アルファ・コンデ
| アルファ・コンデ Alpha Condé |
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| 任期 | 2010年12月21日 – |
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| 首相 | ジャン・マリー・ドレ モハメド・サイード・フォファナ |
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| 出生 | 1938年3月4日(77歳) |
| 政党 | ギニア人民連合 |
| 配偶者 | ジェネ・カバ・コンデ |
アルファ・コンデ(フランス語: Alpha Condé、1938年3月4日 - )は、ギニアの政治家。現在、同国大統領。
マリンケ人(マンディンゴ人)。ギニア人民連合(RPG、ギニア人民結集党とも)党首。2010年11月に行われたギニア初の民主的大統領選挙において52.52%の票を獲得し、大統領に当選した。
経歴[編集]
1938年にフランス領ギニア西部のボケで生まれ[1]、ギニアの反体制派としてフランスへと亡命しパリ大学で政治学教授を務めた。1993年にランサナ・コンテ大統領が複数政党制を導入し大統領選挙を実施すると、コンデは帰国し出馬したが、コンテの得票51.7%に対し、コンデは19.6%の得票で敗れた。次いで1998年の選挙にも出馬したが、コンテの56.1%、ママドゥ・ボイェ・バの24.6%に次ぐ3位に終わった。
同年12月16日、コンデは政府によって反政府暴動の計画および不法出国の準備をしたとの理由で逮捕された[2] 。コンデの裁判は1999年9月に開始される予定であったが、2000年の4月にまでずれこんだ。この裁判は9月中旬に結審し、コンデは懲役5年の判決を受けた[2] 。しかし、2001年5月にはコンテ大統領によって恩赦を受け、政治活動の停止を条件に釈放された。釈放後コンデはフランスへと出国したが、2005年4月には再びギニアへと戻った[3]。
2008年12月23日にコンテ大統領が死去すると同時にムサ・ダディス・カマラ大尉によるクーデターが発生し、ギニアは民主主義と発展のための国民評議会(Conseil National de la Démocratie et du Développement、CNDD)による軍事政権となった。コンデは軍事政権のメンバーと面会し、クーデターは愛国者によるものであるとして一定の評価を与えた[4]が、その後カマラ政権はコンデを批判し[5]、コンデも独裁化するカマラ政権に批判を強めていった。
大統領[編集]
2009年12月3日にカマラが銃撃され、代わって暫定大統領に就任したセクバ・コナテが大統領選挙を実行すると、コンデは大統領選挙に出馬し、18.29%の得票で2位で決選投票へと駒を進めた。そして2010年11月7日、元首相のセル・ダーレン・ディアロとの決選投票に52.52%の得票で競り勝ち、ギニアの大統領に当選を果たしたと11月15日に選挙管理委員会が発表した[6]。ギニア憲法裁が選挙結果を承認すればこの結果は確定となるが、ディアロは選挙管理委員会の正式発表前にこの結果を不服とする声明を発表し、即日首都コナクリなどで暴動が発生、11月17日までに7名が死亡し、コナテ暫定大統領は非常事態宣言を行った[7]。しかし12月2日にギニア最高裁判所がディアロの抗議を退けると、ディアロも敗北を認め暴動は沈静化した。これを受け、12月21日にコンデは大統領に就任した[8]。
私邸襲撃事件[編集]
2011年7月19日夜、コナクリ市郊外のキペにある大統領私邸が武装集団により襲撃され、ロケット砲が撃ち込まれる事件が発生した。
出典[編集]
- ^ "Alpha Condé, l'opposant de toujours à tous les régimes en Guinée", AFP, 15 November 2010 (フランス語).
- ^ a b Englebert, Pierre. (2006) Guinea: recent history. In Africa south of the Sahara 2006, 35th ed. London: Routledge.
- ^ “GUINEA: Opposition leader returns as food tensions mount”. IRIN. (2005年7月4日)
- ^ “Guinea coup leader gets Senegal's backing”. Reuters. (2008年12月27日)
- ^ “Guinea junta chief 'holed up in Burkina villa'”. AFP. (2010年2月20日)
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ [3]
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代: セクバ・コナテ(暫定) |
第4代:2010年 - |
次代: (現職) |