
沼田
波子のマネージャー。波子に気があり、矢木一家の離間策をしている。太っていて肉が厚い。高男に嫌われている。波子を舞台に復活させようとしている。波子の前で矢木の悪口を言い、恋愛をするように勧め、竹原と波子の仲を進展させようとしている。波子が固くて落ちそうもないので、他の男で崩れたところを捕まる二番目を狙っている。波子は沼田を気安く思っているが、気がゆるせないとも思っている。
松阪
高男の友だち。美少年妖精のような美しさ。地上の人でないようだけれど、天上の人でもない。日本人離れしていて、西洋くさくもない。女の子みたいで、男らしくもある。不吉の天使のような印象。波子がいたましい恋していることを見抜き、その姿に恋を感じる。高男は、松阪について、「なまめかしくぬれた花のような虚無」と思っている。
香山
バレエダンサー。品子の元先生で想い人。戦時中は品子を連れて軍隊や工場、傷病兵の慰問で回った。品子にタマーラ・トゥマーノワの話を聞かせていた。現在は伊豆の田舎町で遊覧バスの運転手をしているという噂がある。こっそり東京に来て、帝劇の「プロメテの火」を観劇しにきていた様子。昔は品子の母・波子の踊りのパートナーでもあった。
野津
大泉バレエ団の男性バレエダンサー。第一の踊り手。王子役にふさわしいノーブルな姿。日本人では珍しく白い衣装が似合う。ときどき女じみた物言いをする。おしゃれ。よく好んでパ・ド・ドゥの相手に品子を選ぶ。品子を愛し、結婚したいと思っている。
北見
教科書出版社の編集部の社員。教科書に載せる文章と写真の件で矢木と面談する。
その他の人々
波子のバレエ教室に習いにきている少女たち。事務員。波子の家にやって来る古くからの馴染みの東京の呉服屋と、京都の呉服屋。

作品評価・解説

『舞姫』は川端文学の中ではあまり注目度は高くはないが、のちの川端の重要モチーフとなる「魔界」というものを意識し始めた作品として、言及されることが多い。しかしその主題は、本作では結実することはなく終わり、登場人物が真に川端的な「魔界」の住人として動き出すところまでは描かれてはいない[2][3]

『舞姫』の主題である「仏界、入り易く、魔界、入り難し」を、怖ろしい言葉だとする三島由紀夫は、矢木に「センチメンタル」だと憫笑される波子と品子母子は、踊りを媒体として「魔界」に入れる天才ではなく、矢木もまた、「強い意志で、生きる世界」という意味での「魔界」の住人ではなく「無力」であるとし[1]、登場人物すべての無力は、この矢木の無力から流出し、矢木の呪縛下にあるが、大団円における品子の香山への脱出によって、その呪縛の一角が崩れることが暗示されていると解説している[1]。そして三島は、矢木という人物は、「あらゆる人間行為に対する超越性によつて無力」(小説家の象徴)ではないのかと考察しつつ[1]、そのことによって、バレエという芸術行為に勤しむ女が、あらゆる行為を軽蔑する男の支配を逃れえぬ物語が『舞姫』であると解説し[1]、作者・川端康成は、波子と矢木(“芸術家と芸術家の生活”、もっと端的に言えば“芸術と生活”)に、分裂しつつ影をひそめているとように思えるとし[1]、そのお互いは「永遠の敵」だと述べている[1]

今村潤子は、矢木が物欲にとりつかれ、科学者の冷厳な眼で第三者的な立場から一家の現実を眺めているだけで、自らの生きる姿勢に煩悶していない点に触れ、それが三島由紀夫のいうところの「観察の悪魔[1]であるとし、作者・川端は矢木を「魔界」に捉えようとはしたが、その属性は川端の「魔界」からは切り落とされていく面(デモン的な面)の要素が大きいとし、川端の「魔界」は悪や醜ではないことを指摘している[3]。そして波子の行為は世俗的にみれば、「不倫」であるが、「魔界」においては「愛の純粋性」ということで肯定され[3]、しかしながら、世の中の道徳の束縛を破って「魔界」を生きるのは容易なことではなく[3]、それが「魔界難入」という意味であり、作中における「センチメンタリズムを排した世界」、「強い意志」という言葉の繰り返しは、人間が煩悩、本然の生を生き抜くことのいかに難しいものであるかを示しているとしている[3]

三島は、ヒロイン・波子について、「鬘物シテのやうに、優婉に、哀れふかく」描かれているとし、波子が人生に対して描く夢は片っ端から崩れてゆくが、彼女はエマ・ボヴァリイのような、不満に燃えつづける魂ではなく、「ある意味ではもつと不逞であり、罪を罪のままに、悲哀を悲哀のままに、絶望を絶望のままに享楽するすべを知つてゐる」[1]と解説している。そして、そういった小説を書く川端の態度には「独特のリアリズム」があり、「作者が自分の目で人生を眺め、人生がどうしてもかういふ風にしか見えないといふ場所に立つて書く」のが、「小説のリアリズム」と呼ばれるべきであると三島は述べ[1]ロマン派ネルヴェルや、心理主義プルーストも川端と同様に、自然主義リアリズムの二流作家よりも、ある意味では「透徹したリアリスト」であったとしている[1]。また、「女というものを、これほどただ感情的に女らしく、女に何の夢も抱かずに書いた小説はない」[1]と三島は述べ、通念に反して川端は女に何の夢も抱いていない作家であり、フロオベルは愚かなボヴァリー夫人に己れの報いられぬ夢を託したが、川端は何ものをも託さないことを指摘し、川端を「リアリスト」と呼ぶのはこのへんからも来ていると説明している[1]

また、川端特有の、「何度も足をとめるやうな文体」には、底に固い岩盤が隠され、「『俺にはかういふ風にしか見えないのだぞ』といふ作者の注釈」が至るところについてまわり、それに無縁の読者はたえず「隔靴掻痒の感」を抱かせられると三島は解説し[1]、それも、川端が「おのれに忠実なリアリスト」であるからだとしている[1]。そして、川端の「隔靴掻痒のリアリズム」が最も成功している登場人物が、ゾッとするような男・矢木であるとし、矢木が子供たちの前で妻を難詰めする、それぞれの会話の場面は、古典劇の大詰を思わせる「明晰な悲劇の頂点」であると述べ[1]、これは、「敗戦後のこの一家にあらわれた日本の“家”の徐々たる崩壊過程」が最大の大詰に来たことで可能となり、民主化に伴ったこの一般的現象は『舞姫』全体に精細に描かれているとしつつ[1]、特殊な矢木一家はことさらに崩壊を急ぎ、むしろ時代と無秩序に崩壊の種を宿していたとし、この悲劇の頂点において、各個人がはじめて正面からぶつかり合い、「愛情によつてではなく憎悪によつて結ばれた見事な家庭の典型」を成立させたと解説している[1]

映画化

舞姫
監督 成瀬巳喜男
脚本 新藤兼人
原作 川端康成『舞姫』
製作 児井英生
出演者 山村聡高峰三枝子
音楽 斎藤一郎
撮影 中井朝一
配給 東宝
公開 日本の旗1951年8月17日
上映時間 85分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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『舞姫』(東宝)85分

1951年(昭和26年)8月17日封切。

スタッフ

キャスト

おもな刊行本

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 三島由紀夫「解説」(文庫版『舞姫』)(新潮文庫、1954年。改版2011年)
  2. ^ a b c d e f 黒崎峰孝『川端康成における「魔界」思想「仏界易入 魔界難入」を手掛かりとして』(明治大学日本文学、1979年9月)
  3. ^ a b c d e f g h 今村潤子『川端康成研究』(審美社、1988年)
  4. ^ 「解説」(文庫版『舞姫』)(新潮文庫、1954年。改版2011年)
  5. ^ a b 三島由紀夫編『文芸読本 川端康成』(河出書房新社、1962年)
  6. ^ 森本穫『川端康成「みづうみ」私論』(函 1973年9月号に掲載)
  7. ^ 原善『川端康成の魔界』(有精堂、1984年)
  8. ^ 川端康成美しい日本の私―その序説』(ノーベル文学賞受賞記念講演 1968年。講談社現代新書、1969年)

参考文献

外部リンク

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関連項目