ガールスカウト

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ガールスカウトは国際的規模でスカウト運動とよばれる団体活動を展開している少女のための教育団体の名称である。ガールガイドともいう。

概説[編集]

1908年イギリスロバート・ベーデン=パウエル卿が発足させたボーイスカウトにならい、1910年にベーデン=パウエル卿の妹アグネス・ベーデン=パウエルによって発足したガールガイドを母体として、1912年アメリカジュリエット・ローがこれにならって創設した少女訓育団体を指す。 その後、急速に全世界に波及し,1928年には「ガールガイド・ガールスカウト世界連盟WAGGGS)」が結成された。 2015年現在で146の国と地域が加盟し、メンバー数1,000万人を数える[1]

ガールスカウトでは「ベーデン=パウエル」とは発音せず、「ベーデン・ポウエル」と発音し、記述している。「ベーデン・パウエル」は英語の発音、「ベーデン・ポウエル」は米語の発音と言われ、アメリカよりガールスカウトが伝わったからだとも言われている[誰によって?]

活動[編集]

ガールスカウト運動の原点である「やくそく」と「おきて」を定めていて、人種国籍宗教の差別なく、健全かつ幸福で社会に貢献する女性の育成を目的とする。 活動内容はボーイスカウトと共通なものがかなり多く、少女たちが健全なレクリエーションや奉仕、救急、国際理解などの諸活動を通して、 よい公民へと育ち、社会文化への寄与能力ももつようになることを目ざしている。

世界共通のクローバの記章と各国の特徴を生かす制服を着用して活動する。

ボーイスカウトとの違い[編集]

ボーイスカウトは、女性の社会進出、男尊女卑の撤廃、女性によるソフト面のケアへの期待などの理由(100年前の社会情況と違う)により、 少女のスカウトと女性の指導者の受け入れを認めている。(女子専用のテントなど女子に対しての配慮はあるが、活動中、女子だから男子だから、という区別はない)(=ジェンダーフリー)

一方、ガールスカウトは、ボーイスカウトの目標に加え、「自立した女性の育成」という目標も持っている為、少女だけのスカウトと、女性だけの指導者である。

各国におけるガールガイド・ガールスカウト[編集]

アメリカ[編集]

アメリカではジュリエット・ゴードン・ローが1912年にガールスカウトアメリカ連盟(Girl Scouts of the U.S.A.)を設立。他の国に比べ、多くの少女が参加しており、現在のメンバー数は約400万、OGはおよそ5千万にも上る。 全国的な活動として年に一度のクッキーセールがあり、これは当初、ガールスカウトが募金活動の一環としてクッキーを焼きそれを売ったことにはじまり、現在では伝統行事の一環になっている。

日本[編集]

ガールガイドを日本にもたらしたのは、英国国教会から日本聖公会に派遣された宣教師ミュルエル・グリーンストリートである。彼女は英国ガールガイドの一級団員であり、東京の香蘭女学校において「ガールガイド東京第一組」を発足させ、1920年大正9年)1月30日聖アンデレ教会で発団式を行った(このときの団員は12名)。同年7月に猪苗代湖畔にあった宣教師ディクソンの別荘で最初のキャンプが行われた(これは指導者3名、参加者9名であった)。 1923年、日本独自のガールガイド組織として、「日本女子補導団」が設立された。総裁は林富貴子(林博太郎伯爵の夫人)、副総裁は三島純(「少年団日本連盟(現・ボーイスカウト日本連盟)」の副理事長三島通陽の夫人)、書記は檜垣茂。 第二次大戦による中断の後、1947年昭和22年)活動を再開し1949年(昭和24年)には現在の公益社団法人の前身である「社団法人ガールスカウト日本連盟」が発足し、ガールガイド・ガールスカウト世界連盟に加盟している。

スリランカ[編集]

フィジー[編集]

モルディブ[編集]

世界のガールスカウト/ガールガイド出身の著名人[編集]

日本の著名人についてはガールスカウト日本連盟を参照。

ガールスカウト豆知識[編集]

  • ブラウニーのヒントとなったのは、ジュリアナ・ホレイショー・イウィングの『ブラウニーズ』である。(B-P談)

出典・脚注[編集]

  1. ^ ガールスカウトとは-ガールスカウト日本連盟 2015/5/21閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]