こぶとりじいさん

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こぶとりじいさんは、日本の民話昔話)。世界にも類例がある。

老人が、に質草としての瘤を取られる説話。一般的に二人の(年老いた男性)が連夜で鬼の宴に参加する型が多いが、民話の常として様々な類型があり、ストーリーも様々である。鎌倉時代説話物語集『宇治拾遺物語』にも「こぶ取り爺(鬼にこぶとらるゝ事)」として収載されており、「ものうらやみはせまじきことなりとか」で結ばれている。この出典から京都民話や関西民話と思われがちだが、実際には琉球を含めた日本各地(蝦夷の原民話は除く)に広く伝わっている。

ストーリー[編集]

典型例[編集]

アニメーションテレビ番組『まんが日本昔ばなし』で紹介されたストーリーでは、「正直じいさんが得をし、意地悪じいさんが損をする」という典型的な「隣の爺型民話」となっている。大筋は以下のとおり。

あるところに、頬に大きな瘤(こぶ)のある隣どうしの二人の翁がいた。片方は正直で温厚、もう片方は瘤をからかった子供を殴るなど乱暴で意地悪であった。ある日の晩、正直な翁が夜更けに鬼の宴会に出くわし、踊りを披露すると鬼は大変に感心して酒とご馳走をすすめ、翌晩も来て踊るように命じ、明日来れば返してやると翁の大きな瘤を「すぽん」と傷も残さず取ってしまった。
それを聞いた隣の意地悪な翁が、それなら自分の瘤も取ってもらおうと夜更けにその場所に出かけると、同じように鬼が宴会している。隣の翁は出鱈目で下手な踊りを披露したので鬼は怒ってしまい、「ええい、下手くそ!こんな瘤は返してやる。もう二度と来るな」と言って昨日の翁から取り上げた瘤を意地悪な翁のあいた頬にくっつけると「今日の宴会はもうやめだ」と興ざめして去ってしまった。
それから正直な翁は瘤がなくなって清々したが、意地悪な翁は瘤が二つになり難儀した。

バリエーション[編集]

変形として、以下のような変種も存在する。

  • 隣の翁のほうが踊りがうまい(阿波に伝わる。太宰治が短編小説集『お伽草紙』の一篇「瘤取り」に採用。世界文化社『ふるさとの民話』でも採用されている)
  • 隣の翁に瘤がないパターン(越後などで採取。瘤の無い隣の翁は鬼の宝物が目当てで参加。「日本昔話百選」などに収録)
鬼から踊りの褒美に金銀をやると言われた踊りがとても上手なじいさんは「金銀は要らない。じゃまな瘤を取ってくれ」と言って瘤を取ってもらう。
隣のじいさん(瘤は無い。鬼も昨日の翁と別人であることは承知している。踊りも鬼と朝まで踊り明かせる程度には踊れる)は、鬼から「お前の欲しいものは何だ。」と訊かれ、「金銀が欲しい」とそのまま言うのは鬼に軽蔑されると思い、「わしが欲しいのは、昨日のじいさんが「要らない」と言ったもの(金銀のこと)だ」と答えたので、鬼は誤解し「昨日のじいさんにとって要らないもの(瘤のこと)」を褒美に与え、にわとりの声にあわてて去ってしまう。
  • 隣の翁が瘤を取ってもらう事に成功する(出羽で採取。松谷みよ子がアンソロジーで紹介)
隣のじさが「待て待で、鬼っこ」と呼ぶと「昨日の面白え爺がまた来てんでねべか」と鬼が戻ってきだ。鬼は「じさ、昨日瘤取ったのに、また瘤つけてきて駄目でねか」言うてバンと叩くと瘤とれてねぐなってまったど。隣のじさは喜んで鬼と一緒にバガスグと朝まで夢中になって踊ったど…(『昔ばなし十二か月』より)。
  • 一人の翁しか登場しない話(関東などに伝承)
  • 踊りではなく魚釣りの技を鬼に披露(九州・琉球・台湾など)
  • 頬でなく額に拳ほどの瘤を持つ爺が二人という設定。しかも山奥の神様に詣って夜篭りをしている途中、神楽を歌い神社に入り込む六尺(180cm)程の赤ら顔、鼻高の天狗達に瘤を取ってもらう話(遠野、和賀郡の民話)。
(日本郵便「こぶとりじいさん」切手では「裕福だが無信心な翁」と「貧乏だが信心深い翁」(作画者の設定)および「宇佐神宮(八幡宮)の分社らしき山奥の神社の鳥居」「団扇を持った鼻の高い天狗」が描かれている。
天狗が登場する話では、隣の翁が天狗が歌う「天狗、天狗、六天狗」のあとに、昨夜の翁のように自分も勘定に入れ「俺も足して七天狗」と言うべきところ、「天狗の鼻かけろ」などといいかげんに歌って踊り、歌詞の内容が天狗を怒らせるというものもある。
また、隣の翁は「こぶが取れるよう参詣しよう」と誘う1人目の翁の願掛けを断り一人で行かせる無信心な翁という設定になっている話もある。)

隣の爺型の否定[編集]

  • 一部には「きこりと金の斧」や「ねずみ浄土(おむすびころりん)」のような「隣の爺型民話」と異なり、2人目の翁を擁護する分析もある。近年、グリム童話や日本昔話などの新解釈を扱った評論本が発表されているが、その中に「こぶとりじいさん」について論じたものも存在している。
瘤が2つになった翁は「花咲か爺」にでてくるような「意地悪じいさん」ではなく、むしろ1人目の翁の話を真に受けて「馬鹿正直に」、かつ自分から瘤を除去しようと「積極的」に、怖い鬼の出る場所に出かけていく「勇気」のある行動ができる(踊りは下手であっても)本当はとても「正直で努力家の良いじいさん」であり、
2つの瘤を恥じ家にこもって家業に精を出したので、後に金持ちになって「こぶの御大尽」や「瘤の長者」と呼ばれ、近郷近在では知らぬものが無いほどの分限者になった。
1人目の翁は「正直じいさん」などではなく、「きっと次の日もくるから」などと調子のいいこと(うそ)を言っておきながら鬼との約束を「反故」にしたうえ、次の日の結果(瘤を返されること)が予想できるのに隣の翁に代役を押し付けた(瘤が質草である件は隠した叉はぼかして教えた)「とても性格の悪いじいさん」であり
村人からは「鬼までだました悪いやつ」と言われ、皆が避けるようになり村八部になってしまう。(「本当は怖い日本昔話」など)

近年の絵本などでの改変[編集]

  • 瘤が増えて落ち込む意地悪な翁に陽気な翁が歌と踊りを教えて元気付ける。意地悪な翁は立ち直り、村人とも上手く付き合えるようになる。

海外の「こぶとり」話[編集]

  • 最初の翁がせっかく取ってもらった瘤を返される(欧州に伝わる)変種も存在する。
  • また、グリム童話にも類話「小人の贈り物」が収載されており、そこでは一人目の翁(または職人)に瘤がない。
  • 西アジア・北アフリカのイスラム圏では、公衆浴場に悪魔が宴会をしていて、瘤を取られる話がある(二回目は葬式をしていて、ふざけた踊りに悪魔が怒り出す)。

起源・類話[編集]

〈ものうらやみをしてはいけない〉という教訓的な言葉があり、同じ型の話は古く『宇治拾遺物語』第三話に見られるがその話をこの話の出発点とすることは危険である。 日本の1623年(元和元年)には成立していた『醒睡笑』巻1と巻6とに前半と後半とが分離した話としてのっており趣向を異にしている。当時すでに〈鬼に瘤を取られた〉という奇異な話が世間に流布されていて、その話に多少の文飾が加わったと見るのが妥当のようである。

この話は世界的に広く分布し、東洋では顔のこぶ、西洋では背中のこぶとなっている。踊りとともに歌詞の面白さ、巧みさ(「くるみわぱっぱ、ばあくるく、おさなげやあとの、おっかっか」「一ぼこ二ぼこ三ぼこ四ぼこ、俺も足して五ぼこ」「天狗、天狗、六天狗、俺も足して七天狗」「月火水、木曜日(金曜も足すとリズムが狂い西洋では小人に怒られる)」など)でこぶを取ってもらう話が多く、それによって富を得るのが古態となる話が多い。

読解[編集]

この話のテーマは鬼による山中のお堂や祠の近くでの酒盛りと踊りであり、これは山伏のおこなう延年の舞(出峰蓮華会の延年)である。

また鬼の代わりに天狗が出てくる話もあり、山神、山霊の司霊者である山伏はしばし天狗と一体化される。昔は顔などに大きな瘤や肉腫を持った老人が多く、貧民は手術でとることもできず、出峰した山伏は村人、信者を金剛杖で打ち病気を治すが、これも瘤を取る宗教的呪術にあたる。瘤を取るとか厄を払うという呪術は入峰中に蓄積された験力の発揮であり瘤取り爺(鬼)のメインテーマは山伏の延年と呪験力である。

験競の験力は究極すれば活殺自在といえるが、こうした力があれば病気を治すことも瘤を取ることも自在であると信じられたはずである。山から下った来訪神が不幸や災いを払って歩く様子を山伏が真似たものであり、験競の場には入峰で得たあらたかな験力で病気を治してもらおうとする人々が集まり、その中に瘤・肉腫をもった老人もいて山伏が印を結び呪文を唱えて気合をかければ跡形もなく取れた、と言うような話が『宇治拾遺物語』の説話へと変化していったのであろう。

木こりの爺が雨に会い山神の神木である大木の洞に入り、この木の前に鬼が出現するので山伏の延年がおこなわれる必然性が説明できる。鬼は山神をあらわすがときに死霊的性格を持ち、このような洞穴から出入りする鬼は霊物のイメージがあり古代にはそれが墓であり古代の横穴洞窟葬を意味するからである。

また爺さんの前に現れる鬼も、山中の淋しいお堂や大木の洞に入りそこで寝た経緯が、民話「化物寺」の廃寺に泊まり化け物に会うというくだりに似ており、話中の化け物寺の話の筋や歌が瘤取りの話に入り瘤取り爺さんの歌へと変化したものである。その鬼も「目一つ」や「口なき物」等100人あまりというのは「百鬼夜行」を表しそれを総じて鬼の一群と言い、また鬼である山神は眷属のお伴を連れ歩くと信じられており、その眷属は山神の子孫の霊物化であり、これが百鬼夜行の群行となり、話中の大将、親分の鬼は群れの中心の山神のことである。

古典にみる「こぶ」[編集]

宇治拾遺物語の「こぶ取り爺」では、翁が「たゞ目はなをばめすともこのこぶはゆるし給候はん」と言っている。つまりは、「ならば取ってもいいが、瘤だけは自分にとって大切なものであって、それだけは取らないでほしい」と懇願しているのである。それに対し、鬼たちは「かうをしみ申物なり。たゞそれを取べし」と言う。「これほど惜しむものならば(よほど福をもらすものであろう)、それを取ってしまえ」という意味であり、他にも、怖ろしいと思われている鬼が愛嬌者であるなど、随所で発想の転換がみられ、ユーモラスな話となっている。

なお、太宰治の「瘤取り」では、酒好きで孤独なじいさんにとって「瘤」は可愛い孫のように愛しく孤独を慰める存在として描かれている。

医療的観点からみたこぶとりじいさん[編集]

こぶとりじいさんで描かれている「瘤」は耳下腺の多形性腺腫である[要検証 ]。これは良性腫瘍であるためここまで大きくなっても平気なのであり、もし腺癌などの悪性腫瘍であったならばここまで大きくなる前に他の臓器に転移してしまうと思われる。また、隣の翁が鬼につけられた他人の瘤は、拒絶反応により日時が経過すればそのうち取れる可能性がある。

余禄[編集]

  • この物語は広く知られているため、パロディも存在する。夏目房之介が『デキゴトロジー』で扱ったところでは「あるところに、小太りじいさんがいた。おしまい」というものがある。
  • ひろさちや『昔話にはウラがある』でも、「こぶとりじいさん」とは「小太りなおじいさん」だと思っていた若い女性の話題が登場する。話を語ってきかせると、「それはおかしい。こぶを取ったのは鬼で、じいさんは取られたのだから、こぶとられじいさん が正しい」という反論があったという。
  • ラジオ体操第一の作曲者として知られる服部正は、学校向け楽曲として『劇あそび こぶとりじいさん』を作曲している。
  • テレビアニメゼンダマン第16話は「こぶとりじいさんだよ! ゼンダマン」であり、こぶとりじいさん担当の声優肝付兼太であった。
  • 長嶋有エッセイのなかで、素敵な話だとしている。
  • 立川志の輔新作落語の作品に「こぶとり爺さん」がある。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]