オルシェグン・オバサンジョ
| オルシェグン・オバサンジョ Oluṣẹgun Matthew Okikiọla Arẹmu Ọbasanjọ | |
| 任期 | 1999年5月29日 – 2007年5月29日 |
|---|---|
| 副大統領 | アティク・アブバカル |
| 任期 | 1976年2月13日 – 1979年10月1日 |
| 副大統領 | シェフ・ムサ・ヤラドゥア |
| 任期 | 1975年7月29日 – 1976年2月13日 |
| 元首 | ムルタラ・ムハンマド軍事評議会議長 |
| 出生 | 1937年3月5日(81歳) オグン州アベオクタ |
| 政党 | 国民民主党 |
| 配偶者 | リンダ・オバサンジョ(前妻) ステラ・オバサンジョ |
オルシェグン・オバサンジョ(退役)将軍(ヨルバ語:Oluṣẹgun Matthew Okikiọla Arẹmu Ọbasanjọ, 1937年3月5日 - )は、ナイジェリアの軍人、政治家。第3代軍事評議会副議長及び第5代・第12代大統領。GCFR[1](連邦共和国大司令官勲章)。オグン州アベオクタ生まれ。ヨルバ族出身のキリスト教徒である。 オバサンジョは2001年の公式訪問、2003年に開催された第3回アフリカ開発会議 (TICAD III) への出席及び2004年11月のAATIC出席等も含めると10回以上の来日歴を有する親日家である。
経歴[編集]
オバサンジョはオグン州で生まれ[2]オウで育った。オルシェグンはヨルバ語で「神は勝利する」を意味する[3]。
1958年に陸軍入隊。その後、英国士官学校、英国王立工兵学校、インドなどに留学した。1960年工兵部隊長として、コンゴ国連軍に参加する。1969年、第3海兵司令としてビアフラ戦争でビアフラ軍の降伏受理にあたった。1970年、工兵軍団長。1975年、ゴウォン軍事政権下で、建設住宅大臣を勤める。
ムルタラ・ムハンマドによるクーデタには直接参加しなかったが、最高軍事評議会副議長に指名され、参謀総長として軍政を支えた。1976年2月ブカール・ディムカ大佐らによるクーデタでムハンマドが暗殺されオバサンジョも殺害対象とされたがテオフィルス・ダンジュマ将軍らとこれを収拾し、最高軍事評議会議長・国家元首・国軍最高司令官を兼ねて最高指導者となる。
米国を模してナイジェリア第二共和政 (Nigerian Second Republic) を準備。1979年に民政移管の公約を実行し、自身は退役し農場を経営した。
1981年、ユネスコ「Commission for Peace in the Minds of Men」委員。
1985年、南アに関する英連邦有識者会議副議長 として活躍していたが、ババンギダ軍事政権の後に成立したアバチャ軍事政権に対するクーデター未遂容疑で1995年逮捕される。獄中で無実を訴え続け、1998年、アブバカール軍事政権により釈放。国民民主党(PDP)入党。
1999年2月27日、ナイジェリアの国民民主党大統領候補として大統領選挙に勝利し、5月29日、大統領に就任した(第4共和制発足)。
2005年4月14日、北京大学より、名誉博士号を授与される。2006年9月14日、約2年ぶりの来日。
脚註[編集]
- ^ Statement by Obasanjo to the United Nations
- ^ Hamilton, Janice. Nigeria in Pictures. P.71
- ^ Meaning of Olusegun in Nigerian.name
関連項目[編集]
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ムルタラ・ムハンマド アブドゥルサラミ・アブバカール |
第5代:1976 - 1979 第12代:1999 - 2007 |
次代: シェフ・シャガリ ウマル・ヤラドゥア |
| 党職 | ||
| 先代: (創設) |
国民民主党大統領選候補者 いずれも当選 1999、2003 |
次代: ウマル・ヤラドゥア |
| 外交職 | ||
| 先代: ジョアキン・アルベルト・シサノ |
アフリカ連合総会議長 第3代:2004 - 2006 |
次代: ドニ・サスヌゲソ |
| 先代: ジョン・ハワード |
イギリス連邦首脳会議議長 第3代:2003 - 2005 |
次代: Lawrence Gonzi (en) |
| 先代: ニャシンベ・エヤデマ |
西アフリカ諸国経済共同体議長 第2代:1978 - 1979 |
次代: レオポール・セダール・サンゴール |
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