ダニエル・カール

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ダニエル・カール
Daniel Kahl delivering supplies to Fukushima 9-19-11.jpg
生誕 1960年3月30日(56歳)
アメリカ合衆国の旗 カリフォルニア州モンロビア市
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身校 パシフィック大学卒業
職業 DOMOS社長

ダニエル・カール: Daniel Kahl1960年3月30日 - )は、日本翻訳家実業家タレント株式会社DOMOS社長

概要[編集]

日本で活動するドイツ系アメリカ人である。英語指導主事助手や英語指導主事を経て、翻訳家として活動する。さらに会社経営を手がけるなど実業家としての顔も持ち、のちにタレントとしても活動するようになった。また、「山形弁研究家」という肩書きも名乗っており、流暢な山形弁を話すアメリカ人として人気を集めている。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。

来歴[編集]

1960年3月30日アメリカ合衆国カリフォルニア州モンロビア市生まれ。アメリカ人であった彼が日本に興味を持ったきっかけは、消防士であった父と共に出かけたジャパニーズ・タウンや小学生の時に出会った日系アメリカ人の少女に恋心を抱いたことであったという。それからは独学で日本や日本語を学び[1]、日本に対する知識や興味をより高めていく。[2]

ハイスクール入学後は、交換留学生として奈良県五條市にある智辯学園中学・高等学校で一年間を過ごす。大学生時代には再来日し、大阪府枚方市にある関西外国語大学で4ヶ月間、その後京都府二尊院に2ヶ月ホームステイしている。その後更に佐渡島で4ヶ月程文弥人形づかいの弟子入りを果たし、その様子は「日本の伝統に挑戦するアメリカ人学生」としてテレビの取材も受けている。カリフォルニア州にあるパシフィック大学を卒業。

大学卒業後は三たび来日し、文部省英語指導主事助手として山形県に赴任する。中学校で3年間英語教育に従事し、その間に現地の同僚(主に中学校教師)からその後のトレードマークとなる山形弁を教わり、マスター。その後山形県で英語指導主事助手として勤務する。同じ中学校で英語教師であった夫人(現在翻訳家)と結婚後、学校教員を退職し、東京でセールスマンを経て翻訳・通訳サービス業務を行う会社を設立する。また会社経営をする一方で、そのキャラクターが受け、マルチタレントとしても活躍するようになった。カールの会社は元々の業務である翻訳サービスだけでなく、カールのタレント業の事務所としても機能している。この事務所には、作家北方謙三自動車評論家徳大寺有恒らも所属していた[3]

現在ではテレビに出演する際は山形弁がメインな為、場合によっては山形弁しか話せない印象を与えかねないキャラクターだが、実際には学生時代にホームステイの経験もあり、関西弁佐渡弁などもマスターしており、当然標準語も話せる。日本語以外に会話可能な外国語としては、自身のルーツがドイツに遡る事からドイツ語等。母語英語である。

話す[編集]

山形弁マスターまでのエピソード[編集]

赴任を仲介してくれた大場が神妙な面持ちで「カール君、日本語が通じないかもしれないんだ」と打ち明けられる。本人は高校時代から大学時代に複数の非標準語地域(奈良県など)で過ごした為、「標準語でも方言でもかかってこい」と言わんばかりに日本語に対する大きな自信を持っていたという。しかしその自信も山形弁との出会いで打ち砕かれる事になる。

ダニエルは地方生活が多かったので文部省就職時には標準語(東京方言)圏の職場を希望していたがその意に反して赴任先は山形県となった。だが、それが山形弁を話す外国人としての現在の地位を確立する礎となった。初めて山形の地を踏んだ時は現地の老人の会話内容が全く分からず、「間違えて電車を乗り過ごし、外国に来てしまったのではないか?」と本気で思ったとの事。しかしながら看板には「やまがた」と平仮名で書いてあり、「日本に地続きの隣国もなければ平仮名を使う国は日本以外にないからここは日本だろう。」と思い直したそうである。しかし、「話している言葉が日本語だとは思えない」と非常に混乱したという。特に「」で始まる日本語は存在しないと幾度も教わってきたので、現地人たちは何かにつけて「んだ!」、「んだー!」を繰り返し言っている事が余計に混乱の元となった。[4][出典無効]しかし逆にその驚きがダニエルの好奇心をくすぐり、彼をして山形弁に熱中さしめた。赴任教師として山形県内の各学校を回るうちに山形県という地域内で同じ言葉でも用法や意味が異なっている事に首を傾げ、方言と訛りの収集、及び学習、習得に熱中。あるきっかけで全国ネットの番組に出演する事になるが、その時には山形弁しか喋れない身になっていた。

山形弁[編集]

ぴったんこカン・カン』であき竹城安住紳一郎が、あき竹城の郷里である米沢市を、旅行したときゲスト出演。カールは得意の山形弁を披露したところ「あたし、この人なにいってるかわからない」と、あき竹城に言われたことがある。(同じ山形県内でも地域によって方言に違いがあるためとの説明がなされた)

実際には、ネイティブな山形弁は山形での仕事以外ではあまり話さず、多くの場合、標準語を山形弁風アクセントで話すような言葉遣いをする。これは山形以外の地域の視聴者への配慮であるとみられる。

母語である英語[編集]

同じく、日本でタレント活動をするアメリカ人弁護士ケント・ギルバートと、母語である英語を忘れない為に、英会話の練習を共にしているという。

テレビプロデューサーデーブ・スペクターとは日本語でしか会話をした事がなく、実際、偶然アメリカの空港で出会った時はお互い母国にいながら日本語で会話したというエピソードもある。[5][出典無効]

英語は母語であり、成人するまで英語圏育ちであるため、当然、英語での会話も流暢にできるが、芸風からか「英語が話せなさそう」な印象を持たれるようで「英語を話したら母国語なのに何故か『すごーい!』とか『英語お上手なんですねぇ』とか言われます(笑)」などと語る事がある。

日本にて[編集]

  • 山形で、英語教育に従事していた頃は、ヒゲをはやしていた。
  • 一時期、「とっつぁんカール」と、呼ばれていたことがある。
  • 日本で出会った家系図に興味を持ち、自身の家系図を作る目的でルーツ調査をするうち、ドイツに遠い親戚がいる事が判明し、現在も片言のドイツ語によるメール交換で互いに交流を深めている。

東日本大震災[編集]

当初、情報が錯綜し、震災を受けた日本の各自治体が混乱する中、主に東北に在住する在日外国人に向け、的確な情報を伝えるため、インターネット上の動画投稿サイト「ユーチューブ」に日本のニュースを英訳し、自身の言葉で伝えた。その後は、関東地方に在住する在日外国人に向け、同サイトにて同様に日本からのニュースソースを英訳して伝えた。

その中で、在日外国人が日本語のニュースではなく、海外のニュースから日本の現状を把握していることを知るが、海外の情報が、非常に誇大(ヒステリックと表現)なものになっていて、正確性を欠いていると思い、ある程度、震災から時間を経てからは、ユーチューブにて海外メディアに向け、情報の訂正と「誇大な間違った情報を、ニュースとして流さないよう」にと訴える動画を順次作成した[6]

東日本大震災後には「がんばっぺ!オラの大好きな日本」と題した講演会を四国電力株式会社新居浜支店で開催した[7]

出演作品[編集]

テレビ[編集]

NHK[編集]

民放[編集]

映画[編集]

コマーシャル[編集]

所属[編集]

「フォーラム・エネルギーを考える」のメンバー[8]

出版/著書[編集]

  • 「ダニエル・カールの国際交流入門」(ぎょうせい
  • 「超・日本人のススメ」(ミニワールド)
  • 「ダニエル先生 ヤマガタ体験記」
  • 「超簡単 トラベル英会話」(マガジンハウス
  • 「オラが心の日本アメリカ」(NHK出版
  • 「使える英語はこう学ぶ」(CD付き、東京書籍)         
  • 「ダニエルさんち(家)のファミリー英会話 CD付 ~ワイワイガヤガヤ 楽しいネイティブイングリッシュ」(ビジネス社
  • 「ジャパングリッシュ DAMEDAS講座―なぜか“英語ツウ”になれちゃう」(東峰書房)

脚注[編集]

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外部リンク[編集]