伊東祐弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊東祐弘

伊東 祐弘(いとう すけひろ、1880年明治13年)3月23日[1] - 1931年昭和6年)12月19日[1])は、日本の政治家華族貴族院子爵議員

経歴[編集]

東京府出身。子爵伊東祐帰の長男として生まれる[1][2]。父・祐帰の死去に伴い、1894年(明治27年)5月15日、家督を相続し子爵を襲爵した[1][3]1907年(明治40年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[2][4]

父は飫肥藩宮崎県)最後の藩主であったが、祐弘は父の旧領地ではなく伊東氏発祥の地である静岡県伊東市に進出。現地に別荘を建てたり、伊東水力電気の第ニ代会長に収まるなどの活動を見せた。祐弘の資産形成は手堅く成功を収め、1912年(大正元年)には東京府の多額納税者となっている[5]

1911年(明治44年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6]研究会に属して死去するまで在任した[4][7]。また、道路会議議員、労働保険調査会委員、統制委員会委員、学習院評議会会員などを務めた[4]

栄典[編集]

位階
勲章

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』上巻、164-165頁。
  2. ^ a b 『人事興信録 第9版』イ55頁。
  3. ^ 『官報』第3261号、明治27年5月16日。
  4. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』35頁。
  5. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、564頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、19頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
  8. ^ 『官報』第4117号「叙任及辞令」1926年5月17日。
  9. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
伊東祐帰
子爵
飫肥日向伊東家第2代
1894年 - 1931年
次代
伊東祐淳