名古屋高速都心環状線

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名古屋高速道路

名古屋高速R号標識

名古屋高速都心環状線
地図
名古屋高速と周辺有料道路のルート図。中央部のRが都心環状線。
路線延長 10.3 km[1]
開通年 1985年 - 1995年
名古屋市を巡行する環状線
接続する
主な道路
記法
Japanese Urban Expwy Sign 0001.svg1号楠線
Japanese Urban Expwy Sign 0002.svg2号東山線
Japanese Urban Expwy Sign 0003.svg3号大高線
Japanese Urban Expwy Sign 0004.svg4号東海線
Japanese Urban Expwy Sign 0005.svg5号万場線
Japanese Urban Expwy Sign 0006.svg6号清須線
テンプレート(ノート 使い方) ウィキプロジェクト 道路

名古屋高速都心環状線(なごやこうそくとしんかんじょうせん)は、愛知県名古屋市の、中区東区昭和区中川区中村区西区環状に回る名古屋高速道路路線である。

概要[編集]

放射状になっている名古屋高速道路の各路線を接続する時計回りの一方通行路線である[2]。また、都心部との流出入の役割も担うことから愛知県庁名古屋市役所等の官公庁街をはじめ金山名古屋駅付近に出入口を設置している。車線は概ね3車線で、一部区間で4車線も存在する[3]。ただし、ジャンクションのカーブ区間では山王JCTを除いて2車線に減少する[4][5]

英語での表示はRing、路線番号は数字に替えて「R」となっている[6]。ただし、上空から見た場合の路線形状はRing(輪)よりも四角に近く、これは都心環状線が直線と急カーブの両極端の組み合わせであることの反映である(後述)。また、日本における他の都市高速道路の環状線と異なり[注釈 1]、すべて既存の平面街路の上部に施工されている[1]

道路法上は、愛知県道高速名古屋朝日線(中村区名駅四丁目 - 清須市朝日)・愛知県道高速名古屋新宝線(中村区名駅四丁目 - 東海市新宝町)・名古屋市道高速2号(北区大我麻町 - 緑区大高町)の各一部と、名古屋市道高速分岐2号(西区那古野二丁目 - 東区泉二丁目)・名古屋市道高速分岐3号(中川区山王三丁目 - 昭和区御器所一丁目)のそれぞれ全部からなる[7]

路線データ[編集]

  • 起点 : 愛知県名古屋市東区泉二丁目
  • 終点 : 愛知県名古屋市東区泉二丁目
  • 距離 : 10.3km[8]
  • ランプ : 8箇所(入口および出口とも4箇所ずつ)
  • 分岐 : 6箇所
  • 車線 : 3車線 - 4車線[8]
  • 速度規制:直線部・最高速度60km/h、曲線部・最高速度50km/h[8]

通過する自治体[編集]

接続する高速道路[編集]

3号大高線の都心環状線利用案内標識。都心環状線が一方通行方式のため3号大高線→1号楠線へは直進不可。

全て名古屋高速道路との接続である。

都心環状線は時計回りの一方通行方式であることから、走行経路によっては各路線の接続距離に差異が生じる。一例を挙げると、1号楠線から3号大高線に接続する場合は短距離の直線連絡となるが、反対に3号大高線から1号楠線に接続する場合は、東別院、名駅を経て大きく迂回しなければならない[9][2]。この場合、直線移動と比較すると約4kmの大回りである。特に3号大高線から2号東山線に直通する場合、鶴舞南JCT - 丸田町JCT間は直線距離にして1.2kmであるにもかかわらず、実際の走行は環状ルートの4分の3以上、9.1kmを走行しての連絡である[2]

なお、都心環状線のほぼ中央を東西に貫通する2号東山線の新洲崎JCT - 丸田町JCT間(2.2km)は都心環状線の走行ルートとして使用することは出来ない。これは、ジャンクションの渡り線が環状ルートの外側に設けられ、内側には無いためである[10]。従って、新洲崎JCTは5号万場線のみと連絡、丸田町JCTは2号東山線の吹上、高針方面のみの連絡であり、その内側の2.2km区間に直接乗り入れることは出来ない。逆も同様で、5号万場線から都心環状線に乗り入れできるのは新洲崎JCTのみで丸田町JCTで合流することはできない。また、2号東山線吹上方面から環状ルートに合流できるのは丸田町JCTのみで新洲崎JCTで合流することはできない。

出入口など[編集]

出入口番号 施設名 接続路線名 起点から
km
備考 所在地
↓(R)都心環状線↓
- 東片端JCT (1)楠線 0.0 東区
R01 東新町出口 名古屋市道堀田高岳線(空港線) 1号楠線との集約出口[11]
R02 東新町入口 中区
- 丸田町JCT (2)東山線 東名高針方面 1.7
- 鶴舞南JCT (3)大高線 2.9 昭和区
R03 東別院出口 前津通 中区
R04 東別院入口 名古屋市道山王線(山王通)
- 山王JCT (4)東海線 5.2 中川区
- 新洲崎JCT (5)万場線 6.3 中村区
R05 錦橋出口 錦通 7.1
R06 名駅入口 錦通
- 明道町JCT (6)清須線 8.1 西区
R07 丸の内出口 国道22号伏見通 中区
R08 丸の内入口 国道22号(伏見通)
- 東片端JCT (1)楠線 10.3 東区
↓(R)都心環状線↓

歴史[編集]

開通前[編集]

浅間町交差点から清水口交差点間に建設される筈だった高速分岐1号(破線部)。計画段階で廃止され陽の目を見ることはなかった。また、高速分岐2号は計画途中から半地下式に変更されたが、その後高架式に再変更された。
首都高速中央環状線の上下線分離方式の高架2層構造(画像左)と2号東山線の半地下構造(画像右)。都心環状線の計画段階ではこのタイプが考案された。 首都高速中央環状線の上下線分離方式の高架2層構造(画像左)と2号東山線の半地下構造(画像右)。都心環状線の計画段階ではこのタイプが考案された。
首都高速中央環状線の上下線分離方式の高架2層構造(画像左)と2号東山線の半地下構造(画像右)。都心環状線の計画段階ではこのタイプが考案された。
換気施設が計画された米国領事館跡(現在の愛知県図書館)付近(画像左)[12]と大津橋交差点から久屋交差点にかけての地下鉄名城線との交差部(画像右)[13]。仮に高速道路を地下、半地下式とした場合、換気所の建設と維持費用に加え、久屋大通との交差点付近を盛り土する必要が生じ、工期の長期化に加え工費が跳ね上がるとされた[14]。 換気施設が計画された米国領事館跡(現在の愛知県図書館)付近(画像左)[12]と大津橋交差点から久屋交差点にかけての地下鉄名城線との交差部(画像右)[13]。仮に高速道路を地下、半地下式とした場合、換気所の建設と維持費用に加え、久屋大通との交差点付近を盛り土する必要が生じ、工期の長期化に加え工費が跳ね上がるとされた[14]。
換気施設が計画された米国領事館跡(現在の愛知県図書館)付近(画像左)[12]と大津橋交差点から久屋交差点にかけての地下鉄名城線との交差部(画像右)[13]。仮に高速道路を地下、半地下式とした場合、換気所の建設と維持費用に加え、久屋大通との交差点付近を盛り土する必要が生じ、工期の長期化に加え工費が跳ね上がるとされた[14]

都心環状線は、原初計画案では双方向式の片側3車線(往復6車線)で考案された[15]。その内訳は、高架2層式として、上層と下層で3車線ずつ、合わせて6車線という内容で、明道町JCT - 東片端JCT間(高速分岐2号)と浅間町交差点から清水口交差点との間で計画された高速分岐1号が高架1層の片側一方通行式2車線(高速分岐1号と高速分岐2号を合わせて双方向とした)[16]、鶴舞南JCT - 山王JCT間(高速分岐3号)が高架2層式片側2車線(上下合わせて4車線)とされた[17]

しかしながら、1970年代半ばに高まりを見せていた都市高速建設反対運動のうねりは都心部の環状ルートの在り方まで再検討を迫ることになった[18]。もっとも、名古屋市の道路事情は年々交通渋滞が慢性化し、一刻も早い渋滞解消を望む高速道路建設促進派が多数を占めることで、名古屋市としては反対派と促進派の陳情を天秤にかけることになった[19]。その結果、建設は続行とするが、地域住民に配慮して環境保全に万全を期する意図から可能な限り地下、半地下方式を採用することになった[19]。また、交通量の将来予測を再検討した結果、当初予測の4分の3程度に下回ることが予見されたことに加え[18]、環状部のダブルデッキによるジャンクションが複雑化して建設の難易度が高いことも加味され[20]、これらを検討した結果、環状部の大幅な簡略化を断行することになった。環状部の構造変更案は2案出され、1つは都心ループの全面廃止(東西路線の2号東山線が南北2路線を連結するのみ)、もう1案が双方向式を止めて右回り一方通行方式として高速分岐1号を廃止する案であった[18]。前者は分岐線が無いぶん工費は安いが、南北路線2本を連結する2号東山線の新洲崎JCT - 丸田町JCT間が最低3層必要で構造が複雑[18]、後者は工費は高いが高架構造やJCTをシンプルにできるうえに日照、排気ガス、テレビ障害等の克服に有利で、公社も当案を腹案として練っていた[21][18]。結果的に後者が採用され、時計回りの3車線一方通行方式として、高速分岐2号とそれに接続する高速1号と高速3号の一部が地下構造に変更された。併せて構造変更に伴う建設費増大を抑制するために4号東海線と6号清須線は整備計画から除外され[22]、これらは1976年11月に都市計画決定された[23][注釈 2]。なお、一方通行方式採択の折には、東名高速道路名古屋IC東名阪自動車道名古屋西JCT間の通過交通を都心から排除するために高速1号(5号万場線と2号東山線の道路法上の名称)の新洲崎JCTと丸田町JCT間を切断する案もあったが[18]、こちらは構想倒れに終わっている[24]

高架式に比べ半地下、地下(トンネル)方式は工事費が2倍以上になることは変更時点で既に判明していたことであるが[25]、1982年にもなっていよいよ採算性が悪化することで将来の償還計画に影響することが認識され、地下鉄や河川を跨ぐことで工事の難易度が増し工期も長期化することが問題となった[注釈 3]。特に外堀通は地表近くを市営地下鉄名城線が横断することから、この直上を半地下式で構築すれば付近の平面道路を300mに渡って約2mのかさ上げを要することで工期が長引くことが問題視された[14]。そして、この半地下区間を挟む明道町と東片端の区間はトンネル式(地下構造)であることから[12]排気ガスを外へ出すための換気所が必要となる。これは景雲橋と東片端の2か所に計画されたが[26]、これによるさらなる事業費の増大が懸念された[27][28]

公社は利用者が支払う通行料金で建設に係る借金を返済する償還方式を採用することから[29]、利用台数が伸びなければ料金収入が減り、借金返済が厳しさを増すうえに、営業収支の赤字を賄うための新たな借金を背負う悪循環に陥る[注釈 4]。さらに通行料金を値上げすれば利用台数が減少することから大幅な値上げは出来ない。よって、通行台数を上げるには建設が滞っている路線を一刻も早く開通させ、路線ネットワークを拡大することが急務となるが、この半地下、地下方式では工期の長期化と工事の停滞が相まってネットワーク構築の大きな障害となっていた[30]

また、年数を重ねるごとに建設費用が高騰することと[31][注釈 5]路線ネットワークが未構築のために通行台数が予定を下回ることは、建設工事に要する支出ばかりが増長して通行料金収入が伸び悩むことを意味し、結果、増大する借金のみならず利息さえ払うに難儀する状況にも置かれた[32]。なお、この当時(1984年度)の公社の財務状況は通行料金収入36億円に対し、借金の返済は48億円で、日換算で600万円の赤字経営となっていた[32]。このため、公社は環状部とそれに連結する道路を高架式に戻すことを名古屋市に持ち掛け[33][34]、これを基に協議した結果、高架式に戻すことを決定、1987年8月に都市計画変更された[35]。 これ以後、障害のなくなった都心環状線と1号楠線は全線開業に向けて工事のスピードを速め、1995年9月に全線の供用に漕ぎ着けた。

開通後[編集]

都心環状線は5段階に分けた部分開通によって路線を延伸のうえ全線開通を見ている。第1期は東新町入口 - 鶴舞南JCT - 東別院出口、第2期は新洲崎JCT - 名駅出口(現・錦橋出口)、第3期は東別院出口 - 新洲崎JCT、第4期は名駅出口 - 丸の内出口、第5期が丸の内出口 - 東新町入口間開通による全線開通である[36]

都心環状線の延伸はそのまま通行台数の向上となって現れ、放射道路が都心で繋がることの重要性が如実に示されることになった[37]。放射道路の単体で開通した3号大高線の通行台数が長らく伸び悩んでいたものが[38][39]、都心環状線の一部分にせよ接続したことでその利便性から利用台数が上昇に転じ[40]、東名阪自動車道と接続する5号万場線が3号大高線と都心小ループで接続されるとさらに上昇した[41]。公社の経営も赤字から黒字に転換し[42]、1995年の都心環状線全線開業では1号楠線とも接続されたことで2万8千台増の15万4千台まで増加している[43]

年表[編集]

  • 1970年昭和45年)9月25日 : 最初の都市計画が認可[44]。この時点で都心環状線は分岐3路線を持った双方向通行式とされた[45]
  • 1974年(昭和49年)9月12日 : 名古屋市議会建設環境部会で本山市長は名古屋高速のうち可能な範囲で半地下、地下方式を採用することを表明[19]
  • 1975年(昭和50年)5月27日 : 名古屋市は市議会建設環境部会に名古屋都市高速道路素案を提出。この中で都心環状ルートについて3車線一方通行方式とすることを提示[22]
  • 1976年(昭和51年)
    • 6月1日 : 市議会建設環境部会が都市計画変更原案(3車線一方通行方式の採用、半地下、地下式の採用等)を了承[46]
    • 11月29日 : 都市計画変更。都心環状線を双方向通行式から1方向通行方式に改め、これに伴い高速分岐1号を廃止。高速分岐2号は高架式を半地下式に変更し[47]、高速分岐3号は高架2層式を1層式に変更[23]
  • 1977年(昭和52年)5月25日 : 高速3号は都心環状ルートの明道町JCT - 山王JCT間を除いて整備計画から除外[48]
  • 1982年(昭和57年)7月6日 : 愛知県議会公社事業対策委員会で公社理事長は経営的な問題から整備計画の見直し(半地下、地下構造を再度高架構造化)を検討していることを証言[49]
  • 1985年(昭和60年)
    • 3月5日 : 市議会本会議で本山市長が高架再変更を答弁[50]
    • 5月7日 : 東新町入口 - 東別院出口間の供用を開始し、鶴舞南JCTで3号大高線に接続[3]
    • 10月15日 : 公社は高架式への見直し案を出資者の名古屋市長と愛知県知事に提出[51]
  • 1986年(昭和61年)
    • 2月15日 : 市議会建設環境部会で西尾市長は都心環状ルートを含む半地下、地下ルートを高架式に戻すことを正式表明[52]
    • 5月15日 : 市議会建設環境部会で高架式に戻す名古屋市原案を了承、高架化論議は事実上決着[53]
  • 1987年(昭和62年)
    • 8月10日 : 都市計画変更。高速2号と高速3号の一部と高速分岐2号を半地下式から高架式に再変更[35]
    • 8月31日 : 新洲崎JCT - 名駅出口(現在の錦橋出口)間の供用を開始し、新洲崎JCTで5号万場線に接続[54]
  • 1988年(昭和63年)4月26日 : 東別院出口 - 新洲崎JCT間の供用を開始[55]。また2号東山線が吹上まで延伸され丸田町JCTで接続。併せて当JCTと吹上暫定連絡路経由の都心小ループが完成[56]
  • 1989年平成元年)6月16日 : 東別院入口を開設[57]
  • 1993年(平成5年)8月25日 : 東片端付近の用地買収の遅延から都心ループの完成が1994年度から1年遅れることを報道発表[58]
  • 1994年(平成6年)9月12日 : 名駅出口 - 丸の内出口間の供用を開始[59]。ただし、この時点では丸の内出口が終点のため利用距離が短いことから名駅入口の供用は見送られた[55]
  • 1995年(平成7年)9月19日 : 丸の内出口 - 東新町入口間の供用を開始し(名駅入口と東新町出口も供用開始[36]、名駅出口は錦橋出口に改称[60])、全線の供用を開始[36]。これに合わせて環状部の名称を「都心環状線」とした[61][注釈 6]。東片端JCTで1号楠線に接続する[62]。これを機に吹上暫定連絡路を廃止(19日午後3時をもって閉鎖[9])。これを機に通行料金の値上げが実施されたが、20日午前0時からの実施とされた[9]
  • 1999年(平成11年)11月11日 : 丸の内入口を開設[63]
  • 2007年(平成19年)8月6日 : 山王カーブ(山王JCT)の拡幅が完成[64]
  • 2007年(平成19年)12月9日 : 明道町JCTで6号清須線に接続[64]
  • 2010年(平成22年)9月4日 : 山王JCTで4号東海線に接続[65]

交通量[編集]

平日24時間交通量(平成17年度道路交通センサス)

  • 愛知県名古屋市中村区名駅南1丁目 : 53,464
  • 愛知県名古屋市中区丸の内2丁目 : 46,184
  • 愛知県名古屋市中区千代田4丁目 : 58,131

特記事項[編集]

環境対策・都市景観への配慮[編集]

高速2号(画像左)と高速分岐2号(画像右)。同じ都心環状線を構成するも都市景観の配慮から外観が大きく異なる。 高速2号(画像左)と高速分岐2号(画像右)。同じ都心環状線を構成するも都市景観の配慮から外観が大きく異なる。
高速2号(画像左)と高速分岐2号(画像右)。同じ都心環状線を構成するも都市景観の配慮から外観が大きく異なる。

外堀通直上を通過する高速分岐2号(明道町JCT - 東片端JCT間)は半地下式で計画されたものを高架式に再変更したことで、名古屋城外堀の景観との融合が課題となった。これについては名古屋市の専門委員のほか、建築家の黒川紀章のアドバイスを取り入れながらデザインを決定した[66]。このため、都心環状線においてこの区間のみ外観が異なり、色彩はオフホワイトで統一され、張出し桁部は化粧板で覆い[注釈 7]、柱も威圧感低減の意図から大きく面取りされた八角形の1本柱を特徴とする[67][68][69]。そして橋脚は梁を省略して橋桁と剛結した[67]。また、後述のパイプ照明とは別に名古屋城外堀区間以外では従来仕様の柱式道路照明を用いたが、一般的なポールタイプでは都市景観に向かないことから四角柱によるシンプルな照明とした[70]。中央分離帯については周辺環境との調和を図るために円形に盛り土して、そこに地被植物(フッキソウ)を植樹した[71]

東新町入口 - 高辻出入口間における建設では地域住民の理解を得るために都市景観に配慮したデザインを行った。特に高架が与える無機質な印象を払拭するためにルーバーを設置のうえ、沿道にはカラータイルを貼るなどして対応した[72]。また、住民側は高架による地域分断イメージの払拭、商店街はシンボルタワーを制作するための空間の確保のためピア(橋脚)の高さを13mから18mに上げるよう要望したが、現実問題として全線18mに変更するには再度の都市計画変更を要し[73]、ジャンクションにおける合流ランプの構成上の問題[74]、および原則的に立体構造によって鉄道や道路を超える場合など公共的な理由によらず13mを超えて建設することはできないとされた[73]。このため、商店街振興という名目で都市計画変更の必要がない15mという条件で変更することになり、東新町交差点では着工後であったにもかかわらず高架のかさ上げを実施した[73]。そのほか、道路高欄上に取り付ける遮音壁は、大高線では吸音タイプを全面に取り付けたが、日照遮断の問題があることから高速分岐3号の鶴舞南JCT - 東別院出口間の北側に透光性タイプを試験的に取り付けた[75]。このタイプの遮音壁は住民要望によって東新町入口においても取り付けを行った[76]。透光性パネルはこれ以後に建設された路線では改良を加えて採用している[77]

ヒメボタル生息区域への配慮[編集]

外堀通の上部を通る高速分岐2号は名古屋城外堀跡に生息するヒメボタルの生態系保護のため、ヒメボタル生息区域を照射しない照明を要された[注釈 8]。このため、パイプ照明器具を採用することとし、併せてドライバーへのグレア対策も満足させるために防音壁上端に連続設置した[78][79]

都心小ループ[編集]

1988年4月26日の都心小ループ完成時の路線図[56]。紺色線が都心環状線で破線は未開通線。(路線番号は解りやすさから現在の基準で表示)

環状ルートが全線開業していなかった時代、環状線が時計回りの一方通行方式である制約から5号万場線から3号大高線へ直通することは不可能であった。そこで、吹上まで延伸した2号東山線を吹上にてUターンさせたうえで丸田町JCT経由で3号大高線に直通させることとして、吹上暫定連絡路が開設された。これが都心環状線における最初の環状形態であり、都心小ループと称された[56]。その後、吹上暫定連絡路は環状ルート全通により廃止された[80]

ジャンクションカーブ[編集]

都心環状線は既設の直線状の大通りに建設されたこともあって直線区間が多勢となっている。このことは用地の制約から既設の道路上しか建設できない都市高速道路特有の問題をも浮き彫りにしている。つまり、高速道路の向きを変える場合に十字に交わる既設の道路上をカーブすることから、勢いカーブ半径も小さくなり、半径90mの急カーブとならざるを得ないことである[81]。1985年に東新町入口 - 東別院出口が都心環状線として初めて開通して以降、3号大高線と高速分岐3号を繋ぐ鶴舞南JCTでスピード超過によりカーブを曲がり切れずに側壁に激突する利用者が続出したことから[81]、公社としては路面の表示変更やカーブ部分の点滅灯を黄色から赤色にするなど様々な対策を取ってきた[82]。現状では都心環状線に存在する6つのジャンクション全てに急カーブが存在し、この区間の最高速度は50km/hに規制されている[83] 。なお、その後も同様の事故が頻発し、材木および金属を積載したトラックが激突のうえ材料落下によって民家に甚大な被害を与えて以降は[84]カーブ箇所に落下防止用フェンスが設置され、ジャンクションカーブに特有の印象を付与している[85]

都心環状線直線区間の基本3車線に対して、ジャンクションカーブ区間は2車線に減少する。このことから、かつて山王JCTでは渋滞が多発し、それを先頭として3号大高線全線に渡って渋滞が発生していた。この対策として、4号東海線が接続する直前に都市計画変更のうえ、当該ジャンクションを3車線に拡幅、併せてカーブ最小半径も拡大された[4][5]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 首都高速道路都心環状線阪神高速道路1号環状線および福岡高速環状線
  2. ^ 4号東海線と6号清須線は都市計画としては残され、1977年に整備計画から除外された。(『中日新聞』1975年5月27日夕刊、pp.1)。
  3. ^ 1982年7月、当時の公社理事長は物価上昇による建設費の高騰を尻目に工事は進まず止まっている所さえある中で、伸び悩む利用台数と料金収入に対して不安視している、これについて計画見直し(半地下、地下式から高架式への構造変更を指す)もありうると県議会で証言した。(『中日新聞』1982年7月6日夕刊、pp.1)。
  4. ^ 1979年以降1988年までの営業収支の赤字を賄うために新たな債権発行による資金調達を実施した(『名古屋高速道路公社四十年史』p.314)
  5. ^ 1979年開業の大高線の建設費は1kmあたり67億円だが、1995年の都心環状線全線開業に要した費用は1kmあたり220億円と3倍超に膨れ上がっている(『中日新聞』1995年9月18日朝刊、13頁)。
  6. ^ 同時に放射路線の番号改変も実施された。詳細は名古屋高速道路#歴史を参照。
  7. ^ 化粧板(鉄板)で覆い美装することは地域住民側からの要望(『名古屋高速道路強行建設反対運動の記録』pp.240 - 241)
  8. ^ ヒメボタルの交尾において雄が発光する光に雌が反応のうえ発光し雄を誘発する。通常の道路照明では交尾に影響を与えかねないとされる。(『名古屋高速道路工事誌II』pp.30 - 31)

出典[編集]

  1. ^ a b 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, pp. 66.
  2. ^ a b c 都心環状線の利用方法” (日本語). 名古屋高速道路公社. 2015年11月8日閲覧。
  3. ^ a b 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, pp. 460.
  4. ^ a b 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, pp. 137 - 138.
  5. ^ a b 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, pp. 279.
  6. ^ 名古屋高速道路公社 工事誌編集委員会 1998, pp. 611.
  7. ^ 路線名・整備計画図 - 名古屋高速道路公社
  8. ^ a b c 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, pp. 66 - 82.
  9. ^ a b c “[Oh!ふろしき]名古屋高速「都心環状」19日に開通「北→南」便利に”. 毎日新聞. (1995年9月17日朝刊) 
  10. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, pp. 221.
  11. ^ 名古屋高速道路公社 工事誌編集委員会 1998, pp. 246.
  12. ^ a b “地域の中の都市高速道路”. 中日新聞: pp. 10. (1976年6月18日朝刊) 
  13. ^ 名古屋高速道路公社 工事誌編集委員会 1998, pp. 200 - 201.
  14. ^ a b “「高架式へ変更」提出 名古屋都市高速2号線北部と分岐2号線 工期、採算を重視“地下式”から逆戻り”. 中日新聞: pp. 1. (1985年10月15日夕刊) 
  15. ^ 名古屋高速道路公社20年史編集委員会 1991, pp. 45 - 46.
  16. ^ 名古屋高速道路公社20年史編集委員会 1991, pp. 16.
  17. ^ 名古屋高速道路公社20年史編集委員会 1991, pp. 48 - 49.
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参考文献[編集]

  • 名古屋高速道路公社 工事誌編集委員会 『名古屋高速道路工事誌II』、1998年 
  • 名古屋高速道路公社20年史編集委員会 『名古屋高速道路公社二十年史』、1991年 
  • 名古屋高速道路公社30年史編集委員会 『名古屋高速道路公社30年史』、2002年 
  • 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 『名古屋高速道路公社四十年史』、2012年 
  • 東新円上間高速道路強行建設反対期成同盟 『名古屋高速道路強行建設反対運動の記録』 (蓮左書房版)、2009年ISBN 4892766186 
  • 『名古屋高速道路ミニマップ』名古屋高速道路公社経営企画部、平成27年6月版(電子版でも閲覧可能[1]
  • 『名古屋高速道路案内地図 Access Guide Map』名古屋高速道路公社経営企画部、平成27年6月版

関連項目[編集]

外部リンク[編集]