小島祐馬

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小島 祐馬(おじま すけま、1881年12月3日 - 1966年11月10日)は、東洋史学者・東洋思想史研究者(中国社会思想史)。京都帝国大学名誉教授。号は「抱甕」(ほうおう)。

来歴[編集]

高知県吾川郡春野町(現在の高知市)生まれ。高知県立第一中学校第五高等学校を経て、1907年に京都帝国大学法科大学卒業、1912年に京都帝国大学文科大学卒業。また京都帝大在学中には、京都法政学校(現立命館大学)附設の東方語学校で狩野直喜中国語を学んでいる。

1916年、同志社大学法学部教授、1920年、京都帝国大学経済学部講師、1921年、第三高等学校講師、1922年、京都帝国大学文学部助教授となり、1931年に教授に昇進し、「支那古代社会の研究」によって文学博士の学位を得る。1936年より文学部長、1939年に人文科学研究所初代所長などの役職を歴任。1941年に依願退職し、1942年、名誉教授の称号を受ける。1949年に日本学士院会員、1965年に勲二等瑞宝章

業績[編集]

1920年9月、京大支那学の研究誌として『支那学』が創刊されたさい、本田成之青木正児と共に発起人に名を連ね、その後長く同誌の編集に関わった。

京都帝国大学においては、経済学部で東洋経済思想史、文学部で支那哲学史講座を担当。中国思想史の研究に際して、あくまでテクストの厳密な解釈を重視する同窓の武内義雄と異なり、思想の背景となる社会史との関わりでとらえ、社会思想史研究の枠組みで考察しようとしたことに彼の学問の特色がある。このような視点・方法は小島によってはじめて確立され、戦後の研究も彼の立場を継承し行われている。

旧蔵書は、「小島文庫」として高知大学附属図書館に収蔵されており『小島文庫目録』が、1987年に刊行された。

エピソード[編集]

小島自身は必ずしもマルクス主義などの左翼思想にシンパシーを持っていたわけではなかったが、同じ京大の経済学部教授であったマルクス経済学者河上肇と深い親交を結んでいた。

また滝川事件に際し、滝川幸辰教授の免官に抗議し京大法学部の全教官が辞職しようとする動きが出ると、文部省の介入に対し大学自治を守るという観点から、文学部教授の中では哲学の田辺元とともにこれを支持する側に回り、久野収らの学生運動家を励ました。

著書[編集]

  • 『古代支那研究』 弘文堂、1943年
  • 『社会思想史上における「孟子」』 三島海雲記念財団、1967年
  • 『中国の革命思想』 筑摩書房〈筑摩叢書〉、1967年、復刊1985年
    • 初刊は、同上(弘文堂・アテネ新書、1950年)+「中国共産党」(同・アテネ文庫、1949年)。
  • 『中国の社会思想』 筑摩書房、1967年、論考集
  • 『中国思想史』 創文社、1968年、復刊2000年。講義ノートが基
  • 『政論雑筆』 みすず書房内田智雄編、1974年
    • 初刊は「中江兆民」(アテネ文庫、1949年)+ 随想

参考文献[編集]

評伝[編集]

  • 『東方学回想 Ⅳ 先学を語る〈3〉』(刀水書房、2000年)、座談での弟子達の回想
  • 『東洋学の系譜 第2集』(江上波夫 編、大修館書店、1994年)、列伝・年表・主要著作一覧での人物紹介
  • 岡村敬二 『京大東洋学者 小島祐馬の生涯』(臨川書店〈臨川選書〉、2014年)