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信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。
履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。
翻訳後、{{翻訳告知|en|Koxinga Shrine|…}} をノートに追加することもできます。
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座標: 北緯22度59分16秒 東経120度12分27秒 / 北緯22.98778度 東経120.20750度 / 22.98778; 120.20750
延平郡王祠(えんぺいぐんおうし)は、台湾・台南市中西区開山路にある鄭成功を祀る祠である。開山王廟(かいざんおうびょう)ともいう。
台湾を占領していたオランダ人を駆逐した鄭成功の功績を賛え、鄭が死去した1662年に彼を慕う人々によって創建され、開山王廟と名づけられた。1875年には、清朝の大臣・沈葆楨によって福州式建築の新しい祠が建てられた。
日本統治下に入った後の1896年(明治29年)、開山王廟は鄭成功を祭神とする神社となって開山神社(かいざんじんじゃ)と改称され、翌1897年(明治30年)には県社に列格した。日本式の拝殿は作られたが、中国風の祠はそのまま残され、本殿とされた。第二次世界大戦終戦後、中華民国政府によって社殿が全て取り壊され、中国北方式建築を模した鉄筋コンクリート製の廟に建て替えられた。建物が全て新しいものであることから、延平郡王祠は古蹟に認定されておらず、史跡のみである。
中央には鄭成功の座像が祀られ、後殿には彼の母「翁太妃」(田川松)の位牌が安置されている。
参考文献[編集]
- 中島三千男、神奈川大学『海外神社』(跡地)に関するデータベース」開山神社地域:旧台湾所在地:台南州台南市開山町
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