衛氏朝鮮
衛氏朝鮮 | |
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中国語表記 | |
繁体字: | 衛滿朝鮮 |
簡体字: | 卫满朝鲜 |
ピンイン: | Wèimǎn Cháoxiǎn |
朝鮮語表記 | |
ハングル: | 위만조선 |
ラテン文字転写: | Wiman Joseon Wiman Chosŏn |
朝鮮の漢字: | 衛滿朝鮮 |
衛氏朝鮮(えいしちょうせん 紀元前195年? - 紀元前108年)は、その実在について論争のない[1]朝鮮半島の最初の国家である。前漢帝国の初頭、燕出身の[2]中国人亡命者である衛満(『史記』及び『漢書』には名のみ「満」と記す。姓を「衛」と記すのは『三国志』以降)が今の朝鮮半島北西部に建てた。
概要
前史
朝鮮半島では、中国から朝鮮半島西岸を経由して日本列島へ到る交易路沿いに、華僑商人の寄港地が都市へと成長していく現象がみられた[3]。(戦国時代)、紀元前334年の段階で燕はすでに「朝鮮」(朝鮮半島北部)に隣接[4]していた。紀元前284年、燕は自国内に郡制を設け上谷から遼東までを5郡とし、東胡を防ぐためその北に東西二千里の長城を築いたが、『史記』によれば、この頃(燕の全盛期)、朝鮮は燕の配下に入っていた(朝鮮と真番(朝鮮半島南部)を「略属」させ、要地には砦を築き官吏を駐在させた)。また、中国商人の権益を保護していた[5]。秦代(燕が秦に滅ぼされて後)は秦の属国となり、燕の時代に築かれた朝鮮・真番の砦は二つだけ残して廃されたが、遼東郡の保護下にあった[6]。秦末漢初の混乱の中、韓広を王として復活した燕国は官吏と駐屯軍を清川江以南の朝鮮半島から撤退させ、朝鮮・真番は権力の空白地帯となった。
建国
『史記』によれば、前漢の高祖の時代、盧綰を燕王に封じたが、紀元前197年、盧綰が漢に背いて匈奴に亡命すると、燕国を廃して遼東郡を直轄化した。その際、燕人の衛満も亡命し、清川江を南にこえ、千人余りの徒党と共に朝鮮に入り、中国人(燕・斉の亡命者)と原住民の連合政権を樹立、王険城(平壌)を首都として王位に就いた。漢の遼東大守は皇帝の裁可をえてこの政権を承認した[7]。
- 異説として、後世に書かれた『三国志』『魏略』及び『後漢書』には、前漢建国当時の朝鮮は箕子の子孫が代々朝鮮侯として治めていた(→箕子朝鮮)が、後に朝鮮王を僭称するようになったこと、箕準の代に至り亡命者衛満の手により王権を奪われたこと、箕準は残兵を率いて南方の馬韓の地を攻略し、そこで韓王となった[8]という記述がある。
全盛
その後は独立王国として振る舞い、朝鮮(朝鮮半島北西~中西部)周辺を領有、勢力圏は北は穢の地、南は臨屯・真番まで及んだ。三伝して孫の右渠に至る。
滅亡
右渠は漢の意のままにはならなかったため武帝は朝鮮を帰服させようとし(実は匈奴を牽制するためともいう)、紀元前109年-紀元前108年、遠征を行い、衛氏朝鮮は滅ぼされた。その故地には楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡が置かれ漢の領土となった。
朝鮮の歴史 | ||||||||||
考古学 | 朝鮮の旧石器時代 櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC 無文土器時代 1500 BC-300 BC | |||||||||
伝説 | 檀君朝鮮 | |||||||||
古朝鮮 | 箕子朝鮮 | |||||||||
燕 | ||||||||||
辰国 | 衛氏朝鮮 | |||||||||
原三国 | 辰韓 | 弁韓 | 漢四郡 | |||||||
馬韓 | 帯方郡 | 楽浪郡 | 濊 貊 |
沃 沮 | ||||||
三国 | 伽耶 42- 562 |
百済 |
高句麗 | |||||||
新羅 | ||||||||||
南北国 | 唐熊津都督府・安東都護府 | |||||||||
統一新羅 鶏林州都督府 676-892 |
安東都護府 668-756 |
渤海 698 -926 | ||||||||
後三国 | 新羅 -935 |
後 百済 892 -936 |
後高句麗 901 -918 |
遼 | 女真 | |||||
統一 王朝 |
高麗 918- | 金 | ||||||||
元遼陽行省 (東寧・双城・耽羅) | ||||||||||
元朝 | ||||||||||
高麗 1356-1392 | ||||||||||
李氏朝鮮 1392-1897 | ||||||||||
大韓帝国 1897-1910 | ||||||||||
近代 | 日本統治時代の朝鮮 1910-1945 | |||||||||
現代 | 朝鮮人民共和国 1945 連合軍軍政期 1945-1948 | |||||||||
アメリカ占領区 | ソビエト占領区 | |||||||||
北朝鮮人民委員会 | ||||||||||
大韓民国 1948- |
朝鮮民主主義 人民共和国 1948- | |||||||||
Portal:朝鮮 |
参考文献
脚注
- ^ 考古学的に直接証明になるような文字資料が出土したわけではない。
- ^ 衛氏朝鮮の建国者衛満は、『史記』朝鮮伝に「朝鮮王満者、故燕人也」とある。
- ^ 岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008. ISBN 978-4-480-42449-5, pp.38-42
- ^ 『史記』蘇秦列伝には遼東と朝鮮が併記されているが、考古学的にはこの時期すでに遼東半島は燕の領有に帰していたと考えられるので、朝鮮も領有されていたと推測する説もある。
- ^ 岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008. ISBN 978-4-480-42449-5, p.22
- ^ 岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008. ISBN 978-4-480-42449-5, p.23
- ^ 岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008. ISBN 978-4-480-42449-5, p.25-27
- ^ が、これらの一連の話がどの程度史実と認められるかは論争がある。ほぼ同時代史料といえる『史記』にはこれらの記述は一切なく、衛満は何もない空白地帯に建国したように読める。
関連項目
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