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コマンチャ共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コマンチャ共和国
Команчанська Республіка
コマンチャ共和国の位置
公用語 ウクライナ語
首都 ヴィスウォク・ヴィエルキ
大統領
1918年 - 1919年 パンテレイモン・シュピルカウクライナ語版
変遷
建国 1918年11月4日
消滅 1919年1月23日
先代 次代

コマンチャ共和国(コマンチャきょうわこく、ウクライナ語:Команчанська Республіка)は、第一次世界大戦後1918年オーストリア=ハンガリー帝国から独立した国家である[1]

東レムコ共和国ヴィスロツカ共和国とも呼ばれている。

この国家は、存在した親ロシア派の短命国家、レムコ=ルシン人民共和国と混同されることがある。

歴史

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オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊に伴い、オーストリア支配下だったガリツィア地域でウクライナ人による独立運動が激化した。しかし中心都市のサノクには程なくポーランド軍が進駐したことから、近隣のヴィスオク・ヴィルスキウクライナ語版にて1918年11月4日に民族評議会の創設を宣言。東方カトリック神父であるパンテレイモン・シュピルカウクライナ語版を評議会議長に選出し域内のコマンチャウクライナ語版に防衛本部が置かれた。12月には西ウクライナ人民共和国への統合を決議するも、翌1919年1月23日にポーランドによる占領によって滅亡、シュピルカはドイツを経由してカナダへ亡命した。

脚注

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  1. Magocsi, Paul Robert (1993). “The Ukrainian question between Poland and Czechoslovakia: The Lemko Rusyn republic (1918-1920) and political thought in western Rus'-Ukraine”. Nationalities Papers 21 (2): 95–103. doi:10.1080/00905999308408278.