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台湾の神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉田初三郎「台灣神社鳥瞰圖」

台湾の日本統治時代には、台湾各地に神社が創建された。ここではそのような台湾の神社(たいわんのじんじゃ )について述べる。

沿革

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神社設立の端緒

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開山神社社殿(1915年以前)。

1895年(明治28年)5月29日、日本軍が上陸して台湾を占領し、同年6月17日には初代台湾総督樺山資紀が台北で就任式を行い、日本による植民地支配の開始を宣言した。 日本統治初期、台湾総督府は台湾の地方宗教に対して自由放任主義をとっていた。

1896年(明治29年)7月、当時の磯貝静蔵台南県知事は、桂太郎台湾総督に鄭成功を祀る延平郡王祠(開山王廟)を神社にすることを提案した。これは、地元の信仰と神道を融合させることで神道の布教を推進し、鄭成功の日本人の血筋(鄭成功の母は日本人、つまり鄭氏は日系人)と「民族英雄」「開山聖王」としての地位を強調することで日本統治に対する支持を得ようとするものであった。台湾総督府が拓務省の裁可を受けて、1897年2月13日、延平郡王祠は開山神社に改名された。開山神社は日本の伝統的な神社建築ではなく、元の延平郡王祠の閩南宮廟式建築を踏襲した[1]。開山神社は台湾で最初の神社であり、台湾の民間信仰を神社に変えた唯一の例である。

神社規則に従って建てられた最初の公的資金による神社は、1900年9月に設立された台湾神社、後の台湾神宮である[2]。同社は、台湾で殉職、薨去した北白川宮能久親王を主祭神とした。

台湾に神社が増えるにつれて、台湾総督府は1899年に神社設置に関する規則を公布し、神社を設置するには台湾総督に申請しなければならず、本殿、拝殿、その他の必要な施設を備えなければならないとした[3]。

内地延長主義下の神社

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1915年の西来庵事件後、台湾総督府は台湾の宗教を積極的に教化・管理するようになり、3年にわたる宗教調査を開始した[4]。 第一次世界大戦後の民族自決のイデオロギーと相まって、1919年に台湾初の文官総督である田健治郎が就任し、内地延長主義を中心とする同化政策を開始した。 政府は台湾固有の宗教を改革・規制する一方で、神道信仰の影響力を高めるために、神社の大規模な建設が行われた。

大正12年(1923年)府令では、無許可の「社」設置を規制するため、県社以上の社格の神社には本殿、拝殿、社務所、手水舎、鳥居などを備えること、それ以下の社格の神社の離れ拝殿もその仕様に含まれ、民家の神社は一般に公開してはならないこと、学校・軍隊の遙拝所や神社は関係者のみ参拝が許されること、神社の建物は簡素であるべきで、神明造・大社造・流造等の形式は不可とされ、白木造が推奨されることなどが定められるなど、この時期には台湾の神社を日本本土の神社と同水準にすることを目的として神社に関する多くの規制が設けられた[5]。

皇民化運動下の神社

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1930年代、国家総動員の高まりと共に、日本政府は宗教・思想に対する統制を強化し始めた。各学校には小学生の定期的な神社参拝が要求され、公立学校では諸々の記念日に祭典が催された。神社設立を強化するため、台湾総督府は1934年9月に「神社建設要項ニ関スル件」を発表した。全島の各拠点各地区に神社を建設し、島民をして敬神崇祖、報本返始の誠を有せしむとの旨が記され、社会啓蒙の中心としての神社の機能を強調するとともに、「一街庄一社」(街庄は台湾の行政区画)の原則を採用し、一日も早く目標を達成し、みだりに神社が建設されることを避けるために神社に各種施設を建設する際の最低基準と資金を明記し、神社の規模や設備についても詳しく説明した[5]。この際の人材(神職等)・資源不足を受け、神社への資源配分を効果的に行うため、台湾総督府文教局は1938年、社格を具えない「社」の新たな創建を認めず、神社附属の「摂末社」の創建を推進するようになった。近隣にすでに神社がある場合、またはこれから神社を建立する場合は、その神社を廃止するか摂末社に改める。攝末社の設立は原則として部落ごとに行われ、神社が鎮守されている地方については、その街庄、郡の総社の攝末社となった。摂末社には、本殿・手水舎・鳥居・宿舎等、必要な施設を備えることが義務付けられた[5]。89個街庄和15郡

皇民化運動とともに、神社造営は「皇紀二千六百年」(1940年)を迎えて頂点に達した。1941年に開始された「皇民奉公運動」では、寺廟の解体を緩和したり、祖先祭祀の代わりに神宮大麻の奉祀を強制するなどの修正を加えて調整されたが、神社参拝の義務は更に強化された[6]。

このほか、相当の社格以上の神社に神の思想の発揚という重大任務を与え、神社の創建・管理の資金を欠く中に在って、神社の重要性を高め、影響を拡大するために、この時期に既存の神社を大量に昇格させた。台湾神社は1944年6月に台湾神宮に列格された。最後に列格された神社は北港神社で、終戦の日である1945年8月15日に郷社から県社に列格された[7]。

終戦時の台湾には273個の市街庄があったが、各地の官立神社は68社に留まり、「一街庄一社」は半分も達成されず、その多くは本土からの移民が多い地区が主であった。89個の街庄と15の郡に留まったが、一郡一社には達していた。

第二次世界大戦後の神社

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台南忠烈祠に改められた旧台南神社。

第二次世界大戦の終戦前、神社が部外者に破壊されることを心配した信者たちの発案で、奉焼された神社もあった[8]。その中には左営の震洋神社など軍の「営内神社」もあり、終戦直前には大湳祠、知本祠も奉焼されたとされる[8]。

日本の敗戦後、神社の多くは中華民国の戦死者を祀る忠烈祠(中国語版)に改装されるか、1972年の日台断交による反日感情の高まりで破壊された。だが、近年は神社再建の動きが高まっている。

2015年(平成27年)8月11日、屏東県牡丹郷高士村に「台湾 復興第一之宮」として高士神社が再建された[9]ほか、同年台中市で現在は台中公園となっている台中神社の鳥居を修復する動きがある。

2015年10月28日には台東県鹿野郷の鹿野神社(鹿野村社)の復元工事が完了し、創建時の姿を取り戻している[10]。

祭神

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北白川宮能久親王

北海道や外地(朝鮮・関東州・南洋)の神社では開拓三神(大国魂命・大己貴命・少彦名命)や天照大神、明治天皇などを祭神としていることが多いが、台湾の神社の殆どは台湾で殉職した北白川宮能久親王を祀っている。

能久親王は、抗日勢力の平定に向かった台湾・台南で明治28年に病死したが、これが出征先で病死したヤマトタケルになぞらえられ、台湾鎮護の神とみなされるようになった。明治34年に創建された台湾総鎮守の台湾神社(後の台湾神宮)が開拓三神とともに能久親王を祀ったのを始め(後に天照大神を増祀)、台湾に創建された多くの神社が能久親王を祭神とすることになった。なお、能久親王の終焉の地には台南神社が創建された。

台湾の神社の一覧

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所在地は当時のもの。社格等の「官大」は官幣大社、「国小」は国幣小社、「護国」は台湾総督指定護国神社。

このほかにも学校や会社、民家などに作られた屋敷神社(社祠、構内社、校内社)など公式に「神社」と認定されていない神社や祠、神社の遥拝所や末社も多数あった。

社名所在地社格等祭神現在
台北州
台湾神宮台北市官大能久親王・開拓三神・天照大神円山大飯店
台湾護国神社台北市護国台湾出身の戦没者国民革命忠烈祠、銅馬は二二八和平公園
宜蘭神社宜蘭郡県社能久親王・開拓三神・天照大神宜蘭県忠烈祠(員山公園内)、旧社地は宜蘭中山公園(中国語版)
基隆神社基隆市県社能久親王・開拓三神・天照大神・大物主命・崇徳天皇基隆市忠烈祠(基隆中正公園内)
台北稲荷神社台北市郷社豊受姫命西門紅楼右側一帯
新荘神社(中国語版)新荘郡郷社能久親王・明治天皇・倉稲魂神和泰汽車公司新莊工廠内
海山神社(中国語版)海山郡郷社能久親王・大己貴命・明治天皇・鄭成功海山神社残蹟(中国語版)(中和員山公園内)
建功神社台北市無格社台湾での戦死者・殉職者等南海学園(中国語版)、国立台湾芸術教育館(中国語版)、台北植物園
瑞芳神社(中国語版)基隆郡無格社能久親王・開拓三神・天照大神新北市立瑞芳高工(中国語版)、狛犬は瑞芳龍巖宮(中国語版)、石灯籠は瑞芳駅
羅東神社(中国語版)羅東郡無格社開拓三神・明治天皇羅東中山公園南方の環状道路、石灯籠は羅東中山公園と羅東鎮役所
汐止神社(中国語版)七星郡無格社能久親王・大己貴命・天照大神・明治天皇・倉稲魂命汐止忠順廟(中国語版)(汐止公園内)
淡水神社淡水郡無格社能久親王・明治天皇・大物主命・崇徳天皇新北市忠烈祠(中国語版)
文山神社(中国語版)文山郡無格社能久親王・開拓三神・明治天皇新店太平運動公園、空軍公墓
蘇澳神社(中国語版)蘇澳郡無格社能久親王・明治天皇蘇澳国中(中国語版)
円山水神社(中国語版)台北市社祠水波能賣命・榮井神・生井神円山水神社跡(草山水道系統(中国語版)内)
台北天満宮社台北市社祠菅原道真二二八公園福徳宮(中国語版)
大安稲荷社台北市社祠倉稲魂神大安公園から誠安公園辺りまでの一帯(旧日華紡績内)のいずれか
黄金神社(金瓜石社)基隆郡社祠大国主命・金山彦命・猿田彦命黄金神社古蹟(新北市立黄金博物館(中国語版)内)
猴硐神社(中国語版)基隆郡社祠天照大神猴硐神社遺址
蘇澳金刀比羅社蘇澳郡社祠大物主命・崇徳天皇金刀比羅神社遺址
新竹州
新竹神社新竹市国小能久親王・開拓三神旧新竹靖廬(中国語版)
桃園神社桃園郡県社能久親王・開拓三神・豊受大神・明治天皇桃園市忠烈祠(中国語版)
苗栗神社苗栗郡県社能久親王・開拓三神・明治天皇苗栗県忠烈祠
通霄神社苗栗郡無格社能久親王・天照大神通霄鎮忠烈祠
中壢神社(中国語版)中壢郡無格社能久親王・豊受大神国立中壢高級中学、忠義祠(大墓公)
頭份神社竹南郡無格社能久親王・豊受大神・明治天皇
竹南神社竹南郡無格社能久親王・大国魂命・豊受大神
大湖神社大湖郡無格社能久親王・大国魂命・明治天皇
竹東神社竹東郡無格社能久親王・開拓三神・明治天皇
新竹刑務所構内神社(中国語版)蘇澳郡構内社大物主命・崇徳天皇新竹刑務所構内神社古蹟(法務部矯正署新竹監獄内)
台中州
台中神社台中市国小能久親王・開拓三神台中市孔子廟(中国語版)、台中市忠烈祠(中国語版)、国立台湾体育大学体育館、台中市救国団、台中市立双十国中(中国語版)、旧社地は台中公園
彰化神社彰化市郷社能久親王・開拓三神太極亭
員林神社(中国語版)員林郡郷社能久親王・開拓三神員林神社遺跡
清水神社(中国語版)大甲郡郷社能久親王・開拓三神・天照大神牛罵頭遺址文化園区(中国語版)
豊原神社豊原郡郷社能久親王・開拓三神・天照大神
東勢神社東勢郡郷社能久親王・大己貴命・明治天皇・大山祇神・弥都波能売神・鄭成功
竹山神社竹山郡郷社能久親王・開拓三神・明治天皇・鄭成功
北斗神社北斗郡郷社能久親王・開拓三神・明治天皇・鄭成功
南投神社南投郡郷社能久親王・開拓三神・天照大神
能高神社能高郡郷社能久親王・開拓三神
田中神社員林郡無格社能久親王・明治天皇
鹿港神社彰化郡無格社能久親王・明治天皇・事代主命・大綿津見神
秀水神社彰化郡無格社能久親王・開拓三神・明治天皇
魚池神社新高郡無格社能久親王・開拓三神
埔里社(中国語版)能高郡遥拝所
台中第一中学校校内神社台中市校内社神武天皇
台南州
台南神社台南市官中能久親王台南市十一号公園、台南市忠義国小(中国語版)(図書館(旧事務所(中国語版))、体育館(旧武德殿(中国語版)))
嘉義神社嘉義市国小能久親王・開拓三神・天照大神嘉義公園、嘉義市史蹟資料館(中国語版)、射日塔(中国語版)
開山神社台南市県社鄭成功延平郡王祠
北港神社北港郡県社能久親王・開拓三神・天照大神
新営神社新営郡郷社能久親王・開拓三神・倉稲魂命現衛生福利部新營病院、台南市立新營文化中心(1979年改建)、南瀛綠都心、元台南県忠烈祠、元中山公園
北門神社北門郡郷社能久親王・開拓三神・天照大神
東石神社東石郡郷社能久親王・開拓三神・天照大神
曾文神社曾文郡郷社能久親王・開拓三神
五間厝神社(中国語版)虎尾郡無格社開拓三神・天照大神虎尾鎮安慶国小(中国語版)運動場
南靖神社嘉義郡無格社大己貴命・天照大神
阿里山神社嘉義郡阿里山無格社能久親王・開拓三神・大山祇命・火具津智命・弥都波能売命・科津彦命
新化神社新化郡無格社能久親王・天照大神・豊受大神・明治天皇
斗六神社斗六郡無格社能久親王・開拓三神国立斗六高級中学内
林内神社(中国語版)斗六郡無格社能久親王・開拓三神・豊受大神林内済公堂(林内公園内)
三崁店社新豊郡社祠能久親王・天照大神・豐受大神三崁店神社跡
虎山社(中国語版)(車路墘社)新豊郡社祠能久親王・天照大神・豐受大神
湾裡社(中国語版)新化郡社祠能久親王・天照大神・明治天皇善化糖廠(中国語版)内
総爺社(中国語版)曾文郡社祠天照大神・大國魂命・大宣都比賣命麻豆糖廠(中国語版)内
林百貨店楼頂末広神社台南市構内社林百貨古蹟
塩水公学校神社(中国語版)新営郡校内社塩水国小神社跡(塩水区塩水国小(中国語版)内)
新町稲荷社台南市構内社豊受姫命
高雄州
高雄神社高雄市県社能久親王・大物主命・崇徳天皇高雄市忠烈祠
阿緱神社(中国語版)屏東市県社能久親王屏東県立田径場(屏東公園内)
岡山神社岡山郡郷社能久親王・開拓三神・天照大神・明治天皇岡山寿天宮(中国語版)
潮州神社潮州郡郷社能久親王・天照大神・豊受大神・大国主神
東港神社東港郡郷社能久親王・開拓三神・天照大神孔子廟(東港鎮海浜国小内)
鳳山神社(中国語版)鳳山郡郷社能久親王・開拓三神鳳山医院、鳳山城隍廟(中国語版)、鳳山鎮南宮(中国語版)
里港神社屏東郡無格社能久親王・天照大神・弥都波能売神
佳冬神社(中国語版)東港郡無格社能久親王・開拓三神・天照大神佳冬神社跡
旗山神社(中国語版)旗山郡無格社能久親王・開拓三神・安徳天皇旗山孔子廟(鼓山公園内)
恒春神社恒春郡無格社能久親王・開拓三神
高士祠恒春郡社祠天照皇大神高士神社
吉井百貨店楼頂金比羅神社(中国語版)高雄市構内社金毘羅大将華南銀行高雄分行
高雄第一中学校校内神社高雄市校内社金毘羅大将高雄市立高雄高級中学
澎湖庁
澎湖神社馬公支庁県社能久親王・開拓三神中正公園運動場、澎湖県立体育館
台東庁
台東神社台東郡県社能久親王・開拓三神台東県忠烈祠
卑南祠台東郡社祠能久親王・開拓三神
里壠社(中国語版)関山郡社祠能久親王・開拓三神
鹿野神社(鹿野村社)関山郡社祠能久親王・開拓三神龍田崑慈堂(中国語版)
加走湾祠新港郡社祠能久親王・開拓三神
花蓮港庁
花蓮港神社花蓮郡県社能久親王・開拓三神美崙山忠烈祠
吉野神社花蓮郡無格社能久親王・開拓三神吉野神社跡
豊田神社花蓮郡無格社能久親王・開拓三神碧蓮寺
佐久間神社花蓮郡無格社大己貴命・佐久間左馬太文天祥公園(中国語版)
林田神社鳳林郡無格社能久親王・開拓三神林田神社跡
寿社花蓮郡社祠能久親王・開拓三神
銅門祠(中国語版)花蓮郡社祠能久親王・開拓三神
九宛祠(中国語版)花蓮郡社祠能久親王・開拓三神鳥居、拜殿
玉里社玉里郡社祠能久親王・開拓三神玉里社古跡

現存する神社の一覧

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  • ●創建当時のまま保存されたもの
  • ○破壊された遺跡及び改築されたもの
  • ▲創建当時の姿によって再建されたもの
社名現在地 社格 創建年 鳥居 参道 社号標 手水舎 制札 灯籠 社務所 神楽殿 狛犬 神馬 玉垣 神門 社殿 備考
新竹神社 新竹市北区 国小 1918年(大正7年) ● ○ ○ ○ ○ ● 手水鉢、灯籠は霊隠寺に置き換えられた
嘉義神社 嘉義市東区 国小 1915年(大正4年) ● ● ● ● ● ●
桃園神社 桃園市桃園区 県社 1938年(昭和13年) ○ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
通霄神社 苗栗県通霄鎮 無格社 1937年(昭和12年) ● ● ● ○ ○
林田神社 花蓮県鳳林鎮 無格社 1915年(大正4年) ▲ ▲ ▲ ● ○ 社殿は基礎のみ
黄金神社 新北市瑞芳区 社祠 1898年(明治31年) ● ● ● ● ○ 社殿の柱のみ
円山水神社 台北市士林区 社祠 1938年(昭和13年) ● ● ● ● ● ○ 手水鉢
蘇澳金刀比羅社 宜蘭県蘇澳鎮 社祠 1927年(昭和2年) ● ●
鹿野神社 台東県鹿野郷 社祠 1923年(大正12年) ▲ ▲ ▲ ▲ ▲
高士神社 屏東県牡丹郷 社祠 1939年(昭和14年) ▲ ● ▲ 今日の台湾における唯一の神官が奉祀する神社
塩水公学校神社 台南市塩水区 校內社 1940年(昭和15年) ▲ ● ▲ ○
林百貨店楼頂末広神社 台南市中西区 構內社 1932年(昭和7年) ○ ● ○ 社殿は基礎のみ

戦後新築された神社

脚注

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  1. ↑ 溫國良「日據初期臺南延平郡王祠「改號」與「列格」始末」(臺南文化、1999年9月)
  2. ↑ 黃士娟「日治時期臺灣宗教政策下之神社建築」(中原大學建築研究所、1998年)
  3. ↑ 溫國良「淺談日治時期臺灣建立社寺等之法源」(國史館台灣文獻館電子報、2020年2月23日)、原文(2020年6月23日アーカイブ)
  4. ↑ 蔡錦堂「台灣宗教研究先驅增田福太郎與台灣」(光武通識學報、2004年)
  5. 1 2 3 臺灣總督府文教局社會課「臺灣ニ於ケル神社及宗教」(1940年1月19日)
  6. ↑ 許極燉『台灣近代發展史』(前衛、1996年)
  7. ↑ 臺灣總督府「北港神社縣社列格」(臺灣總督府官報、1945年8月15日)
  8. 1 2 金子展也『台湾に渡った日本の神々』(潮書房光人新社、2018年4月14日)、陳嫺若譯《遠渡來台的日本諸神》(野人文化、2020年7月8日)
  9. ↑ https://japan.focustaiwan.tw/society/201508120008 日本統治時代の神社、日本人の尽力で再建 李登輝氏もお祝い/台湾 - 中央通訊社フォーカス台湾 2015年8月12日
  10. ↑ “台湾・台東の神社、84年前の姿取り戻す 日本の宮大工が再建に協力”. フォーカス台湾. 2015年10月29日. 2015年10月31日閲覧.