タボ・ムベキ
| タボ・ムヴイェルワ・ムベキ Thabo Mvuyelwa Mbeki | |
| 任期 | 1999年6月14日 – 2008年9月25日 |
|---|---|
| 任期 | 1994年 – 1999年 |
| 元首 | ネルソン・マンデラ |
アフリカ連合
初代総会議長 | |
| 任期 | 2002年7月9日 – 2003年7月10日 |
| 出生 | 1942年6月18日(76歳) ケープ州、イドチワ |
| 政党 | アフリカ民族会議 |
| 配偶者 | ザネレ・ドラミニ |
| 署名 | |
タボ・ムヴイェルワ・ムベキ(英語: Thabo Mvuyelwa Mbeki、1942年6月18日 - )は、南アフリカ共和国の政治家。大統領(第9代)、副大統領、アフリカ民族会議議長(第12代)、アフリカ連合初代総会議長を歴任。
人物[編集]
生い立ち[編集]
南アフリカのトランスカイ地域に生まれたムベキは、アフリカ民族会議(ANC)および南アフリカ共産党の中心的人物として活動したコサ人のゴヴァン・ムベキの息子であり、ムベキも南アフリカ共産党に入党していた[1]。ムベキはサセックス大学を卒業し、経済学の学位を持つ。
反アパルトヘイトの闘士[編集]
アパルトヘイト時代に逮捕、監禁されるが、国外追放となりイギリスで長年を過ごす。ネルソン・マンデラ釈放後に帰国する。彼は海外で教育を受け、国外追放期も反アパルトヘイト活動を継続した若いANC闘士のうちの一人であった。
大統領[編集]
1999年、総選挙でANCが再び勝利し、マンデラの後継として大統領に就任した。マンデラの経済成長路線を堅持、またアフリカ統一機構からアフリカ連合への改組を主導し、アフリカの盟主として積極的にアフリカ地域の紛争解決に乗り出して経済界や主要国から評価されている。2004年の総選挙でも勝利し、大統領に再任した。BRICSの一員として中華人民共和国やインド、ブラジル、ロシアとの関係も強化した[2]。
所得格差や犯罪率の抑制、エイズ問題に関して有効な政策を打ち出せない状況に対し、副大統領のジェイコブ・ズマを中心に党内から非難が起きた。これに対して2005年、汚職疑惑を理由にズマを罷免し、党内の主導権を確立しようとした。ズマはレイプ疑惑で被告人として起訴されるも無罪を勝ち取り、反ムベキの活動を展開し、2007年のANC議長選挙でムベキはズマに敗れた。
2008年、ズマ率いるANC全国執行委員会から辞職勧告を受けたことから辞職表明した。
出典[編集]
- ^ Gevisser, Mark (2001). "ANC was his family, the struggle was his life". Sunday Times. Archived from the original on 1 October 2006. Retrieved 22 November 2006.
- ^ "Communique on India-Brazil-South Africa (IBSA) Dialogue Forum". South African Department of Foreign Affairs.
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- Mbeki - ANC official page
- Google news search for current items re: Mbeki
- "Thabo Mbeki - a man of two faces" in "The Economist" magazine
- "The Guardian Profile: Thabo Mbeki", archived at www.buzzle.com
- Editorial comment from Zimbabwean website critiquing Zimbabwe policy
| 外交職 | ||
|---|---|---|
| 先代: レヴィー・ムワナワサ アフリカ統一機構が改編 |
アフリカ連合総会議長 初代:2002 - 2003 |
次代: ジョアキン・アルベルト・シサノ |
| 公職 | ||
| 先代: ネルソン・マンデラ |
第9代:1999 - 2008 |
次代: アイビー・マトセプ・カサバーリ (代行) |
| 先代: フレデリック・ウィレム・デクラーク |
1994-1996はデクラークと共同 (アパルトヘイト後)第2代: 1994 - 1999 |
次代: ジェイコブ・ズマ |
| 党職 | ||
| 先代: ネルソン・マンデラ |
第12代:1997 - 2007 |
次代: ジェイコブ・ズマ |