カバーラップ二世

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カバーラップ二世
(セイカン)
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1952年3月9日
死没 1980年8月26日
(28歳没・旧29歳)[1]
Cover Up
Betty Martin
母の父 Hollyrood
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
馬主 岩崎利明
調教師 尾形藤吉東京
競走成績
生涯成績 7戦2勝
獲得賞金 33万8000円
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カバーラップ二世(カバーラップにせい、競走名セイカン)とは日本競走馬種牡馬である。

戦後の競走馬資源不足解消のため、2歳(旧馬齢)のときにアメリカより輸入された外国産馬(通称「米サラ」)の抽せん馬[1]尾形藤吉のもとでセイカンという名で走ったが、脚部不安のため[1]競走馬としては大成せず下級競走を2勝したのみに終わり、引退した翌年の1957年より吉田牧場で種牡馬となる[1]。このときカバーラップ二世と改名された。父Cover Upを原音に近い形で表記し、その「二世」としたものである。

年間種付け頭数は1972年の29頭が最高[1]であり、ほぼ吉田牧場専属の種牡馬であった。それにもかかわらず、2年目の産駒から阪神3歳ステークスの優勝馬チトセハーバーを送り出したのを皮切りに、桜花賞優勝馬ワカクモ、1967年の最優秀4歳牡馬リュウズキなどの八大競走優勝馬を次々と輩出。1960年代後半から1980年代にかけての同牧場の全盛時代を牽引した。

1978年に種牡馬を引退し、1980年夏に老衰のため死亡[1]。遺体は孫であるテンポイントの墓のそばに埋められた[1]。この年の秋に牝馬として9年ぶりの天皇賞優勝馬となったプリテイキャストが最後の活躍馬となった。中央競馬重賞優勝馬となった8頭の産駒は、すべて吉田牧場、あるいは縁戚の吉田権三郎の生産馬であった。

おもな産駒[編集]

※太字は現在のGI級競走優勝馬。

おもなブルードメアサイアー産駒[編集]

血統表[編集]

カバーラップ二世(セイカン)血統ハイペリオン系 / 5代内アウトブリード (血統表の出典)
父系

Cover Up 1943
栗毛 アメリカ
父の父
Alibhai 1938
栗毛 イギリス
Hyperion Gainsborough
Selene
Teresina Tracery
Blue Tit
父の母
Bel Amour 1937
栗毛 ニュージーランド
Beau Pere Son-in-Law
Cinna
Love Set Captain Bunsby
Duck's Egg

Betty Martin 1948
鹿毛 アメリカ
Hollyrood 1933
鹿毛 アメリカ
High Cloud Ultimus
Umbra
Mandy Hamilton John o'Gaunt
My Sweetheart
母の母
Rhoda F. 1942
黒鹿毛 アメリカ
Rhodes Scholar Pharos
Book Law
Notebook Chicle
Flyleaf F-No.2-d
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

父はアメリカで競走生活を送り、ハリウッドゴールドカップなどに優勝している。母は不出走。曾祖母ノートブックがセリマステークスに優勝、その産駒にアスタリタステークス優勝馬キーノート (Key Note) がいるほかは、近親に目立った活躍馬は存在しない。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 日本中央競馬会優駿』1980年11月号、pp.36-37「カバーラップ二世死す」

外部リンク[編集]