領空侵犯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

領空侵犯(りょうくうしんぱん)とは、国家がその領空に対して有する権利を侵犯する行為のことであり、具体的には他国の航空機・飛行物体が当該国の許可を得ず、領空に侵入・通過する国際法上の不法行為を指す。

対領空侵犯措置[編集]

領空侵犯に対して、当該国はスクランブル発進と呼ばれる、対領空侵犯措置を取る。

対領空侵犯措置は以下のとおり段階的に定められている。

  1. 航空無線による警告
  2. 軍用機による警告
  3. 軍用機による威嚇射撃
  4. 強制着陸
  5. 撃墜(ただし無防備な民間機への攻撃は原則禁止)


概要[編集]

国際法において、国家が領有している領土領海の上に存在する地球の大気の部分を領空(または空域)とし、領海と共にその国の海岸線から12海里までの範囲を領空と定義している。

飛行機が発明された当初は、外国機にも船舶無害通航に類似した権利が認められていたが、第一次世界大戦期になるとヨーロッパ諸国は領空内での排他的主権を主張し、事前に飛行経路や所属を通告するよう求める国家が増えたため、運用者や目的地を明らかにした飛行計画を事前に提出する国際規則が作られた[1]

1967年発効の「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約」(通称「宇宙条約」)第2条において『月その他の天体を含む宇宙空間(すなわち地球以外の天体を含む、地球の大気圏外すべて)は、主権の主張、使用若しくは占拠又はその他のいかなる手段によっても国家による取得の対象とはならない』としているため、領空は大気圏までとなっている[2]

領空侵犯とは、この領域を許可なく侵す行為であり、国際法違反の行為となる。ただし、領空の範囲は大気圏に限られるため、高度100km以上の宇宙空間(衛星軌道など)を移動する人工衛星国際宇宙ステーションなどは領空侵犯に当たらない[注釈 1]

領空侵犯機に対しては、その国の空軍が対処する場合が多い。戦闘機で目視確認がとれるまでは、航空用語で未確認飛行物体(UFO)とされる。「領空を侵犯していると警告し、速やかに領空外への退去を促す」という対応が一般的である[注釈 2]。これに従わなかった場合は、強制着陸やミサイルなどによる撃墜といった措置が取られる。

しかし、1983年の大韓航空機撃墜事件ではソ連軍機が適切な手順を踏まずに撃墜したことで、国際的な非難を浴びた[注釈 3]。この事件を契機に、国際民間航空機関(ICAO)はシカゴ条約の改正議定書を1984年5月10日に採択し、同条約に「第3条の2」を追加した。これにより、各国が領空を飛行する不審な航空機に対しての強制着陸指示等の権利及び民間航空機は、その指示に従うことの義務が確認され、同時に各国は民間航空機に対する要撃において、武器の使用を差し控え人命・航空機の安全を確保することが明示された[3]

日本国に対する領空侵犯と対応[編集]

日本の防空識別圏
離陸する2機のF-15J
航空自衛隊では2機編成でスクランブルを行う

一覧[編集]

1958年から現在まで以下の通り日本国に対する領空侵犯が報告されている。これら不法行為に対し航空自衛隊が対応している。

また、尖閣諸島周辺で領海領空を主張し、防空識別圏を設定(尖閣諸島防空識別圏問題)している中華人民共和国に対するスクランブル発進が、近年[いつ?]増加傾向にある[4]

No 年月日 領空侵犯された場所 侵犯国 機種・機数
46 2023年(令和5年)10月31日 北海道根室半島沖 ロシア ロシアヘリコプター(推定)×1
45 2022年(令和4年)3月2日 北海道知床岬領海 ロシア ロシアヘリコプター(推定)×1
44 2021年(令和3年)9月12日 北海道知床岬領海 ロシア An-26×1
43 2020年(令和2年)10月2日 北海道知床岬領海 ロシア Mi-8ヘリコプター×1(ロシア国立航空救急隊による救急ヘリ)
42 2019年(令和元年)7月23日 島根県竹島付近 ロシア A-50早期警戒管制機×1
41 2019年(令和元年)6月20日 東京都八丈島付近 ロシア Tu-95爆撃機×1
40 2019年(令和元年)6月20日 沖縄県南大東島付近  ロシア Tu-95爆撃機×2
39 2017年(平成29年)5月18日 沖縄県尖閣諸島 中国 無人航空機
38 2015年(平成27年)9月15日 北海道根室付近 ロシア 漁業監視機?
37 2013年(平成25年)8月22日 福岡県沖ノ島北西 ロシア Tu-95爆撃機×2
36 2013年(平成25年)2月7日 北海道利尻島南西 ロシア Su-27戦闘機×2
35 2012年(平成24年)12月13日 沖縄県魚釣島 中国 Y-12輸送機×1
34 2008年(平成20年)2月9日 東京都伊豆諸島孀婦岩 ロシア Tu-95爆撃機×1
33 2005年(平成18年)1月25日 北海道礼文島北方 ロシア An-72輸送機×1
32 2001年(平成13年)4月11日 青森県久六島西方 ロシア Su-24戦闘爆撃機×1
31 2001年(平成13年)4月11日 北海道礼文島北方 ロシア 不明×1
30 2001年(平成13年)2月14日 北海道礼文島上空 ロシア Tu-22M爆撃機×2、不明×2
29 1995年(平成7年)3月23日 北海道礼文島上空 ロシア Mig-31戦闘機×1
28 1994年(平成6年)3月25日 沖縄県尖閣諸島 台湾 B-350輸送機×1
27 1993年(平成5年)8月31日 青森県久六島西方 ロシア Il-20輸送機×1
26 1992年(平成4年)7月28日 長崎県対馬東方 ロシア Tu-154輸送機×2
25 1992年(平成4年)5月7日 北海道枝幸沖 ロシア 不明×1
24 1992年(平成4年)4月10日 北海道礼文島、稚内北西 ロシア An-12輸送機×1
23 1991年(平成3年)8月15日 北海道礼文島北方 ソ連 Tu-95爆撃機×2
22 1991年(平成3年)7月6日 北海道根室半島南方 ソ連 An-30×1
21 1989年(平成1年)4月21日 北海道礼文島北方 ソ連 不明×1
20 1987年(昭和62年)12月9日 沖縄本島 ソ連 Tu-16爆撃機×1
19 1987年(昭和62年)8月27日 北海道礼文島北方 ソ連 不明×1
18 1985年(昭和61年)2月6日 北海道礼文島北方 ソ連 不明×1
17 1983年(昭和59年)11月23日 福岡県沖ノ島北西 ソ連 Tu-95爆撃機×1、Tu-142哨戒機×1
16 1983年(昭和59年)11月12日 福岡県沖ノ島北西 ソ連 Tu-16爆撃機×1
15 1982年(昭和58年)11月15日 福岡県沖ノ島北西 ソ連 Tu-16爆撃機×1、TU-95爆撃機×1
14 1982年(昭和58年)10月15日 北海道知床岬北東 ソ連 不明×2
13 1981年(昭和57年)4月3日 長崎県男女群島西方 ソ連 Il-62輸送機×1
12 1981年(昭和56年)7月24日 北海道礼文島上空 ソ連 不明×1
11 1981年(昭和56年)6月6日 北海道礼文島上空 ソ連 Il-14哨戒機×1
10 1980年(昭和55年)8月18日 長崎県五島列島南東 ソ連 Il-62輸送機×1
09 1980年(昭和55年)6月29日 石川県舳倉島北東 ソ連 Il-38哨戒機×2
08 1979年(昭和54年)11月15日 沖縄県尖閣諸島南方 ソ連 Tu-95爆撃機×2
07 1978年(昭和53年)12月5日 北海道礼文島上空 ソ連 不明×1
06 1978年(昭和53年)3月17日 長崎県対馬東方 ソ連 Tu-95爆撃機×1
05 1977年(昭和52年)9月7日 長崎県五島列島西方 ソ連 Tu-95爆撃機×2
04 1976年(昭和51年)9月6日 北海道函館空港 ソ連 Mig-25戦闘機×1
03 1975年(昭和50年)9月24日 東京都式根島神津島上空 ソ連 Tu-95爆撃機×2
02 1974年(昭和49年)2月7日 北海道礼文島上空 ソ連 不明×1
01 1967年(昭和42年)8月19日 北海道礼文島上空 ソ連 不明×1

対応手順[編集]

日本においては自衛隊法第84条に基づき、領空侵犯に対しては航空自衛隊が対応している。

防空識別圏における識別不明機に対する対応手順は以下の順となっている。[要出典]

  1. レーダーサイトが、防空識別圏に接近している識別不明機を探知する。
  2. 提出されている飛行計画との照合する。
  3. レーダーサイトが当該機に航空無線機の国際緊急周波数121.5MHzおよび243MHzで日本国航空自衛隊であることを名乗り、英語または当該国の言語で領空接近の通告を実施する。
  4. 戦闘機スクランブル発進させて目視で識別する。
  5. 戦闘機からの無線通告をする。
    1. 「貴機は日本領空に接近しつつある。速やかに針路を変更せよ。」
  6. 領空侵犯の無線警告と、当該機に向けて自機の翼を振る「我に続け」の警告を見せる。
    1. 「警告。貴機は日本領空を侵犯している。速やかに領空から退去せよ。」
    2. 「警告。貴機は日本領空を侵犯している。我の指示に従え。」
    3. You are approaching Japanese airspace territory. Follow my guidance.
    4. 当該対象航空機の母国語での警告[要検証]
  7. 警告射撃を実施する。
  8. 自機、僚機が攻撃された場合、国土や船舶が攻撃された場合は、自衛戦闘を行う[5]

ただし、自衛隊法第84条には「着陸させる」か「領空外へ退去させる」の二つしかなく、軍用機による侵犯行為であっても、それに対する攻撃について明確な記述はない[注釈 4][6]。ただし、自機や国土に対する正当防衛の観点から[5]、スクランブルの際に2機編成で対処中に1機が攻撃を受けた場合、もう1機が目標に対して攻撃を加えることは可能である[7][注釈 5]。その一方で、侵犯機がスクランブル対処機以外の航空機や海上の護衛艦、地上の部隊等に攻撃を加えた場合、パイロットの判断でこれを撃墜することは難しい[7]。現在では有人機を想定したルールとなっているため、無人の偵察機など無線に応答せず攻撃も行わない機体を撃墜処分することは出来ないとされる[5]

スクランブル発進[編集]

冷戦下では一年間に944回スクランブル発進した年もあり、大半はソ連軍機であった。冷戦終結後は、150回前後まで減少したが、そのほとんどがロシア連邦軍機によるものである。その後、中国軍機を原因とするものが増加し2014年度には一年間に943回となった。2006年度には、ロシア軍機を原因としたスクランブル発進が196回、中国軍機を原因としたものが22回、台湾軍機を原因としたものが8回、その他、韓国軍機・米軍機などを原因としたものが13回行われている[8]。 2014年度には、ロシア軍機を原因としたスクランブル発進が473回、中国軍機を原因としたものが464回、台湾軍機を原因としたものが1回、その他を原因としたものが5回行われている[9]。冷戦期には自衛隊・在日米軍の迎撃能力や周波数等の情報収集のために、ソ連機が頻繁に日本領空に接近していたほか、現在では中国軍機とみられる戦闘機が多くなっている。

気球など対処の必要が無いと判断された機体に対してはスクランブル発進を行わないこともある。

なお、スクランブル発進は領空侵犯する虞れがある場合に行うため[注釈 6]、「スクランブルを行った回数 = すなわち領空侵犯の回数」とはならない。

日本の領空侵犯事件[編集]

ベレンコ中尉亡命事件[編集]

1976年ソビエト連邦軍現役将校ヴィクトル・ベレンコが、MiG-25迎撃戦闘機日本函館空港に着陸し、亡命を求めた事件。この事件において自衛隊は、MIG-25を発見できず着陸を許してしまったため、攻撃目的の場合でも同様に航空自衛隊の防空網を簡単に突破されてしまう危険が露呈した。その後早期警戒機E-2Cが導入されるなどし防空網の強化がなされた。

対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件[編集]

冷戦下のソ連軍機による領空侵犯は20回以上発生しているが、1987年(昭和62年)に発生したこの事例は陸・海・空の自衛隊が創設以来初めて警告射撃(信号射撃による警告)を行った事件として有名である。

中国機尖閣諸島領空侵犯事件[編集]

2012年12月13日、尖閣諸島上空で領空侵犯した中国国家海洋局所属の航空機(Y-12)を、海上保安庁巡視船が視認した。航空無線機にて国外退去を要求し、さらに防衛省へ通報した。この事件は、領空侵犯した航空機を海上保安庁の巡視船が国外退去を促した初の事例である。

その他の領空侵犯事件[編集]

軍用機による領空侵犯事件[編集]

民間機による領空侵犯事件[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ もっとも、軍用のミサイルはこの限りではないが、高度200〜300kmを高速飛行する物体に戦闘機を発進させて、目視確認することはできない。
  2. ^ その国の情勢如何(戦乱など)では、即座に撃墜するなどの手段が行われる可能性もある。
  3. ^ ただし、冷戦構造下という側面もあり、アメリカを中心とした西側諸国が特に強く非難した。
  4. ^ 国際慣例上、軍用機に対しては退去を命じてもそれを無視され領空を侵犯する場合、これを攻撃しても問題はないとされる。
  5. ^ 撃たれてからでは遅い現代の空中戦では、先手をとられる形になる。
  6. ^ 領空侵犯をしてから飛び立つと間に合わないので、実際は、領空の周囲に防空識別圏を設定して、実際に領空のラインを割るまでの余裕を持って発進するようにしている。

出典[編集]

  1. ^ 浦野起央『地図と年表で見る 日本の領土問題』2014年、28頁。 
  2. ^ マイコミ新書『日本人が知らない日本の安全保障』著:加藤ジェームズ、2011年P52
  3. ^ 国際民間航空条約の改正に関する千九百八十四年五月十日にモントリオールで署名された議定書 (第三条の二に関するもの),日本国外務省
  4. ^ 緊急発進対象は「日本機」 中国軍研究者、香港紙に 共同通信2014年2月2日[リンク切れ]
  5. ^ a b c 日本放送協会. “【詳しく】日本上空の偵察用気球「撃墜可能」に? 見直しの経緯と課題 | NHK”. NHKニュース. 2023年2月15日閲覧。
  6. ^ 政治経済研究会『自衛隊史 祖国を護るとは』著:寺田晃夫 1997年 P443
  7. ^ a b 政治経済研究会『自衛隊史 祖国を護るとは』著:寺田晃夫 1997年 P444
  8. ^ 平成18年度緊急発進実施状況” (PDF). 統合幕僚監部 (2007年4月24日). 2008年3月6日閲覧。
  9. ^ 平成26年度緊急発進実施状況” (PDF). 統合幕僚監部 (2015年4月15日). 2015年12月10日閲覧。

関連項目[編集]