フレンドシップ・ゲームズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
フレンドシップ・ゲームズ
Drujba 84.png
Friendship Games logo
標語 スポーツ, 友好, 平和
目的 1984年ロサンゼルスオリンピックに参加しなかった選手のため

フレンドシップ・ゲームズ, もしくは フレンドシップ84 (ロシア語: Дружба-84, 友好84)は、1984年7月2日から9月16日までソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)及び8カ国の社会主義諸国の計9カ国が同年のロサンゼルスオリンピックボイコットして開催した総合競技大会

フレンドシップ・ゲームズの公式筋はIOCとの摩擦を避けるために、今大会がロサンゼルスオリンピックの対抗大会であることを否定している[1][2][3][4] 。今大会は度々、東側諸国による代替オリンピックとも称された[3][5][6][7]。今大会は約50カ国が参加した。オリンピックをボイコットした国から参加した選手は一線級のアスリートが揃っていたが、オリンピックに出場した国から参加した選手は、オリンピックに出場できなかった二線級のアスリートの寄せ集めとなった[2]

ボイコットの背景[編集]

1984年5月にIOC会長である フアン・アントニオ・サマランチ (2000年撮影)は、ロサンゼルスオリンピックのボイコットの撤回を求めて東側諸国と会合を持った。しかしながら、東側諸国の方はこの会合をフレンドシップ・ゲームズの詳細を話し合う場とした。サマランチが唯一成功したことは、ルーマニア社会主義共和国をボイコットに加担させなかったことだけだった。

ロサンゼルスオリンピック開幕まで3ヶ月を切った1984年5月8日にソ連は、ロサンゼルスでは自国の選手の身の安全が保証されないとして、オリンピックのボイコットを表明した[8]タス通信は、アメリカが政治目的のためにオリンピックを不当に利用していると更なる非難を加えた。「ワシントン政府による国際関係における尊大で覇権主義的な振る舞いは、オリンピック・ムーブメントの崇高な理想と相反するものである」[9]。公式声明が出される数時間前に発行されたロンドンイブニングスタンダード紙英語版の記事で、西側のマスコミ向けに記事を書いているソ連のジャーナリストであるビクトル・ルイス英語版(西側に非公式な手段で情報を漏洩させるためにクレムリンが利用していると考えられている人物)が[10][11]、ソ連によるボイコットの決定を最初に世界に知らしめた。さらに、ソ連圏による代替競技大会のための詳細な計画がすでに作成されていることも付け加えた。アメリカの組織委員会を混乱に陥れるためにぎりぎりになってからそれは発表されるだろうと、ルイスは書き記した[11]。記事ではブルガリア人民共和国が大会のホスト国となるだろうとしている[11]。5月10日にはブルガリアがソ連によるボイコットに加わった最初の国となった[11]。同日にドイツ民主共和国(東ドイツ)もそれに加わった[12]。5月11日にはモンゴル人民共和国ベトナム社会主義共和国が続いた[13]

5月13日にルイスはフランスのジュールナル・デュ・ディマンシェ誌英語版で別の記事を掲載した[10]。そこでもソ連がオリンピックに対抗するための大会をブルガリアの首都であるソフィアで開催するであろう事を記した。但し今回は、ソ連がその種の企てによりIOCから除名されることを恐れているとして、実際に大会が開催されるか疑わしいともした。同日にはソ連のスポーツコメンテーターであるフセボルド・クスクスキンがABCテレビのディス・ウィークという番組で、東欧圏がそのような大会を開催することはないとコメントした[10]。さらに同日、ラオス人民民主共和国チェコスロバキア社会主義共和国アフガニスタン民主共和国がボイコットを表明した[10][14]

5月14日にソビエトオリンピック委員会会長のマラト・グラモフは、ボイコット問題を論じるために記者会見を開いた[15]。 その会見においてグラモフは、オリンピックと競合する事を目的としたいかなる大会も支持することはないだろうと確約した[15]。同日、ポーランド人民共和国は次のように声明した。「東側諸国の代表はオリンピックへの対抗を目的とした大会の考案には拒否権を行使したが、ロサンゼルスオリンピックに参加しない代わりに、東側諸国の様々な国で様々な競技大会をオリンピックとは別の期間に開催することになるだろう」[15]

5月16日にはハンガリー人民共和国がオリンピックをボイコットした9カ国目となった。翌日にはポーランドが続いた[16][17]

5月20日にはオーストリアのプレッセ誌英語版でオラフ・ブロックマンは、ソ連のデカスロンチームの主任指導者であるアレクサンダー・ウシャコフの発言として、東側諸国が大会における一連の競技種目を早急に準備していることを伝えた[18]。ブロックマンはそのうち5つの競技名を挙げた。陸上競技はチェコスロバキアのプラハと東ドイツの東ベルリン及びポツダムフェンシング近代五種ボクシングはポーランドで開催されるとした[18]。また、伝えられるところによれば、オリンピックへのいかなる形の対抗大会も禁止するIOCとの衝突を避けるために、今大会はオリンピック期間以外に開催されるだろうと、ウシャコフは述べたという[18]

5月21日からチェコスロバキアのプラハでIOC会長のサマランチは、東側諸国の11に上るオリンピック委員会と会合を持った(ボイコットを表明したブルガリア、チェコスロバキア、東ドイツ、ハンガリー、モンゴル、ポーランド、ソ連、ベトナムの8カ国及びキューバ、北朝鮮、ルーマニア)[19][20]

サマランチは説得によってボイコットした国が態度を改めることに希望を抱いていた[20]。しかし、会議に参加した11カ国のうちルーマニア社会主義共和国のみがオリンピックへの参加を約束しただけで、それ以外の国は態度を変化させるどころか、この会合において彼らのための夏季競技大会について論じる始末だった[5][19]。5月24日にはプラハのテレビにおいてチェコスロバキアオリンピック委員会会長のアントニン・ヒムルが、オリンピック終了後にいくつもの東側諸国において、オリンピック競技に基づいた独自の競技大会を開催する事を表明した。過去4年間実直に鍛錬してきた選手に彼らの能力を発揮する機会を与える事を目的とした大会だという[5][19]。かくして、フレンドシップ・ゲームズの概念が公式に宣言されることになった。

ヒルムはロサンゼルスオリンピックの閉幕となる8月12日以降に大会が開催されるであろうと述べた。また、チェコスロバキアでは体操アーチェリー、女子ハンドボール、女子陸上競技が開催されるという[21]。さらにヒルムは、今大会はオリンピックに出場した諸国の選手も含めて全ての選手が参加可能だと表明した[21]

その会合のすぐ後にはキューバ共和国がオリンピックのボイコットを表明した[22]。6月の終盤までに朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)イエメン人民民主共和国(南イエメン)社会主義エチオピアアンゴラ人民共和国もボイコットに加わった[23][24][25]

6月にソ連はテッド・ターナーと彼が所有するターナー・ブロードキャスティング・システムに対して、アメリカの視聴者に向けてハンガリーで開催される今大会のテレビ放映について打診したが、拒否された[7]。しかし、彼の放送局が他のスポーツ大会同様に今大会の一部の模様を放映することは約束した[26]

参加国[編集]

ホスト国は青色、その他の参加国は緑色を示す

当初、ソ連で開催される大会には8000名近い選手の参加が見積もられていた[3][27]。後に、参加が見込まれる選手は49カ国から2300名と判明した[3][28][29]。しかしながら、実際に参加した選手はそれ以下だった[30] 。ソ連以外の国で開催された競技大会に参加した選手の正確な数は不明である。

オリンピックをボイコットした国から参加した選手は一線級のアスリートが揃っていたが、オリンピックに出場した国から参加した選手は、オリンピックに出場できなかった二線級のアスリートの寄せ集めとなった[2]

開会式[編集]

今大会は7月2日に北朝鮮で卓球競技が開催されたことにより始まったが、公式の開会式は8月18日にモスクワのレーニンスタジアムで2時間に渡って開催された。そのすぐ後にソ連国内での競技が始まった[30][31][31][31]。 開会式ではソ連の各共和国の民族衣装をまとった多数の子供たちが登場した。また、白いレオタードを身に付けた少女たちが赤と白のビーチボールを同時に回転させたり、若い実演者の一団がしゃがんだり向きを変えたりしながら、色鮮やかな横断幕に合わせて人間機織りを作り出した。さらには、銀色のフラフープを手に赤い服で着飾った10代の少女たちが「ソ連」と「平和」の文字を形作った。この開会式はオリンピック開会式を連想させるものだと評された[31][31]

オリンピック開会式で見られるような聖火ランナー(1980年のモスクワオリンピック金メダリストである陸上競技のビクトル・マルキン) が、モスクワオリンピックのために建設された巨大なスタジアムに歩を進めて炎を照らし出した。その聖火はクレムリンに位置する第2次世界大戦の犠牲者のための永遠の灯火からもたらされたものだった[31][30]

入場行進はオリンピックと異なり、国単位ではなくディナモスパルタク英語版といったスポーツ団体単位でなされた[30]

開会式では、赤軍に捧げられた1918年の軍事行進曲や、1980年のモスクワオリンピックのために書かれた"我が夢のスタジアム"、さらには、"晴れやかな平和にはイエス、イエス、イエス/ 核爆発にはノー、ノー、ノー"というコーラスを伴った、今回の為に特別に作られた曲などが演奏された[4][30][32]

ソ連共産党書記長コンスタンチン・チェルネンコは開会式に出席しなかった。しかし、共産党の政治局員であるドミトリー・ウスチノフミハイル・ゴルバチョフグリゴリー・ロマノフヴィタリー・ウォロトニコフヴィクトル・グリシンの5名は姿を現した[31]

概要[編集]

各競技は7月2日から9月16日にかけて、ブルガリア、キューバ、チェコスロバキア、東ドイツ、ハンガリー、北朝鮮、モンゴル、ポーランド及びソ連の9カ国において開催された。ロサンゼルスオリンピックの開催期間である7月28日から8月12日までは馬術を除いて開催されなかった。

大会ではサッカーシンクロナイズドスイミングを除いた22のオリンピック競技及び非オリンピック競技の卓球テニスサンボが実施された。さらには、同じく非オリンピック種目である女子の射撃新体操の団体戦も実施されたが、ロサンゼルスオリンピックでは採用された女子のロードレース (自転車競技)は実施されなかった。

アーチェリー[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるアーチェリー競技英語版

ソ連が6種目中5種目を制した。

やり投げで金メダルを獲得した東ドイツのウベ・ホーン

陸上競技[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおける陸上競技英語版

大会が始まる前にソ連のコーチであるイゴール・テルオバネシアンは、自国の選手たちが大会では10以上の世界記録を達成する可能性について語っていたが、1つも世界記録を出せなかった。一方で、東ドイツの円盤投げの選手であるイリーナ・メスジンスキー英語版が73m36cmの世界記録を出した。また、陸上競技はロサンゼルスオリンピックの金メダリストが参加した唯一の競技となった。女子4×100mリレー金メダリストであるアメリカのアリス・ブラウンと女子砲丸投げ金メダリストである西ドイツのクラウディア・ロッシュが参加したものの、両者とも今大会ではメダルを獲得できなかった [33][34][35]

男子800mではキューバのアルベルト・フアントレナとポーランドのリシャルド・オストロフスキー英語版が同時にゴールするという珍事が起こった。写真判定でも判別が付かなかったのでどちらが1位であるか決められず、運営側は両者を勝者とした[4]

毎年開催されていたモスクワマラソンを今大会のマラソン競技に割り当てることにした。このことでちょっとした問題を引き起こした。モスクワマラソンには毎年モスクワのアメリカ大使館付きの海兵隊員が参加していたが、モスクワマラソンがフレンドシップ・ゲームズの一部として扱われたことにより、参加を見合わせることになった[4]

バスケットボール[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるバスケットボール競技英語版

男子は決勝でソ連がチェコスロバキアを105対70で破って優勝した。キューバがポーランドを破って3位になった。女子もソ連が優勝した。女子は総当りのリーグ戦での開催だったために、準決勝や決勝は行われなかった。

ボクシング[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるボクシング競技英語版

ホスト国のキューバが11階級のうち10階級を制した。残りの1階級であるウェルター級は東ドイツのトルステン・シュミット英語版が優勝した。オリンピックで3連覇をしていたキューバのテオフィロ・ステベンソンは、自国がロサンゼルスオリンピックをボイコットしたためにオリンピック4連覇を達成することはできなかったが、今大会のスーパーヘビー級を制した。ボクシングは今大会でソ連が金メダルを獲得できなかった3競技のうちの1つとなった。残りの2競技は近代五種と卓球だった。

カヌー[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるカヌー競技英語版

ホスト国の東ドイツとソ連が、12種目のうちそれぞれ6種目で金メダルを獲得した。

自転車[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおける自転車競技英語版

東ドイツのシュライツドイツ語版にあるシュライツァー・ドライエックドイツ語版は、普段自動車かバイクのレース用トラックとして使用されていたが、今回は個人ロードレース種目用の施設として用いられた。ベテランのウーヴェ・アンプラーウーヴェ・ラーブ英語版といった多数のピース・レース英語版参加者を始めとした、この時代のトップレベルの競技者が今大会に集った。

飛込競技[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおける飛込競技英語版

飛込競技もまた東ドイツとソ連によって金メダルが独占された。金メダリストにはアレクサンドル・ポルトノフ英語版ブリタ・バルドゥス英語版などがいた。

馬術[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおける馬術競技英語版

馬術競技の一部は今大会で唯一、ロサンゼルスオリンピックと同時期となる8月6日から10日に開催された。この競技で西ドイツとイタリアの選手が今大会で唯一となるメダルを獲得した。馬場馬術ではユーリ・コフショフ英語版が2頭に乗馬して、それぞれ金メダルと銀メダルを獲得した。

フェンシング[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるフェンシング競技英語版

男子はソ連の選手がほとんどの種目を制したが、女子はゲルトルード・ステファネク英語版エディト・コヴァーチュ英語版の活躍により、ハンガリーが2種目を制した。

ホッケー[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるホッケー競技英語版

男子はソ連のAチームが制した。同じくBチームが3位になったので、4位のジンバブエに銅メダルが授与された。また、男子はアフガニスタン民主共和国が出場したが、東ドイツに0-27で大敗したのを始め全敗した。

体操[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおける体操競技英語版

女子の体操ではオルガ・モステパノワ英語版が、個人戦で4回、団体戦で6回の計10回も10点満点を出した[36]。新体操における15のメダルは、ブルガリアのディリアナ・ゲオルギエバアネリア・ラレンコヴァ英語版及び、ソ連のガリーナ・ベログラゾワ英語版ダリア・クトカイテ英語版の4名のみによって独占された。

ハンドボール[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるハンドボール競技英語版

男子は決勝で東ドイツがソ連を18-17で破って接戦をものにした。ポーランドが3位だった。ハンガリーのペーテル・コヴァーチュ英語版が今大会最多の26得点を記録した。女子はソ連が制した。

柔道[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおける柔道競技英語版

ソ連がほとんどの階級で金メダルを獲得した。ホスト国となったポーランドも7つのメダルを獲得するなど大きな成功を収めた。

近代五種[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおける近代五種競技英語版

ハンガリーのラースロー・ファービアーン英語版が個人戦を制した。団体戦もハンガリーが勝利した。

ボート[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるボート競技英語版

ソ連が14種目のうち11種目を制した。残りの3種目は東ドイツが勝利した。

セーリング[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるセーリング競技英語版

セーリングはエストニアタリンに面したバルト海で開催された。470級とフィン級のみはハンガリーのバラトン湖で実施された。金メダルはソ連と東ドイツによって独占された。この競技でカナダとフィンランドが今大会における唯一のメダルを獲得した。

射撃[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおける射撃競技英語版

オリンピックで実施されている種目が今大会でも実施されたが、それに加えて非オリンピック種目である女子の10mエアピストルと50mライフル3ポジションも実施された。

シルビア・ゲラシュ英語版 (1987年撮影), 15歳ながら女子100m平泳ぎで世界新記録を樹立した。

競泳[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおける競泳競技英語版

今大会で5つの世界新記録が樹立された。男子200m背泳ぎでソ連のセルゲイ・ザボロトノフ英語版が記録した1分58秒41は、ロサンゼルスオリンピックで優勝したアメリカのリック・キャリーより1秒半も早かったことから、観衆を大いに沸かせることとなった[37]。東ドイツの選手である15歳のシルビア・ゲラシュ英語版は女子100m平泳ぎ及び、チームの一員として出場した4 ×100メドレーリレーで、それぞれ世界新記録を打ち立てた[6]

卓球[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおける卓球競技英語版

卓球はこの時点でまだオリンピック競技ではなかったが、今大会では北朝鮮で開催された唯一の競技となった。北朝鮮が7種目のうち4種目を制した。特筆すべきは、中ソ対立により他の社会主義諸国と一線を画してきた中国が、この競技には参加したことだった。また、この競技で小野誠治阿部博幸が、今大会における日本選手唯一のメダルとなる金メダルを男子ダブルスで獲得した。

テニス[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるテニス競技英語版

男女の個人戦と男子ダブルスはソ連の選手が制した。女子ダブルスはチェコスロバキアが勝利した。

バレーボール[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるバレーボール競技英語版

男子は取り立てて驚くこともなく、ソ連がキューバとポーランドを抑えて優勝した。女子はキューバがソ連を破って優勝した。

水球[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおける水球競技英語版

1980年のモスクワオリンピックで金メダルを獲得した選手が大半を占めるソ連チームが優勝した。ハンガリーが2位、キューバが3位となった。

ウェイトリフティング[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるウェイトリフティング競技英語版

ブルガリアとソ連が金メダルを独占した。今大会ではソ連のアナトリ・ピサレンコがスーパーヘビー級で2度世界記録を破ったのを始め、30回も世界記録が更新された[38]

レスリング[編集]

フレンドシップ・ゲームズにおけるレスリング競技英語版

フリースタイルレスリングとグレコローマンレスリングに加えて、非オリンピック競技であるサンボも実施された。サンボはモンゴルで開催された唯一の競技でもあった。

メダル数一覧[編集]

以下は「Na olimpijskim szlaku 1984」 及び 「Gwiazdy sportu '84」という書籍における統計に基づく。なお、サンボはメダル数に含まれていない。

国・地域
1 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 126 87 69 282
2 東ドイツの旗 東ドイツ 50 45 43 138
3 ブルガリアの旗 ブルガリア 21 25 29 75
4 キューバの旗 キューバ 15 11 12 38
5 ハンガリーの旗 ハンガリー 10 17 24 51
6 ポーランドの旗 ポーランド 7 17 34 58
7 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 5 5 10 20
8 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア 2 18 28 48
9 中華人民共和国の旗 中国 2 1 4 7
10  エチオピア 1 2 2 5
11 西ドイツの旗 西ドイツ 1 1 1 3
12 イタリアの旗 イタリア 1 1 0 2
13 日本の旗 日本 1 0 0 1
14  モンゴル 0 2 5 7
15 カナダの旗 カナダ 0 1 0 1
16 ベネズエラの旗 ベネズエラ 0 0 2 2
17 フィンランドの旗 フィンランド 0 0 1 1
18 スウェーデンの旗 スウェーデン 0 0 1 1
19 ジンバブエの旗 ジンバブエ 0 0 1 1
Total 242 233 266 741

オリンピックとの比較[編集]

女子100mで優勝した東ドイツのマルリース・ゲールの出した10秒95は、アメリカのエベリン・アシュフォードがロサンゼルスオリンピックで優勝した際に記録した10秒97より僅かながらも速かった。

鉄のカーテンを隔てた両陣営のマスコミが、頻繁に2つの大会の結果の比較を試みた[2][39][40][41][42]

フレンドシップ・ゲームズで出された結果を考慮すれば、ロサンゼルスオリンピックに東側諸国の選手が出場していれば、60種目以上でメダルを確保できることになる。東側諸国の選手は陸上競技では41種目中20種目、競泳では29種目のうち11種目でロサンゼルスオリンピックの記録を上回った。また、射撃の50mランニング・ターゲット英語版でオリンピック金メダルを獲得した李玉偉英語版の記録は、フレンドシップ・ゲームズの同種目では6位に過ぎない[43]。加えて、ウェイトリフティングやレスリングでは、この当時のトップレベルの選手のほとんどがフレンドシップ・ゲームズに出場したものの、オリンピックには参加しなかった[42]

しかし数名のジャーナリストは、両大会が異なったコンディションや施設にあることを顧慮に入れないこの類の比較は妥当でないと指摘した。例えば女子100mの記録でマルリース・ゲールエベリン・アシュフォードを僅かながらも上回ったというが、フレンドシップ・ゲームズの翌週に開催された大会でアシュフォードはゲールを破って世界新記録を樹立している[40][44]。同様に、東側諸国は自転車競技の記録でオリンピックの記録より良かったものの、フレンドシップ・ゲームズは室内の板張りのトラックで開催されており、オリンピックは屋外のコンクリート製トラックでの開催だった[2]アフロアメリカン紙英語版は次のように結論付けた。この種の比較は、まるでカール・ルイスジェシー・オーウェンスより速く、モハメド・アリジョー・ルイスより強く、競走馬のセクレタリアトマンノウォーを振り切ると言ってるようなものだ[40][2]

両大会の比較は政治的な深刻さも伺えるものだった。フレンドシップ・ゲームズの主催者側はマスコミに、今大会がオリンピックの代替大会ではないことを執拗に確信させようとした。このような態度はIOCが規定する処罰を避けるためだとも推察される[1][2][3][4][45]

ソ連の国営メディアなどは、度々今大会とオリンピックとの対比を仄めかした[4] 。タス通信はフレンドシップ・ゲームズがオリンピック年における一大イベントだったと言明した[27]。ソビエトスキー・スポーツ紙は、フレンドシップ・ゲームズこそがここ4年間のオリンピックサイクルにおけるメインイベントであるかのように描写した[45] 。ソ連オリンピック委員会会長のマラート・グラモフは、過度の熱狂と迷妄にまみれたロサンゼルスオリンピックとは対照的に、社会主義諸国はオリンピックムーブメントの結束を強める職務に忠実であったと述べた[45]

IOCのディレクターであるモニク・ベルリウーは、フレンドシップ・ゲームズについては何であれ応答するつもりはないと語った[3]

余波[編集]

2006年にポーランドの政党である法と正義は、フレンドシップ・ゲームズのメダリストにはオリンピックのメダリストと同様の恩恵を与えるべきだと提案したが、その案が採決されることはなかった[46]

開催地一覧[編集]

競技 開始日 閉幕日 会場 開催都市 開催国
アーチェリー英語版 8月23日 8月26日 プルゼニ チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア社会主義共和国
陸上競技英語版
男子
8月17日 8月18日 レーニンスタジアム モスクワ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
陸上競技
女子
8月16日 8月18日 エヴジェンロシッキ・スタジアム英語版 プラハ チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア社会主義共和国
バスケットボール英語版 8月22日 8月30日 CSKAユニバーサル・スポーツ・パレス英語版及びディナモ・スポーツ・パレス モスクワ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ボクシング英語版 8月18日 8月24日 シウダド・デポルティバ英語版 ハバナ キューバの旗 キューバ
カヌー英語版 7月21日 7月22日 東ベルリン, グルナウ英語版 東ドイツの旗 ドイツ民主共和国
自転車競技英語版
ロードレース
8月23日 8月26日 シュライツァー・ドライエック シュライツドイツ語版及びフォルスト英語版 東ドイツの旗 ドイツ民主共和国
自転車競技
トラックレース
8月18日 8月22日 トレードユニオン・オリンピック・スポーツセンター自転車競技場 モスクワ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
飛込競技英語版 8月16日 8月19日 ブダペスト ハンガリーの旗 ハンガリー人民共和国
馬術英語版 8月6日 8月26日 クションシュ展望公園英語版及び
ルブス・スポーツクラブ内のルメル馬術センター
ジェローナグラ英語版, ソポト
及びヴァウブジフ
ポーランドの旗 ポーランド人民共和国
フェンシング英語版 7月15日 7月21日 ブダペスト・スポルトチャルノク英語版 ブダペスト ハンガリーの旗 ハンガリー人民共和国
ホッケー英語版
男子
8月18日 8月26日 ディナモ・スタジアム モスクワ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ホッケー
女子
8月28日 8月30日 ポズナニ ポーランドの旗 ポーランド人民共和国
体操競技英語版
体操
8月20日 8月26日 オロモウツ チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア社会主義共和国
体操競技
新体操
8月17日 8月19日 ウィンター・スポーツ・パレス英語版 ソフィア ブルガリアの旗 ブルガリア人民共和国
ハンドボール英語版
男子
7月17日 7月21日 ロストック及びマクデブルク 東ドイツの旗 東ドイツ
ハンドボール
女子
8月21日 8月26日 トレンチーン チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア社会主義共和国
柔道英語版 8月24日 8月26日 軍事技術大学スポーツホール ワルシャワ ポーランドの旗 ポーランド人民共和国
近代五種競技英語版 9月5日 9月9日 ワルシャワ ポーランドの旗 ポーランド人民共和国
ボート英語版 8月24日 8月26日 トレードユニオン・オリンピックスポーツセンター人造池 モスクワ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
セーリング英語版
470kg級、フィン級
8月20日 8月25日 バラトン湖 バラトン湖 ハンガリーの旗 ハンガリー人民共和国
セーリング英語版
フライング・ダッチメン級, ソリング級, スター級,
トルネード級, ウインドグライダー級
8月19日 8月26日 ピリタヨットセンター タリン ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
射撃英語版 8月19日 8月25日 ダイナモ射撃場 モスクワ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
競泳英語版 8月19日 8月25日 オリンピスキ・スポーツ・コンプレックス競泳場英語版 モスクワ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
卓球英語版 7月2日 7月10日 ピョンヤン 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
テニス英語版 8月20日 8月26日 バイルドン・カトヴィツェ・コート カトヴィツェ ポーランドの旗 ポーランド人民共和国
バレーボール英語版
男子
8月18日 8月26日 シウダド・デポルティバ ハバナ キューバの旗 キューバ
バレーボール
女子
7月8日 7月15日 ヴァルナ ブルガリアの旗 ブルガリア人民共和国
水球英語版 8月19日 8月26日 シウダド・デポルティバ ハバナ キューバの旗 キューバ
ウエイトリフティング英語版 9月12日 9月16日 カルチャー・スポーツ・パレス英語版 ヴァルナ ブルガリアの旗 ブルガリア人民共和国
レスリング英語版
フリースタイル
8月20日 8月22日 ウィンター・スポーツ・パレス ソフィア ブルガリアの旗 ブルガリア人民共和国
レスリング
グレコローマン
7月13日 7月15日 ブダペスト・スポルトチャルノク英語版 ブダペスト ハンガリーの旗 ハンガリー人民共和国
レスリング
サンボ
9月1日 9月2日 ウランバートル モンゴルの旗 モンゴル人民共和国

脚注[編集]

  1. ^ a b “Eastern-bloc athletes exceed 10 golden efforts”. The Miami News. (1984年8月17日). http://news.google.com/newspapers?id=3ZImAAAAIBAJ&sjid=bAEGAAAAIBAJ&pg=987,707190 [リンク切れ]
  2. ^ a b c d e f g “Friendship Games show what might have been at LA”. The Sydney Morning Herald. (1984年8月28日). http://news.google.com/newspapers?id=hpoRAAAAIBAJ&sjid=QOgDAAAAIBAJ&pg=4553,6903778 
  3. ^ a b c d e f Lowitt, Bruce (1984年8月14日). “Generic competition”. The Times-News (Hendersonville, North Carolina). http://news.google.com/newspapers?id=NmwbAAAAIBAJ&sjid=Q04EAAAAIBAJ 
  4. ^ a b c d e f Eaton, William (1984年8月19日). “Peace dominating message at Friendship Games opening”. The Daily Courier. http://news.google.com/newspapers?id=hPEKAAAAIBAJ&sjid=708DAAAAIBAJ&pg=2742,3591862 
  5. ^ a b c “Eastern Bloc calls for alternative Olympics”. Lodi News-Sentinel. (1984年5月25日). http://news.google.com/newspapers?id=trAzAAAAIBAJ&sjid=QzIHAAAAIBAJ&pg=2707,2998548 
  6. ^ a b “Soviet officials shy from comparing Olympic, Friendship games”. Ottawa Citizen. (1984年8月24日). http://news.google.com/newspapers?id=jMkyAAAAIBAJ&sjid=XO8FAAAAIBAJ&pg=5432,2027294 
  7. ^ a b “Will Turner televise Soviet bloc games?”. Eugene Register-Guard. (1984年7月7日). http://news.google.com/newspapers?id=csUUAAAAIBAJ&sjid=j-EDAAAAIBAJ&pg=5224,1434756 
  8. ^ “Soviet pullout rocks Games”. The Montreal Gazette. (1984年5月9日). http://news.google.com/newspapers?id=eVwxAAAAIBAJ&sjid=l6UFAAAAIBAJ&pg=1833,4342317 
  9. ^ “Alternate Games Would Repudiate Charter”. The Palm Beach Post. (1984年5月10日). http://news.google.com/newspapers?id=-_EuAAAAIBAJ&sjid=UM8FAAAAIBAJ&pg=1287,7742871 
  10. ^ a b c d Lowitt, Bruce (1984年5月14日). “Afghanistan Joins Boycott (part 1)”. The Victoria Advocate. http://news.google.ie/newspapers?id=-MMcAAAAIBAJ&sjid=p1kEAAAAIBAJ&pg=6804,4042639  Lowitt, Bruce (1984年5月14日). “Afghanistan Joins Boycott (part 2)”. The Victoria Advocate. http://news.google.ie/newspapers?id=-MMcAAAAIBAJ&sjid=p1kEAAAAIBAJ&pg=5131,4049411 
  11. ^ a b c d “Bulgaria pulls out, Reagan intervenes”. Pittsburgh Post-Gazette. (1984年5月10日). http://news.google.com/newspapers?id=auYNAAAAIBAJ&sjid=G24DAAAAIBAJ&pg=7131,2161071 
  12. ^ “East Germany withdraws from Summer Games”. The Evening Independent (St. Petersburg, Florida). (1984年5月10日). http://news.google.ie/newspapers?id=cAIMAAAAIBAJ&sjid=i1kDAAAAIBAJ&pg=7026,2613126 
  13. ^ “Vietnam, Mongolia join Games bailout”. Pittsburgh Post-Gazette. (1984年5月12日). http://news.google.com/newspapers?id=bOYNAAAAIBAJ&sjid=G24DAAAAIBAJ&pg=7079,2953727 
  14. ^ Joyce, Dick (1984年5月13日). “Czechoslovakia, Laos join the list”. Anchorage Daily News. http://news.google.com/newspapers?id=-R8fAAAAIBAJ&sjid=facEAAAAIBAJ&pg=1529,6975019 
  15. ^ a b c “Soviets, slamming Olympics door, charge US plot”. The Christian Science Monitor. (1984年5月15日). http://www.csmonitor.com/1984/0515/051549.html 
  16. ^ “Hungary joins Soviet boycott”. Lodi News-Sentinel. (1984年5月16日). http://news.google.ie/newspapers?id=sbAzAAAAIBAJ&sjid=QzIHAAAAIBAJ&pg=5389,2026175 
  17. ^ Barnard, William R. (1984年5月17日). “Poland 10th to join Olympic boycott”. The Deseret News. http://news.google.ie/newspapers?id=4g8fAAAAIBAJ&sjid=D4MDAAAAIBAJ&pg=6350,599674 
  18. ^ a b c “Soviet Bloc Discussing Own Games”. Ocala Star-Banner. (1984年5月20日). http://news.google.com/newspapers?id=HR8VAAAAIBAJ&sjid=RAYEAAAAIBAJ&pg=6793,2319906 
  19. ^ a b c “Communist nations plan own games”. Mohave Daily Miner. (1984年5月25日). http://news.google.com/newspapers?id=SZUNAAAAIBAJ&sjid=s1YDAAAAIBAJ&pg=1054,3766667 
  20. ^ a b “Communist leaders confer on Olympics”. The Tuscaloosa News]. (1984年5月21日). http://news.google.com/newspapers?id=XzAjAAAAIBAJ&sjid=66UEAAAAIBAJ&pg=5073,6946151 
  21. ^ a b “Boycott nations will stage own games”. Pittsburgh Post-Gazette. (1984年5月25日). http://news.google.com/newspapers?id=d-YNAAAAIBAJ&sjid=G24DAAAAIBAJ&pg=3969,6224193 
  22. ^ Maxwell, Evan (1984年5月24日). “Cuba Joins Olympic Boycott”. The Los Angeles Times]]. http://pqasb.pqarchiver.com/latimes/access/676722322.html?dids=676722322:676722322&FMT=ABS&FMTS=ABS:AI&type=historic&date=May+24%2C+1984&author=&pub=Los+Angeles+Times 
  23. ^ “Marxist South Yemen Becomes 12th Country to Drop Out of L.A. Games”. The Los Angeles Times. (1984年5月27日). http://pqasb.pqarchiver.com/latimes/access/676757362.html?dids=676757362:676757362&FMT=CITE&FMTS=CITE:AI&type=historic&date=May+27%2C+1984&author=&pub=Los+Angeles+Times 
  24. ^ “Ethiopia, North Korea join Olympic boycott”. The Times-News (Hendersonville, North Carolina). (1984年6月2日). http://news.google.com/newspapers?id=3bsbAAAAIBAJ&sjid=Rk4EAAAAIBAJ&pg=1974,5867950 
  25. ^ Reich, Kenneth (1984年6月27日). “Angola Becomes 15th Nation to Join Olympic Boycott”. The Los Angeles Times. http://pqasb.pqarchiver.com/latimes/access/677016312.html?dids=677016312:677016312&FMT=ABS&FMTS=ABS:AI&type=historic&date=Jun+27%2C+1984&author=&pub=Los+Angeles+Times 
  26. ^ “Sports People; Turner Backs Off”. The New York Times. (1984年7月7日). http://www.nytimes.com/1984/07/07/sports/sports-people-turner-backs-off.html 
  27. ^ a b “Moscow to stage games”. The Sydney Morning Herald. (1984年8月10日). http://news.google.com/newspapers?id=kZoRAAAAIBAJ&sjid=fegDAAAAIBAJ&pg=3570,4959807 
  28. ^ “Good times are in order at the Friendship Games”. The Deseret News. (1984年8月18日). http://news.google.com/newspapers?id=k5AzAAAAIBAJ&sjid=A4MDAAAAIBAJ&pg=6955,827200 
  29. ^ Infosport ("1984" section)”. 2009年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月29日閲覧。
  30. ^ a b c d e Schmemann, Serge (1984年8月19日). “Friendship Games open with a Soviet challenge”. The Sydney Morning Herald. http://news.google.com/newspapers?id=fpoRAAAAIBAJ&sjid=QOgDAAAAIBAJ&pg=2829,2815005 
  31. ^ a b c d e f g “Friendship Games open with pomp”. The Spokesman-Review (Spokane). (1984年8月19日). http://news.google.com/newspapers?id=a_MRAAAAIBAJ&sjid=9-4DAAAAIBAJ&pg=3838,1743115 
  32. ^ “Games open but just who is coming?”. The Spokesman-Review. (1984年8月17日). http://news.google.com/newspapers?id=afMRAAAAIBAJ&sjid=9-4DAAAAIBAJ&pg=6976,823056 
  33. ^ “Westerners expected at Communist Games”. The Palm Beach Post. (1984年8月16日). http://news.google.com/newspapers?id=dAYjAAAAIBAJ&sjid=Us0FAAAAIBAJ&pg=5774,4662666 
  34. ^ Chmielewski (1987), p. 158
  35. ^ Harvey, Randy (1984年8月25日). “Tired Kratochvilova Beats U.S. Olympic Stars in 400”. The Los Angeles Times 
  36. ^ Chmielewski (1987), p. 169
  37. ^ Chmielewski (1987), p. 173
  38. ^ Chmielewski (1987), p. 186
  39. ^ “Olympic vs. Friendship Games comparison”. The Deseret News. (1984年8月18日). http://news.google.com/newspapers?id=k5AzAAAAIBAJ&sjid=A4MDAAAAIBAJ&pg=7182,828814 
  40. ^ a b c Lacy, Sam (1984年9月1日). “For what it means: Olympic vs. Friendship”. The Afro-American. http://news.google.com/newspapers?id=wyImAAAAIBAJ&sjid=Xf4FAAAAIBAJ&pg=5882,952037 
  41. ^ Henry III, William A.; Cazeneuve, Brian; Donnelly, Sally B. (1988年9月19日). “Olympics: Colliding Myths After a Dozen Years”. Time. http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,968447,00.html#ixzz0pDG1FkXk 
  42. ^ a b Chmielewski (1987), p. 151
  43. ^ Chmielewski (1987), p. 183
  44. ^ Szabo is in the money ("No. 94" section)”. ESPN.com (1998年9月14日). 2010年6月29日閲覧。
  45. ^ a b c “Russians Host Their Own '84 Games”. Sarasota Herald-Tribune. (1984年8月12日). http://news.google.com/newspapers?id=8MYiAAAAIBAJ&sjid=OmkEAAAAIBAJ&pg=6606,984761 
  46. ^ Projekt ustawy o zmianie ustawy o sporcie kwalifikowanym” (ポーランド語). Law and Justice party. 2011年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月29日閲覧。

参考文献[編集]

  • (ロシア語) Druzhba-84. Moscow: Fizkultura i sport. (1985). 
  • (ロシア語) Yearbook of the Great Soviet Encyclopedia. Moscow: Sovetskaya Enciklopediya. (1985). pp. 549–555. 
  • (ロシア語) Panorama of the 1984 Sports Year. Moscow: Fizkultura i sport. (1985). pp. 72–98. 
  • Chmielewski, Zbigniew (1987) (ポーランド語). Na olimpijskim szlaku 1984. Sarajewo, Los Angeles. Warsaw: Sport i Turystyka. ISBN 83-217-2610-0. 
  • Trzciński, Tomasz (1985) (ポーランド語). Gwiazdy sportu '84. Warsaw: Krajowa Agencja Wydawnicza. ISBN 83-03-01177-4. 

関連項目[編集]