鳥羽 (砲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。曾禰越後守 (会話 | 投稿記録) による 2022年8月6日 (土) 05:25個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎艦長/砲艦長: リンク調整)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

鳥羽
艦歴
計画 第三期拡張計画(予算のみ)[1]
1911年
起工 1911年7月7日佐世保工廠
進水 1911年11月7日
就役 1911年11月17日上海
その後 終戦時上海で残存
除籍 1945年9月30日(大日本帝国海軍)
1960年代(人民解放軍)
性能諸元 (竣工時)
排水量 基準:220t 常備:250t
全長 (垂線間長:54.86m)
全幅 8.23m
吃水 0.79m (公試平均)
主缶 艦本式缶2基
主機 レシプロ2基3軸 1,400hp
速力 15.0kt
航続距離 不明 (石炭81t)
乗員 竣工時定員59名[2]
兵装
(竣工時)
短8cm単装砲2門
6.5mm機銃6挺
兵装
(1941)
8cm単装高角砲2門
13mm連装機銃1基
7.7mm機銃2挺
三年式機銃4挺
(推定)

鳥羽(とば)は、日本海軍が初めて国内で建造した河用砲艦である。同型艦はない。「鳥羽」の前にイギリスで建造された砲艦「隅田」、「伏見」は長江三峡の航行に問題があったため、機関出力が強化され速力15ノットとなっている。

艦歴

佐世保工廠1911年7月7日起工、同年11月7日進水、11月17日竣工。

竣工当時中国辛亥革命が発生していた。「鳥羽」は11月18日に第三艦隊に編入され、浮きドックに入れられて防護巡洋艦笠置」の曳航により11月25日に佐世保を出発し、12月3日に上海に着いた[3]

第一次世界大戦では、始め中国が中立国であったため河用砲艦は武装解除した。第三艦隊の艦艇は1914年8月13日までに上海に集結[4]。8月22日、「鳥羽」は浦東海軍用地内の三井物産倉庫岸壁前錨泊していた「伏見」の上流に錨泊[5]。8月24日、2隻は武装解除を完了した[5]。また、同地には「隅田」も錨泊した[5]。「伏見」には7名が残留し、艦の保管は三井物産上海支店に委託された[6]。8月24日、第三艦隊より除かれ佐世保鎮守府予備艦となった[7]

1917年8月14日に中国が参戦したことにより、8月29日に河用砲艦の乗員は上海に到着[8]。「鳥羽」は9月11日に上海発[8]。漢口、宜昌などを経て10月26日に重慶に到着[9]。事態の悪化に伴い、12月4日には陸戦隊を揚陸した[10]。12月15日、「鳥羽」、「千代田」、「宇治」、「隅田」、「伏見」で第七戦隊が編成された[11]。1918年4月25日、「鳥羽」は宜昌上流で北軍から射撃され、交戦[12]。その後、5月14日に上海に着き、修理が行われた[12]。「鳥羽」は6月15日に上海を発し、7月19日に重慶に着いた[12]


太平洋戦争では上海で1941年12月8日駆逐艦」と共同で英砲艦「ペトリル」を撃沈、米砲艦「ウェーク」を捕獲した。ウェークはその後日本海軍に「多々良」として編入された。

1945年9月30日除籍。中華民国に接収され「永済」となった。1948年4月17日湖北省郝穴での戦闘で功をあげ「郝穴」と改名された。1949年11月29日永安と共に中国人民解放軍に投降、「湘江」となった。1960年代に除籍。

艦長/砲艦長

※脚注無き限り『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 堀田英夫 少佐:1911年11月7日 - 1912年12月1日
  • 三村俊夫 少佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 池田幸作 少佐:1913年12月1日 -
  • 藤吉晙 少佐:1917年8月16日 - 1918年6月3日
  • 今川眞金 少佐:1918年6月3日[13] - 1919年3月1日[14]
  • 小松三郎 少佐:1919年3月1日[14] - 1919年3月26日[15]
  • 猪瀬乙彦 少佐:1919年3月26日[15] - 1920年12月1日[16]
  • 野口幸一 少佐:1920年12月1日[16] - 1921年10月6日[17]
  • 鈴木幸三 少佐:1921年10月6日[17] - 1922年4月20日
  • 鈴木清 少佐:1922年4月20日 - 1923年8月13日[18]
  • 佐野哲 少佐:1923年8月13日[18] - 1924年5月1日[19]
  • 後藤英次 少佐:1924年5月1日 - 6月21日
  • 須賀彦次郎 少佐:1924年6月21日 - 1925年12月1日
  • 隈部勇 大尉:1925年12月1日[20] - 1927年12月1日[21]
  • 勝野實 少佐:1927年12月1日 - 1929年11月30日
  • 鳥居卓哉 少佐:1929年11月30日[22] - 1930年12月1日[23]
  • 石河淡 少佐:1930年12月1日[24] - 1932年5月2日[25]
  • 加瀬三郎 少佐:1932年5月2日[25] - 12月1日
  • 片山司吾六 少佐:1932年12月1日[26] - 1934年11月1日[27]
  • 牟田口格郎 少佐:1934年11月1日 - 1935年10月31日[28]
  • 山代勝守 少佐:1935年10月31日[28] - 1936年12月1日[29]
  • 久保田智 少佐/中佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
  • 清水利夫 中佐:1937年12月1日 - 1938年12月15日
  • 赤澤次壽雄 少佐:1938年12月15日 - 1939年10月20日
  • 大石新一 少佐/中佐:1939年10月20日 - 1940年10月15日[30]
  • 古濱智 少佐:1940年10月15日[30] - 1941年8月20日[31]
  • 松田九郎 少佐:1941年8月20日[31] - 1943年6月20日[32]
  • 吉田謙吾 少佐/中佐:1943年6月20日[32] - 砲艦長 1944年10月1日[33] - 1945年8月15日[34]

脚注

  1. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.229-230
  2. ^ 明治44年11月7日付 海軍内令 第196号改正、海軍定員令「艦第15表 二等砲艦定員表 其2」。
  3. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、102ページ
  4. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、110ページ
  5. ^ a b c 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、111ページ
  6. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、111-112ページ
  7. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、112ページ
  8. ^ a b 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、113ページ
  9. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、113-114ページ
  10. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、114ページ
  11. ^ 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、115ページ
  12. ^ a b c 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、120ページ
  13. ^ 『官報』第1750号、大正7年6月4日。
  14. ^ a b 大正8年3月3日付 官報第1972号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2954086 で閲覧可能。
  15. ^ a b 『官報』第1992号、大正8年3月27日。
  16. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  17. ^ a b 大正10年10月7日付 官報第2756号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2954871 で閲覧可能。
  18. ^ a b 大正12年8月14日付 官報第3312号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2955435 で閲覧可能。
  19. ^ 『官報』第3505号、大正13年5月2日。
  20. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  21. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  22. ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  23. ^ 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  24. ^ 昭和5年12月2日付 官報第1179号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2957646 で閲覧可能。
  25. ^ a b 昭和7年5月3日付 官報第1599号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958070 で閲覧可能。
  26. ^ 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  27. ^ 『官報』第2353号、昭和9年11月2日。
  28. ^ a b 『官報』第2651号、昭和10年11月2日。
  29. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  30. ^ a b 昭和15年10月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第543号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  31. ^ a b 昭和16年8月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第695号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081800 
  32. ^ a b 昭和18年6月21日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1152号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091700 
  33. ^ 昭和19年10月1日付 海軍大臣官房 官房人機密第1805号。
  34. ^ 昭和20年8月27日付 秘海軍辞令公報 甲 第1897号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072107000 

参考文献

関連項目

外部リンク