フジヤマケンザン

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フジヤマケンザン
1995年6月4日 京都競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1988年4月17日
登録日 1990年9月27日
抹消日 1997年2月8日
ラッキーキャスト
ワカスズラン
生国 日本の旗 日本北海道早来町
生産者 吉田牧場
馬主 藤本龍也
調教師 戸山為夫栗東
森秀行(栗東)
調教助手 久保卓也
競走成績
生涯成績 38戦12勝
獲得賞金 5億1170万5000円
&373万8500HKドル
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フジヤマケンザン香港表記:富士山)は日本の元競走馬、元種牡馬1995年ハクチカラ以来36年ぶり2度目となる日本調教馬による外国の重賞制覇を達成し、同年のJRA賞最優秀父内国産馬を受賞した。重賞を5勝(うち香港で1勝)し、9歳(現表記では8歳)で重賞を勝つなど息の長い活躍を見せた。

スパルタ調教で知られる戸山為夫の管理馬であったが、1993年に戸山が病死した後は森秀行が管理を引き継いでいる。

馬齢は旧表記で記載する。

戦歴

4歳(1991年)

フジヤマケンザンは1991年1月に京都でデビュー。デビュー戦こそ5着だったが、2戦目で初勝利を挙げた。しかし、初勝利後に骨折したため、春のクラシックには出走できなかった。

8か月後の10月に復帰したフジヤマケンザンは嵯峨野特別(900万下条件)を勝利した後、連闘で嵐山ステークス(1500万下条件)に出走して2着になり、ギリギリでクラシック最終戦の菊花賞に間に合った。その菊花賞では8番人気ながらレオダーバンの3着と好走した。更にフジヤマケンザンは準オープン馬ながらジャパンカップ有馬記念にも出走。ジャパンカップは8着、有馬記念は10着に終わっている。

5歳(1992年)

5歳になったフジヤマケンザンは年頭のジャニュアリーステークス(1500万下条件)に優勝してオープン馬になった。続く2月のダイヤモンドステークスでは重賞で初めて1番人気に推されながら8着に終わったが、3月の中日新聞杯で初めて重賞を制覇した。だが、その後脚部不安により、フジヤマケンザンは9ヶ月間休養することになり、復帰したのは12月。オープン特別のディセンバーステークス1着後、有馬記念に出走したが14着に終わった。

6歳(1993年)

6歳になったフジヤマケンザンは休養中の5月に管理していた戸山が死去し、一時的に鶴留明雄厩舎に移籍。その後、戸山厩舎の調教助手であった森が調教師として新規開業し、同厩舎に移籍した。

森厩舎所属となったフジヤマケンザンは8月に復帰したが、関屋記念2着、函館記念4着、オープン特別の福島民報杯2着、天皇賞(秋)9着、マイルチャンピオンシップ8着、愛知杯5着とこの年は不振で未勝利に終わっている。なお、主戦騎手だった小島貞博は福島民報杯の騎乗を最後にフジヤマケンザンに騎乗していない。

7歳(1994年)

7歳になったフジヤマケンザンはアメリカジョッキークラブカップ2着、中山記念2着を経て、帝王賞に出走した。帝王賞では1番人気に推されたが、初めてのダート戦に戸惑い、16着と殿負けを喫した。それでもフジヤマケンザンは吾妻小富士オープン、BSNオープンと1800メートルのオープン特別を2連勝し、帝王賞惨敗のショックを払拭した。

秋になって、フジヤマケンザンは毎日王冠2着から天皇賞(秋)、ジャパンカップに出走したが、天皇賞(秋)は9着、ジャパンカップは11着に終わった。12月には香港国際カップにも出走し、初の海外遠征を経験したが、4着に終わった。

8歳(1995年)

8歳になったフジヤマケンザンは初戦の中山記念で2年ぶりに重賞を制し、遂に本格化を迎えた。続く香港・クイーンエリザベス2世カップは10着、宝塚記念は11着に敗れたが、七夕賞で優勝した。その後、カブトヤマ記念こそ4着に終わったが、オープン特別の富士ステークスを勝利して、再び香港国際カップに出走した。レースではヴェンティクアトロフォグリをかわし、ハクチカラ以来36年ぶりに日本調教馬による外国の重賞制覇[1]を成し遂げた。この快挙の後押しもあり、フジヤマケンザンはこの年のJRA賞最優秀父内国産馬を受賞した。

9歳(1996年)

9歳になったフジヤマケンザンは初戦の中山記念こそ10着に終わったが、続く金鯱賞[2]で8番人気ながら優勝した。が、続く宝塚記念で5着になった後に骨折が判明し、競走馬を引退した。

フジヤマケンザンは1800メートルのレースに異様に強く、12勝のうち半分の6勝が1800メートルのレースで挙げたものである。

引退後

フジヤマケンザンは種牡馬となったが、初年度から種付け数が少なく、1997年から2001年の5年間供用され、種牡馬を引退した。現在は北海道・安平町にある生まれ故郷の吉田牧場で、功労馬繋養展示事業の助成を受けて余生を送っている。

競走成績

年月日 競馬場 競走名 頭数 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F/4F)
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1991 1. 6 京都 新馬 16 8.6 (6人) 5着 小島貞博 55 芝1800m(良) 1:52.7 (48.9) 0.8 ダイナミックスピン
1. 20 京都 新馬 13 3.7 (3人) 1着 小島貞博 55 芝1600m(良) 1:37.6 (48.8) -0.3 (ユーコーセブン)
10. 5 京都 嵯峨野特別 7 29.7 (6人) 1着 小島貞博 55 芝2200m(良) 2:14.5 (46.8) -0.3 (ケイスパート)
10. 12 京都 嵐山S 9 3.3 (1人) 2着 小島貞博 53 芝3000m(稍) 3:08.7 (48.7) 0.5 キョウワユウショウ
11. 3 京都 菊花賞 GI 18 19.7 (8人) 3着 小島貞博 57 芝3000m(良) 3:09.7 (46.9) 0.2 レオダーバン
11. 24 東京 ジャパンC GI 15 42.7 (11人) 8着 小島貞博 55 芝2400m(良) 2:25.9 (35.8) 1.2 ゴールデンフェザント
12. 22 中山 有馬記念 GI 15 26.6 (8人) 10着 小島貞博 55 芝2500m(良) 2:31.8 (36.8) 1.2 ダイユウサク
1992 1. 12 中山 ジャニュアリーS 11 2.4 (1人) 1着 小島貞博 58 芝2000m(良) 1:59.8 (35.8) -0.4 (インターエリモ)
2. 3 東京 ダイヤモンドS GIII 15 1.9 (1人) 8着 小島貞博 58 芝3200m(稍) 3:19.8 (38.2) 1.3 ミスターシクレノン
3. 8 中京 中日新聞杯 GIII 12 3.1 (2人) 1着 小島貞博 53 芝1800m(良) 1:47.3 (36.3) -0.1 (ヤマニンシアトル)
12. 6 中山 ディセンバーS OP 8 3.7 (2人) 1着 小島貞博 57 芝2000m(良) 2:00.5 (35.8) -0.3 セキテイリュウオー
12. 27 中山 有馬記念 GI 16 23.5 (8人) 14着 小島貞博 57 芝2500m(良) 2:35.3 (36.4) 1.8 メジロパーマー
1993 8. 8 新潟 関屋記念 GIII 13 3.0 (1人) 2着 小島貞博 57 芝1600m(良) 1:33.9 (35.1) 0.2 マイスタージンガー
8. 22 函館 函館記念 GIII 15 3.5 (1人) 4着 小島貞博 58.5 芝2000m(不) 2:04.7 (38.6) 0.1 ゴールデンアイ
10. 10 福島 福島民報杯 OP 10 1.4 (1人) 2着 小島貞博 57 芝2000m(良) 2:00.5 (36.4) 0.1 モンタミール
10. 31 東京 天皇賞(秋) GI 17 24.0 (10人) 9着 岡部幸雄 58 芝2000m(良) 1:59.9 (36.5) 1.0 ヤマニンゼファー
11. 21 京都 マイルCS GI 15 33.9 (9人) 8着 松永幹夫 57 芝1600m(不) 1:36.4 (36.6) 0.7 シンコウラブリイ
12. 12 中京 愛知杯 GIII 16 3.7 (1人) 5着 田島信行 58 芝2000m(良) 2:01.1 (37.6) 0.5 ホマレオーカン
1994 1. 23 中山 AJCC GII 14 14.6 (6人) 2着 蛯名正義 57 芝2200m(良) 2:14.2 (35.6) 0.1 マチカネタンホイザ
3. 13 中山 中山記念 GII 14 4.5 (2人) 2着 岡部幸雄 57 芝1800m(良) 1:49.1 (36.5) 0.2 サクラチトセオー
4. 12 大井 帝王賞 重賞 16 (1人) 16着 岡部幸雄 55 ダ2000m(良) 2:10.3 5.6 スタビライザー
5. 15 東京 安田記念 GI 16 66.4 (9人) 11着 蛯名正義 57 芝1600m(良) 1:34.5 (37.1) 1.3 ノースフライト
6. 26 福島 吾妻小富士OP OP 13 3.4 (1人) 1着 蛯名正義 56 芝1800m(良) 1:47.5 (36.3) 0.0 (ダンノーブル)
7. 24 新潟 BSNOP OP 10 1.5 (1人) 1着 蛯名正義 56 芝1800m(良) 1:48.2 (34.8) -0.2 (センゴクシルバー)
10. 9 東京 毎日王冠 GII 11 20.3 (9人) 2着 蛯名正義 57 芝1800m(良) 1:44.8 (34.7) 0.2 ネーハイシーザー
10. 30 東京 天皇賞(秋) GI 13 42.7 (10人) 9着 蛯名正義 58 芝2000m(良) 1:59.2 (35.0) 0.6 ネーハイシーザー
11. 27 東京 ジャパンC GI 14 40.8 (14人) 11着 蛯名正義 57 芝2400m(良) 2:24.5 (37.1) 0.9 マーベラスクラウン
12. 11 香港 香港国際C OP 14 (5人) 4着 蛯名正義 55.8 芝1800m(良) 1:48.9 0.5 State Taj
1995 3. 12 中山 中山記念 GII 12 11.3 (3人) 1着 蛯名正義 58 芝1800m(稍) 1:50.3 (35.2) -0.1 (サクラチトセオー)
4. 1 香港 QEII世C OP 14 (2人) 10着 蛯名正義 57.1 芝2200m(不) 2:19.3 2.1 Red Bishop
6. 4 京都 宝塚記念 GI 17 47.8 (13人) 11着 河内洋 56 芝2200m(稍) 2:11.5 (35.9) 1.3 ダンツシアトル
7. 9 福島 七夕賞 GIII 14 3.6 (2人) 1着 蛯名正義 58.5 芝2000m(稍) 2:02.2 (37.4) -0.1 (インタークレバー)
10. 22 新潟 カブトヤマ記念 GIII 15 2.0 (1人) 4着 蛯名正義 59 芝1800m(良) 1:48.4 (36.4) 0.5 アイオーユー
11. 12 東京 富士S OP 9 3.4 (2人) 1着 蛯名正義 58 芝1800m(良) 1:47.5 (35.3) -0.2 タイキブリザード
12. 10 香港 香港国際C GII 12 (8人) 1着 蛯名正義 57.2 芝1800m(良) 1:47.0 -0.1 (Ventiquattrofogli)
1996 3. 10 中山 中山記念 GII 15 16.3 (7人) 10着 蛯名正義 60 芝1800m(良) 1:48.1 (36.7) 0.9 サクラローレル
6. 9 中京 金鯱賞 GII 13 15.8 (8人) 1着 村本善之 59 芝2000m(良) 2:01.4 (36.3) -0.2 (サンデーブランチ)
7. 7 阪神 宝塚記念 GI 13 12.5 (5人) 5着 村本善之 58 芝2200m(良) 2:12.7 (35.2) 0.7 マヤノトップガン

血統表

フジヤマケンザン血統トウルビヨン系 / Count Fleet5×5=6.25%) (血統表の出典)

ラッキーキャスト 1979
鹿毛 日本
父の父
*マイスワロー
My Swallow 1968
鹿毛 イギリス
Le Levanstell Le Lavandou
Stella's Sister
Darrigle Vilmoray
Dollar Help
父の母
*タイプキャスト
Typecast 1966
鹿毛 アメリカ
Prince John Princequillo
Not Afraid
Journalette Summer Tan
Manzana

ワカスズラン 1982
鹿毛 日本
*コントライト
Contrite 1968
鹿毛 アメリカ
Never Say Die Nasrullah
Singing Grass
Penitence Petition
Bootless
母の母
オキワカ 1972
栗毛 日本
*リマンド Alcide
Admonish
ワカクモ *カバーラップ二世
丘高 F-No.3

父のラッキーキャストは未出走ながら半姉には天皇賞を逃げ切ったプリテイキャストがおり、祖母のオキワカはテンポイントの半姉で、母のワカスズランの兄弟にはワカテンザンワカオライデンという父母ともに吉田牧場ゆかりの血統である。

脚注

  1. ^ 国際グレードではGIIであったが、香港国内グレードではGIだったため、海外遠征で初の現地GI級レース勝利ともなった。そのため、GI馬として扱われるケースもある。
  2. ^ 香港国際カップは香港国内グレードではGIに設定されていたため、参加国間においては国際グレードより現地の格付けを優先するというアジア競馬会議での取り決めによりGI馬として扱われ、定量57kgから2kg上乗せの59kgでの出走となった。

外部リンク