島嶼防衛
島嶼防衛(とうしょぼうえい、英: Island defense[1])とは、島嶼部への侵攻に備えて警戒監視を行い、攻撃を受けた場合は陸上部隊が航空機や艦艇との統合作戦によってこれを防衛・奪回すること[2][3][4][5]。離島防衛(りとうぼうえい、英: Defense of remote islands[6])とも称される[7]。
島嶼戦
[編集]島嶼戦は単なる陸戦ではなく、その周囲の空間における海戦および航空戦とも密接に関連する[8]。特に航空機や潜水艦の登場以降、島嶼戦は立体戦としての様相をも呈するようになった[9]。また、小さな絶海の孤島での戦いは単発の作戦で終わる場合もある一方、列島での戦いでは、複数の作戦が連続的に展開される戦役となる可能性も高い[8]。特に地上兵力と航空兵力が力を発揮するには、常続的に海上からの補給を行う必要があり、海上輸送作戦を繰り返すことになるため、戦役としての性格を帯びやすい[8]。
すなわち、現代の島嶼戦は、地理的な特徴の異なる島々を戦場として、戦役という時間軸と、立体戦という空間の拡がりが組み合わさった、複雑な構造を持つ[9]。このような戦いを有利に運ぶには、陸・海・空の各軍種の統合力の発揮と、適切な作戦術が必要となる[9]。
なお島嶼戦では、攻める側は万全の準備で進攻してくるため、守備隊は最初から劣勢に立たされる可能性が高い上に、攻める側はどこを攻撃するかを選択する自由を有しており、特に広い海面あるいは列島線における島嶼戦では、待ち受ける側が戦略的な態勢において圧倒的に不利となる[9]。
日本での状況
[編集]尖閣諸島を含む沖縄に対する施政権に関して、日本は尖閣諸島を「我が国固有の領土」として実効支配している[10]。これに対して、中華人民共和国と中華民国は、それぞれ尖閣諸島の領有権を主張している[11][12]。
特に中国は、2008年に自国公船を尖閣諸島の領海に侵入させたのを端緒として、公船による領海侵入・遊弋や漁船による体当たり、軍用機による領空侵犯や戦闘機による自衛隊機への異常接近など、敵対的・高圧的な不法行為を頻発させている[4]。これらの頻度は2012年9月の尖閣諸島国有化を契機として劇的に増加し[13]、また従来は台湾への侵攻を主目的としていた上陸戦訓練についても、尖閣諸島も侵攻対象とした訓練も行われるようになった[14]。
警察力による対応
[編集]中国は、中国海警局や中国人民軍海上民兵による海上グレーゾーン作戦という形で、日本政府が自衛隊に防衛出動を命令できない程度の低烈度にとどめつつ権益主張を行使する可能性が指摘されており、その場合、まずは警察力で対応することとなる[13][15]。洋上での対応は、一義的には海上保安庁によって担われており、2012年の海上保安庁法改正により、海上保安官は、外国船への立入検査を行わずに領海からの退去を命令できるようになった[13]。ただし海上保安官の権限は、民間船・民間人に対する行動に限られており、外国政府や海軍艦艇に対する武力行使を行うことはできない[13]。
陸上での対応については、2012年の海上保安庁法改正の際に、海上保安庁長官が警察庁長官と協議して定めた離島であれば海上保安官でも警察権を行使できるようになったとはいえ[13][16]、その後も不法上陸者に対する対応は一義的には都道府県警察によって担われており、2015年度からは数十名規模の沖縄県警察機動隊員が海上保安庁の巡視船に同乗して、警戒に当たってきた[17]。2020年には、尖閣諸島を管轄する沖縄県警察に、海上民兵を含む武装漁民への対応を行うための国境離島警備隊が設けられたほか、上陸した集団次第では特殊急襲部隊(SAT)が展開することも想定されている[15][18]。
警察では対応しきれないケースであっても、治安出動を命令する形で自衛隊を動かせば事態をエスカレートさせるおそれもあり、極めて慎重な政治的判断が必要となる[13][19]。この問題に対し、警察力による対応から自衛隊による対応へとシームレスに移行できるよう、2015年7月にはまず海上保安庁と海上自衛隊、2016年11月にはこれらに警察庁も加えて、海上グレーゾーン作戦への対応を調整するための共同訓練が行われた[13]。その後も訓練が重ねられ、2022年には、国境離島警備隊や水陸機動団も加わっての訓練が行われている[19]。
なお海上保安庁については、法執行機関としての対応のほか、武力攻撃事態等に対する国民保護の一環として、離島における住民避難を担うことも想定されている[20]。2023年6月には、防衛大臣の統制下で住民を乗せて避難させることを想定し、ジュネーヴ条約で定められた民間防衛組織の保護標章を巡視船に掲げての訓練が実施されたほか[21]、多数の避難民を乗船させることができる30,000トン型巡視船の建造も検討されている[22]。
自衛隊による対応
[編集]島嶼部を含む日本への侵攻が発生した場合、自衛隊は宇宙・サイバー・電磁波の領域及び陸・海・空の領域における能力を有機的に融合し、相乗効果によって全体の能力を増幅させる領域横断作戦によってこれに対応することとされている[23]。
陸上自衛隊では、2018年3月に陸上総隊およびその直轄部隊としての水陸機動団を発足させた[24]。水陸機動団は、2002年に西部方面隊の直轄部隊として発足していた西部方面普通科連隊を発展させるかたちで発足したものである[25]。陸上総隊司令官はこの水陸機動団を平時から指揮下に持つほか、必要に応じて方面隊等も指揮下に入れることもでき、更に海上自衛隊の自衛艦隊や航空自衛隊の航空総隊に相当する単一メジャーコマンドとして他自衛隊との調整も円滑化することから、島嶼防衛に求められる統合作戦能力の向上が期待されている[24]。南西諸島の地域配備部隊の強化も図られており、対馬警備隊をモデルとして、2019年には宮古警備隊と奄美警備隊[26]、2023年には八重山警備隊(石垣島)が編成されたほか[27]、第15旅団の師団への改編も予定されている[23]。またこれらに先立つ2016年には最西端の与那国島に与那国沿岸監視隊を新編、2022年からは同地で航空自衛隊の第53警戒隊与那国分遣班も同居しているほか[28]、前記の八重山警備隊が駐屯する石垣駐屯地にも、その開設にあわせて地対空・地対艦誘導弾部隊が配置されている[27]。
海上自衛隊でも、2013年8月の決定に基づき掃海隊群に水陸両用作戦の担当が付与されることになり、2016年7月にはおおすみ型輸送艦やLCAC-1級エア・クッション型揚陸艇を運用する第1輸送隊を編入するとともに、司令部に両用戦幕僚が配置された[29]。揚陸艦の強化も検討されているほか[5]、最新のもがみ型護衛艦の最初の2隻も、2022年の就役から2024年3月までは掃海隊群に所属し、各種の運用試験を行ってきた[30]。同型は、平時には警戒監視や不法行動対処、防衛出動時には対潜戦・対水上戦や対機雷戦、対地火力支援を担うことが想定されている[4]。
また、打撃力を担うスタンド・オフ・ミサイルなどの整備も進められている[4]。具体的には12式地対艦誘導弾能力向上型、島嶼防衛用高速滑空弾、極超音速誘導弾の研究開発を実施し、各種誘導弾の長射程化などを進めるとともに、スタンド・オフ・ミサイルの運用能力向上を目的として、潜水艦に搭載可能な垂直ミサイル発射システムなどを開発・整備している[23]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ "島しょ防衛". goo時事英語辞典. goo辞書. 2024年7月3日閲覧。
- ^ 村井 2022.
- ^ 防衛省 2013.
- ^ a b c d 山崎 2014.
- ^ a b 吉富 2020.
- ^ 「defense of remote islands」『英和 用語・用例辞典』 。コトバンクより2024年7月3日閲覧。
- ^ 「離島防衛」『静岡新聞』2023年1月10日。2024年1月25日閲覧。
- ^ a b c 瀬戸 2020, pp. 315–317.
- ^ a b c d 瀬戸 2020, pp. 317–320.
- ^ “日中関係(尖閣諸島をめぐる情勢)”. 外務省. 2013年2月2日閲覧。
- ^ “中国軍部、尖閣「自国領」へ介入 92年領海法で明記実現(共同通信)”. Yahoo!ニュース. 2023年6月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 「40年間続く保釣運動 漁業権も主張」『U.S. FrontLine』2010年9月14日。オリジナルの2012年3月28日時点におけるアーカイブ。2010年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g Liff 2020.
- ^ 「中国軍が尖閣奪取訓練、昨秋に実施…米海軍協会」『読売新聞』2014年2月20日。オリジナルの2014年2月25日時点におけるアーカイブ。2023年9月21日閲覧。
- ^ a b 宮田 2021.
- ^ 「改正海保法が成立、離島の犯罪時に対応 参院本会議」『日本経済新聞』2012年8月29日。
- ^ 「警察に離島専従部隊 来年度予定、武装集団上陸に即応」『産経新聞』2019年9月6日。2024年7月12日閲覧。
- ^ 竹内 2023.
- ^ a b 喜多 2022.
- ^ 中林 2018, pp. 92–93.
- ^ 「海自、海保が初の共同実動訓練 特殊標章の見え方も確認」『産経新聞』2023年6月22日。
- ^ 「新しい大型船構想に関する情報について」『世界の艦船』、海人社、2024年6月24日 。
- ^ a b c 防衛省「島嶼部を含むわが国に対する侵攻への対応」『防衛白書』2023年 。
- ^ a b 磯部 2018.
- ^ 奈良原 2019b.
- ^ 奈良原 2019a.
- ^ a b 「陸上幕僚長「南西防衛の強化はまだ途上」さらなる増強進める考え 陸自石垣駐屯地が開設」『琉球新報デジタル』2023年3月17日。2023年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 古里 2023.
- ^ 福本 2019.
- ^ 「年度末の艦艇の異動(続報)」『世界の艦船』2024年4月24日。
参考文献
[編集]- 磯部晃一「5人の方面総監を隷下に置く"総隊司令官" 陸上自衛隊の戦い方が変わる! メジャーコマンド『陸上総隊』誕生」『軍事研究』第53巻、第8号、ジャパン・ミリタリー・レビュー、28-41頁、2018年8月。 NAID 40021630659。
- 喜多祐介「NHK長崎 五島列島で“尖閣諸島念頭”の特殊訓練~衝突は回避したい~現場の思い」『長崎WEB特集』、NHK長崎放送局、2022年11月18日。オリジナルの2023年7月8日時点におけるアーカイブ 。
- 瀬戸利春『太平洋島嶼戦: 第二次大戦、日米の死闘と水陸両用作戦』作品社、2020年。ISBN 978-4861828188。
- 竹内義則『陸上における領域警備に関する考察 -準軍事組織の創設-』陸上自衛隊教育訓練研究本部、2023年7月23日 。
- 中林啓修「先島諸島をめぐる武力攻撃事態と国民保護法制の現代的課題―島外への避難と自治体の役割に焦点をあてて」『国際安全保障』第46巻、第1号、国際安全保障学会、88-106頁、2018年6月。doi:10.57292/kokusaianzenhosho.46.1_88。CRID 1390291767626871296。
- 奈良原裕也「リクジの超個性的部隊のすべて(1)21世紀の陸上自衛隊の象徴にして中核 南西諸島防衛の要「警備隊」」『軍事研究』第54巻、第9号、ジャパン・ミリタリー・レビュー、92-103頁、2019年9月。 NAID 40021991998。「奈良原 2019a」
- 奈良原裕也「リクジの超個性的部隊のすべて(2)日本唯一の落下傘部隊「第1空挺団」 島嶼防衛の要「水陸機動団」」『軍事研究』第54巻、第11号、ジャパン・ミリタリー・レビュー、80-93頁、2019年11月。 NAID 40022045532。「奈良原 2019b」
- 福本出「第2艦隊化進む掃海隊群 水陸両用戦への取組み (新時代の海上自衛隊)」『世界の艦船』第891号、海人社、122-127頁、2019年1月。 NAID 40021731681。
- 古里学「日本最西端の島で24時間監視を続ける「与那国沿岸監視隊」」『MAMOR』第17巻、第11号、扶桑社、16-17頁、2023年11月。CRID 1520579311087697280 。
- 防衛省「島嶼(とうしょ)防衛」『防衛白書』2013年 。
- 宮田敦司「「米軍は介入できない」中国は漁船に乗った"海上民兵"で尖閣諸島を奪うつもりだ」『PRESIDENT Online』、プレジデント社、2021年3月10日 。2024年6月29日閲覧。
- 村井友秀「島嶼防衛」『日本大百科全書(ニッポニカ)』コトバンク、2022年11月17日 。
- 山崎眞「島嶼防衛 その戦略と展望 (特集 島嶼防衛! 動き出す自衛隊)」『世界の艦船』第808号、海人社、70-75頁、2014年12月。 NAID 40020245063。
- 吉富望「島嶼防衛と日の丸強襲揚陸艦 (特集 強襲揚陸艦)」『世界の艦船』第937号、海人社、98-103頁、2020年12月。 NAID 40022388542。
- Liff, Adam P.「東シナ海における中国の海上グレーゾーン作戦と日本の対応」『中国の海洋強国戦略』杉本正彦(訳)、原書房、2020年(原著2019年)、222-247頁。ISBN 978-4562057450。