辛子明太子

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辛子明太子
Karashi Mentai-ko
別名 鱈子の朝鮮辛漬け
発祥地 日本の旗 日本
地域 山口県下関市福岡県ほか
関連食文化 大韓民国の旗朝鮮民主主義人民共和国の旗 キムチ
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辛子明太子(からしめんたいこ)は、下関発祥の名物総菜。

歴史

韓国の明卵漬

辛子明太子の歴史は、辛子明太子業者や関係者に伝わる諸説が複数存在する。

2008年8月に出版された今西一・中谷三男共著『明太子開発史』[1]では、歴史的資料に基づいた辛子明太子の一節が述べられている。

これによれば、明治40年代に朝鮮半島において、日本人の樋口伊都羽が明太子製造問屋を創業、38年間経営していた。

樋口伊都羽は旧会津藩の藩士の家系で明治5年(1872年)に東京で生まれた。 明治30年代に朝鮮に渡り警察官となるが、後に元山で漁業に従事。

元山では明太(スケトウダラ)の魚体だけを利用して卵巣部分のほとんどが捨てられており、これを見た樋口は日本向けに卵巣部分の商品化を出来ないかと考え[1]、明太(スケトウダラ)の卵に唐辛子を細かく刻んだものを加えて塩漬けし「明太子」「明太の子」という商品を作り評判を得た。

樋口は鉄道や海運の利便性を考慮して明治40年頃に釜山に拠点を移し、「明太子製造元祖」の看板を掲げ、明太子製造問屋「樋口商店」を創業。

樋口商店の明太子は朝鮮半島はもとより、日本、台湾、中国にその需要を増やした。

明太子の製造と販売は第二次世界大戦中も続けていたが、日本の敗戦による混乱で樋口は財産や事業基盤等の一切を失い、終戦とともに廃業。

釜山から引揚げ船で博多に入港後、妻と女婿の郷里である三重県へ行き農業に従事した。

終戦後に朝鮮半島から引き上げた人々のうちの有志が、朝鮮半島で食べた明太子を再現しようと更に改良して出来たのが現在の辛子明太子であり、そのルーツは釜山に店を構え、明太子の製造と販売を手広く行っていた樋口商店の明太子であると考えられている[2][3]

まぶし型辛子明太子

日露戦争直後から太平洋戦争中にかけて、鉄道省(後の日本国有鉄道→現・JRグループ)は下関と当時日本領であった朝鮮釜山との間に関釜連絡船を運航していた。また、中国との定期連絡船も存在し、スケトウダラ(明太魚)の辛子漬け(明太卵漬け)を運んでいた。朝鮮側の連絡船では釜山を経由して、明太の卵巣の辛子漬け(「明卵漬(明卵젓 / 명란젓、myeongranjeot、ミョンランジョッ)」)が下関へ輸入された。この当時の明太卵漬けはタレと唐辛子に漬け込まれており、朝鮮の明卵漬は唐辛子やニンニクで漬け込んだ現代の「キムチ」に近いものであった。

漬け込み型辛子明太子

ふくや川原俊夫が若いころに釜山で食べた明卵漬の記憶を基に、そのままでは日本人受けしない味なため、新たに塩で漬け込む製造法で辛子明太子を開発した。まぶして作る辛子明太子は徐々に減っていき、調味液漬けの辛子明太子がほとんどとなった。韓国でさえもまぶして作る、伝統的な製造法の明卵漬はほとんどなくなってしまって、逆輸入された日本風の明太子がその位置を占めるほどとなっている[4][5][6][7]。この漬け込みでは「乳酸発酵」を伴う。漬け込みに際しては、各社工夫をして異なる方法や副材料を使用する事もある。

国内外普及と明卵漬の衰退

辛子明太子と野沢菜をのせた弁当のご飯

ふくやの後を追って、1960年代には多くの同業者が設立された。1975年に山陽新幹線博多駅まで繋がり、東京博多間全通後に設立された福さ屋が新幹線駅や東京の三越百貨店等へ販路を築き、全国的に知れ渡るようになった。近年では料亭や老舗醤油メーカーなども明太子を扱うようになり、良質の原材料を贅沢に使用した高級品の研究も進んでいる。

博多名産・辛子明太子のほうが全国へ波及したために下関のまぶし製法よりも博多で盛んであった漬け込み製法が主流となり、現在でも量販向けで広く流通している。まぶし製法も少数ながら生産されており市場向けの高級品として流通し、棲み分けがなされている。

1980年代には土産物の販売ルート以外にも、百貨店・量販店で広く販売されるようになり、全国でおにぎりパスタの具として広く利用・販売されている。2007年には、おにぎりなどの加工用辛子明太子の出荷量が、ついに土産用の辛子明太子の出荷量を逆転した。

2018年11月辛子明太子(めんたいこ)製造販売「蔵出しめんたい本舗」が、ニシンの卵数の子を辛い調味液に漬け込んだ「数太子(すうたいこ)」を開発。数の子ならではの食感、うまみ、辛さが特長で、おせち料理や歳暮向け高級食品として販売[8]

ふくや創業者の孫である川原俊夫社長も2018年時点で由来となった明卵漬が明太子に韓国国内でさえも流通量・知名度で飲み込まれてしまったため、明卵漬を明太子が韓国内流通量上回った以降に育った若い韓国人を中心に明太子そのものが韓国のモノと勘違いされていることを指摘している[5]

語源

明太子の語源は、朝鮮語でスケトウダラを「明太」(명태、myeongtae、ミョンテ) と呼ぶことに由来するという[9]

ただし、現代朝鮮語においてはタラコのことを「明卵」(명란、myeongran、ミョンラン)と呼ぶため、明太子という表現は日本独自のものである[10]

なお、日本で「」の字が文書に現れるのは1670年であり、そもそもは「スケト」という呼び名だった。中国では普通話(標準語)ではスケトウダラのことを「黄線狭鱈」(繁体字: 黃線狹鱈簡体字: 黄线狭鳕拼音: huángxiànxiáxuě)と呼ぶが、東北官話中国東北部の方言)では朝鮮族自治州が位置することから、スケトウダラを「明太魚(明太鱼míngtàiyú、ミンタイユィ)」と呼ぶことがあり、ロシア語でも朝鮮語から影響され「минтай(mintaj / mintay、ミンタイ)」と呼ぶ[11]

いずれにしても、スケトウダラの子=明太子=たらこであり、 下関博多をはじめとする西日本の一部地域ではそれに即し、唐辛子を使わないいわゆる「たらこ」のことを単に「明太子」と呼び、当項の「辛子明太子」とは明確に使い分けられている[12]

今日では全国的に、辛子明太子のことを単に「明太子」と呼ぶ場合も多い。さらに「めんたい」などと略され、「めんたいスパゲティー」や「めんたいロック」など、九州博多の代名詞として用いられることもある。これは元々、たらこを示す言葉としての「明太子」が使われていなかった地域に、お土産や特産品として「辛子明太子」がもたらされ食品として先に一般化してきたところへ、冒頭の辛子が略された「明太子」の語形の呼称がのちに一般化したためと考えられる[12]。なお韓国では辛み付けされているものを単に「明太」と呼ぶ。

販売形態と産地・加工地

辛子明太子は、その形状によって販売価格・流通経路が大きく異なる。

販売形態の種類

卵巣の形を保ったままのものは「真子(まこ)」といい、比較的高値で取引される。主に贈答や接待に用いられる。皮が切れたものを「切れ子(きれこ)」と称し、比較的安価で家庭用として好まれる。さらにまったく形がなく粒のみのものを「ばら子(ばらこ)」という。ばら子はパック詰めにして業務用に使用されたり、チューブに入れたりして販売されている。切れ子には少し切れただけのものから、ほとんどばら子に近いようなものまで多種が存在する。なお、真子・切れ子・ばら子の品質には特に違いはない。さらに、明太子の原料は戦前の頃に比べはるかに細く痩せてしまったといわれるが、細い明太子に別のばらこを注入する技法も生み出された。

産地・加工地

明太子の産地について、原料となるスケトウダラの卵は日本近海、アメリカ・アラスカロシアなどで獲れたものが中心であり、スーパーで見かけるものの多くがアメリカ産・ロシア産となっている。 1970年代から日本のODA援助により大型船を手にした韓国の財閥各社が北海道沿岸の定置網から横取りしたスケトウダラの卵を博多の各業者に輸出することで安価な辛子明太子が流通するようになった。 近年比較的安価で売り出されている「原産地 中国」と表記されたものを見かけるが、これは上述の卵を中国で加工した中国加工製品であり、中国産の原料卵を日本で加工しているわけではない。なお2009年頃、不況や中国をめぐる食品問題のあおりを受け、中国に工場を構える業者の多くが撤退を開始していたが、近年再び中国加工のものが増え始めてきた。

食べ方

副菜としてそのまま、もしくは好みにより軽く焼いて食卓に供する。また、酒肴やおにぎり、お茶漬けの具材としても好まれる。NTTドコモ「みんなの声」における「好きなごはんのお供ランキング」では、「辛子明太子」が一位であった[13][14]

洋食に取り入れられることも多く、ほぐした辛子明太子をマヨネーズと和えて「めんたいマヨネーズ」としたり、バターライスに混ぜたりスパゲッティに用いることもある。

また、パン屋では明太子をバターマーガリンマヨネーズ等と合わせてペースト状にし、フランスパンに塗った「明太子フランス」がよく売られている[15]

参考文献

  • 平井明夫著・社団法人日本水産学会監修 『魚の卵のはなし』 (成山堂書店、2003年)ISBN 978-4425851614
  • 藤川祐輔博多の起業家―福さ屋・佐々木吉夫を中心として― 」(中村学園大学『流通科学研究』 4巻1号、2004年10月1日) 43-56頁 NAID 110006405795
  • 今西一中谷三男 『明太子開発史 - そのルーツを探る』 (成山堂書店、2008年)ISBN 978-4425883714

関連項目

  • たらこ - 公正競争規約によって、マダラ等のタラ亜科の卵巣で作ったものも「たらこ」と呼べるが、「明太子」と名乗って良いのは「スケソウダラ」のモノだけとなっている[16]
  • 塩辛
  • 佃煮
  • チャンジャ - タラの内臓をにんにく・唐辛子などを一緒に漬けて作るキムチの一種[17]。由来である明卵漬に近い味[5]
  • ソルビトール - 大手量販店の特売品に使用されることがある。
  • めんたいぴりりめんたいぴりり2 -ふくや創業者の人生と辛子明太子開発を題材としたテレビドラマ

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b 今西一・中谷三男 『明太子開発史 - そのルーツを探る』 (成山堂書店、2008年)
  2. ^ 明太子の元祖、樋口商店”.明太子.jp
  3. ^ めんたいこ物語 雑学編|明太子のかねふく
  4. ^ 全国辛子めんたいこ食品公正取引協議会
  5. ^ a b c 玉置標本 (2018年4月2日). “なぜ明太子が博多名物なのか、ふくやの社長に聞いてみた”. デイリーポータルZ. 2021年10月16日閲覧。
  6. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2016年10月5日). “【九州の礎を築いた群像】辛子めんたいこ編(2)誕生”. 産経ニュース. 2021年10月16日閲覧。
  7. ^ 「明太子」誕生物語り | ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう | 地域社会貢献活動 | 西日本シティ銀行について | 西日本シティ銀行”. www.ncbank.co.jp. 2021年10月16日閲覧。
  8. ^ 明太子じゃなく「数太子」発売 鳥栖市の蔵出しめんたい本舗|経済・農業|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE
  9. ^ 八塩圭子中小・中堅企業の発信力の研究― 明太子の「ふくや」の事例を通して―」(『 學習院大學經濟論集』 52巻4号、 2016年1月) p.157-173, hdl:10959/3983
  10. ^ 今西一・中西三男『明太子開発史』成山堂書店、2008年8月28日、81頁。ISBN 9784425883714 
  11. ^ История промысла”. ruspelagic.ru. 2022年8月23日閲覧。
  12. ^ a b めんたいこ”. 市場ネットワーク. 2003年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2003年1月24日閲覧。
  13. ^ NTTドコモ「みんなの声」の「好きなごはんのお供ランキング」28785票(2011/5/15〜5/28)中、第一位が「辛子明太子」
  14. ^ goo 第一位が辛子明太子[1]
  15. ^ めんたいフランスはうまいデイリーポータルZべつやくれい執筆)
  16. ^ 明太子と辛子明太子の違いとは”. シュフーズ. 2021年12月24日閲覧。
  17. ^ チャンジャとは?簡単な作り方もご紹介!”. DELISH KITCHEN. 2021年10月16日閲覧。

外部リンク